2014年10月17日

祝:「禁断のジャズ理論」好評発売中とメディアリテラシーの授業


本当は、前回、10月6日のブログのまま、1年くらい更新しなくてもいいんじゃないか、と思ってはいた。

それだけ、重要で「普遍」的な問題を放り込んだつもりではある。


*10月6日ブログ:『祝:「日本人のためリズム感トレーニング理論」第3刷増刷とメディアリテラシーのお勉強と介護問題』


http://sunpowermusic.ti-da.net/d2014-10-06.html


しかし、人生は、止まるわけには行かないから、また、新たな境地に出会うためにも、さらに一歩踏み出してみよう。


もちろん、通報して来ても、まだスルーしている「ごぎぶり軍団」もいる。

たぶん、これも、私の死後も存在している事だろう。



*禁断のジャズ理論:


http://www.amazon.co.jp/%E7%A6%81%E6%96%AD%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA%E7%90%86%E8%AB%96-CD%E4%BB%98-%E5%8F%8B%E5%AF%84-%E9%9A%86%E5%93%89/dp/4845624427/ref=zg_bs_492240_19



『27 人中、16人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 2.0 モード寄り脱ビバップ論, 2014/8/10


投稿者
oyoyo1 "oyoyo2" (茨城県) - レビューをすべて見る

Amazonで購入(詳細)
レビュー対象商品: 禁断のジャズ理論(CD付) (単行本(ソフトカバー))



 本書のキモは「“禁断"の理論1:ダイアトニックとノン・ダイアトニック」に記されている「キーのダイアトニック一発でアドリブに対処する」というスタンスかと思います。

 ジャズというと、「部分転調への対応でスケールをせわしなく変える」イメージが強かったのですが、著者は「部分転調に対応するスケールの選択=転調時のキーに沿ったスケール選択であり、こうしたバイバップ的手法は、極論すればイモい」と一刀両断しています。一方、その曲のキーのダイアトニック及びブルーノートスケールのみで対処すると、部分転調してるときに企図せず「あやうい音」となり、その結果、スリリングなソロ演奏につながるという。。。

 「ある程度の楽器経験がある人ならば~」と内容紹介にあるとおり、相応の予備知識が求められます。初心者がこの本を手にすると、キビシイと思います。』



これは、どうも怪しげな男ではある。プロファイリングしてみよう。


*oyoyo1 "oyoyo2"さんが書き込んだレビュー (茨城県):


http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A3I9912HXCUIO9/ref=cm_cr_pr_auth_rev?ie=UTF8&sort_by=MostRecentReview



この手の人間にしては、アマゾンへの「こぎぶり評」の履歴が少ない。

しかし、絶対、そんな事はない。

恐らく、別名で、何百という「ごきぶり評」をしている人間ではあるだろう。

そもそも、「ごきぶり評」から、本の「読解力」が一般の人より劣る、というのがわかるし、これは、「禁断のジャズ理論」に冒頭から触れている挫折組で、とにかく「ビーバップ」が難しくて挫折したのだろう。


するとこの“ごきぶり評”に対して、、「そうだ、そうだ!このレビューは正しい!」と擁護する“男”がコメントに登場しているから面白い。


この男もプロファイリングしてみよう。



*春海のた


http://www.amazon.co.jp/gp/pdp/profile/A1924E2C6W5S1K/ref=cm_cr_rev_detpdp




恐らく、これは、ごきぶりレビュー主と同一人物じゃないか。


そうでなかったら、親戚縁者か。

だとしたら、いずれ、彼ら二人は、何らかの犯罪を計画する”仲間”となるかもしれない。

こんなにも、その”感性”が同じなのは、彼らも嬉しくてたまらないだろう。


どうやら、この男は、英会話とジャズギターとブルースハープ(ハーモニカ)に興味がある“青年?”のようだ。

ジャズ・ギターは、ごきぶり評主と同じ「ビーバップ」しか認めない青年のようだ。

なぜ、青年か、と思うのは、TOEICを目指して英単語に興味もあるというわけだし、これが老人だと、キチガイ度が上がるから、「青年」としているわけだが、精神年齢は、「10代」ではある。

