2010年12月07日

橋田壽賀子、日系移民物語「99年の愛」と酒癖悪蔵

12月、忙しい事、山のごとし!

(という事は、暇な事、海のごとし、となるが、、。)

まあ、何でもいいが、12月は、何かと師匠、走る、”師走”の季節だ。

教材用CDの録音もある。現段階では、80パーセント完成。

こうした日々こそ、まさに前回の「優先順位」を考慮しなければ、”つまらない”1年となる。

特に、若い時代の「感性」と言うのは、貴重だ。

十代の頃に読むナット・ヘントフの小説、「ジャズ・カントリー」と六十代で読む印象は、全く違うだろう。

主人公が、息子や娘の年齢になってしまってから三田誠広氏の「僕って何」を読んでも、このバカたれが、親の金使って、大学行って何しとんのやあ~!と言う読書感想文を読まされるだけである。(なぜか、関西弁で悪いが。)

という事で、録画してあったTBS制作、五夜連続ドラマ 「99年の愛、Japanese Americans ](橋田壽賀子作)を、1ヶ月遅れで見た!

1日1本分で約2時間半、これが5日分だから、15時間弱はある。コマーシャルを飛ばして、14時間と言った所だろう。

音楽は、千住明

出演は、草彅剛、仲間由紀恵、松山ケンイチ、 八千草薫(ナレーション兼)、中井貴一、泉ピン子、大泉洋、中尾明慶(明石家さんま主演の沖縄関係の「さとうきび畑」にも息子役で出ていた若手俳優だな。またまた沖縄ロケだ。)、イモトアヤコ

主演は、草彅だが、この辺りの俳優陣は、それぞれが現在も主役を張れる役者ばかりで、一騎打ちの役者勝負と言う感じだ。(中尾明慶は、もう少し時間を与えておこう。イモトもピン子への弟子入り次第だな。)

その他にも岸恵子、上條恒彦、大杉漣、高畑淳子。

1912年(明治45年、大正元年)の時代、アメ~リカに渡った日系1世から4世辺りまでの壮大な99年の歴史物語だ。

開拓移民の若い草彅とイモトは、大人になり、イモトは、泉ピン子になり、草彅は、中井貴一になる。この辺り、良く雰囲気が似ているのだろう。しかし、草彅は、またまた、大人編の中井貴一の長男としても二役で演技する。

涙涙の物語で、よくぞ、こういう話をドラマ化した!と思う。橋田壽賀子も自分の遺言としたい、と述べたと言うほどのもので、一体、橋田がいなかったら、この話は、こんな風にドラマ化されただろうか。

そして、改めて、ピカ一の演技を見せた泉ピン子。なぜ、橋田が、泉ピン子を大事にするかが、よくわかる。

役者と言うのは、度胸と思い込みを武器に闘う職業でもある。役であれば、どんな事もしでかし兼ねないほどの思い込みが必要だ。(思い込みは、自己洗脳能力と言ってもいい、自己催眠の一種だろう。)

この点、カメラマンが、カメラを持てば、どんな危険な場にも向かって行ける、ような感じか。
こうした点から、虚構のドラマの中の自分と普段の自分の自我のギャップをコントロールできない役者も多い。

昔から役者は、酒癖が悪く、議論ばかりして、喧嘩ばかりしている、と噂は絶えない。それぞれに武勇伝があるだろう。(俳優、宇梶剛士なんかが、Vシネマで暴走族ややくざの役をやっていては、一生、更生できなかっただろう。)

現に、Vシネマの役柄と現実とのギャップの違和感をコントロール出来ないまま、何度も 薬物でつかまり、塀の中へと逆戻りする元歌手の某俳優もいるよ、ねぇ、マスター。

彼等に取って、普段の生活は、大勢の客を相手にする映画や芝居ほど、ドラマチックな日常ではないからだ。(草彅だって、そのギャップに騒動を起こしたわけだ。名優の資質なわけだ。)

これは、父親のDV(ドメスティック・バイオレンス)で育った少女が、成人して、やさしくて温厚な男性たちには、物足りなさを感じ、またまた、躁鬱型の気性のDV男に惚れるようなものかもしれない。

わかっちゃいるけど、辞められない、、である。

これは、若いミュージシャンでもいる(ジャズ系にも多い)。ちょっとばかし色んなバンマスに可愛がられて活躍し出しだすと、勘違いして、私生活でも威勢が良くなったりするものだ。(しかし、彼等に依存していないと一生、自立はできない。)

