2013年02月17日

通り魔事件の考察、野心と挫折とウツと母子の関係

このブログの主催者である「TI-DA(てぃーだ)ブログ」が、去年末辺りからブログ機能をリニューアルし、あれこれとグレード・アップした。

(たとえば、私のような、無差別のテーマには、これまで、どれか一つのカテゴリーに決めなくてはいけなかったのが、関連するカテゴリーをいくつも同時にまたにかけられる、、とか。)

しかし、困った事に「過去ログ」がクリックできなくなっていて、詳細な問い合わせ資格の記入があるフォームのメールで2月13日に苦情を言ったら、ようやく、昨日、あたりから、過去ログもクリックできるようになっていた。

以前のブログ機能では、ちょっとした文章の校正をしただけで、登録読者の下へ「更新メール」が行ったようで、そうなると、一日で、大量に何十通という更新告知メールが発送されたんじゃないか、と思う。

この件では、登録読者へ、一応、お詫びを述べておこう。(このとおり、、!)
実は、私も、このブログ開始から何年か経ったが、なんと、この間、その事に気づいたばかりではある。

(今回、グレードアップしてからのシステムでは、すでにアップしたブログの校正くらいでは、更新告知メールは発送されないようになっているようだ、、、。)。

過去ログをクリックして見る事ができない、という事は、私にとっては、大損失になる。

このブログは、日々の日記ブログというよりも「考察集」みたいなものだからだ。

(読者によっては、ホームページ上の10年前の「時々日記」までさかのぼって読んだりしている、らしい。)

そんなわけもあり、今回、この件で、”てぃーだ”に問い合わせをしたのは、私以外には、あまりいないんじゃないか、と思う。

みんなが苦情を言っていれば、もっと早くで、解決していたはずだ。(三、四日で解決したから私だけが問い合わせたのだろう。)

おそらく、”てぃーだ”が、リニューアルしてからのこの1ヶ月くらいは、私の過去ログがクリックできなかった、と思う。

たまたま、更新が少ないから気がつかなったのだろう。


そんなわけで、過去ログは私の財産でもある。

毎日の”消化更新”ではない。

(基本的にはボケ防止のための更新ではある。しかし、しつこく言うが、ボケは二十歳くらいからすでに始まっている、という!。)


そんなわけで、ようやくブログを更新しようか、と思ったら、またまた事件だ。

これに触れないでは、先へ進めない。


2月12日に起きたグアム事件だ。

ざっと検索した記事を列挙してみる。


『 【グアム時事】日本人3人が死亡し、10人が負傷した米自治領グアム島の無差別殺傷事件で、グアム記念病院は16日、集中治療室(ICU)に入っていた横田美智子さん(51)の容体が回復し、早ければ18日にも退院できる見通しになったと発表した。手続きが終わり次第、帰国が可能という。

 横田さんは12日午後10時20分ごろ、繁華街タモン地区で、チャド・ライアン・デソト容疑者(21)=殺人容疑などで逮捕=が運転する車に夫仁志さん(51)らとともにはねられた。仁志さんはこのけがが原因で14日に死亡。横田さんも病院に搬送されたが、当初は容体が安定していなかった。
 記者会見した同病院最高責任者のバーガ氏によると、横田さんは意識もはっきりしており、家族と会話しているという。 』



『米領グアム島の繁華街タモン地区で12日夜に起きた無差別殺傷事件で、新たに日本人男性1人が14日午前に死亡したことがグアムの在ハガッニャ総領事館への取材で分かった。領事館によると、男性は横田仁志(ひとし)さん(51)。亡くなった上原和子さん(81)と杉山利恵さん(28)=いずれも栃木市=らのグループとは別に現地を訪れていた。

 横田さんは家族で来島しており、暴走車両にはねられて市内のグアム・メモリアル病院に搬送され、集中治療室で治療を受けていたが、14日午前11時20分(日本時間午前10時20分)に死亡が確認された。同事件での日本人の犠牲者は3人となった。