いつまで経っても、英語は、何かのテストで高得点を取るだけ、という事でしか目標が持てない、というわけだから、何かしら、それを目標にしないと気が済まないのだろう。


まあ、この男も、“読破”した本をすべてをマスターしたけどねぇ、フフフフ、、、という側からの上から目線で語っているわけだから、“達人”ではある。

(“達人”たちは、アマゾンが好きだ。吉本芸人の小籔 千豊(こやぶ かずとよ、1973年9月11日 - )が、よく“タツ爺”と言ったりする吉本新喜劇の年輩役者がいるが、、、)



いずれにしろ、この「そうだ、そうだ、ビーバップが一番だ!」と、できもしないビーバップを信奉している男もいずれ、英単語を口ずさみながら、ビーバップギターを弾いてデビューするだろうと思われるので、みんな、期待して待つといい。

ジョージ・ベンソンなら、バップ・フレーズをギターで弾きながら、スキャットもする芸を持つが、この男は、これを越える、バップ・フレーズを弾きながら、英単語を3000語くらい叫びながら弾く、という“芸”を完成させてデビューしてくるかもしれないから、これは、相当な芸ではあるだろう。

今後が楽しみな青年ではある。


この事からも、日本のジャズ・ギターオタクは、「ビーバップ、ビーバップ」といい、また、必ず、「おまえ、英単語いくつ覚えているんだよ!」と、ビーバップ・コンプレックス、英語コンプレックスが多いなあ、と思うので、近所で、「君、ビーバップもできないのにジャズを語っちゃダメだよ!」という“変質者”がいたら、「あなた、ひょっとして英語教育にも何か文句があるの?」と聞いてみたらいい。

この二つのコンプレックスは、おそらく、脳の中で、隣同士にあるはずだ。

「ビーバップ・コンプレックス脳」の隣に「英単語コンプレックス脳」が、存在しているはずだから、脳科学者は、これをいつの日が証明して欲しい。


そもそも、「ビーバップ:bebop」という音楽は、1940年代だから、日本では、昭和15年~24年くが、1940年代にあたる。


その「発明」の中心となったのが、アルトサックスのチャーリー・パーカー (1920-1955)や、トランペットのディジー・ガレスピー (1917-1993)だから、1940年の時点で、チャーリーが、二十歳。
ディジーが、23歳。

“天才”たちにとっては、20代というのは、“全盛期”でもある。

しかし、1940年代を現在の2014年から見ると、何年前になるのか?

1940年の始まりの時点で、74年前。

10年後の1950年の時点で、64年前だ。


何か、この怨念が凄いよねぇ。

代々、受け継がれて来た“劣等コンプレックス”という事になる。

その子孫の誰かが、この劣等コンプレックスの流れを断ち切っていれば、ここまで続かなかったはずなのに、彼らの一族は、74年前から、「ビーバップ・コンプレックス」で、「英単語コンプレックス」であったわけだ。

まるで、「オレは東大受験に失敗したが、おまえだけは頼むぞ!」と言い伝えられている一族のような感じではある。

74年の間、一族の誰もいない、という無念の気持ちが子孫まで来ているのだろうか。

どうにかならなかったのかなあ、と憐みの感情しか湧いて来ない。


合掌。



ここで、このメディアリテラシー・シリーズの趣旨をおさらいしておこう。



私は、アマゾンの「ごきぶり評」が蔓延る事を簡単に著者や出版社は容認して、彼らを「ご主人様」にしてはいけない!と主張する立場ではある。

さらに、もう一歩進めて、あまりに性質の悪い「匿名ごきぶり」に、私は、「賞金」を出して、その正体を暴き、私同様に「実名」で、引きずり出そうかなあ、と思ったりしている。

