2017年01月10日

新年第一弾、幸福とは何かの考察:Facebook

Facebook:1月5日 15:10 ·


今年の学び:新年第一弾、幸福とは何かの考察:

暴走族だとか、現実に、人生を失敗したりしても、みんな意外にポジティブな考えの人たちです。

なぜ、ポジティブな人たちか、と言うと、その方がいいと一般に言われているからです。

ポジティブな人たちは、つまり、一般的なわけです。

でも、実際は、高学歴な人も、パソコンの本や、ダイエットの本とか、実用書しか読んでませんから、似たようなものです。

お金儲けの本でもいいです。

みんな、目先のマニュアル書だけを読んで生きてるわけです。

この話しは、今年、年頭の挨拶です。

http://sunpowermusic.ti-da.net/d2017-01-01.html

私の世代は、大体、40歳の頃にインターネットですから、自分の気持ちを一般の人向けに語るのは、なかなか機会もありませんでした。

しかし、ネット社会になり、ちょっと20歳の若者のお酒解禁みたいな感じです。

酒癖の悪い人もいたりします。
慣れてないのか、飲む相手が悪いのか、、。

しかし、物事に対してポジティブな人は、なかなか反省しません。

反省は、ネガティヴに思っていますから。

ポジティブ、という意味は、自分は、このままでいい!ということです。

too positiveは、自信過剰、とあります。

○positive:


http://ejje.weblio.jp/content/positive


http://kiwi-english.net/3887


反省なんかしません。

でも、その行動が、成功する確率が高いわけです。次も同じ手口?で、アタックしますから。

どうせ、オレなんか、ダメだ、というネガティヴな人より、です。

しかし、そうやって成功しても、やっぱり、”維持力”が、全くないわけです。

だから、何度も同じことを繰り返しています。

そんなことを考えると、世の中は、上手くできてますねぇ〜!

もちろん、ネガティヴな人には、いいことは、何もありません。(T ^ T)

自分なんかダメ人間だ、と考えるわけですから。

じゃあ、表面的でない、心底からポジティブな人間とネガティヴな人間、どっちが多いのか?となると、個人的には、ポジティブな人間は稀です。

10人中、いや20人中、、、1人かなあ、と。

バンド界は、バツ1どころか、バツ3で普通?くらいのポジティブ?な人もたくさんいます。

あるいは、too positiveな、高学歴な人にも、よく出会います。

男性医師とか?耳鼻科とか?外科医とか?(−_−;)

じゃあ、あなたは、ポジティブかネガティヴのどちらを取るか?、という究極の選択です。

しかし、人生なんて、バランスです。

これが良い!と思えば、これを断念するしかない、といったバランス感覚です。

自分の気持ちを100%出したら、相手の気持ちは、0%です。

子供は、自分の気持ち100%を要求しますが、これを親との”かけひき”で、減らすことを覚える訳です。

その、”かけひき”がなかった子?は、ずっと、自分の気持ちが、優先です。

困ったものですが、そもそも、この子は、人間生活のゴール?である、”幸せ”というものが、嫌いなわけです。

身体だけは、”大人”になってしまったのですが、心は、幼児のままです。

(私は、家を出た16歳のままです。(T ^ T) )

自分の要求が、100%に近いわけですから、
それに合わせた人と出会うしかありません。

相手が、自分の要求を10%受け入れてくれるなら、相手は、90%の要求をする人です。

お互い100%の要求は、破滅です。

100%からはみ出た分が、お互いが受け入られていないストレスであり、破局の原因です。

しかし、恋愛においては、このぶつかりが、魅力となります。

強気の人の魅力に惹かれて結婚したら、日常生活では、ぶつかりが多くなります。

どうしたら、いいのでしょう?

