2014年01月19日

パソコンと愛情飢餓人の縁



そうだった。今年は、新年早々から、パソコンが「もうお仕事終わりましたか?じゃあ、ちょっとしばらくお暇を取らせていただきます。去年からず〜と休みなしで残業ばかりでしたので。さようなら。」と一言だけ発して、突然、無反応になってしまった。これが新年の4日目。

まあ、幸いにも膨大な原稿はすでに完成し、編集人へ発送済みだったので、さほど支障は出なかったが、メールの送受信ができなくなった。

8日にパソコンを購入した電気店へ行くと、アジャコングに生まれも育ちも体格もそっくりなような若い女店員から、「修理はできますが、中のデータは、すべて失われますが、どうしますか?」と言われ、いやいや、ここにはこの2年ばかしのメールデータや原稿データが入っているので、なんとかならないか?と言うと、「それでは、データだけ取り出す出張サービス会社があります」と紹介されたので、すぐに電話して翌日、出張員に取り出して貰う。

そしてパソコン本体は改めて修理へ。

約2週間掛かるらしい。2010年に購入してある、というので、まだ保証中とのこと。

取り出したのはメールアドレスなどのデータで、実際のこれまでのメールやりとりは消滅。

しょうがない。

別に過去のメールに偉い人とのやりとりもないから、と諦める。

私に「縁をつけたい」と思う人は自分から努力するだろうし、なくていい、と思う人は、なくてもよい人生を送るだろうし。

データはそのまま別のパソコンに移動。、

メールのアドレスを代わりのパソコンに移動するのにも一苦労。

しかし、メールのソフト自体が違うので、アドレスへのアクセスはできず。

現在は、修理に出したパソコン待ち。


そんな時、なんと10日、突然、「今まで、ありがとう。さようなら。」とテレビのハードディスクがアクセス不能になり年末と正月に予約してあった録画番組60時間分が全部パアになる。

なんと年末恒例のダウンタウンの「笑ってはいけない」がパアという大打撃だ。

生きる意欲を無くしてしまったが、こういう時こそ、”災い転じて福となす”ということにしなくてはと、メーカーの人から言われたとおり、外付けのハードディスクを購入することにした。

購入する時、以前から欲しかった「30倍、60倍高速再生」を希望したが、私の勘違いで、音声が早口の高速は、1・3倍から2倍速が限界、とのこと。

何か、ずっと世の中には、30倍、60倍高速、「早口再生」の再生機があると思っていたのだ。

音声が出ない30倍、60倍なら、これまでのテレビの内蔵ハードディスクでも活用していた。テレビでは、1・5倍速までは、早口音声できるから、購入したブルーレイのハードディスクでは、1・3倍速が限界ではある。

それでも同時に3番組の録画は私のような者には魅力だ。

ああ、そうだ。

テレビ内蔵の録画用のハードディスクが壊れた理由は、実はこれが二度目だったのだが、古い番組を録画したままだとハードディスクが壊れる、ということらしい。

内蔵ハードディスクは、こうした古い番組の保存には弱いらしい。

それはわかっていたのだが、ついつい消せない貴重な録画が溜まってしまい、一番、古いのは半年ほど前のものだったりした。

別にあるケーブルテレビの録画ハードディスクの方は、3年前のものまであるくらいだ。

本当は、取り出してDVDに収めておいた方がいいのだが、これがけっこうむつかしく、成功の確率は半々なので、めんどくさくなり、ほったらかしになっている。

おかげで、すぐに「ハードディスクがそろそろ満杯です。これ以上、録画できません。」というような表示ばかり出る。

そのたびに、慌てて番組を1・5倍速で見たり、あるいは、諦めて「削除」している。

一番、居座っているのは「エイリアンVSプレデター」の映画なのだが、これは、どうも消したくない。

かといってDVDを買ったりすると緊張感が薄れる。

今、そのハードディスクで辛うじて録画した松本清張二夜連続ドラマスペシャル「三億円事件」を見ているが、この話が一番、真実に近いのではないだろうか。

最後に松本清張は、事件後すぐに自殺した、ある警察官の息子の話に触れている。青酸カリで死んでいるからだ。現在、これを真実とするジャーナリストがいたので、この調査と全く同じ結果だ。

この警察官は、白バイの隊長、幹部とかで、三億円の犯人の行動と酷似していたのは、その息子で、どうも警察官の父親が青酸カリを利用して、疑いの描けられていた息子を殺害した、というのが現代の真相だと言っていたので、松本清張のこのドラマは、すでにこの話が隠されている。

