2013年03月26日

ターゲットは、オキナワ

そういうわけで、3月11日を終えたので、この辺で更新。

マスコミの報道も震災関連がなくなった、というが、人というのは、カナシミを毎日背負っては生きていけない。

それでは、生きる意味がない。

なぜなら、どうせみんな有限の命なので、いずれ人生を終えなくてはいけないからだ。

こればっかりは、どうしょうもない。

悲しみに溢れ、無気力になる時間もないほど、人の命は限られている。

じゃあ、なぜ、そこまでして生きなきゃいけないのか、という疑問も当然、家族を亡くした者なら起こるだろう。

もしも、自分の身にそういう事が起こったら、どういう風に考えればいいのか、と思うが、今のところ、「誰もいなくなったら亡くなった家族を供養する人がいなくなるから、、」というような消極的なのか積極的なのかわからない答えになる。

NHKのドキュメンタリー番組なんか見ていると、この頃は、原発依存で育った複雑な福島の地域住民の心理状態も取り上げられたりしていて、この辺、基地依存の沖縄によく似ている。

基地のおかげで生活ができて、大きくなった、という県民も多い。

最近は、酔った米兵の婦女暴行事件、民間宅侵入、中学生暴行などの事件があいつぎ、米軍側は、米兵の夜間の外出禁止令を出して対応していたのだが、このために、米兵相手の飲食業者連合が、経営不振になった、との事で、この外出禁止令を解除して欲しい、と県に願い出た。

これなんか、凄い話ではないか。

市民に被害が出た、という事での禁止令を「背に腹はかえらない」、と辞めてくれ、という現状も凄い話ではある。

まるで、この際、地域発展のためには、そうしたスケープゴートもしょうがない、という風にも聞こえる。

それくらい、依存してはならないものへの依存はやっかいで、ある意味、侵略した際の戦略として使える話ではある。

これなんか、依存してはならない親に依存しているようなものではある。

しかし、これは、「自分から依存している」と思っていたら大間違いで、「依存させられている」という事をもっと明らかにすべきではある。

支配欲の強い親への依存は、子供の方からではない。

親の方が、自分に依存させるようにしているわけだ。

基地も同じ。

基地に依存している者がいるのではなく、基地が依存する人を作り出しているわけだ。

この辺を勘違いしては、物事の正しい元凶が見えなくなってしまう。

アヘン戦争というのがあったが、あれなんかも、中国人がアヘンに依存したわけではなく、イギリスが中国人をアヘン漬けにして利益を得た、というのが正しいはずだ。



阿片戦争戦争wikipedia:


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E7%89%87%E6%88%A6%E4%BA%89


だから、依存した側を責めている内は、何の解決にもならないのではないか。

罪悪感を感じなくてもいい、依存する側が、罪悪感を感じて、罪悪感を感じるべき、させる側が、平然としている、という事からしても、どちらが悪人か、が判別できるのではないか。

子供の生き方をすべて取り仕切る傲慢な親は、一切反省しないのに、子供の方が、そんな親を恨む事に罪悪感を感じるパターンである。

組織の陰謀で、住民同士が分裂される、という点では、水俣病の問題にも似ている。

水銀汚染をする側の工場に勤める住人と、水銀被害を受けた住人との関係だ。


水俣病wkipedia:


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85


こうした問題は、街の権力者のバカ息子と、そこに働く親の子供の関係として、昭和の時代は、よくドラマ化されたものにも似てはいる。
バカ息子からのイジメに遭っても絶対服従の運命にある。


共通して言えるのは、罪悪感を感じなくていい人間たちが、罪悪感を感じ、罪悪感を感じるべき側が、な~んも感じていないどころか、まるで、人助けの“正義の使者”のようにふるまっている事にある。

ゴルゴ13だって、お金が振り込まれなければ、好きでスナイパーの仕事はしていないんじゃないか。(そういえば、あれだけ大金の報酬を得ての、そもそもの使い道がわからないけど、、、。タイガーマスクのように、どこかのちびっ子ハウスに寄付しているのか、、)


