2016年08月26日

いかに犯罪を犯さない子を育てるか:Facebook転載シリーズ

Facebook :8月24日 19:42 掲載


今日の子育て論シリーズ:いかに犯罪を犯さない子を育てるか。

昨夜のニュースでは、16歳の少年が殺され、埋められていたり、


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160824-00050018-yom-soci


苦労して女優1人の力で育てた、という22歳の某若手男性俳優のレイプ事件。


http://matome.naver.jp/m/odai/2147193303290392701

また、スポーツ選手が、どんなに毎日、ハードなトレーニングを積んでも不祥事は起きます。

http://news.livedoor.com/%e3%82%b9%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%84%e9%81%b8%e6%89%8b%e3%81%ae%e4%b8%8d%e7%a5%a5%e4%ba%8b%e3%83%bb%e3%83%88%e3%83%a9%e3%83%96%e3%83%ab/topics/keyword/32148/




じゃあ、宗教か?と言っても、海外は当然としても、日本の僧侶による事件も後を絶ちません。

これに至っては、若いから、と言った年令も関係ありません。80代もいます。


http://mnsatlas.com/?p=5227



http://matome.naver.jp/m/odai/2143342305208340201


http://alcornavi.com/2930.html


このことは、立派な人間になるためには、教育なんか関係ない!と言うこともできます。

市会議員、県会議員、都会議員、府会議員は、例を上げる必要もなく、もちろん?ですし、国会議員の不祥事なんか日常茶飯事でしょう。

こうした、世の摂理?に、教育は、何の意味があるでしょう。

しかし、近年は、どんな教育を受けても、結局、遺伝、環境論という説が上がり、実際、説得力を持ちます。

どんな教育を受けようが、実際の人間形成は、仲間、環境次第であり、さらには、そこに遺伝の影響もかなり大きい、という分析です。

このことに関しては、拙著「日本人のためのリズム感トレーニング理論」でも黒人アスリート、ミュージシャン問題で触れています。

なぜ、彼らは、スポーツの世界や音楽の世界でも一流なのか、という疑問です。

果たして、それは、天性の能力か?というタブーにも触れる問題は、私は、密かに、音楽理論書で扱いました。

すでに、オリンピックは終わりましたが、ウサインボルトの分析もあります。

((((;゚Д゚)))))))

(読んだ人は、内緒にしておいて下さい!暗殺されます!((((;゚Д゚))))))))

そんなわけで、例え、様々な要素が遺伝的に影響していたとしても、ちゃんとそれを自覚することで、様々な宿命的?な問題は、回避できる、というのが、この分野の主張です。

日本人が、骨格の違う黒人アスリートの真似をしても、対抗できない場合もありますし。

しかし、良いところは、取り入れたりすることは大事です。

その見極めが、分析力です。

人は、一体、どんな欲望があって、その地位を得たのか、どんな仲間に認めて貰いたかったのか、そんなにまで、立派な人として、尊敬されたいのか、などなど、1人の欲望の塊のような人間としては、まだまだ修行中、思案中、観察中です。

ただ、子供は、やはり、親の悪い面をデフォルメした形で、継承している、とは思います。

自分で、主観的にはわからなくても、他人からは、よく見えます。

親には、辛うじての理性、あるいは、男女の違いは、あるにしても、やっぱり、系列は、よく似ています。

やはり、宗教を超えた、道徳、倫理、哲学の分野の理性教育は、何をするにしても、人として生きる基礎だと思います。

しかし、問題は、これを一体、誰が、未来の子供たちに説いて教えるか、です。

私見では、これは、たぶん、もう、これからは、何か不祥事はしないんじゃないか?、と思われる90代の老人にしてもらうしかありません。

だって、90代で元気な老人の健康法は、どんな医師の教えよりも、みんな熱心に聞くと思うからです。

90代の老人から、「いかに自分は、犯罪を犯さずに、これまで生きて来たか?」の話しを聞く時間を小学校やスポーツジムで、行うわけです。

アメリカでは、囚人が、子供たちに説いて聞かせる教育システムがあるそうです。

たぶん、それ以外の教育は、社会人として、人生を全うする教育としては、な〜んの役にも立っていない、という認識は持つべきだと思います。

社会人として、立派な職業についたから、ということは、な〜〜んも、人格とは関係ないことだと、知らないと、こうした不祥事に終わりはありません。

我が子が、明日の犯罪者になるかどうかも、実は、半分は、遺伝だというタブー説が、最近は、明かされていますが、仏教的には、常に”明日はわが身”なはずです。

自分が、犯罪を犯さない可能性は、ゼロです。

だからこそ、いかに、そうならないように生きるかは、やはり、90歳になって見ないとわかりません。

80歳に犯罪を犯す老人でも、79歳までは、立派な人だったはずです。


























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Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00 │教育宗教と道徳