2014年05月20日

ロックな一夜と人生無能化計画



7月発売予定のジャズアドリブ入門書のための毎日の譜面書きに疲れると、深夜、逃げ出して飲みに出るのだが、めずらしく一人で音楽系のバーへ行って過ごしたら、ようやく不快な原因がわかって来た。

この日は、午前零時半頃に店内に入ると客は私一人だけ。

常連客もなく、マスターとカウンターで音楽話をしている内はいいのだが、常連が現れるとダメだ。

最初は、酔っ払った30代前半風の女性とこのお供の中年。

中年が、ぞっこん風だが、女性はどうでもいい感じで酔っ払っている。

どこかの学校の教頭先生という。

公務員であるわけだから定年もあるし、50代ではあるだろう。

教頭先生とはいえ、夜はこんな生活をしているのか。

しかし、教頭先生は、明日があるためか、先に帰る。

勘定は、自分が翌日来て、払うから、と言って去る。


二人は、私とも少し会話したのだが、本当は、女性がカウンターの隣の私に、マスターの紹介で、話かけて来た時、「あなたは、目が死んでいるねぇ~」と思った事を言おうとしたのだが辞めた。

マスターによれば、この女性は、この店でのマドンナにあたるようで、男たちにかなりもてる、という。

私なんかは、AKBを見ても何も思わないので、この頃の基準がわからなくなってしまった。


すると女性が、私は、むつかしい女よ、とか言うので、いやあ、オレの方がむつかしい男だな、というと、「じゃあ、勝負しよう」という。

私の年齢は、38歳くらいと当てて来るので、すかさず、「おお、惜しい。一つ違いだ!」というと、「39歳だったの」と言うので、「そうだ」と答える。

マスターが、「えっ!なんて会話してんの」と私に言って来るが、女性は気づかない。

やっぱり、私の勝ちだ。


お供の中年教頭が帰ったと思ったら、今度は、すかさず、女性が呼んだようで、同じ、30代風の背の高い男が来た。

こっちの方が本命のようだ。


すると、次は、突然、犬を連れた白人風男性が現れた。

ちょっと中年風で、私よりも上かなあ、と思うような風貌で、痩せている。

犬を連れて店に入って来るってことは、目が不自由なのか、と思ったら、そうじゃない。

普通に見えているようだ。

常連のようで、隣の常連の女性は、この外人が入って来ると、すぐに、女性の方から外人の名前を呼んで声を掛けた。


アメリカ人風犬連れ外人男は、一言、返事して、カウンターの片隅に一人、犬と一緒に座った。

あまり喋らない。

ここでアウエイなのは私なので、常連の女性の横の席を譲ろうか、と思ったが、女性は、本命の男とすぐに店を出て行った。

彼女は、酔っ払っていたので、どうでもよい。

前回にも、この店で若い風の女性がいたのだが、マスターが私のCDを掛けるとすぐに、何も気にせず、帰って行った。

ここでは、何気に、こうした事が目の前で起こる。



マスターが、犬連れ外人を私に紹介して、「この人は、アメリカで、ピンクフロイドとかとも関わっていた人で、この沖縄では、芸術関係の仕事をしていて、ミキサー関係の仕事もしている」と紹介されるが、犬連れ外人男の愛想は悪い。

沖縄に来て、愛想の悪いアメリカ人として、沖縄人の私に見せるなんて、よっぽどだな、とは思う。


「ピンクフロイド」と聴いて、私が、「ピンクフロイドは、元々、ジョンケージの4分33秒に影響を受けているんだ」と話出したのだが、ジョンケージは知らない、という素振り。

ピンクフロイドが、ロックで初めて、犬の鳴き声やタイプライターの”騒音”を音楽に取り入れたからだ。



*ジョン・ケージ


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B8




*4分33秒:


http://ja.wikipedia.org/wiki/4%E5%88%8633%E7%A7%92



アメリカ人のミキサーで、「芸術関係」でもあり、往年の人気ロックバンドのピンクフロイドとも仕事したなら、ジョン・ケージくらい知っとけ、と内心思う。



*ピンク・フロイド:



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89




店内では、様々な日本人ロッカーのコンサート映像が流れている。

レアーものの映像で、90年代くらいのCHARとか布袋とブライアン・セッツアーの3人の日本公演でのコンサート映像だ。

(ちなみに、このCDは、当時、購入して、何度か、聴いた。)


