2015年02月22日

誤診医者との闘い:護身学入門:Facebook保存シリーズ1


Facebookには、実況中継で載せたのですが、ブログでも一部残しておきましょう。

このブログは、できるだけ若者が読めばいいのです。

もう、40歳も50歳も過ぎた人たちには、自分たちの人生を変える力は残っていないからです。

もちろん、自分自身の人生はが素晴らしい人生であれば、現状維持すればいいわけです。

しかし、お年寄たちに何かを言っても、何十年も時代は変わりません。

それだったら、これからの時代を作る、もっともっと自分より若い人に、40歳以上の人たちが、このブログを伝えてくれたら本望です。


2月21日の土曜日の午後1時頃に父から電話があり、「お腹が痛いから救急車を呼ぼうかと思っている」というので、近くの大病院は行った時の話です。

土曜日は、一般診療は、午前中だけなので、午後からは、「救急診療」になっています。

不思議なのは、大体、こうした急な病気は、病院が休診な土曜日に起こったりします。風邪やインフルエンザも同じです。


救急診療では、痛がる父を1時間近くも待たせます。

理由は、救急車が2台入って来たからです。

救急車優先です。

まるで、ファーストフード店のドライブスルー優先と変わりありません。

これなら、救急車を呼ぶべきでした。


ようやくの診察では、痛がる父が「痛み止めをくれ!」と要求するのを医師側は拒否。

まず、検査してからしかできない、とのことでした。

検査は、血液検査とCTスキャン。

これでも1時間くらい待ちました。

何度も痛み止めをくれ、と怒る父です。

(これは、結果もわからないのに、痛み止めを出せない、とするのが正論だといいます。ならば、痛み専門のマッサージ師1人くらい雇われないのか!大病院だぞ!)

父は、痛みが限界に近いようでした。

そしてようやく結果が出て、最終診察です。

ここまで来るのに2時間くらいは経っています。


以下は、その時のFacebookからです、。



*胆嚢炎の症状の現れ方:



『痛みは”みぞおち”にかけてです。

それなのに、この40代~50代風の救急医は、まず、父の胆嚢の大きさにびっくりし、10センチもある、と言いました。

私が、「普通は半分くらいですか?」と聞くと、そうです、と答えました。

そして、「胆石も見られます」といいました。

問題は、ここからです。

「だけど、痛いと言っている場所が胆嚢の上じゃないんですよ。」ということで、「胆嚢炎じゃないんです」、と言いました。

それで、お手上げとなったのか、「原因不明」と診断したわけです。

ところが、インターネットで兄が調べるとこんなサイトが出て来ました。

まさに、胆嚢炎は、みぞおちの辺りなのです。

それなのに、”痛み止め”を打って家に帰そうとしたわけです。

しかも、どれくらいの痛み止めなのか、ずっと寝ています。

声をかけると、朦朧として答えます。病院にいるのに、家にいると思っているようです。

かなりの効き目の”痛み止め”のようです。

医師の方で、今回の診断をどう思うでしょうか。

明日は、強制退院(?)なので、その問題を兄が回診の午前9時に間に合わせて医師に会うことになっています(約束して会うわけではありません。その時間しかいないらしいので、無理して早起きして行って、医者をつかまえるわけです。)

日曜日の休診日なので、今回の医師が回診しているかはわかりません。

診断のした医師の名前もゲットしました。

胆嚢炎に関しては、以下の記事を読めば、素人でも、どこが痛いのかが、わかります。


医師が示すレントゲンとかCTスキャンの写真映像は、断りを入れれば、どんどん写メで撮るべきだそうです。

これを断る医師の方がおかしい、とのことです。

痛み止めに関しては、診断前に投与することはない、といいます。

また、高齢者の場合は、容体が急変するので要注意とあります。


症状の現れ方(たんのうえん、たんかんえん胆嚢炎、胆管炎)

 主な症状は腹痛と発熱です。通常は右季肋部(きろくぶ)(右の肋骨の下)から心窩部(しんかぶ)(みぞおち)にかけての持続的な痛みですが、胸や背中が痛くなって狭心症(きょうしんしょう)などの心臓の病気と間違われることもあります。

痛みの程度は重苦しいような鈍痛から激痛を訴える場合までさまざまですが、痛みが長時間続いて次第に強くなります。嘔吐もよくみられる症状です。

 また、胆汁の流れが妨げられるために皮膚や粘膜が黄色くなる黄疸(おうだん)が出ることがあります。とくに胆管結石がある時には、黄疸がよくみられます。

 胆嚢炎・胆管炎が進むと炎症が腹膜に波及して腹膜炎を起こしたり、血液を介して全身に細菌感染が広がる敗血症(はいけつしょう)に進行して命取りになることもあります。

とくに高齢者では、胆管炎が急激に悪化することがあるので注意が必要です。 』



*たんのうえん、たんかんえん胆嚢炎、胆管炎:

http://health.goo.ne.jp/medical/search/10P50200.html


そして以下が、翌日のFacebookからです。


やっぱり誤診でした!