その正体を暴くのに、情報が必要だから、そのための「タレ込み賞金制度」を置くわけだ。


賞金額は、著者側としては、まず「1万円」程度で、出版社という会社組織なら「10万円」ならどうだろう。


もちろん、あまりにも、ふざけた「ごきぶり評」には、個人的にも10万円くらい出してもいいんじゃないか、という気はある。

あんな「ごきぶり評」が、私の死後もアマゾンに残る、というのが、アマゾン“儲け商法”なら、そりゃあ、死ぬ前に、それくらいの賞金を出して、「こいつらの実名、住所氏名、職業の情報を教えてくれた者には、10万円出す!」という広告を出そうか、とは思う。


必要なら、この「ごぎぶり集団」を暴き出す、専門の探偵調査機関を立ち上げ、彼らの正体をこのインターネットの世界へ引きずり出す、という商売も考えられる。

実社会でも、こうした仕事をしている「探偵事務所」はあるわけだから、インターネットの世界でもこれからはあっておかしくない。

「あの、ごきぶり評の奴が誰なのか調べて欲しい。」「はい、1ヶ月の調査で10万円になりますぅ~。その中の3万円ばかりは、タレコミ賞金として使わせていただきます」という事になるか。

ぜひ、こうした機関が、この混沌としたンターネット社会にも登場してくれる事に期待したい。

西部劇で言えば、現在は、無法地帯でもあるからだ。

だからこそ、この「無法地帯」を利用して、大金を稼ぐ、巨大組織も誕生しているわけである。

これは、終戦直後に社会を仕切っていた闇の組織にも似ている。




もちろん、ちゃんとした一つ星評というのもあるわけだから、これとは区別しないといけない。


最近は、私は、“キンドル”を手に入れ、電子本を4冊ばかり購入して、読んだりしてみたのだが、この電子本が、もう、「クソ本じゃないか!」と思うほどの本ばかりで、通常の本が200ページくらいあるとしたら、これらは、30ページ程度だ。

値段的に「100円」前後もあれば、「1000円」にもなる本もある。


彼らの肩書きが「電子本作家」というのだが、本当にびっくりするくらい知能が低い。


その中の1人を紹介したいが、紹介すれば、彼らに「100円募金」をすることになるので、それもできないが、あえて、その王様じゃないか、と思われる人物を紹介しておこう。

私も、ついついタイトルへの興味と安価な事もあって、一冊購入してしまい被害者の1人になってしまった。


http://www.amazon.co.jp/%E6%A4%8D%E7%94%B0%E9%9B%85%E4%BF%8A/e/B00D2MFGCA/ref=sr_ntt_srch_lnk_1?qid=1413566062&sr=8-1-fkmr1



10人が、好奇心で、購入すれば、その日の分だけ彼らにいくらかの「こずかい」が入る。

これが、こうした電子本の商法の一つでもあるだろう。

しかし、最初に、著者のこの映像を見たら、絶対に購入しなかったなあ、という思いはある。

損失は、100円程度ではあるから、これも勉強にはなった。


だから、この電子本の世界は、自分で、騙されるしかないだろう。


(昔、30代の頃、通りすがりに、「100円ちょうだい?」と突然、手を出す少女グループの1人がいた。思わず、100円なら、と上げた事がある。コンビニの前にいたりする。電子本もあんな感じに似た所がある。)


一応、目安として、大量に電子本を出しているわりには、ほとんど何のレビューもない、「一つ星だけのレビュー」があったりするのがある。

これが、「クソ電子本作家」の証明でもあるので、これを目安にしてくれたらいい。

今の日本の電子本の世界は、信じられないくらい無法地帯なのだ。

あまりにも安価だからと、ついつい騙されてしまうのが、この世界の商法だ。


通常の一般の小学生のブログがそのまま電子本になっている、と思ったらいい。(もちろん、売れた本は別だろうが、それは、全体の1%に過ぎないだろう。)

しかし、この電子本の世界では「実名」が必要なので、「ごきぶり軍団」の中から「実名」の電子本作家が誕生するか、と言えば、それはちょっとまた別の次元からの「生物」ではないか、と思う。