それでも、犬連れ外人は、後ろのCHAR、布袋の映像に全くの関心を示さず、見ようともせず、ただカウンターに座って何かを飲んでいる。

床には黒い犬がいる。


マスターが、チャーとかどう思う?とか聞いたら、「チャーとか知らないし、」と答えて、また黙っている。

あくまでも常連だ。


愛想の悪い外人は無視して、マスターと3人の映像へのコメントをしていたら30分くらい経った。

客は、この外人も含め、マスターと私の3人だけ。

犬連れ外人とは、マスターも会話がない。

マスターが、急に、カウンターにエレキギターを持って来て私の前に置いた。

すでにアンプにつながれて、ディストーションも掛かっている。

マスターは、カウンターの中で、エレキベースを弾き出した。

セッションをしよう、と言うことらしい。

しょうがないなあ、でも、このセッションは、名演になるぞ!とか私が言って、トイレに行ってから弾き出したら、外人が、急に立ち上がって、会計をして帰って行った。


私は、あまりの失礼さに、「音楽には興味がないみたいだね」とギターを弾きながら、ベースを弾いているマスターに言ったが、そうでもない、と言う。

しかし、ずっと、布袋、CHAR、ブライアンセッツァーには興味を示さなかったけど。


私は、沖縄に住んで、愛想の悪いアメリカ人は、許されないだろ!という気持ちがある。


“基地外人(キチガイ?ジン)”VS沖縄人の長年の抗争だ。


近年は、中国側の領土侵略問題で、基地外人を反対する現地住民側は、“非国民”とする現地人もいる。

中国側の侵略は米軍がいるから守られている、という指摘だ。

だから、オスプレイ賛成は、当然ではないか、というわけだ。

そもそも、旧型のヘリコプター自体が、構造上危険極まりない、というわけだ。


フィリピンは、一度追い出した米軍を中国の領土侵略作戦のために、また今年から呼び戻す調停を、この間のオバマ大統領のフィリピン訪問の際にしたと、録画した「ひるおび」で言っていた。


そういう事で、またまたアメリカ人が上の立場になっていているせいなのか、原住民をなめとんなあ、とは思うが、こうしたロック系の店は、みんな、アメリカ人と友達になれて嬉ピ~という雰囲気はある。

特に、めったに弾かない私が弾きだしたら、急に帰る、という行為も、失礼極まりないではあるが、私は基本的に、私に失礼な人間は、良い人生を送らない、と思っているから、まず、憐みを感じるようになっている。

ここは、そもそも演奏できるロックバーでもある。

たぶん、本当は、音楽の良し悪しは、よくわからないけど、“ピンクフロイド”とかのビッグネームなら認める、というタイプだろう。


でなければ、こんな島で、わざわざ「オレは、ピンクフロイドと仕事した!」なんて自分以外知らない情報を原住民の音楽関係者に流さない。


まあ、一瞬の出来事ではあるが、彼にもご褒美を上げようと思った。

今後も出会っても、無視する、というご褒美だ。

しかし、急に肩でも揉んで来たら、会話も考えなくもない。

それにしても、まだまだ、日本どころか、この沖縄でも、たった一人の「アメリカ人」が、ロックの価値判断を決める存在のようだ。


特に、本土もそうだが、地元のレコーディング・ミキサー業の者は、昔から、無愛想で、偉そうな態度の者が多い。

彼らの大半は、音楽的素養も、音感も人並み以下の者が多いのに、なぜ、そんなに威張っているのか、昔から謎ではある。

特に、沖縄は、20年ほど前からスタジオが乱立し始めたので、同時に、そうした人材も多く生まれている。

ただ録音すればいいのに、頼んでもいないのに、アレンジにいちゃもんを付けたり、リズムがどうのこうの、音程がどうのこうの、と言って来るのだが、彼らは基本的に耳が悪い。