 同病院の説明では、依然として日本人4人が入院中で、うち50歳前後の女性が集中治療室で治療中。杉山さんの長女(3)と次女(8カ月)ら残り3人は、近く退院の見込み。』



以上は、あちこちのニュースから掲載。



*グアム通り魔事件


『グアム観光の心臓部・タモンで無差別襲撃事件が発生

タモンの観光客で最も多いのが日本人。子ども連れの日本人観光客も多い。

日本人女性2人の死亡が確認された』


『他にも日本人12人が負傷して病院に搬送され、うち男性1人が危険な状態。

容疑者は「できるだけ多くの人を傷つけたかった」と供述した』


『容疑者は現地に住む21歳男性。』



『事件の時系列

<1>容疑者が車を運転して歩道に乗り上げ、歩行者9人をはねて雑貨店に突っ込んだ

<2>車から降りた容疑者が刃物で通行人に襲いかかった

<3>その場にいた人たちが容疑者を取り押さえ、警察に引き渡した

<4>被害者は担架に乗せられて、ABCストア前の広場に集められた

目撃者談 - <1>車が雑貨店に突っ込んだ

【事件を目撃した地元住民】
(車に乗り込む前から容疑者は)非常に酔っぱらっていた。

【タクシー運転手】
歩道に立っていたら、青信号とともに1台の車が急にスピードを上げて発進し、自分の横を通りすぎていった。

その後、車は歩道に乗り上げ、歩行者が次々とはねられた。はねられたのは観光客だと思うが、車をよける余裕はないほどのスピードだった。


【愛知県に住む20代後半の女性】
歩道のそばを走ってきた車がいきなり反対車線に入り、歩行者数人をなぎ倒して歩道上に乗り上げた。車から降りた男はどこかへ走っていった。

目撃者談 - <2>男が通行人を襲った

【近くのカフェにいた目撃者】
衝突した車から降りてきた男がやじ馬に駆け寄り、突然、ナイフで刺し始めた。

【現場近くのカフェで事件を目撃した女性】
彼は突進したり、戻ったりしながら、人々を刺していた。

【近くのカフェにいた地元在住の女性】
彼は最初の人を刺した後、別の人に向かって走り出し、その人も刺した。少なくとも4人は刺された。


【別の目撃者】
男が執拗に被害者らを追いかけ回していた。


【現場近くの喫茶店にいた女性】
突然、大きな音がして外に飛び出すと、凶行は始まっていた。(惨劇を目の当たりにして)恐怖で震えが止まらなかった。


【茨城県在住の自営業の男性】
子供たちをホテルに置いて母、妻とともに最後の買い物をしていたところ、観光客の女性らが悲鳴を上げながら逃げてきた。

「何事か」と思い、吹き抜けを通じて1階を見下ろすと、入り口に近い辺りに2、3人が血まみれになって倒れていたのが見えた。


【現場を目撃した男性】
辺り一面が血の海になっていた。おぞましい状況だった。

目撃者談 - <3>容疑者が取り押さえられた

【高松市の美容室経営の男性】
容疑者とみられる人物は、後ろ手に縛られて地面に座り、周囲で現地の人らが「車がつっこんだ」「無差別殺人だ」などと大声で話していた。

【別の目撃者】
事件直後、現場では路上でシートをかけられた遺体、店の近くに放置された青い車、警察に取り押さえられた犯人と思われる男の姿があり、騒然としていた。

目撃者談 - <4>広場で救護が行われた

【現場を通り掛かり、救護に加わった男性】
けがをした高齢女性の脈を取ったが、亡くなってしまった。別の女性は深い刺し傷が2カ所あった。

【近くのカフェにいた地元在住の女性】
日本人のカップルや赤ちゃんを連れた若い日本人女性が倒れていて、1人はすでに死んでいたと思う。女性も息はしていたが、助かったかどうかは分からない。


以上は、以下のサイトより抜粋引用:

http://matome.naver.jp/odai/2136072819890567801



『グアム無差別殺傷事件 容疑者の精神状態「問題なし」と診断
グアム島で日本人観光客3人が死亡し、10人が負傷した無差別殺傷事件で、チャド・デソト容疑者(21)の精神状態は、「問題がない」と診断されていたことがわかった。