『兄が朝の午前8時~9時頃、という病院の回診に沖縄市から向かって病室で待機していたら、回診には別の医師が来たようです。

すると72時間以内、緊急手術が決定したそうです。

今、病院は、日曜日ですから、人を集めて手術の準備をしている、といいます。

この誤診は大きいです。

胆嚢が通常の2倍の10センチあるといい、さらに胆石まで見つかったのに、その真上を押さえては痛がらずに、みぞおちを押さえて痛がっている、ということから、「原因不明」とした医師。

こちらでインターネットで調べると、すぐに胆嚢炎などは、みぞおち辺りを痛がる、とちゃんと書いてあるわけです。

さらには、高齢者は、容体が急変する、とあるので、これは、深夜大丈夫か、とは思っていたわけです。

完全介護、というので、付き添いはいらない、というのですが、点滴を打ちながら、家にいるのか病院にいるのかもわからない、何か、痛み止めで何時間も朦朧として眠っている88歳の父が、自分で起きてトイレにも行くとは思えず、また、看護師を呼ぶ、ブザーにも気づくか心配でしたが、病院側は、明日退院する患者として扱っていましたし。

この事で、昨日、私も担当の若い男性看護師に、「胆嚢がでかい、と医師も驚いているのに、明日、本当に退院させるのか?誰か、今、偉い人と話せないか?」と言ったのですが、今は、土日で誰もいないです、自分に言われても自分にはどうすることもできませんし、と言われました。

土日の病院の恐怖です。しかし、まがりなりにも「救急病院」として患者を受け入れているわけです。

論理的に見ても「原因不明」をよく自宅に帰すなあ、と思っていましたし、まず、付き添っている人間を締め出しての診察があやしい。痛がって苦しんでいる病人から何を聞きだそうとしているのか。

昨夜、なぜ、こんな誤診がまかり通るのかを考え見ましたが、やはり、医師のプライドでしょう。

周りに、「先生、先生」と指示を待つスタッフがいます。
その前で、インターネットを開き「胆嚢炎」と検索することができなかったわけです。

自分は、この病気を知らない、ということをみんなの前でばれたくなかったわけです。

だからといって、家に帰り、「胆嚢炎」を検索して、自分が誤診していた!という勉強もしないわけです。

昔は、医師しか、医学専門書を持っていなかったから医師には特権がありました。
それでも、家庭医学大百科事典をなんかを持つ家では、丹念に調べて自分の病名を当てる人もいました。

今は、インターネットの時代です。ほとんどの知識が、検索すれば出て来ます。セカンドオピニオンも自分で検索できます。

もはや、何の特権もありません。あるのは、その知識の「解釈」と正しい治療です。

これは音楽も同じです。理論的知識はインターネットでいくらでも検索できます。しかし、一流は、この知識を独自に「解釈」し、これを利用し、立派な演奏をしている、というだけにすぎません。