彼らは、「実名」を出す事が好きではあるが、これまた、肝心の「知能」がない。


「匿名希望」者とはまた流派の違う、特殊な人種ではないか、とは思う。



こうして見ると、電子本の世界は、黎明期ではないかとは思う。(ただし、実際の紙の本でも出版されている、というちゃんとした電子本もある。)


彼らの電子本を購入し、「なんじゃあ、こりゃあ~!」と呆れた読者が、どうしても無視できず、思わず、一つ星レビューを付ける気持ちはわからないでもない。

実際、それは役に立っている。(だってレビューは、たった1人の一つ星評しか存在しないんだから。)


この一つ星の1票は、「ごきぶり評」ではなく、「真実のタレコミの一票」と言ってもいいかもしれない。


しかし、例外もあって、これは当然、日本の電子本ではなく、全米でベストセラーとなった電子本作家の本という事であったので、1000円くらいだったが、これは、ちょっと勉強になった。

私は、数行だけでも、これまでの自分を変えてくれるような「知識」があれば、その本の価値を認める。

世の中には、本にあった数行で、自分の人生を変えた人はたくさんいる。

これが、CDなら、1曲でもいいし、1曲の中なら、ちょっとしたフレーズの出だしが、最高なら、これで十分、お金を出した価値はある、と思う。

だって、俳句なら、ほんの数行で、何百年も語りつがれているわけじゃないか。

“古池や、蛙跳びこむ、水の音”


という事を言ったら、やたら、有名人の「名言集」を放り込んで、「タメになる本」として、1人で、何百冊も出している“売れっ子?”著者もいたりするので、それはちょっと、あまりにも巧妙な商法ではないかなあ、とは思う。


そういう私にも、「これは、やはり売れないでしょう」という没になったテーマで書いた原稿がちょっとあるので、そのまま、消去するのももったいないので、いずれ電子本デビューをしようか、という気持ちはある。

現在は、まだ、観察中ではある。




私の本は、どれも心を込めて、未来の子供たちへ向けて書いたつもりである。

「禁断のジャズ理論」に関しては、私のプライベートにも触れ、息子の事にも触れた。


こうした本に対して、「無価値、死ね死ね!」としか評価できない、まさに「ごきぶり」に対して、果たして彼らは、この現代に生きる価値はあるのか、と瞑想して見た。

彼らが、著者の本に対して、「死ね、死ね、この著者は死んでもかまわない!もう出すな!」というその心根に潜んだ邪悪な心から関わって来るわけだから、これに対して、私自身も同次元で、「おまえらこそ!」というのは、あまりにも下品ではある。

なら、彼らにもこの世界に生きる「存在価値」を見出さないと、私も彼ら同様、地獄界の住人にしかならない。


しかし、、あれこれ見ていたら、世の中には、こんな本にまで、上から目線で、絡んで来て、自己主張する一つ星ごきぶりもいるのに驚いた。



http://www.amazon.co.jp/%E3%81%8F%E3%81%98%E3%81%91%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8-%E8%A7%92%E5%B7%9D%EF%BC%B3%EF%BC%B3%EF%BC%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E8%A7%92%E5%B7%9DSSC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%A0%E3%83%83%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%A9/dp/4047315354/ref=pd_ybh_18



この一つ星ごぎぶり評人間が、どんな人間かは、各自が、プロファイリングしてみたらいい。

これもかなりのごきぶり評の書き手ではある。

一つ、その”洗脳テクニック”を教えると時折、「常識」や「正論」を書く事で、普通の人間のように見せるが、そもそも、正常な人間は、こうした大きなお世話な批評活動はしない。


注意しないといけないのは、こうした事を学んでの最終的結論は、常に、「どうしたら、未来の子供たちが、こういう人間にならないようになるのだろうか」という事にならないと、ただの暇潰しである。