若くして独立する、という点でも会社経営に乗り出す人間は、すでに40歳までには、大概が、独立しているもんだ。40歳過ぎても会社にいるという事は、そんな器量はない、と言う事だから、じたばたしても始まらない。
(ましてや、退職金をあてにして、事業なんかしても失敗するに決まっている。そんな器ではないわけだ。)

独立する彼等は、けっして運じゃない。実際に経営の知識も兼ね備えているわけである。

虚構の世界で燃焼する俳優やミュージシャンは、ドラマチックな体験に耐えられるだけの器量があるわけだ。
だからこそ彼等に取って耐えられないのは、何もないテンションの低い日常生活だ。

昔は、来日した外タレ、ロック・ミュージシャンたちのホテルでの乱痴気騒ぎ、奇行なんて、常識化していたもんだ。

(最上階の部屋のホテルから、下のプールにベッドを落とした、とか。。ロック・バンド「ザ・フー」のドラマー、キース・ムーンの話だったかなあ。良く音楽雑誌に書かれていたが、真偽の程は定かではない。しかし、キース・ムーンは、特別例外かもしれないが、、。)

成人式の若者の高揚も似たような感じではないか。あれが、一生で一度の大舞台である。
公道で大騒ぎする、かつての暴走族もそうだろう。公道が花道であり舞台だ。

そんなわけで、泉ピン子なんかも、日常のバラエティー・ロケでは暴走気味ではあるが、今回の、これほど壮大なドラマを見ると、その潜在的に秘めたパワーは、観客の視線を浴びた瞬間、スイッチが入り、収まらないのだろう。台本のない暴走劇が始まるわけだ。

だからこそ、こうした役者たちのパワーを、当然として活かす事のできる虚構のドラマが必要なのだろう。

この「99年の愛、Japanese Americans」は、反日感情の激しい、当時のシアトルの街が舞台であり、日系2世たちが、アメリカ国籍のない日系1世たちのために、祖国日本を裏切って、アメリカ兵として戦った442部隊の話でもある。

今の日本で、一人、世の中を見据え、こういうドラマを書く橋田壽賀子と言う人は、恐るべしである。泉ピン子の暴走を止める事ができるドラマを創造し、その空想した世界の中に泉ピン子を解き放ち、自由に暴れさせるわけである。二人とも国民栄誉賞ものだろうなあ。もう貰っていたかなあ。貰っていないとおかしいだろう。

「渡る世間は鬼ばかり」をつまらないホーム・ドラマと侮っていた他の役者連合は、同作家が、いかに同時に、壮大なドラマをもテリトリーにできるか、という事からも学ぶべき事はたくさんあるだろう。(私も10年ほど前、「渡る世間は、、」を毎週木曜日に見ている時期もあった!)

今回、五夜連続の約14時間のドラマを三日掛けて見たので、まるで、自分も日系2世になって、収容所で暮らしている気分が続いている。

アメリカは、人種差別問題と常に戦って来た国でもある。タブー視しないで、こうした問題をどんどん提示して来た。
こんな国はない。

「オレが黒人だからだろ!」なんて台詞は、平気で映画の中で繰り広げられる。

この問題を真っ向から扱った映画で、古くは、俳優、シドニー・ポワチエ、キャサリン・ヘップバーン主演の映画「招かれざる客」(1967年)がある。

人種差別に関しては、日本の方が、陰険ではあるので、アメリカ国民の人種差別問題を日本人は、あまり、とやかく言える立場ではない。(同和問題など。)

島崎藤村の小説、「破戒」(1905年、明治38年)くらいは、十代の内に読んでおくべきだろう。

ドラマを見て、日系とは関係ないが、何となく、戦後、アメリカに渡って、唯一、東洋人で、アカデミー賞も受賞し成功した、というジャズ・シンガー、ナンシー梅木こと、ミヨシ・ウメキ(Miyoshi Umeki、1929年5月8日 - 2007年8月28日)を思い出した。

橋田壽賀子先生にあられては、これを遺言と言わず、もうひとがんばりして「ナンシー梅木物語」を執筆してもらいたものだ。

しかし、この場合、主演が、泉ピン子で、ジャズが歌えるかは、難しいので、綾戸智恵、と言う事になるか。 しかし、北海道出身のナンシー梅木には、関西弁は、あかんし。。

人間、やっぱり優先順位はある。

ふとテレビを見れば、以前、筑紫哲也((ちくし てつや、1935年6月23日 ~2008年11月7日))氏がキャスターをやっていた「NEWS 23 」が、まだやっていて、今では、すっかり筑紫時代は、忘れ去られた感がある。