デソト容疑者は16日、拘置所の独房に収容されているが、当初、「自殺や他人を傷つけるおそれ」があったため、14日、精神科医が診断した。

拘置所によると、診断の結果、自殺や他人を傷つけるおそれはなく、精神状態にも問題はないという。
また、16日は食事や睡眠をきちんと取っており、精神的な問題は見受けられないという。

一方、デソト容疑者の自宅がある村の副村長は15日、母親と会い、「被害者や家族に謝罪したい」と話していたと語った。

15日、母親に面会した容疑者が住む村の副村長は「彼女は、被害者やその家族に謝罪したいと願っている」と話した。

また地元紙によると、15日に行われたデソト容疑者の自宅の捜索の結果、パソコンなどが押収されたという。』


以上は、どっかのニュースから抜粋。


昨夜のたけしのニュース番組では、犯人の後輩の証言で、彼のガールフレンドが、彼の子を妊娠し、これを勝手に堕ろした、という事で、逆上した、という話が紹介されていた。

そのためか、事件直前に、彼女らしき人とディスコで、彼女の髪をつかんでの口論も目撃されていて、そのまま犯人は、その直後、ディスコを出て、事件を起こしているから、興奮状態にあった、という。

また、ニュースのコメントでは、神妙な態度で、被害者に謝罪したい、と述べている母親は、彼の学校関係の知人からは、母親からのDVや、幼い頃から突然、家を空けて帰ってこない母親の実像も明かされている。

学校での評判の良い明るい性格とは対照的に、こうした家庭問題も抱えている。
貧乏な家庭のようで、現在21歳ではあるが、高校を卒業したのも去年のようで何年も掛かっている。


、、というわけで、私の過去ログを利用すると、なんと、2011年6月25日頃に、今回の事件現場のグアム島に行っている。


実は、宿泊したのは、ニュースでは、あまりホテル名が報道されないが、事件のあったホテルで、お土産を買ったのも、そのホテルに隣接している1Fモール街のABCストアーだ!

そのストアーの前で、事件は起きたようだ。

ニュースでも店が写っていた。

1Fのショッピング・モールにある、コンビニよりも小さな土産店ではある。


2011年7月7日ブログ:

http://sunpowermusic.ti-da.net/d2011-07-07.html


それにしても、何とも、痛ましい事件で、2008年6月8日の秋葉原事件と比較されている。


秋葉原通り魔事件wikipedia:


http://ja.wikipedia.org/wiki/秋葉原通り魔事件




秋葉原の犯人、”加藤智大”については、こんな記事もあった。


『加藤智大を狂わせた“母親の異常教育”
2008年06月20日
ゲンダイネット

 秋葉原で17人を殺傷した派遣社員、加藤智大(25)が警視庁万世橋署捜査本部の調べに「親は嫌いとか憎しみを超えている。他人だ」などと供述していることが17日、分かった。

 今度の犯行が親のせいだとは言わないが、加藤の母親の異常な“教育熱心さ”がクローズアップされているのも事実だ。例えば、週刊現代が報じた加藤の弟の告白にはこんなくだりが出てくる。

〈家族4人で食事を取っていたら途中で母が突然、アレ(加藤のこと)に激昂し、廊下に新聞紙を敷き始め、その上にご飯や味噌汁などのその日の食事を全部ばらまいて、「そこで食べなさい」と言い放ったんです。アレは泣きながら食べていました〉

 サンデー毎日には、近所の主婦の証言として、雪が1メートル以上積もった極寒の日に加藤が薄着のまま数時間も外に立たされていたという話が出てくる。「もういいんじゃない」と声をかけても、母親は取り合わなかったという。親類が「もう少しおおらかに育てたらどうか」と忠告したこともあったというのだ。