子供の眼科も誤診でしたし、本当に医者の「大丈夫」は信用できません。

新宿のおばさん、として占いで有名な人がいますが、あれなんかも手相を見ながら、いつも何かの本を見て、あなたはこれだ、と言っていますよね。

昔、皮膚科だったか、よく治す皮膚科で、だからなのか、いつも患者がいない皮膚科があって、何かできるとすぐにその病院に行きました。薬をもらうとすぐに治りました。

その病院の先生が亡くなって別の病院に行ったら、いつも予約患者で溢れていて、毎回2時間待ちでした。そして、その薬が効かない。

今回の誤診事件で思い出したことが、これです。
亡くなった皮膚科の年輩の先生。

大きな医学事典を引っぱり出して、患者の前で読んでました。
あなたは、これだな、と言ってました。

知らないことを知らないという勇気、できないことをできないという勇気。

今の医学部受験システムで、これを培うのは無理なんでしょうか。

皆さんも、診察室で提示される写真は写メで撮り、カルテは、覗いて何が書いてあるかをチェックしましょう。

昔は、これを自分は喋れもしないドイツ語で書いて患者が読めないようにしていたわけですが、今は、日本語でも書かれているはずです。

そしてそれを公表してもいいと自分が思うなら、自分の身体のことですから、誤診かどうかはわかるでしょう。

今回の誤診の発見は、診察の過程から辿って行けば、わかりますが、やはり患者側の学習力と論理的な決断と交渉力の勝利です。

こんなに痛がる88歳の患者をよく年寄しかいない家に帰せるなあ、という判断が論理的な判断。

そして、その判断をもとに交渉。

まずは、嫌がる医者と交渉して、1日だけ入院させたこと。

医者を怒らせると1日であっても入院できないので、ちゃんとした理由を”作り”提示するわけです。

「家には誰もいません。年寄だけです」というと、医師は、「誰か泊まる家族はいないのですか?」というので、「いません。私は子守りがあります」と答えて、せめて1日だけ入院させて下さい、としたわけです。

すると、病室が1つしか空いていないらしく、じゃあ、明日には、すぐ出て下さいよ、ということになったわけです。

そして、最後が学習力。

あとからのインターネットでの病気の検索です。日本語でダメなら英語もあります。

今日、案の定、”痛み止め”?(麻酔?)の切れた父は、再び、前以上に痛がり始めたそうです。

これから手術なので、病院に向かいます。』


*同・たんのうえん、たんかんえん胆嚢炎、胆管炎:


http://health.goo.ne.jp/medical/search/10P50200.html



*手術後:


『点滴に加え、尿道から管、手術した右側のわき腹には触れないようにと、右手は、ミトンと呼ばれている大きなグローブが付けられています。

わき腹からの管を抜いたら大変だからです。

私は、今、兄弟親族が帰ったので、一人で見ています。

主にこの右手で管を抜かないようにですが、ミトンをしているので、大丈夫です。

しかし、付き添いがいない時は、このミトンを付けた右手をベッドに縛り付けてかまわない、という契約書に兄がサインしたそうです。

手術は、地元の専門医が緊急ということで、日曜日にも関わらず、人を集め、駆けつけ無事終了ですが、摘出した胆嚢の検査結果が来週の水曜日に出るそうです。

大部屋ですが、2人しかいません。もう一人は、もっとおじいさんに見えます。動きません。年齢を見たら74歳でした。150歳くらいに見えます。

ここは、緊急患者の病室ですから、ナースステーションのすぐそばです。

手術は専門医でしたが、担当は、まだあの誤診医師なので、兄からは、くれぐれも喧嘩しないように、と注意されていますが、相手の態度次第だ、とは思っています。

しかし、専門医には感謝するべきだ、といい、また、担当医師が、バカだったからよかったといいます。

何もせず、痛み止めを打って放置していたから、翌日の回診の時、痛みがピークになり、またインターネットの記事通り熱も出たからです。

下手に何かしていたらこうした症状が出なかった、というわけです。

しかし、あのまま家に帰っていたら破裂して死んでいたと思います。

とりあえず、担当医師に出くわしたら無言でいようとは思っています。

とりあえず、まだ人質を取られた状態だからですけど。

専門医が、主治医という形で、この40代風の担当医師の上に着いたのでよかったです。』


以上、私のFacebookより。

https://www.facebook.com/tomoyosejazz?ref=bookmarks


誤診ではないが、最近は、1年ほど前にプロポフォールの投与で亡くなった2歳児の両親が、東京女子医大を告訴した事件がある。

プロポフォールは、あのマイケル・ジャクソンの死因でもあるそうです。


*【医療事故】2歳児死亡!東京女子医大に対し、両親が告訴状提出 =鎮静剤多量投与=

http://matome.naver.jp/odai/2142432294993199101



*2歳児医療事故で有名な東京女子医科大学病院に:

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11130211631



こうした「事件」は、一体、どうやって避ければいいのでしょう。

まるで、ある日、何者かによって決められたルートに乗って、避けることのできない死刑台へと向かって行く、としか思えません。

一体、どの段階で、「ちょっと待て!これはおかしい!」と気づけるのでしょうか。


とりあえず、父の入院中、様々な、機械があるので、若い看護師に、「これは何するもの?」「この数字は何?」と付き添い中、聞いたりしました。

私は、そもそも、家族も嫌がる質問魔です。

どんなことでもわからないものは、質問します。

これくらいしか、自分を守ることはできません。

せめて、子供に投与されるすべての薬物は、インターネット調べるべきじゃないか、と思ったりします。

そういう「医療テラシー」の授業をもっと数時間でも学校で受けられたら、とは思います。

貰った薬は、インターネットで検索すれば、すぐにその正体はわかります。

薬の処方は、基本的には、統計学でしょう。

これをやったらこの病気が治った、というものです。

医療も同じです。

この病気は、こういう治療をしたら完治した、です。

弁護士も同じです。

この犯罪ケースでは、こんな裁判結果が出た、という法令集です。

だから、これは、こんな刑になる、というものです。


それからすると、医療も刑罰も、過去の前例でしか機能していないわけです。

だからこそ、前例のない事件や、病気には、何の対処もできないわけです。

ということは、過去に前例がある、というのに、この事を知らない、ということは、完全な職務怠慢です。

これは、音楽で言えば、作曲した曲が、すでに過去でヒットしていた、ということを知らなかったということです。

これでは、確かに、プロではないでしょう。


どうしたら、こうした事を避けることができるだろう、ということでいえば、やはり貰った薬や投与される薬は、すぐにインターネットで調べる癖を付けないといけないなあ、とつくづく思うわけです。

しかし、実際は、こうした習慣はないので、、まだまだ、勉強が足りません。

しかし、これは、これからの人に、求められる“学習癖”だと思います。


お昼のワイドショー“ひるおび”のレギュラーで有名な八代弁護士は、インフルエンザ注射を受けません。

インフルエンザ注射には、これを毎回打つと、インフルエンザへの免疫力が低下する、という考え方もあり、また、防御率からすると、かなり低いから、という考え方もあります。


八代 英輝(やしろ ひでき、1964年7月8日 - )は東京都板橋区出身の日本(東京弁護士会所属)及びアメリカ・ニューヨーク州弁護士、タレント、コメンテーター。エクステンション所属。八代国際法律事務所代表。関西学院大学商学部客員教授。元札幌地方裁判所判事補

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%BB%A3%E8%8B%B1%E8%BC%9D



突然、脳梗塞となった時、自分で、医師に指示を出し治療した経済学者で政治家だった栗本慎一郎氏は有名です。


私の世代では、『パンツをはいたサル 人間は、どういう生物か』(光文社カッパサイエンス、1981年)で若者の支持を得た。


『1999年10月頃、脳梗塞になる。朝起きると左半身が動かなくなり、日課のウォーキング中で道が分からなくなる、病院に行こうとタクシーに乗るも、呂律が回らず運転手に行き先が伝わらない等の症状が出る。一命は取り留めたものの左半身麻痺となってしまい、リハビリに励むも中々上手くいかない。ある日、リハビリで左手を動かそうとすると右手が動く事に気付いた栗本は、箱の真ん中に鏡を置き、箱の中に右手を入れ、鏡で右手を映しながら動かし、それと同時に妻が左手を同じ様に動かすという、鏡に映った右手を左手だと栗本の脳に錯覚させるというヴィラヤヌル・S・ラマチャンドランの「ミラーボックス」によるリハビリ法を試した結果、2ヵ月後には症状が良くなり、現在はゴルフや車の運転が出来るほどに回復した。』



栗本 慎一郎(くりもと しんいちろう、1941年(昭和16年)11月23日 - )は、日本の経済人類学研究者、法社会学研究者、評論家、有明教育芸術短期大学学長。国会議員経験者(衆議院2期)。元経済企画庁政務次官。有限会社大学総合研究所理事長。NPO法人世界芸術文化振興協会理事、NPO法人神道国際学会会長。国際スポーツ振興協会理事。健康食品開発者


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%97%E6%9C%AC%E6%85%8E%E4%B8%80%E9%83%8E



私は、こうした自己管理を、ただ暴漢と戦うための技を教える抽象度の低い、低次元の概念の「護身術」と対抗して、あらゆるすべての事から自分を守るための抽象度の高い、高次元の概念として「護身学」と呼んでいます。

このブログが読める人は、幸福だと思います。
千冊くらい読まないとわからない考えを、これだけで知ってしてしまうからです。

もちろん、「理解」するには、何年も掛かるとは思いますが、、、。




















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