10年くらい前だったか、番組に永六輔氏が、出ていて、筑紫氏に「あんたも、忙しくしてこんな仕事ばっかりしていたら長生きしないからね!」と、沖縄のスロー・ライフをテーマに話していた事を思い出す。

結局、あんなに毎日出ていても、テレビ界と言うのは、一度、去れば、もう誰も思い出す必要のない人物でしかない、というのに、毎日、出ている時には、そう思わないのだろう。自分が、休めば、大変だ、と言う責任感だけが、結局は、空回りだったんじゃないか、とようやく気づく。それは、久米宏氏だって同様だろう。

久しぶりに、まるで、中国の故事「一炊の夢」のような長いドラマを見たせいか、ちょっと黄昏(たそがれ)気分である。

そう言えば、前回の私のブログを見て、会社を辞めた、という若者もいる、というので、その責任を感じるか、と聞かれても、無責任に全く感じない。

好きでもない事を他人の指示やペースで生きる事は、供に心中するようなもんだが、自分の好きな事だと苦労も苦労に感じない。

何のために働くか、をしっかりと自問すれば、自ずと、その答えは出て来る。
誰しも、キャリア・アップを計る自信があるなら、チャレンジして見たらいい。どうせ、人数合わせの仕事なんか、いつかは、ポアされる。

以前、日本の会社員が、出張した先のブラジルの貧困と医療問題にショックを受け、43、4歳から、会社を辞め、勉強を始め、医学部に受験し、50歳過ぎて、貧困村の医者になった話をテレビでやっていた。会社を辞めた当時、妻子をいたはずである。当時、私の昔の「時々日記」でも触れた事がある。

私の場合、すべての忍耐は、「それが勉強になるから」という理由だけで耐えていた。
だから、何の勉強にもならない仕事には、ストレスを感じた。
それでも、生活しなきゃいけないわけだから、それ以外は、「お金のため」である。

ストレスと言えば、私も海老蔵の事をとやかく言えない。
酒癖と言うか、よく地元の業界系ライブ店でくだを巻いて、疎ましがられていたものだ。

くだを巻くというより、演説をしていた。こんな業界でいいのか!と年功序列型バンドマンに説教ばかりして、嫌われていたわけだ。私にしてみれば、バンドマン意識変革救援活動のつもりであったが、人間、染み付いた体質は、変えられない。

おかげで、現在もうとましがられて、疎遠でもある。今、死んだら、誰も葬式すらうっとおしがって来ないはずだ。
しかし、出入り禁止となったわけでもない(そう言えなかっただけかもしれないが、。)。

あからさまに出入り禁止となった店は、某一族の息の掛かったライブ・ハウスだけで、実際、ここへは、飲みには行かなかったので、酒癖とは関係ない。一族の全体の体質と私が合わなかったのだろう。

確か、37歳頃辺りで、自分から、すべて出入りしなくなったから、あれから、14年くらいは経っているだろうか。
(私の中では、あれは、”聖戦”であるので、今後もどちらの考え方が正しかったかの闘いは、死ぬまで継続中である。)

私の改革演説、くだ巻きテーマは、常に同じであったので、どんなテーマでも絡む、一般の”プロの”酒癖の悪い者たちとは、ちょっと違うが、この区別が付かない人たちには、同じに見えた事だろう。

しかし、私自身には、彼等が天国と錯覚して日々過ごしている世界は、地獄界に見えてしょうがなかった。
逆に彼等からは、私が地獄界の住人に見えていたのだろう。

それだけ、外部意識と内部意識では、お互いが、共感できないわけである。

私には、つまらない傲慢な主君(バンマス、社長、上司、先輩)に忠誠を誓い、そのまま、つまらない主君と供に、心中する世界に見えた。これが内部にどっぷり浸かっているために見えないのである。

こうした序列の世界にいるから、自分の能力も、無意識にこれに沿うように自分自身が決めている事にも気づかない。回りは、「安心」な能力ばかりであるから、さほどの努力も必要ない。

また、人気商売と実力社会の区別も付かないで、混同した発言をし、修行法を間違えていたりする場合もある。これも危険だ。

実力社会なのに、ひょんな事から人気が出て、10年ばかし活躍できたとしても、人気と言うのは、その時代、時代の大衆の「嗜好」と関わって来る。「普遍」ではない。

人気がなくなれば、すぐにまた、実力社会に引き戻される。

昔、あんなに流行ったのになあ、という事になる。

ピンク・レディもちゃんと終わったわけで、やはり、後は、ファンと供に歳を取るという流行歌手のシステムで生きるわけである。
現在では、ピンクレディを知らない世代も生まれている。「時代の音」は、時代と供に去る。それが”流行歌”の宿命だ。
(しかし、ピンクレディは、アメ~リカでも成功していて、レギュラー番組もあった、とテレビで近年は報道中だ。日本では、その逆で報道されていたわけである。)