息子は、不良グループに所属していたし、その不良グループは、三億円事件の何週間か前にも同様に発煙筒を利用した騒動を起こしている、という。

ドラマもこうした真相のキーワードとなる「不良グループ」「青酸カリ」がしっかり扱われている。父子関係が、義理の兄と弟の関係になっているだけだ。

また、実際の三億円半人の有名なモンタージュ写真は、すでにその前年に死んだ男の顔を白バイ警官風に作り替えて世間に公表した、という。
なぜかと言うと、その息子に顔立ちがよく似ていたからだ、という。

警察は、その事実(白バイ警察官の息子が犯人)を隠すために、警察官の息子の顔を出すことをせず、よく似たすでに亡くなっている泥棒かなんかでつかまった男の写真とすり変えて公表した、というわけだ。

すでに亡くなっているので、犯人が簡単に出て来ることもない。

この話を知ってから、テレビの三億円犯人ドラマがバカバカしくなって見ないようにしていたのだが、なんと、松本清張は、すでにこの真実をつかんでいたかのように、当時から、これを下地に小説を書いたとしか思えない。

松本清張と言えば、私は、幼い頃から少し下唇が出ていて、コンプレックスを持ち始めていたのだが、松本清張の写真を見てから、この事に自信を持った。

松本清張の下唇は有名で、私の3倍くらいは出ていたからだ。

松本清張は、中学しか出ていなくて、独学でジャーナリストから作家になった、という点も励みになった。

さて、次は、ビートたけしの松本清張だが、現在、新しいブルーレイディスクレコーダーで録画中だ。

時間が大事なので、リアルタイムでテレビを見ることはない。コマーシャル時間がもったいないからではある。

ドラマ以外なら、1・5倍速で見ることもできるから、時間の節約になる。

これにより通常1時間の番組は、大体40分くらいで見ることができる。

あまった20分では、さらに1時間番組が半分見ることができる。

これを拡大すれば、60年掛かることが、40年で完成する、ということだ。

けっして、年収6000万円が、4000万円になることではない。

また、去年は、年末からか、ガラ系の携帯からスマホに変えた。

これに伴いメルアドも変わったが、困るのは、普段、あまり交流のない人間にメルアド変更の告知をするか、ということだが、これもやめた。

年に1、2度のメールだけのやりとり程度の人間は、そもそも自分には要がない人間なので、こちらからわざわざ告知しないことにした。

まあ、用があるならブログ経由もあるし、スマホは、基本的には現在の自宅教室の生徒とのやりとりやプライベートにも使用されるので人の出入りの新旧交代が激しい媒体ではあるので、常に「今」を忠実に表している。

世の中が自分に用がないなら何日も何週間もメールが来なかったりする。

その意味でも、形あるものは必ず滅びる、という「無常」を表しているように思うし、「縁」というのは、下位の次元にある者から上の次元にある者にはつけられないものであるので、自分から「行動」を起さねば、上位の者の誰ともネットワークすることができない。

オバマ大統領が私にメールすることはないので、私からアクセスする努力をして行かねばならない(アクセスできた頃は、もう大統領じゃないかもしれない。)。

たまに下の者から「縁がありましたらまた」と言われたりするが、そんな”縁”は、けっして起こらない。それなのに、そんな台詞を言うということは、自分の方が「上」から目線で接していた、ということを露呈したようなものではある。