 その後、加藤家では家庭内暴力が始まる。加藤は岐阜の自動車短大へ。県立青森高校からはありえないような学校だ。

 警視庁は逮捕直後に親から事情聴取している。動機のひとつに「親への復讐」があったのは間違いない。』



こうした母親からのDVという点で、秋葉原通り魔事件の犯人、加藤智大と、今回のグアム事件の犯人、チャド・ライアン・デソトの共通点が見られる。

母親からの過度の期待と、傲慢で、いいかげんなDV教育である。

人間の自我は、基本的には、母子間を基礎として築き上げられている。

人は、同時にいくつもの顔を持つ事はできない、とされる。

教師であって男性、母親であって女性、という共存だ。

たとえ、様々な顔を持っていたとしても、それは、何層にも積み上げられた結果の顔で、二重人格、三重人格、、といった多重人格者を見れば、そこには優先順位がある事がわかるだろう。

そうしたいくもの顔の根源が、母子の関係である。

母親と息子、または、娘、といった関係から、幼児のすべての社会性がスタートする。

その次に、父親が介入して来るわけだ。

もちろん、最初から母親がいなければ、その役割は、父親になるか祖母、祖父になる人もいるだろう。

母子関係は、人格形成の基礎といえる。

これが、不安定だと、その上にいくら”顔(社会的な役割:男性、女性、恋人、学生、教師、部下、上司、夫、妻、、、、)”を持とうが、”砂上の楼閣”になる。

こうした不適格な母親による母子関係の土台を取り替えよう、と思ったら、よほどの事でないと難しい。

自分の母親は、最低である、という結論を得て、完全に、その”依存”を断たなければいけない。

しかし、そうした正義の教育、という名の下に、DVを行う”傲慢”な母親だからか、この辺も巧妙で、子供をなかなか自立させない。

アメとムチの使い方が上手いから、家庭では、これまた、ストックホルム症候群状態になっているわけで、こうなると子供は、母親の人質のようなものだ。


ストックホルム症候群wikipedia:

http://ja.wikipedia.org/wiki/ストックホルム症候群



こうした通り魔事件を回避するのは、不可能に近いのではあるが、護身的には、人ごみの中に行くものじゃない、そもそも、歩行者天国自体が、そうした狂気を誘うもの、と言う見解もある。

実際、私が、中学1、2年生の頃だから、1972、3年か、地元の那覇市の”国際通り”に、初めて歩行者天国が夜に実施された。(今は、毎週日曜日、午後6時までは、歩行者天国のようだ。)

国際通りwikipedia:

http://ja.wikipedia.org/wiki/国際通り


実験的な実施だったのだろう。
確か、夜遅くまでやっていたんじゃないか。

記憶が確かではないが、常識的に考えれば、午後9時くらいまでだろうか。
感覚としては、もっと遅いイメージがある。

当時、中学2年だったか、私は、中学1年から、フォーク・ソングに夢中で、この歩行者天国での路上演奏に、ただ座って、参加したりした。
(私は、当時は、フォーク・シンガーらしく、下駄を履いていた。。。)

翌日の新聞で知ったのだが、その日、深夜、国際通りにあった映画館「国映館」の裏で殺傷事件があった。


『註: 國映館は、国際通りと浮島通りの交差点近くに1955年に開館した。地上3階地下1階建てのドーム型の建物は、目抜き通りのランドマークとして親しまれてきたが、老朽化と郊外型映画館の影響で2002年に閉館した。』

今では、誰も覚えていないはずだが、確か、深夜の青年同士の喧嘩、ではなかったか。
祭り事は、事件は付きものではある。

グアムの事件があった地区は、観光ホテル街でもあり、通りは、賑やかで、夜は、お祭りのような感じで、日本人が歩いている。
ほとんどが日本人で、関西人であったりする。

関空から3時間半ほどでグアム島だからだ。

しかし、秋葉原通り魔事件の対策は、人ごみ、特に歩行者天国へは行くな、という指摘はあるが、今回のグアム事件は、事前の予防策はない。

現場での即座の対応しか方法はない。

世の中には、どんな時でも、周辺を気にしている用心深い人もいるのだが、こうした警戒心を24時間持ち続ける事は、一般の人には難しい。
こうした対応は、一般の人には無理だから、どうしても避けられない、という事になる。