次にあの「嗜好」が、流行するのは、彼等の孫世代あたりだろうか。お爺ちゃん、お婆ちゃんが、よく聞いていた!と言った感じだろう。私、お婆ちゃんっ子だったから~、と。

(やがて、凄い時代が来るなあ。ピンクレディを聞いて育ったお婆ちゃんたちの時代だ。体が動かなくなって、どうやって真似をするか、だな。)

あれ?何でピンクレディの話をしているのだろう。私は、ピンクレディ世代ではないし、、。

(え~と、ミーちゃん:1958年3月9日生、ケイちゃん:1957年9月2日生だから、基本的に、ピンクレディは、2個上っスね。あれ?この辺、年功序列だなあ。)

ピンクレディのファンは、それよりももっと下の世代になるんじゃないか。当時の子供たちの世代だ。

コメットさんだって、私は、大場久美子(1960年1月6日生)バージョン(1967年6月12日~1979年9月24日放送)ではない。元祖:九重佑三子(1946年3月21日)バージョン(1967年7月3日~1968年12月30日放送)だ。第一、大場久美子は、同学年生だ。

よくもまあ、こんな、けっこうつまらん事を調べたなあ、と思うかもしれないから念のために言っておくと、私は、アイドル研究家ではないので、誤解しないように!。

一応、岡田奈々(1959年2月21日生)まで、意味なく触れておこう。学年では、1個上になるっスね。

(この間見た、「解禁、○秘ストーリー、知られざる真実」(2010年10月19日、TBS)での、小柳ルミ子と再会する天地真理(1959年11月5日生)には、触れないで、そっとしておく。)

そう言えば、昨夜、飲みに呼び出され、飲んだのだが、これまた酒癖の悪い相手だった。
彼を”タコ蔵”と呼ぶ事にしよう。40歳くらいだな。

これも海老蔵のように腕相撲好きで、やたらと腕相撲をするわけである。私は、鍛える所を間違えると本道から外れるので、ギタリストであるというのを理由にこの手の挑発は避ける事にしている。

私のような競争意識の強い腕力型のタイプが、勝負どころを見間違えたら、毎日が、無駄な闘いに備えた訓練をしないといけなくなるからだ。だから、それ以外の事では、普段は、気にせず、負けておかないといけない。

どんな事に対しても、いちいち反応していたら、何もできない。

腕相撲と言うのは、飲み屋の親爺系が、一番好きで、強い。
あれは、肩が硬化してしまう系の力自慢に多い(肩が居付く、と呼んでいる)。そこへ持って来て、手首の強さで、ある技を使うと、あの種の腕相撲自慢になる。

あれに取り憑かれると、硬化碇(いかり)肩系の人間になり、全体の動きそのものが、どんくさくなってしまう場合がある。
(ウエイト・リフティング系の選手の日常の動きを見るといい。)

だから、いつもカウンターに立っている飲み屋の親爺系が、一番、強い。
カウンターごとそのままバーベルのように持ち上げそうなマスターもいる。
(元自衛隊系のゲイバー系マスターにも多いだろう。)

そんなわけで、私は、将棋と腕相撲と言った勝負事へは、手を出さない。
負けると悔しい、というスポーツは、負けた相手の恨みを買うし、自分自身も貴重な時間をそんな勝負事の修行に使ってしまう事になるからだ。(読書や勉強、楽器練習も嫌いなのに、将棋だけは、強い、というバンドマンは、けっこういる。)

1流のアスリートなら、万が一、手首に支障が出るとプロとしては、活躍できないので、避けるのが当然ではある。
やりたければ、ちゃんと、アーム・レスリングとして世界的な大会もある。

酒席での腕相撲ってのは、力自慢のスナック・マスター系が、そこだけを鍛えてやるべき世界だろう。負けた客は、悔しがって、次も客が来てくれるからかもしれない、という作戦があれば立派な商売戦略ではある。

(負けた客に、おのれ、次は、必ず勝つからな!と山に3年ばかり篭われてしまっては、商売にならないが。下山した頃には、スナックが潰れていて、マスターも行方不明という事は、ありがちだ。)