人は、他人より、優れたい、と思った瞬間に、色んなことを忘れるんじゃないか、、。

自分自身だけが、自分は、こうありたい、と思ったことと違うんですよね。

自分自身が、設定したゴールへ向かってひたすら走り続ける生き方ではないわけです。

他人との比較、競争で自分自身の価値を決めるわけです。

大した価値でもない自分自身を有名人にしよう、と必死な人になるわけです。

スポーツは、記録がありますが、音楽界なんか、その典型です。

人気だけが、その人の価値を決めます。

これのどこが良いのか、さっぱりわからない有名人はたくさんいます。

本人自身も本当は、内心は、そう思っているからなのか、何か隠し事をしているような(−_−;)神経質なタイプが多いです。

今、世の中は、常に他人にアピールをする人生です。

Facebookやツイッター、ブログなんか、それを促進する?ツールです。

商売人のアピールは、利益目的のためですから当然でしょうが、一般の人は別です。

一般の人は、この他人へのアピールのために、過激な写真をリスクを犯してまでも撮影したりする競争に出たりします。

そのためならと、法を犯す者までいたりします。

子供から大人、無学から高学歴、関係ありません。

○観光客のマナーが悪すぎて京都のお寺が次々と撮影禁止になっている。(団塊の世代のおじさんたち?)


https://matome.naver.jp/m/odai/2141687560827029601

実に、世の中は、アピール合戦です。

ただ、写真を撮って満足する人は稀で、みんなFacebookやブログ、Instagramなどで、アピールするわけです。

こうなると、****にFacebook、ですか、、。

ここでも、やはり倫理観、道徳観が問題です。

しかし、よくヤンキーやそのスジの人たちも、「それはスジ違いやろ!」と恫喝したりします。

ホステス系なら、「人を指差すのは失礼よ!」と言うのは、常套句です。

そんなことを言うわりには、本人自身が、人生で、色んなトラブルに遭うわけです。

家族やガールフレンドへのDVで逮捕されたり、、。

http://news.livedoor.com/lite/article_detail/11520254/


こういう人たちも、常に、相手への倫理的?行動を問題にしますが、特徴は、相手への倫理的?、道徳的?態度の要求です。

相手に要求するわけです。

ボランティアの人の心と一緒なわけです。

自分だけが良いことをするのは自由ですが、やっていない人に反感を抱くわけです。

ゴミを拾うのは良いことですが、そのためにゴミを捨てる人に対して殺意?まで抱くわけです。

アルバイト社員でもいます。

熱心に働くのは良いことですが、そのことで、他のアルバイト社員も無言で非難するわけです。

自分が挨拶するからと、挨拶しない人に殺意を抱く?わけです。

立派な人は、常に、自分だけが実践し、相手のことは気にしません。

ゴミを捨てる人がいて、拾う人がいる、ただそれだけです。

ゴミを捨てる人には、バチが当たり、自分にだけは、神様からのご褒美が来る、ということもありません。

神様は、時には残酷で、信仰心のある信者に不幸を与え、無信仰の人を助けたりします。

震災でも経験したことです。

じゃあ、何のために立派な人になるか、です。

この問題の回答は、その方が、上手く行くから、としか言えません。

人のゴールは、社会の一員として生きて、幸福を目指すわけですから、自分自身は、こうしたルールで生きるが、他人は、どうでも良い、という態度が必要です。

でないと、ルール違反が、会社の上司だったり、社長だったり、となったら、それこそ”芝居小屋の正義論”になります。

他人に対し、少しでもルール違反を注意する人が、芝居小屋に行くと、そのスジの客がいて、目の前でキセルでタバコを吸っていました。

もちろん、芝居小屋は、禁煙です。

結局、この人は、注意出来ませんでした。

マンガ”はぐれ雲”で、20歳の頃、読みました。

○浮浪雲:


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%AE%E6%B5%AA%E9%9B%B2

ここで、出て来るのが、人は人、自分は自分、という考え方です。


○人は人、自分は自分:


http://mental-effect.com/live-and-let-live-9838


しかし、これは、某アイドル・グループのヒット曲の世界とは、ちょっと違います。

ナンバーワンより、オンリーワンを目指す、という考え方です。

論理的ではありません。

ただ、何の手段もないのに世界平和を歌うようなものです。

誰しも世界平和を望んで闘って?いるわけなのですから、それを歌うだけで、簡単に善人票が取れてしまいます。

また、スポーツや経済、医学の世界で、みんなが、ナンバーワンを目指さなかったら、進化はありません。

錦織圭も生まれません。


○錦織圭:


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%A6%E7%B9%94%E5%9C%AD


論理的矛盾だらけなわけです。

歌は、そうした矛盾を洗脳するのに適している媒体です。

論理的矛盾なんか関係なくなります。

”あなたは、風、そして私は雲、、”

何じゃそりゃ!