ただ、訓練によって、人が大勢いると、すぐに回りを気にする体質になる事はできる。

(毎日行く、スーパーマーケットで、こうした事態を、毎回、想定しながら買い物を行う訓練など、、、。この場合、相手は、常に狂人をイメージする。)

しかし、現代日本人は、横断歩道を渡っている時でさえ、携帯電話でメールを打っているくらいだから、そもそもの警戒心はゼロに等しい。

ましてや、旅行先での解放感の中、車で突っ込んで来る、なんてのは、狂気の沙汰の状況で、現場が、パニックになって当然ではある。

秋葉原事件の犯人が、復讐(?)しようとしたのは、平和そうに生きている一般人であるわけで、グアムの犯人は、あまりにも自分の私生活と正反対に楽しそうにしている観光客が対象だったのだろうか。

深層心理の中で、妊娠した彼女と、理想的な家庭を作り、現在の母親から逃げたかったのだろうか。
その夢(?)を彼女が中絶した事で、一瞬にして無くなった事に対する、絶望感か。

中絶に怒りを感じるというなら、新たに誕生する生命に対する畏敬の念を持っていた、という事になる。

じゃあ、その当人が、その夢が叶わなくなった瞬間に、その対極にある殺人者へと変わるのか。

しかし、こうした矛盾した感情は、誰の中にもある、よくある感情ではある。

人類愛を誓い、神を信じる、という信心深いはずの国の国民が、一転して、戦争を支持し、これに賛同しない者をイジメ、排除する。

もっと平たくいえば、お笑いを目指していたが、挫折して以来、一切、お笑い番組を見なくなった、という者もいるし、これはミュージシャン志望も同様だ。

こうした感情は、当然、「幸せになる事を目指していたが、それが叶わなくなった瞬間に、幸せな人を憎む。」という感情に即座に転化する。

人は、自分が愛情に満ちているから他人へもその愛情を分けて与えられる。

自分は満たされないのに、相手に愛情を尽くす、という行為は、これはまた別種のコンプレックス(複雑)感情で、つねに傲慢性を兼ね備えていたりする。

「おまえのためを思って、、、」とか「あなたのためを思って、、」と言った自分の願望の強要から来る心理ではある。

自分が救われたいから、と新興宗教に入信した者が、今度は、他人の勧誘に”生きがい”を見出すのもこの心理だ。

こうした自我を根っ子に持つ者は、望んだ物が手に入らないから、望んだ物を破壊する、という幼児的な行動に出やすい。

買って来たお土産を家族が気に入らない、という事で、お土産を破壊、破棄する父親もいる事だろう。

日本の古い短気な父親像は、幼児性的な自我であるわけだ。

そういう視点で、考えると、これは、夢が敗れたら、自分も危ないな、という者と、ああ、自分は、夢が破れても大丈夫だな、という人間に分かれる。

グアムのこの地区は、観光客が集まる繁華街なので、観光客が、”憎い”という事になるのだろうか。

観光客とは、ほぼ日本人だ。

こうした突発的な恨みから来る犯罪は、どうにもこうにも、対処のしようがない。

(ここで、暴漢対処法を書いたら、世の中が物騒になるので、うかつには書けないし、、、。)

それにしても、翌日には、弟だったか、その結婚式も控えている女性もいて、その女性は幼児の娘を抱きかかえるように守りきるのだが、犯人は、その母親の背中をメッタ刺しにしている。何とも言えない、グアム至上に残る事件となるのではないか。

グアムに似た気候で、同じ観光地の沖縄では、一人旅の女性が、同じ一人旅の観光客の男性に付けられて離島で残忍に殺害される、という事件は、あったが、地元民が、観光客を殺害するという事件は記憶にない。

逆に、あちこちの店等で、怒鳴りちらして、原住民の店員をののしっている客がいたら、100%、外来種、中年観光客ではある。

(先週も午後9時頃、近所のマックス・バリューで、大声で、店員と店長をののしっている中年流れ者風の60代風の男がいた。店側は、平謝りしているのだが、「人間には、尊厳ってものがあるんだよ!」と怒鳴りまくって、なかなか止めないので、店長が、「もう、他のお客さんに迷惑ですから、」となだめていたが、辞めなかった。原因は不明。)