しかし、酒席で、これを習慣化すれば、一歩間違えば、質が悪い。自分が強い、という立場での勝負事であるから、負けた方は、気分は良くない。

もし、習慣化するとしたら、弱い方から仕掛ければ、相手は、気持ちが良いはずだろうから、酒癖としては、その方が、好まれる。

もしも、戦国時代の酒席で腕相撲でもあったなら、大変だ。

負けたら、恐らく、刀を抜いていただろう。
次は、真剣で勝負しよう、という事になるわけだ。

(江戸時代は、竹刀での勝負でも負ければ、刀を抜いての勝負を要求したそうだから物騒だ。)

これは、力自慢=強い、、という刷り込みができてしまった結果だ。(一応、平均すれば、それは当たっているだろう。)

だからと言って、象は力自慢ではない。あの巨大な体に応じた力を出しているだけだ。

同じ体重なら、トラやライオン、という事になる。

(実際は、漫画”バキ”でやっていたように体重100キロの人間大のカマキリだ!)

いくら強くなりたいと言っても、「俺は、象になりてぇ~!」と稽古する者はいない。

タイガー・マスクだからいいものを、エレファント・マンでは、その話の内容も変わって来るだろう。

だから、酒席では、自分の得意な事をあまりしてはいけない、という事になる。

私は、意外に酒癖の悪い者を相手にするのが上手い方の飲み手ではあるが、さすがにそれも3回くらいまでだ。

それ以上は、NO!と言って、一緒には、飲まない事にしているわけであるが、たまに、その危機予知能力が、酒好きなせいか、まあいいか、と出向く事がある。

そんな時、タコ蔵、イカ蔵、カニ蔵などに出会い、酷い目に遭うわけである。(ただ、自慢話やネチネチとした恨みを言われるだけであるが。。私は、子供の頃は怒ってばかりいたが、大人になってからは、怒ってはいけない系の男であるから、ひたすら、まあ、まあ、まあ、と忍耐だ。まだまだ、娑婆でやる事がある。しかし、お互い、素性がわからなければ、わからない。だから、知らない人とは飲まない。)

私もまだまだ、予知能力の修行が足りないなあ、と思うわけである。

あいつのトークは、普段からつまらんから、たぶん酒席もつまらんだろうなあ、とちゃんと推理できないといけないわけだ。

酒癖が悪いと思ったら、きっぱりと酒を辞める事である。
出家するか山伏にでもなって、3年ばかり修行しないと治らないと思う。

業界で酒癖が悪いと言う私の酒癖は、私自身は、大して悪いとは、当時も思っていなかった。
その証拠に私は、酒を飲まなくても、相当に喋った。
いつも同じテーマ、”無能主君からの奴隷解放”、というテーマで怒っていたわけである。

(もう、みんなお爺さん、お婆さんたちだから、どうでも良くなって来たが、世の中には、まだまだ変化を好まない無能な主君たちが君臨している。犠牲になってそのまま供に心中するのは、そうした主君に依存している部下たちである。彼等に未来はない。それなのにあると思って、真面目に毎日従って暮らしているから、哀れである。)

当時も私の怒りをなかなか理解できない者ばかりだったのだが、私自身が、短気と言うより、他人より10年ばかし、怒るのが早いだけである。このまま10年経ったらド偉い事になるぞ!と言う怒りである。

だから”長期な展望を持った短気”である。(ややこしいが、、。座布団8枚くらいは欲しい。)

しかし、こうして10年先は、予測できるのだが、1時間後の酒席だけは、予想できないでいるから、困ったものである。

とにかく、この三日間は、日系の収容所で暮らしていた。

アメ~リカに忠誠を誓って、日本と戦争をして良いのか、と葛藤する日系2世たちも同じである。
結果的に日系2世たちだけで編成された442部隊の活躍で、アメリカ国民の日系アメリカ人への差別感情も変化して行く。そうした物語だ。

突然、出てきた話題の酒癖と差別意識、案外、つながっているかもしれない。

歌舞伎の世界は、若い世代に支えられているわけではない。ある意味、安定した老人社会だ。
高齢化するバンドマン界にも通じる何かが、あるのではないか、とは思う。

といいつつ、今夜もまた、”象”ではなく、”トラ”になるために酒を飲むのである。

お後がよろしいようでぇ~。。

皆様、師走の酒には、くれぐれも注意して、あっ、下さ~いま~せ~。(はい!、ここで、見えを切る!)

トットットットット、、。(歌舞伎調で退場)




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Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00 │時事テレビ、映画雑談集戦争と平和