2011年04月06日

涙目と寡黙の人、地震のしくみ、世の中のしくみのお勉強


3月30日に最終チェック用の大量の原稿のコピーが送られて来て、4月3日までにチェックすれば良いです、ということで、毎晩、徹夜して、4月3日の朝方、ようやく、すべての原稿に目を通し、赤ペンチェック。

やれやれ、後は、宅急便ででも送ればいいだろう、とその日、寝て起きたら、原稿の第1ページに貼ってある紙を改めて見る。

「校正は、4月3日までなら間に合います。」とある。

あれ?今日は、4月3日だから、今から送ったら間に合わないじゃないか!と気づく。

大慌てで、校正した333ページほどの原稿内容をメールにして1ページずつメール送信。

これが、午後1時30分に始まって、ようやく、午前1時40分頃に完成。ほぼ12時間ジャスト。

よく考えれば、私は、ホームページやブログを始めての10年間、文章の校正チェックは日常茶飯事ではある。
しかし、それでも自分で自分の文章をチェックするのには盲点ができる。

初めて、校正を経験した自作CDのライナーノーツのチェックにも苦労した。それでも校正ミスの文字があった。

ということで、苦労のしがいがあってか、まだ何もしていないと言うのに、リットー・ミュージック編集社の新刊の予約受付の記録では、No.1の注文になった、と言う。アマゾンでの予約も好調らしい。

そんな過酷な状況ばかりのせいか、ここだけの話だが、私は、1日中、涙目である。

何も感動していないのに、目には涙が一杯溜まっている。
極度の目の疲労じゃないか、と思っている。

2年ほどまえ、1度、眼科に行って、1ヶ月分として貰って来た4本の目薬が、全く効かず、以来、眼科にも行っていない。

しかし、あまりにも涙目なので、市販の1500円くらいもする目薬を買って、1日に2回くらい差している。

私自身は、たぶん、目からお酒が出ているんじゃないか、と睨んでいる。

正確には、お酒の水分だけが、毎日の涙目となっているんじゃないか。

何かに、感動しているなら、まだ許せるが、別に、何の感動もない普通の会話をしているというのに、涙が溢れて来るのだ。

「今日は、カツ丼が食べたいなあ」と言うだけで、もう涙が目に一杯溜まっている。

実際、薬局に行っても「涙目(なみだめ)」なんて症状が書いてある目薬はない。「涙目」は、死語のようだ。

目薬界では、全く、正反対の「ドライアイ」の時代で、目が乾燥する人が主流のようだ。

そのために目に潤(うるお)いを与える目薬が必要なわけだが、私の場合は、最初から目だけは潤っているわけだ。

私の正体は、ウルウル目星人なんじゃないか。

テレビを見ていない時は、本や譜面を読んでいるか、パソコンでメールしたりしているかだ。

また、寝ていたとしても、実際は、夢を”見ている”わけだから、これまた、目を休めることが、全くない!。(やったあ~!夢を”見ている”から、目を酷使しているなんて、上手い! 座布団3枚!)

もう、涙目の話はいいから、もっと中身のある話をしろ!とこうした有事の際には、みんなの心が高揚しているので罵倒されたりするが、どうでも良い話をいかに長~く話ができるかが、これからの時代は、大切だと思う。