そういう点では、観光地の原住民は、抑圧された感情がある。
商売相手のお客様ではあるから、多少の我慢もしなくてはいけない。

この関係は、基地の米兵を相手に飲み屋商売をしている沖縄市(旧:コザ市)の感じにも似ている。
お客は、基地反対の沖縄というのに、基地の米兵が中心で、そこに依存して生きている。

その鬱憤が、1970年12月20日のコザ暴動にも発展した。
直接、米兵を相手している当事者の経営者たちではなく、それを第三者的に見ている者たちによる米兵への暴動事件だ。

こうした第三者的関係が、微妙に反感を助長するのではないか。
自分は、直接、関わっていないが、第三者的に、これを見ている、という関係ではないか。

たとえば、自分の父親がペコペコしている上司を秘かに恨んでいる息子、、とか。


コザ市wikipedia:

http://ja.wikipedia.org/wiki/コザ市


沖縄市wikipedia:


http://ja.wikipedia.org/wiki/沖縄市



コザ暴動wikipedia:


http://ja.wikipedia.org/wiki/コザ暴動



外国へ行くと、日本人観光客が様々な事件のターゲットにされる事はある。

しかし、グアム事件は、ニュースでは、加害者の母親は、まさか、息子が、こんな事をするなんて、とショックを受けている様子。

犯人もインディーズの映画に高校生の頃、出演している、というニュースが流れているが、これからすると、何か、”野心”に満ちた欲望があったのだろうか。

音楽でもラップをしている映像がある。

彼には、そうした才能があった、と友人は、証言している。

子供には、何者かになって欲しい、とは思うが、それが、プレッシャーとなる期待感は、与えてはいけない。

基本的には、平凡でも、元気に健康で生きて行けたらそれで十分だ、という自我の安定を与えないといけないのではないか。

結果的に、才能に溢れてしまい、何かを成してしまった、というなら話は別だが、常に、「何か、ビッグな事をしなければ、自分は、無価値な人間だ!」と思ってしまう事が、すでに危険信号ではないか、と思う。

自分が成功する事で、DV母親からの賞賛を期待する心理だろう。

母親の情緒不安定な感情が、そのまま子供の自我を作っている。
だから、常に、安定感がない感情であり、躁鬱が激しい。

ここから学べる事があるとしたら、「野心」よりも、「好奇心」の結果、何かを追求するタイプでないといけない、という事ではないか。

好奇心から関わる、という事は、とにかく、それに関わっているだけで幸せだ、という事になるから、成功も失敗もない。

しかし、「野心」が根底にある者は違う。

野心は、結果を早く求める。

地道なプロセスを拒否して、すぐに結果を得ようとする。

だから、地道な”研究”、”修行”ができない。

そもそもの研究心が全くない。

指示されるままの事しかできない。

結果、当然、進化しない。

これでは、最終的には、通り魔事件の犯人のように、「何もできないなら、爆弾を抱えて、みんなも一緒に道連れに爆発すればいいんじゃないか!」というテロの心理状態まで行くのではないか。

秋葉原通り魔事件は、幸せな人たちへの「嫉妬心」とも言える。

最終的に、「自暴自棄」になる心理状態の根源にあるのは何か、という事になる。

それが、二人の犯人に共通の母子関係である。

どうせ自分なんかどうなってもいいんだ、という絶望感、挫折感は、どうせ母親は自分の事を本当は愛していないんだ、という絶望感に同じだ。

そういう意味では、挫折感は、野心から来る、という見方もできる。

好奇心で関わる者には、挫折感はない。

なぜなら、それに関わっているだけで幸せだからだ。

挫折感があるのは、「野心」で関わる者、という事になる。

じゃあ、なぜ「野心」で関わるか、となる。

そこに母子関係が関わる。

母親からの愛情を”一発逆転”で獲得しようとする心理だ。

これが”野心”だ。

野心の目的は、誰かに成功した自分を見せたい、という事になるからだ。

それが、母親である、といえないか。

誰にも成功した自分を見せたくない、というなら野心はいらない。

これも自分の立場を一発逆転で変えたい、という心理だ。

だから、関わる対象は、すべてのその「野心」のための「手段」でしかない。

しかし、好奇心はあるにはあるのだが、「好きでないのに関わっている」という気持ちよりも、「とにかく、これで成り上がろう!」、という”野心”の方が、好奇心をはるかに上回ってしまうわけだ。