あるいは、「なぜ、彼は、どうしても、こうして自己アピールしたがるのか。そういう人間は、何を好み、何を嫌うのか」という視点で、分析するといいだろう。


やってはいけないのは、こうした「ごきぶり」軍団を、彼らのように、「この著者は死ね死ね、何の参考にもならん。生きる価値なし!」という根性を持ってはいけない。

彼らを“無価値”な人間と思う事は簡単だが、それでは、彼らと同類の人間に落ちてしまう。

そこで、彼らは、ぜひとも、未来の子供たち、そして今の自分の反面教師としての“テキスト”提供者として、生きて欲しい、という気持ちに至らないといけない。

ここで、ようやく、彼らにも“生きる価値”が生まれるわけだ。

こう考えないと、私自身も、彼らの世界、”畜生道”の住人になってしまうからだ。

だから、逆に、ああ、今日も、とんでもない「ごきぶり評」を提供してくれてありがたい、という感謝の気持ちが大事ではないか。

この意味から、彼らにも、ようやく、生きる価値、がある、というアイデンティティを与える事ができる。


彼らにとって、著者とその家族は、とにかく死んで欲しい存在でもあるからこその「一つ星ごきぶり評」であるのだろうけど、同じ次元にあってはならない。それでは、自分自身も畜生道に落ちてしまう。

だから、私は、彼らの「ごきぶり評」が、アマゾン社が繁栄する限り、永続するなら、いずれ、息子にも見せて上げようと思う。


「この人たちは、おまえの事に触れた本でさえ、おまえも死ねばいいのに!と思った人間たちではあるけど、おまえは、この人たちも死ねばいいのに、と思う人間になってはいけない。

世界は、ごきぶりもいるから、人間もいて、ごきぶりは、常に、人間が亡びて、死んでくれる事だけを願っているわけだけど、それは、ごきぶりだからしかたないんだよ。

だから、彼らを恨むな。恨むよりも、彼らから学べ!お父さんの死後も彼らは、好き勝手にふるまうだろうが、彼らが、まともな人間として幸せな気持ちで社会に暮らすことはない。

だから、彼らは、ああやって生きているわけだから。いずれ、その精神が彼らの子孫にも伝わり、何かが起きるだろうから、その事を哀れに思いなさい。」


という事を伝えるしかないだろう。

だからこそ、一日も早く、彼らの「ごきぶり評」が、小学校の「メディアリテラシー」の授業のテキストとして使われる日が来て欲しいものだ。

まあ、まずは、高校生の授業から導入してもらいたい。

果たして、この10年内に、実現できるだろうか。

このブログの読者の間だけでも、ぜひ、彼らを色んな意味での「先生」として扱い、学んで欲しいものだ。

もちろん、同時に、「タレコミ賞金制度」「インターネット探偵事務所」と言ったシステムの誕生を期待したい。


*アマゾンの一つ、二つ星のレビューをモンスター・レビューとまだ呼ぶ者がいるが、あれは、「ごきぶり評」と改名したので、今後も「ごきぶり評」と命名してもらいたい。



もちろん、一つ星、二つ星であっても、非常に論理的な「正義の告発」というのもあるので、この両者を区別されたし。

この区別が着くようになるために、こうして、未来の大人のためにメディアリテラシーのお勉強をしているわけである。



今、自分は、この2014年の「今」を生きているが、何か、壮大な未来の“黎明期”に生きている、やがて死んで行く人間の1人なんだなあ、と言う感覚がひしひしと伝わって来る今日この頃である。

あの時代の人達も、みんなこんな感じだったのだろうか。


未来の住人から見ると、我々は、常に“原始人”ではある。



*以下の本は、自分を怒らせた人は、平気で日々生きていて、怒った自分は、そのためにガンになる、という理不尽な生き方に左右されてはいけない、と説いた納得の本ではある。

これにより、1000あった怒りの半分は消えた。

しかし、もしも「怒り」について、本気で学びたいなら、とてつもない修行をするのが「修行」である。

それは、「ジャズ」を学ぶのに、拙著「禁断のジャズ理論」にすべてを託す、というバカげた事とも同様ではあるけど、こうした事もわからない「ごきぶり」が、とにかく、”アマゾンは居心地良いべぇ~”、と思って棲息しているようだ。

”彼らにも生きる権利がある”、とする、民主主義、という社会に、まず、感謝感謝。
















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