寡黙で生きられるのは、パントマイムとシルクド・ソレイユくらいなもんじゃないか。

これまでの日本人は、一体、どうして寡黙でも生きて来れたのだろうか。

寡黙といえば、何と言っても三船敏郎氏の「男は黙ってサッポロビール!」(1970年)がある。

なぜ、人は、寡黙でも生きていけたのだろうか。

「うるさい!黙って仕事しろ!」と言って暮らせる時代があった。

まあ、確かに、何か、間に合わせの仕事をしている場合は、人は、寡黙な方がいい。

ああ、そうだ、高倉健の「不器用ッスから」というのもある。

でも、実際は、役者の世界は、台詞を作成してくれる人がいるから、それはそれで仕事が成立しているわけで、それは、何か、農業関係の仕事っぽくないか。

農業関係者も仕事中は、そんな感じじゃないか。黙々と農作業をしているわけだ。職人なんかもそうだ。
そういえば、楽器弾きも同じだ。

しかし、楽器弾きは、黙っているからと言って「不器用ッスから」なんて言っていては商売に響く。

「あいつ、どうかな?」「えっ?あいつは不器用らしいよ!」、、では困る。

また、黙って楽器を弾いているように見えても楽器で喋っている感じはある。

黙っている時間、というのは、一般に人は、何かに従っている時ではないか。

もちろん、一人でいる時は別にしてだ。

社会の中に出ても、何か、黙っていなきゃいけないなんてのは、一体、どんな状況だろう。

もちろん、人には、黙ってはいても、頭の中で、言語活動している、という学習状況はある。読書だとか、授業を受けるとかだ。

まあ、色んな有意義な「寡黙な時間」は、あるにしても、世の中には、有意義でない「寡黙な時間」もある。
どちらかと言うとそればっかりじゃないか。

たとえば、奴隷の身となって、王様の指示に従って生きている状態だ。
昔の人は、みんな奴隷の身だから、黙って仕事していたんじゃないか、と思う事がある。

1日中、言語を発しないで、受動的な行動ばかりをして過ごしていると、言語脳は退化する。

もしも、いざと言う時に備えた行動、というものがあるのなら、いざ、と言う時に備えた言語活動もあるんじゃないか。

普段、大声を出した事がない人が、大声を出すと、声がひっくり返ったりするので、女性の護身術で一番大切なのは、大声を出すことだ。

テレビでも、普段、無口な子が、助けられたということで、一体、どうやって生き延びたの?!とインタビューを受けたのだが、結局、何も答えなかった。ほとんど覚えていない、という返答だった。

運がよかったのだろう、という結論でしかなかった。

現在でもそうだが、今回の災害では、ツィッターの役割の重要さがわかる。
自分の状況を発信してくれる人がいて初めて、被害状況がようやくわかるのである。

今、必要としているのは何か、とか、ツィッターで発信する人がいて初めて、世間に伝わるのだ。

黙っていては、何も伝わらないし、自分の状況も変わらない。

彼女いない歴、何十年、と言う人もたいていは、無口な者ばかりである。

飲み屋でも黙~って一人、口をぽ~と開けて酒を呑んでいる。

黙って酒を呑むと言っても、訳有りの藤竜也、、風でもない。(たとえ古!)

別に冗談で言っているわけではない。

これからの時代は、黙って生きていては、奴隷のような人生しか待っていないんじゃないか、と言う話だ。

何かあっても、何も伝えられないから、状況も変わらない。

じゃあ、むやみやたらに喋ればいいのか!となるが、確かに、それもある。

今は、民放で震災のニュースもほとんどやらなくなったので、NHKでの震災番組を見ているが、ようやく落ち着いて、現地の状況が理解できる。

民放は、当初から、ただ、うるさいだけで、基本的に何を言っているか、さっぱりわからなかった。

現地からの生の情報だ、と言うわりには、本当に悲惨な状況だとか場面だとかは、一切、写さないにも関わらず、ただ、視聴者をあおっているだけのようにしか見えなかった。

とにかく、今、どんな状況か、さっぱりわからなかった。

シーベルトがどうのこうの、とか、クイズ番組じゃないんだから、そんな事知ってどうなるんだ、としか思えない。要は、安全か、安全じゃないか、という判断じゃないか。

それを説明したら、そんな判断は、視聴者にまかせることができるのか。

専門家でもわからない話をそんな付け焼刃で、素人がわかるわけがない。
私も、専門分野があるのでわかる。
素人の付け焼刃では、絶対に実体はわからない、ということはたくさんある。

ちゃんと、専門家が、その地位を賭けて、安全か、安全じゃないかを言い切って欲しい、ということばかりだ。
それを言い切った、専門家は、今度は、非難される。

非難されるが、それは、それで、責任を取った形だろう。
専門家と言うのは、そもそもそんな存在じゃないか。

あのミュージシャンは、上手いんですか、下手なんですか?と聴かれたら、オフレコなら答えられないこともない。
知り合いに関しては、ノーコメントだ。

専門家同士が、違う意見なら、今度は、その二人を対決させればいいだけの話じゃないか。

3月11日の震災から、3週間ばかり過ぎて、やっぱり、民放の限界は、2週間くらいだな、ということもあるが、現在、NHKの震災関連の番組を見ていて、ようやく「落ち着いて」と言うか、現状が伝わって来る。