しかし、下の者が上の者に「縁」をつけようとする際は、けっこう気は使わないといけないではある。

意味なく、やたらアクセスしては、単なるストーカーでしかないから、遠慮深い人では、逆に何の縁も持てなくなる。

ということで、何をするにもチャレンジ精神がないと人生を開拓してはいけない、という事は言える。

とはいえ、個人的には、何がなんでも、人生を切り開くのには、友達の数だとか人脈だ、というものでもない、と思ってはいる。

そういう職業や戦略もあるのだろうが、私は職業柄、自分に力がないといけない、という職人的な立場ではある。

世の中は、そうした”職人”を利用して上手く使うプロデューサー的な仕事の人もかなりいるだろうとは思う。

この場合は、自分の実力は関係ない。

ひたすら”人脈”を築いて、人に頼るしかないのだが、これは、近代的ではある。

これからの人は、自分で何かを頑張ってやる、という生き方よりも、人に頑張ってもらって、人に何かをさせる、という生き方の方が成功の確率も高いのではないか。

昔の手順から言えば、まずは”職人”として一流を目指し、それから、”経営者”として他の”職人”を使う、というのが”エリートコース”ではある。

野球の監督なんかそんな感じだが、これは日本だけの話で、アメリカ辺りでは、もう、野球選手としては一流ではなくても、監督業としては一流という人の方が主流だろう。

どちらの生き方がいいかは、わからないが、そもそも人脈が広いからと言って、人生が充実し幸せか、という事も疑問ではある。

人脈が豊だと、そりゃあ、毎日が”宴会”のようで楽しいかもしれないが、人生的にはどうか。

しょせん、個人の力は、店一軒を持っているオーナーの人脈に及ぶ事はないわけだし、人脈豊なそのオーナーの人生は常に「利益」に支えられないと、こうした人脈を維持できないわけで、もしも店がなくなったりしたら、果たしてそこに何が残るか。

それは、まるで”祭りの後”のようなもので、" Party is over!"というような寂しい感情が残るだけじゃないか。

そこに社会的貢献が少しでもあれば、店があろうがなかろうが関係ないのだろうけど、しょせんは、私益のための人脈でしかないとしたら、果たして、成功するには、絶対に人脈か、という事にもなる。

芸人やミュージシャンは、ファンに支えられるわけだが、これは、ファンであって”人脈”ではない。

いくら人脈があっても、売れなきゃどうしょうもないわけで、そうなるとやっぱり、職業的に、人脈とは関係ないという職業もあるわけだから、何が何でも人脈だ、と勘違いしてしまっては、肝心の実力を磨く時間が持てなかったりする。

やはりそこは、実力人気あっての「人脈」ということになる。

じゃあ、そういう人にとっては、友人や人脈は何のためにあるのか、という事になるが、そうなるとこれは、単純に”宴会のため”と言えるかもしれない。

宴会のため、というのは、要するにお酒の飲み友達のようなものだ。

しかし、これも突き詰めて行くと、友達がいないとお酒は楽しくないのか?となる。

そうでもない、という人もけっこういるだろう。

一人が好き、というのは、一応、単純に嫌われ者かもしれないので、置いといて、友達が何人もいるよりは、一人の異性で十分、という人もいるだろう。

西洋文学でも、富を得て毎日のパーティーざんまいの後に残るものは何もない、という話もあれこれある。

そもそも、そうした根源にある「幸福感」を他人に求める依存心はどこから来るのだろうか、という問題もある。

そうしたことを「幸福」とする感情を疑ってみてはどうか。

これは、何かしらの幼児期の愛情に対する飢餓感が影響しているのではないか。

この愛情飢餓感が、自分にとっては何の益にもならない者たちを”仲間”とし、本来、友人にしてはいけない者でもむりやり”友人”とする”弱み”が生まれるのではないか。

悪の道に染まる者などは、その典型ではあるが、たとえ法律的な悪とはならなくとも、自分にとっては何の益にもならない関係というのは存在する。

自分の成長を阻止するような言動をする者なのに、一応、”友人”、”仲間”という枠組みに入れてしまっているわけだ。

本来、友人はその逆であり、また、実際のところ、”友人”とは、同じ目標、趣味を持つもの同士でないと成立しないものではある。

そこに”利害”が存在するのは、すでに”友人”ではなく、それは、仕事上の”相手”でしかない。

これを混同してしまうから、”人脈”が意味をなさないのではないか、と思う。

生きて行く上で必要なのは、パソコンが壊れた時には修理してくれる優秀な出張員であり、もしも、日常で、寂しいという感情が絶えないとしたら、それは、何かしらの幼少期の愛情に対する飢餓感から生まれるのであって、けっしてそれは外へ向けて、”仲間”をむりやり求めるものでもない。

逆に、自分の内部へ向けて、なぜ、それを求めるのかを考えた方が”益”がある。

世の中には、いくら人脈を広げても、な〜んの足しにもならないこともあるどころか、次から次へと不幸を運んで来る”友達”も多い。

「友達にこんなことをされた」と言うのだが、そもそも、そういう者を”友達”と呼んでいること自体が、すでにその人自身が病んでいるのではないか。

この根本的、愛情の飢餓感を生んだそもそもの母子、父子の関係、または家庭環境にメスを入れなければ、問題は解決しない。

もちろん、それは、罪の意識が全くない両親との間で生まれて来るものではあるから、誰が悪いと簡単にはいえないが、無力な幼児にはどうすることもできない、ということでいえば、これは無知な両親の責任ではあるだろう。

すでにそうした飢餓感を抱いたまま大人となってしまった者は、まず、こうした考えがある、ということを認識することから始めないと先に進めない。




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Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00 │教育近況私事件雑談集