だから、稽古に夢中になる事もない。

研究心も一切ない。

すぐに”結果”を求めてしまうから、そこから”焦り”も生じる事になる。

これは、ウツ病も同じ。

ウツ病になる人は、基本的に、”すべて他人のせいで、自分はこうなった”、と考えてしまう思考法の人間だという。

研究心がない、という事は、他者への依存度が高い、という事でもある。

自分で、何かを創造する事ができないタイプではある。

上手く行かない事のすべてが、会社が悪い、上司が悪い、社長が悪い、先生が悪い、となってしまう、という。

こうして、すべてを他人のせいにしてしまうと、自分ではどうする事もできなくなる。

そういう心理状態では、他人が変わるまで、自分の状況は何も変わらない、という”待ち”の姿勢になる。
だから、毎日が、どうする事もできない他人のせいで、イライラし、どうしようもない気分に陥ってしまう事になる。

これを、「ああ、まだまだ、自分が無知で、未熟だから、こんな事になるんだな!」と考えた瞬間から、気持ちが変わる、という。

しかし、これは、自分を卑下している感情とは違う。
もっと、前向きな(修行して直したい、、、)感情だ。

自分を卑下した感情と前向きな自己反省との区別することがポイントだという。

確かに、もっともっと、自分が変わらないとダメなんだな、という結論を導くと、毎日が修行に変わり、他人など、どうでも良くなる。

そこにあるのは、ただただ、どうやって自分を成長させるか、という好奇心だけである。

そういう点から見ると、挫折する人間は、野心と怠惰に満ちている、といえる。

本来、何事も、好きなら、24時間体制で関われるし、そもそも、そこに結果を強く求める焦燥感は、ない。

本当に好きなものは、マンガを見たり、読んだりする感覚ではないか。

それだと、いくらでもできるはずだ。

そうした自我からの感情が、母子関係から生まれる、としたら、そんな母親はいらない、そんな父親はいらない、という自我を手に入れる修行システムが、今後は、必要ではないか。

しかし、昔の父親、母親は、総じて、子供には厳しく、体罰も日常茶飯事ではあった。

それなのに、その子供がみんな犯罪者になった、という事もない。

これは、アメとムチのアメが、勝った、という事ではないか。

愛情は、ムチを打つ側のものではない。

受ける側が感じなければ、それは、単なる体罰でしかない。

そもそも、心は、何もしなくても満たされていないといけないわけだが、しかし、こうした満たされない心を利用して、逆にそのエネルギーを修行に転化する方法もある。

成功した偉人や芸人の多くは、みんなこうした孤独感と表裏一体にある感情で、一つのことに打ち込んで来た結果の人種ではある。

しかし、誰しもが、才能があるわけでもない。

そうした時、人は、何に打ち込めばいいか、となるのだが、そんな自我では、何を目指しても、結局は、”野心”がじゃまをするわけで、焦った感情は、地道な修行事に向かない。

だから、結局は、何事も上達しない。

言われるままの命令にしか従えないロボットとなる。

研究心が全くないから、自立、独立はできない。

という事は、まずは、不安定なもの(傲慢な母親、父親、先輩など)に依存しないことが大事なのではあるが、そうなると、今度は、永遠の安定した自我、の確立、という事になると、これは、宗教の領域になる。

人によれば、新興宗教にも走る。

あのグアムでの、あの現場での高揚感がわかるだけに、どうも何か、幸せから一転して地獄、という顛末が、なんともやりきれない。

不幸事は、常に、幸せの絶頂と表裏一体に起こる、という事をまたしても思う。



合掌





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Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00 │教育時事旅行