ちゃんと、親を亡くした子供たちの生活状況も伝えているし、福島の原発の現地の人たちの話も聞ける。

ほとんどの現地の人は、実際は、これまで原発のおかげで経済的には潤っいて、出稼ぎなんかもしなくても良くなっていた、という実情を語っていた。しかし、ほとんどが、原発関連の仕事だから、悪口も言えないそうだ。

原発は安全だ、という話には騙された、という。
安全だ、といって自分らを説得した側の人間たちがテレビで「われわれも被害者です!」と言っていたのには呆れた、という。

ここにも”背に腹は替えられぬ”、という現実がある。(これは、米軍基地に依存する沖縄も同じ現実だろう。)

びっくりしたのは、こんな状況でも、教育委員会は、宮城県の教員たちに人事異動として、転勤を命じたらしい。

生徒、児童に取っては、今こそ、これまでの先生が、変わらずにいてくれることが大事だ、というのに、「規則だから」と、いつもの人事異動がある、という。

それでいて、市役所の職員の移動はない、ということらしい。

これに対して、現地の児童教育状況を視察しに行った明石家さんまの尾木ママでブレイクした尾木直樹氏が、「金スマ」の番組で激怒していた。

「教育委員でも公務員じゃないか。本来、公務員というのは、国のために働く身の人間であるのに、何様のつもりか!」と、元祖、金八先生の熱血漢ぶりを見せていた。

公務員と言えば、ビートたけし氏は、「公務員は、一律、給料の20パーセントをカットして、それを義捐金として寄付しろ!」といつものニュース番組で言っていた。

そういえば、全国の公務系の組織は、その名前で寄付してはいけないのだろうか、何か法律で禁止されているのだろうか。

各種、公立学校系、役所関係、警察関係の名前で寄付があったら大変な金額だろう、と思うが、寄付禁止条項と言うのも、すでに公務員法かなんかで決められているのだろうか。

(まあ、作られているからそうしたことが起こらないのかもしれない。しかし、本当にあったとしたら公務員保護法のような感じで都合が良い法律ではある。)

そんな中、元警察官ジャーナリストの黒木昭雄氏が自殺。その真実を探る、という鳥越俊太郎、 長野智子の「ザ・スクープ」を見た。

あれだけの知名度と活躍でも、相手が、古巣の警察組織だと、何をしても勝てない、という事がわかる。マスコミも、相手が警察組織だと、取り上げない現実があるそうだ。

黒木氏は、父親も警察官で、元来、警察が好きであるからこそ、その不正が許せなかったのだ、と番組では結んでいた。いい加減な取調べで、冤罪の若者が指名手配となっても、警察を含め報道も一切、取り上げない、という現実に、黒木氏は、自分の死をもって抗議した形となった。

実際は、車に練炭自殺と言うが、果たして本当に自殺かは、謎だとする者もいる。

番組では、巨大組織に立ち向かった最後の抗議である、という結びである。息子は、「殉職、昔で言えば、割腹自殺のようなものだ。」としている。

マスコミが、取り上げない、といえば、日本を2分する、という電気の周波数の問題。

明治時代に東京と関西は、ドイツ型とアメリカ型の導入で発電機が違ったから、50Hz地域の東京と60Hz地域の関西とに分かれた、という池上彰氏のテレビ講義を素直に聞いていたら、実体は、そんなことじゃないという。

この図式は、60Hzの関西電力と50Hzの東京電力が、お互いのテリトリーを巡っての共存社会であった、というわけだ。

自由競争価格を敬遠し、それぞれが、独占した地域で棲み分けしていたということらしい。

こうした実体は、電力会社が有力なスポンサーであるテレビ界では、全く取り上げることがない。

節電とか停電だとか言う話よりも前に、まず、日本全国を60Hzに統一しよう、という話があるそうだが、そもそも、テレビ界の巨大スポンサーが、電力会社であるわけだから、そんなことが公にされて実現できるのだろうか。