つまりは、お菓子ばかりを欲しがる子供が悪いのではなく、お菓子ばかりを与えて、虫歯にする大人が悪い、という事ではないか。

それなのに、自分は、どうしてお菓子ばかりを欲しがるんだろう、と悩んでいる子供のようなものだ。

こういうのが「必要悪」というものだろう。

『必要悪:必要ではあるが、社会の現状からいって、やむを得ず必要とされるような事柄(広辞苑)』


そこにあるから、依存する、、というしくみだ。

そんな事を言ったら、AVと言った性産業なんか、まさにその典型の戦略ではある。

最初は、無料配布で、しだいに高額になって行く、という点では、麻薬の売人も似たような戦略を使う。

常習犯に対しては、発覚→逮捕→服役→出所後も常に、付きまとい、心の隙を突く。

だから、どうしても抜け出せない。

身近な例では、タバコも同じだ。

“そこにタバコがあるから”、、、吸う、、わけである。

だから、なかなか辞められない。

景気回復を謳いながら、その一方で、駐車違反の取り締まりで、景気を回復させないようにと、警視庁が暗躍する。

地域の暇な老人を手先に使い、まるで戦時中の憲兵のように国民を監視させ、駐車違反を取り締まる。

この矛盾に満ちたシステムを作り出しているのが国家である。


先週、ニュースを見ていたら、北朝鮮の国営放送で「われわれは、韓国もそうだが、米軍基地のあるオキナワもターゲットとしている!」と言っていた。

ちゃんと「オキナワ」と言ったのだ。

ちゃんと県民全員、見ただろうか。

世が世なら、この一言で、大義名分が立ち、戦争突入である。

しかし、北朝鮮や中国のやっていることは、かつての日本が対欧米支配に抵抗してやっていた“大東亜共栄圏”の大義名分と同じことではないか、という見解もある。

かつて、日本が、欧米の支配に抵抗するアジアの意義を唱えたにも関わらず、今の日本は、逆に欧米の手先となって、その意義に賛同して行動している北朝鮮、中国を非難している、というわけである。

な、なんと、この指摘は、まさにそうで、実際、日本は、敗戦後、かつての大義名分を忘れているが、それを北朝鮮や中国が代わりに行っているのだから、逆に応援すべきじゃないか、という北朝鮮側からの見方をしてみると、なるほど、と彼らの行動パターンも見えて来る。

(ちなみに、たまに出て来る北朝鮮の兵士の空手風のデモンストレーションは、かなりインチキくさい動きではある。あれは、付け焼刃の素人集団だ。何もかもがハッタリに近い事が、あの動きでわかる。)



大東亜共栄圏wikipedia:


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%85%B1%E6%A0%84%E5%9C%8F


こうなると、日本という国は、元々からして、矛盾に満ちた行動をする国という事になるが、国に矛盾は付き物か。

オスプレイ問題は、今や、アメリカは無関係で、日本人同士の「私は知性派だからオスプレイは安全!」VS「私は無知の一般市民だからオスプレイは危険を支持している!」と、これまた二極化した争いに転化したまま、何の進展もない。

これなんかも、原発、水俣病同様、元凶の組織の思惑通りの市民分裂劇で、ほっとけば勝手に両方で不毛な議論を続けるだけで、一生、何の解決にもならない問題の一つになる。


オスプレイと言えば、アメリカでは何の問題もない、とされていたのに、最近、アメリカから同様な問題で闘った、という女性が沖縄へ来て講演した。


『 米ニューメキシコ州の空軍キャノン基地周辺における垂直離着陸輸送機CV22オスプレイの低空飛行への反対運動を主導し、計画を延期させた平和市民団体「ピースフル・スカイズ連合」のキャロル・ミラー会長(66)が来沖し18日、那覇市久茂地のタイムスホールで講演した。』



オスプレイ「沖縄を侮辱」 ミラー氏講演:



http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-03-19_46714


ワイドショー通信簿:オスプレイ「ハワイ・ニューメキシコ」民意で中止―日本では聞く耳持たずかい!



http://www.j-cast.com/tv/2012/08/23143677.html


チラっとニュースを見た限りでは、久々に、ちゃんとした知性を見た、という感じのコメントをミラー会長はしていた。

アメリカ政府側は、オスプレイの騒音を”sound of freedom(自由の象徴のような音?)” と呼んでいるが、オスプレイがあるだけで、その基地はターゲットにされるのです!と答えている。

安全だ、安全じゃない!をただ言い合う論争の中で、「オスプレイがあるからターゲットにされる」という新たな視点を反論として提示している。


実際、先週、北朝鮮は、オキナワをターゲットにしている、と宣言した。

それにしても、一体、どこの誰が、北朝鮮に「オキナワ」というアイランドの存在を教えたのだろうか。

あの国営放送のアナウンサーの口調で、「オキナワもターゲットになってるコスミダ、パンニハムハサムダ!」とちゃんと「オキナワ」と言っていたのには、びっくりで、本来なら「号外!」が出てもいいだろうと思うが、ここは、スルー作戦で、マスコミは対応しているのだろうか。

このまま、こうした問題も次世代へと継続されて行くのだろうか。

北朝鮮の若きニューリーダーになった途端にこうした問題が継承されるというのも、どうも納得が行かないではある。

すでに軍事政権が確立していて、単にその象徴として祭られているだけじゃないか、そうでなかったら、こうもスムーズに行かないんじゃないか。

日本だって、実際は、政治家なんてパフォーマンス用の飾り物で、官僚が好き勝手に動かしているわけだし。

ましてや、北朝鮮が、かつての大日本帝国の真似をしているのだとしたら、なおさらバックには、軍部が君臨しているのではないか。

それにしても、名指しでターゲットにされた島にしては、みんな呑気なもので、人は、天災、人災の直前まで、呑気なんだろうなあ、とは思う。

ああ、そうだ。

戦争が起こってもまだ実感がない、という状況を描いた小説を思い出した。

首が飛んで初めて、ああ、これが戦争なんだ、と気づく小説だ。








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Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00 │時事