という人はいません。

まあ、まれに、論理的な人なら「あなたは風邪、私はクモ(クモ膜下)」と聞き間違えるかも知れません。(−_−;)

矛盾の原因は、主張する文脈が限定されていないからです。

ナンバーワンを目指すには、みんなが、同じルールで競争できるからです。

オンリーワンは、その限定がないわけです。

それなのに、歌に洗脳されて、ナンバーワンを目指す状況なのにオンリーワンを目指す、というわけのわからない行動に出るわけです。

ライバルにしてみたら、大変ありがたい”脱線”な行動です。*\(^o^)/*

人は、ちょっとしたことでは、簡単に幸福にはなれませんが、しかし、ちょっとしたことで、すぐに不幸にはなります。

簡単に言えば、テレビの芸能人や、抽象的な歌の歌詞程度に洗脳された人たちが、自己アピールすることで、100%の自分を要求するからです。

確かに、それが正しい、としても、世の中には、それに従わない人がたくさんいるわけです。

電車で、お年寄りや妊婦に席を譲るか譲らないかは、自分だけのルールです。

私のように、それが煩わしいので、最初から座らない、という人もいるでしょう。(空席だらけなら別ですが、、)

自分は自分、人は人、とは言え、これが家族とはなると、その境界線もかなり狭くなると思います。

世の中は、人に尊敬されようが、されまいが、スポーツのように自己記録だけを更新することで、満足することができれば、とは思いますが、それで食べているプロの世界は、そうは行きません。

みんながみんな、ナンバーワンを目指す競争社会です。

たとえスタイルは、違ってもお客さんの獲得合戦、という意味では競争社会です。

わずかな小遣いで、野球を見に行くか、サッカーを見に行くか、、。

自分だけのルールに従い生きた、という点では、数学的な人類の難問を解いた、という人の生き方もあります。


○ポワンカレ予想:


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%AC%E4%BA%88%E6%83%B3



○100年の謎は、なぜ解けたのか?


http://poyoland.jugem.jp/?eid=742


私が、ジャズが好きなのは、自分のアドリブ演奏だけ良ければいいからです。(−_−#)

これが、クラシックやロックなら、メンバーへの要求も厳しくなります。全体主義の高校野球みたいなものです。

ジャズの場合は、バンド全体が悪く言われることはありません。

「あのピアニストは下手だなあ」と評されるだけです。

(もちろんレコーディングとなると、全員、良い演奏をしないといけませんが、、。)

今年も、学ぶことが山積みです。(T ^ T)

今回の話は、ビジネス用のページかな、と思いましたが、ライバルも多いので。(p_-)

(まあ、いずれ、不幸になる人が多くなった頃に、ブログにも掲載しますが、、、。)

そんなわけで、今年一年をいかに幸せに暮らすか、ということに関しては、いかに大変か、という話しでした。

アピールするなら、これくらい長い文章(−_−;)か、ただ、ただ、日々、幸せでいる写真があるだけです。

何十人のひ孫、ひひ孫?に囲まれてるお爺さん、おばあさん、とか。

海外旅行している家族とか、、。

お正月最終日です。

今年は、ちょっと生き方を変えようかな、と考えています。

将来に繋がらない意味のないことは、控えようかなあ、と。(T ^ T)

ジョーイ・デフランチェスコというオルガン弾きがいますが、彼は、オルガンでナンバーワンになるために、毎日、練習ばかりして、こんな身体になっています。(−_−;)

○ジョーイ・デフランチェスコ:YouTube


https://m.youtube.com/watch?v=935Aa_qu-Ec


○Joey DeFrancesco


https://en.m.wikipedia.org/wiki/Joey_DeFrancesco

この点では、ジャズ・ピアニストの巨匠、オスカー・ピーターソンもよく似ています。


○オスカー・ピーターソン:YouTube


https://m.youtube.com/watch?v=fxv9RbRfCtA


○オスカー・ピーターソン:


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3



みんな目標に向かって、つまり、自分なりの幸せに、というゴールに向かって、脱線、寄り道もせず、突き進んだ結果ですね。

また、2人とも、世代は違いますが、歌も上手く、ジョーイは、シンガーでもあり、ジャズ・トランペッターでもあります。

私生活はわかりませんが、、。

もちろん、健康のため、ある程度のダイエットは必要でしょうけど、、。

ここから学ぶのは、人は、いかに幸福から脱線して暮らしているか、ということです。(T ^ T)

























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Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00 │教育宗教と道徳人生論Facebookより転載