(ちょうど、暴力系組織であっても全国を2分しているはずだし。あの有名な格闘系のイベント同士もその2分している組織がそれぞれスポンサーで、お互い、対抗していていたが、一方は、怪しさ満載で、テレビ界も大慌てで手を引いてしまった。)

電力会社は、テレビ界どころか、様々なメディアや企業、政党のスポンサーでもある、というから、今回の停電騒動で、その内幕が暴露された形となった。

地震といえば、4月3日の放送になるか、「武田鉄矢の週刊鉄学」に東京大学地震研究所前所長で現在、教授の平田直氏が出て、地震の説明をしていた。

あれだけの地震放送を見て来て、ようやく、今回の原因やらこれからのことがわかった。これまで、いかに混乱した情報を断片的に聞かされて来たか、と納得。

あれこれあるのだが、とにかく、今は、何もできない人たちでも落ち着いたら、東北地方に観光に行って経済を復興させるべきだ、という経済面からの指摘もあった。

今回の講義は、1:地震発生のメカニズム、2:地震予知は可能か?、3:災害を減らすには、、、と言った3点だ。
いやあ、勉強になった。

そもそも「マグニチュード」という言葉は、何の意味もなく、magnitude という言葉自体、そもそも、物事の単純な「大きさ」を示すだけのものだという。

それで調べてみたら、確かにそうだ。「規模」「偉大さ」という意味だ。

英語では、「ぼくらは、この問題のマグニチュードがわかっていなかった。」という例文が出ていて、その程度の「大きさ、重要さ」を表す日常語らしい。

それを明治時代の地震学者が、訳さないまま、そのまま使ってしまったから、わかりづらい言葉のようになっている、という。

津波の発生は、海底で起きた地震だけで、陸で起きた地震では、津波は発生しない、ということだ。

こんなことも知らなかったなあ。

津波警報と言うのは、気象庁が警報を解くまで、注意していないといけないらしい。

 0・3m(30センチ)でも人は歩いていられないそうだが、11日 14時55分、第一波、 0・3m(30センチ)がこれだという。

ところが、この波が治まった、ということで、家に戻った矢先、1時間後、 11日、15時50分、最大波 7・3m以上の津波が来た。

津波と言うのは、第一波から、段々に大きくなって来るので、津波警報が出たら、注意しないといけないという。
今回もこの第一波が治まった、ということで、荷物を取りに戻ったりしている。

最大7・3mとは言っても、これは、計測器がこの時点で壊れてしまった数値だと言う。津波は、第二波、第三波と大きくなって行く。

今回のマグニチュード(M)9の地震は、経験していないことだから、これまでの常識で判断してはいけない、という。

今回も、一度、地震を経験した者がたかをくくったために逃げ遅れて被害に遭っている。

津波の黒さは、その中に土砂や家々、そして油も含まれているので、その油が引火すれば、火事にもなるという。

日本は、1960年のチリ地震での津波から学んで、津波予報、防波堤と、その対策もしていた、とのことだが、今回の大きさに対しては、対応できなかった、という。

しかし、実際は、地震観測員も研究費も減っているのが現状だという。
観測というものには、地道な作業と人員が必要で、膨大なデータが必要であるという。

確かに、平時の何も起こらない時に、ずっと地道な観測作業ができるのか、となるとこれは厳しい。
学問と言うものは、役に立つか立たないか、だけを基準とするものでもない。

日本の面積は、全世界では、0・1パーセント以下だが、全世界で起きている地震の1割から2割は、日本らしい。

今回は、日本を2分する北米プレート、ユーラシアプレートの中の北海道、東北が乗っかる北米プレートの下に太平洋プレートが年間5センチメートルくらい沈み込んでいたことからの反動らしい。

太平洋プレートは何億年もゆっくりと日本の下に年間5センチ、場所によって7センチから8センチのスピードで潜り込んで行っているという。

そのため、日本の陸側は、少しずつ縮んで行ったそうだ。その縮みに耐え切れなくなって、跳ね返りが起きるのが、こうしたプレート型の大きな地震らしい。

日本は、ユーラシアプレート、北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートの4つが取り囲んでいる。