なのに、自分のセンスを押し付けて来る。

実際、彼らがOKを出したものを後で聴くと、トンデモない代物だったりするから、騙されないようにしないといけない。

もちろん、レコーディング・ミキサーにもピンからキリまでいるから、1流となると、全く違うが、優秀なミキサーとなると全体の1パーセント程度だ。


基本的に、コンサート会場でのミキサーとレコーディング・スタジオでのミキサーは違う。

コンサートでのミキサーが”戦場カメラマン”としたら、レコーディング・スタジオでのミキサーは、モデル専用のカメラマンだ。

動いているものを撮るか、静止しているものを撮るか、の違いともいえる。

コンサート会場では、何が起こるかわからない。

しかし、スタジオでは、完全に設計図通りに録音ができるから、静止した状態ともいえる。


昔のミキサーは、レコード会社に入社したら、録音部に回されて、そこでミキサーの仕事をむりやりされて、ミキサーになった、という旧型のミキサーが主流だった。

彼らが、こうした無愛想で、偉そうな態度のミキサーの原型を作った。

彼らにしても、昔からのイメージでの“職人は、無愛想”、というのがモデルになったのだろう。

単に神様のいたずらで、録音部に回されるか、営業部に回されるかの違いで、そのキャラが変わるだけかもしれないけど。


音楽的には、何の素養もない人間が、機械を前にすると人間が変わるわけだ。

これなんか、大型トラックの運転手と変わりない。

トラックに乗ると人間が変わるわけだ。

自分も大型になった気持ちになるのだろう。



人間の「縁」や印象は、初対面の一瞬で決まる。

私には、その人に何度も何度も「この人は、本当は、もっといい人かも知れない」とチャンスを与えるための人生の時間はそんなにない。


人とは「一期一会」であり、ピンク・フロイドとジョン・ケージの関係の話に、何も感じなければ、基本的に、トークしても意味がない。


この事件をきっかけに、わかった事は、音楽バーの常連は、さほど音楽に興味がない上に、全く詳しくない、という事。

音楽好きなら、音楽にすぐ反応する。

私なら、流れているロック演奏の映像のすべてに対して、一応、どこの誰が演奏しているのかが気になる。


昔、十代の頃、こうしたロックバーに勤めている知り合いが、ロックのレコードを録音したカセットのすべてに曲名しか書いてないので、あれ?、私と全く違う、とびっくりした経験がある。

私は、曲名なんかどうでもよくて、大事なのは、演奏しているミュージシャン名だったからだ。

しかし、これは、ロック系は、バンドのメンバーが決まっているからだろう。

ジャズ系は、メンバーが不定だから、いちいちチェックしないとわからない。

ギターは誰で、ベースは誰で、ドラマーは誰で、キーボードは誰か、サックスは誰だ、とかだ。


しかし、ロックが好きだ、と言いながら、後ろで、CHARや布袋、ブライアン・セッツァーがギターバトルしているコンサート映像に全く興味を示さない白人は、果たして本当に音楽好きか、と思う。

ピンクフロイドのことも良く知らないくせして、「CHARって知らないよ」と後ろで映像が流れていても気にしない。


結論は、やっぱり、私なんかのプロ稼業は、常連客は、合わない。

経営者でもない限り、音楽人として合わない。

これと言っても音楽にも詳しくないし、また、大して興味もないのに、何か、雰囲気がいいからで来ているわけだから、音楽の話がなかなかできない。

第一、相手が音楽に興味がないんだから、プロであろうが、どうでもいいわけだ。

犬連れアメリカ男(名前が統一できないで、しょっちゅう変わっているが、、)からすると、隣にCHARが座っていても、「CHARとか知らないし。ピンクフロイドは、昔、仕事した事があるけど、、」と言うだろうとは思う。


だから、そういう場で、私なんかが、やることと言えば、演奏するくらいしかないのだが、プロ稼業の者は、アマチャーとはなかなかセッションができなかったりする。

プロは、曲をあれこれ覚えているが、アマチャーは、そうでもないから、一緒にやろうとしても、一緒にできる曲がなかったりする。

もちろん、曲集なんかがあればいいのだが、ロック系の店に譜面が置いてあることはない。

ロック系のセッションは、お互いがコピーしている曲を丸ごとやるしかない。

だから、セッションとはいえ、「じゃあ、ディープパープルのハイウエイスターをやろう!」とか言う会話になる。


そんなわけで、こうした場で、プロができることは、会話するか、他人のために伴奏して上げるか、の二つに一つくらいだ。

ところが、会話も、常連客には通用しないわけだから、基本的には、マスターと会話するしかない。

しかし、マスターは、他の常連客との会話で忙しかったりする。

ゆえに、こうした店に一人で行ってはいけない。

誰か、友人と言って、勝ってにお喋りして過ごす事が大事である。

一人で行くところではないかもしれない。

本来、知的な会話ができない人間や場所は、その人を成長させないどころか、“無能”化して行くという。

その点で言えば、ほとんど音楽関係の店へ出入りして来なかった、という事は、それだけ防止にはなっていたんだな、と思ったりはする。

そもそも、私は、大して幸せでもないのに、現状に満足して暮らしている人たちと、昔から話が合わない。

おそらく、自分自身が、常に現状に満足せず、将来の事が気になるからだろう。

チャゲ&アスカのことは、よく知らないが、昨夜、今の日本のヒット音楽をまとめているMTVを何年かぶりで見たら、ああ、こりゃあ、今の流行りの音楽シーンについていけないと焦るよなあ、とは思った。

特に、かつてトップに君臨した経験があるなら、才能を常に発揮するの大変ではあるなあ、とは思う。

しかし、私の中では、本人をよく知らないせいか、”ニュース”ではない。

私は、私のCDが掛かったり、私がギターを弾いたりしたら、すぐに席を立つ人間は、私にとってはニュースなので、みんな、どうなっても良い、とは思う。

近年は、それに加えて、私の本を読まない人も、当然、どうなっても良いと思い始めてはいる。

しかし、これも、お互い様、ということで、めでたし、めでたし。








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Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00 │近況私事件雑談集