プレイトは、「お皿」の意味だが、内部は変形しないが、ぶつかると周辺が変形するからプレート状である、という。
お皿には淵がある。

ぶつかると、どちらかが、下方へ潜りこむのだが、これが同じくらいの強さだと、拮抗して両方で押し合う。
ヒマラヤは、インド側と中国側から押し合って、盛り上がって出来た山である。

普段は、海のプレートが、陸側の下にもぐりこんでいるだけなのだが、たまに陸側が釣られて変形して行き、それが溜まって一気に元に戻るのが、地震らしい。

地震は、地下で岩石が、滑るように破壊するものを言うそうだ。

どれくらいの岩石の大きさが滑っているかが、地震の大きさ(マクニチュード:Mw)を表す。

どのくらいの「量」と「面積」を滑るかで全体の地震の大きさを決める。

今回は、地震は、地球上で人類が知っている最大規模の面積を滑った、という。

阪神淡路大震災(専門的には”兵庫県南部地震”と呼ぶ。)が、マグニチュード7・3

これが、長さ50キロメートル×幅25キロメートルくらいの面積。

地震は、その面積が”滑る”、”ずれる”ことを意味するから、これが、阪神姫路震災では、2メートル、3メートル、多くて4メートル滑った、という。

今回の東北関東大震災は、長さ400キロメートル、幅が200キロメートルの長方形の面積(東北日本全体の大きさくらい)。阪神淡路の面積の100倍の面積。

そして、その面積が、40メートル滑った、というから阪神の10倍だという。

総合すると、阪神淡路と今回の東北関東大震災の比較では、面積で100倍のものが、10倍滑ったということで、100×10で、千倍、という。

阪神淡路の千倍の大きさが、今回の地震という。

それが、Mw(マグニチュード)9だ。

これが、地球上での最大らしい。

1960年のチリ地震が、Mw9.5。

この時に津波を経験し、400人以上の人間が亡くなっている。
その時、誰も揺れを感じていない。
それなのに、いきなり津波がやって来て被害に遭っている。

それを教訓として、東北の太平洋岸の津波の防波堤を作ったという。

しかし、ほぼ同じ大きさの地震でも太平洋の沖合いと、反対側のチリとでは、そのエネルギーの大きさから、被害に違いが出たのだという。

1960年のチリ地震の際は、日本国内でも一切、予知できなかった。

しかし、2010年のチリ中部地震(Mw8・8)の際は、一日後に日本に津波が来ると日本で予測。

実際、大津波警報は、3メートル以上の場合に出すらしいのだが、実際にこの時は、1メートルぐらいの津波だったために気象庁が非難されたという。

しかし、ようやく、1日後にその時のチリ津波が日本にも来る、と予測できるようになったという。

それでも、1960年のチリ地震から40年、50年後の学問の進歩のおかげだそうだ。

(1952年カムチャッカ地震Mw9・0、/1964年アラスカ地震Mw9・2/2004年スマトラ島沖地震Mw9・0/2010年チリ中部地震Mw8.8/2011年、東北地方太平洋沖地震Mw9.0))

津波は、深い海では、ジェット機並のスピードで来るらしい。
地球の反対側から1日掛かって来るくらいのスピードだという。

浅い海では、スピードは落ちるが、それでも車のスピードくらいなので、ゆっくりとは逃げていられない。
今回、大津波警報が出た段階で、逃げることができたら、助かった、という。

この津波は、今回、北海道から沖縄まで来ていたそうだ。

津波は、あくまでも海底が隆起したり沈降したりして起こる。

陸で起きた地震では津波は起きない。

気象庁でいう「津波の恐れはありません」は、この判別をしている。

0・3メートル(30センチ)でも人は歩けない、というのは前述の通りだ。

1時間後に深い海ならジェット機並の最大の波が来るかもしれないわけだ。遅くとも車のスピード並だ。
目撃してからでは、徒歩では、もう逃げられない。

三陸の近辺での地震は、千年に1回、というが、地球上全体では、2000年代で3つも起こっている。
地球科学者の間では、来てもおかしくなかったという。

日本は、1960年のチリ地震での津波から多くを学び、対処して来たが、今回のような大きな地震の対策は、できなかった。

地震観測、火山観測員も減っているのが現状だという。
阪神大震災以降から気象庁、国土地理院が、データを取り、大学がそれを分析する、という棲み分けはできている、という。

地球の歴史45、6億年、日本列島ができて1億5千万年。
それからすると、千年、百年のデータではまだまだわからない。

日本と中国は、アメリカなんかよりは、千年前くらいの記録はあるが、それでも地球の歴史から言うと大したデータではない、という。

学問で大切なのは、地道な観察と数値だと言う。

それが何の役に立つかどうかは、また別の問題だという。

こんなプレートだらけの上に乗っている日本は稀ではあるという。

今から1億5千年前までは、日本列島はアジア大陸の一部であった。
それが引きちぎれて、日本海が生まれる。

地球は、そういうことを繰り返して歴史を作って来た、という。

日本が、今は、両断されることはない、と言うが、今回のマグニチュード9の地震によって、日本は地震が起き易くなっていて、いくつかの細かい地震は、常に起こっている。

火山の下でもあまり言えないが、いくつか起こり始めた、という。

マグニチュード7とは言え、阪神淡路大震災レベルの地震になる。

富士山噴火に関しては、絶対起きないとは言えない、という。

あの東北大震災の数年後か、10年後かに噴火した、と言われるようになるのか、ということに関しては何ともいえない。
ありえないことではない、という。

マグニチュード9までは行かないが、マグニチュード7クラスは、今後も頻繁に起きる可能性はある。

地震が起きたことによってプレートは、今、滑りやすくなってしまっているため、余震があったりするのだという。

日本列島は、今回、地震の時、最大で、5・3メートル、約、東に動いて、1・2メートル分、沈降したらしい。(国土地理院の調査)

しかし、番組の結びとして、もしも、地震も火山も起きなかったら、日本列島は、こんな住み良い国にはならなかったという。

日本列島がアジア大陸から分離して来て、山が出来て、断層ができた。

その断層に土が溜まって、平野が生まれた。

関東平野しかり、日本中のすべての平野がそうやって出来た。

四季折々もあり。

新幹線や大きな道路は、すべてそうした断層の上に作る。

斜面が急なところには道は作れない。

断層が出来るからそこに「段」が生まれる。

その「段」に道を作る。

そうした「道」の上に、新しい新幹線や高速道路を作って来た。

そのため、日本は、こうした地殻変動の起きやすいところに都市があって、幹線道路やライフラインも作って来た。

日本人は、そうやって生きて来たのだ、という自覚が大切である、という。

今の工学的な技術を”ちゃんと使って備えれば”、地震があっても、壊れないようにすることは可能なんだ、という。

日本は、プレートが重なった連結部分にあるのだが、この連結こそが、日本を作って来たのだ、と。

日本人は、そういう不幸を乗り越えて、生きて来た民族ではないか、と武田氏。

地震の予測はできないが、かなりの対策は立てられるのだ、という。

できている、わかっている、と思っているから不幸なことになるのではないか、とは、レギュラーの東京大学大学院教授の松原隆一郎氏。

結びは、武田氏が、演歌系の作詞家、星野哲郎氏(1925年9月30日 - 2010年11月15日)を上げ、星野氏の作詞には、日本の地名と、それを讃える詞が多い、という。

われわれは、土地に感謝する心が、あまりにも少ないのではないか、という結びだ。

私自身、1983年の富士山爆発の予言本の騒動で、帰郷して来た人間で、当時、深夜、毎晩のように東京に地震が起こった。

6階に住んでいたから、その揺れは、すさまじく、大体、深夜の1、2時頃起こった。

1ヶ月ほど、毎晩のように起こるので、地震関係の本などを読んだりした。

帰郷して、転移届けを出すために地元の役所に行ったら、同級生に会った。
実は、彼も当時、東京から帰郷したというので、その理由を聞いたら全く同じだった。

まあ、それから、6年後、再び、上京するのだが、その余韻はずっとあった。

今日は、世の中のしくみと、地球のしくみを勉強した。

本当に不幸な人たちは、テレビに写るどころか、自分から、隠れてしまう。
当然、その落ちのない不幸ぶりは、テレビでも映せない。

だから、テレビは、基本的に元気な人間だけが選ばれる。

ずっと泣いている人を見せられては、視聴者も救われないのだろう。
視聴率にも影響する。

また、不幸な人も、自分から画面から消えて行く気配りを見せる。

思うのだが、復興して行く過程を朝から晩まで、放映しているチャンネルなんかがあってもいいんじゃないか、とは思う。もちろん、運営は、みんなの募金でだ。

せめて、1年ばかりは、そういうチャンネルがあってもいいんじゃないかなあ、とは思う。
今、それを今、NHKが、辛うじてやっているのかなあ、という感じではある。

もう1年ばかり発信してくれないと、事情がさっぱりわからないんじゃないか。
どうやって、復興して行くのか、というチャンネルがあってもいいんじゃないか、とは思う。

これなんか、みんなの募金で放送するチャンネルってことになるのか。

そういうチャンネルがあれば、年中、募金もできるんじゃないか。

ああ、そうか。

そのチャンネルも有料じゃないとダメか。
月々2千円くらいになるのか。

地方では、延々と町内をテレビで映していて、その映像に合わせて、BGMだけが流れていたりするチャンネルがある。

あんな感じでもいいんじゃないか。

段々、何がどうなっているか、さっぱりわからなくなって行く。

とりあえず、49日は、5月からって事になるのか。

あれから、3週間くらいで、これだから、5月くらいでは、ちょっと放映はむつかしいはずだ。

普通は、49日が開けて、みんな、けっこう元気になって行くわけだし、それまでは、普通は、そっとしておいているはずではある。

NHKでは、母親が行方不明の5、6歳くらいの少女が取材されていて、普通に遊んでいるのだが、めんどうを見ている叔母さんが、ちょっとでも「母親」の話に触れると、「その話はやめて!」と拒絶する。

一切、母親の話をしようとしない。
精神的には、それは良いことではあるらしい。

拒絶する、ということは、いずれ乗り越えるのだ、という。
一番、いけないのは、無反応な態度らしい。
それが、ずっとトラウマに残るパターンらしい。

阪神大震災で、16年間抑圧していた少女は、ちょうどそんな感じで、いつも気丈に振舞って、元気なふりをしていたようだ。

それで、16年目に、「お父さん、お母さんに会いたい~!」と16年目のお産の際に無意識に叫んだのだろう。

そんな場面を見て、ああ、やっぱり、みんな元気な人ばかりじゃないんだなあ、とようやく理解できた。

テレビが、元気な人ばかりを映すもんだから、みんな元気な人ばかりだと思ってしまった。

結局、何か、自分は、な~んもわかってないなあ、とは思う。

今日、6日のNHKでは、被災地の中でも福島のいわき市の沿岸部の被害も壊滅状態なのに、まったく報道されていない、と現地で避難している住人からの苦情が出ていた。

いわき市は、市街地は何でもないらしいのだが、沿岸部が酷いらしい。

ある老人は、これまで海が好きだったが、海が嫌いになった、とコメント。
ある主婦は、いわき市の人は何もしてくれないのにボランティアの人たちが親身になってくれて有り難い、とコメント。

また、老婆は、隣近所のつながりが大切だ、津波が来る、と隣の人たちに助けられた、と。

私なんかのマンションでは、隣同士のつきあいが一切ない上に、基本的によく知らない。
私よりも年代が上の世代のおっさん連合は、総じて挨拶をしない世代だ。こちらがいくら挨拶しても、ブスっとして通り過ぎる。

普段、朝から晩まで頭を下げる仕事をしているから、私生活では頭を下げたくないのだろう。
愛想の良い料理屋の店主を飲み屋で見かけると、酒癖が悪かったりするのに同じだろう。

一方、私は、その逆になっているわけだ。

商人(あきんど)とミュージシャンは、24時間営業中でないといけない、というのに。

こういう人たちが共存する地域社会に何かあったとしても、お互いが助け合うかどうかは不明だ。少なくとも、私は、何かあってもあの無口なおっさん連合は、助けないと思う。

私は、私自身を悪人にしないためにも、今こそ、普段から危機意識をもって暮らさないといけない時代なんだなあ、とつくづく思う。






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Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 16:25 │時事近況私事件雑談集健康