2012年11月04日

迷宮入り事件簿:努力と苦労。沖縄は中国。理由なきいじめ。

前回、これからの未来の良い子たちは、もっと、ちゃんとアドリブ修行もして、立派なジャズ・ミュージシャン、ロック・ミュージシャンになろう!という愛情溢れた話だった。(ホントか!?)

そうは言っても、今のCDが全く売れない(?、アイドルは売れているはずだけど、、。)、という「不況?」の時代は、とにかく実力なんかどうでもよいから売れるものは何でも売った方がいいんだ!というのが、根本的なポリシーになっている。

これが、第一ゆとり世代のアラフォーまでを頂点としている感覚ではある。

昔の競争社会の団塊の世代のような敗北感がない。

だから、たとえアドリブは、できなくても、自分は、”ジャズミュージシャンだ”でいいわけだ。

(近年は、「スイングガール」なんて映画が流行ったものだから、個性よりも団体芸、というわけで、アドリブできる人間なん不要な感じだが、そもそも、「スイング」なんかしていない。わかっていないのに、わかったふりをして、未来ある非凡な子供たちを、彼等の指導で、凡人にしているだけである。)

この影響は、お笑い芸全体を見ても同様で、「そ、そ、そんなくだらん芸を開発するのに20年も掛けたのか!」とびっくりするものもある。

まあ、手を替え品を替え、当たるまで、あれこれの品物を仕入れて売る小売店のような感じか。

現代は、売るのに苦労はするが、しかし、それを努力だと勘違いしているのではないか、と思う事も多い。

売れないものを売ろうとするから「苦労」するのであって、そもそも、売れるものを作る才能、技術を得る努力自体が足りないわけである。

レストランなんかで、美味しい料理を作って出す、という目的なら、美味しい料理を考えるまでが、努力という事なる。

美味しければ、売れる(かなあ?)

しかし、まずければ、これを売るには「苦労」する。

なるほど。

いやいや、待て。

そもそも、本当に売れるものは、苦労も努力もいらないわけであるから、ひょっとしたら、苦労や努力をする内は、根本的に、何かがおかしいのではないか、と疑って見てもいいんじゃないか。

(まあ、本当は、”売れる商品”となるのは、大半は、テレビやマスコミでのコマーシャル力だから、宣伝の洗脳力による事も大きい。つまり、モノを売るには、地道な努力よりも、金を掛けた宣伝力が大事だ、という事になる!)

努力なんかいらない、という、その大前提にあるのは、「好きこそものの上手なれ」という言葉だ。

好きな事をやっていれば、どんなに徹夜しようが、それを苦労とも思わないほど熱中している、というのは大正解ではある。

これは、ゲームに熱中している子でも、マンガを読んでいる子でも、さらには、将棋の事を考えている棋士とか、問題ばかり解いている数学者とか、楽器ばかり練習しているミュージシャンとか、み~んなそれを”努力”だと思っていない。

当然、”苦労”でもない。

趣味事は、思考の中では、四六時中の24時間稼働していて、場合によっては、睡眠中の夢の中まで出て来たりする。

だから、好きな事をするには、な~んの苦労もいらない。

マラソン選手なんか、好きでもない人から見ると、あれこそ毎日が”地獄”で、前世で、罪でも犯した罪人で、現世はその償いで生きているのだろう!と思う人もいるかもしれない。

ところが、本人にとっては、ランナーズ・ハイ、という恍惚状態もあり、”極楽”の境地に入る事もある。

座禅を組んでの瞑想があまりにも恍惚状態になり、気がついたら9年くらい経った、という高僧もいる。

じゃあ、努力って何だ、となるので、努力と言えば、子供の頃は、マキ(薪)を背負い、歩きながら本を読む銅像で有名な二宮金次郎のイメージが私の世代には、まだ少しある。

『二宮 尊徳(にのみや たかのり/にのみや そんとく、天明7年7月23日〔1787年9月4日〕 - 安政3年10月20日〔1856年11月17日〕)は、江戸時代後期の農政家・思想家。

通称は金治郎(きんじろう)であるが、一般には「金次郎」と表記されてしまうことが多い。また、諱の「尊徳」は正確には「たかのり」と訓む。「報徳思想」を唱えて「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した。(Wikipediaより)』


でも、これも、”本好き”という視点で見れば、「ああ、歩きながらでも読むほど本が好きな人だったか。」と言う風にしか見えなくなる。

まあ、彼は、”勤勉(仕事や勉強に一心にはげむこと)”という事になっているから、”努力”とは違うかもしれない。

二宮金次郎でなかったら、”努力”で有名なのは、発明王のエジソンの言葉だ。

「天才は1%のひらめきと99%の汗」という言葉である。

しかし、この言葉が、怪しい、という。

以下だ。

『「天才は1%のひらめきと99%の汗」 (Genius is one percent inspiration and 99 percent perspiration.) という有名な発言は努力の重要性を物語る発言として広く知られているが、エジソンの熱心なファンである浜田和幸の説によると、この言葉は「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」との意味であるという。

その説がTVで紹介され、ネットでも誤訳であるという説が一般的になっているが、実際は現代アメリカでも「天才には努力が必要」の意味で用いられている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/トーマス・エジソン


というわけだが、エジソンと仲が悪かった、という元従業員の天才発明家にニコラ・テスラという人がいる。

これが、この言葉を否定している。

『ニコラ・テスラ(英語:Nikola Tesla/1856年7月10日 - 1943年1月7日)は、19世紀中期から20 世紀中期の電気技師、発明家。交流電流、ラジオやラジコン(無線トランスミッター)、蛍光灯、空中放電実験で有名なテスラコイルなどの多数の発明、また無線送電システム(世界システム)を提唱したことでも知られる。磁束密度の単位「テスラ」にその名を残す。

8か国語に堪能で、詩作、音楽、哲学にも精通していた。

テスラがエジソン電灯に入社した当時、エジソンは既に研究者・発明家として実績を積み重ねており、テスラがエジソンに対して憧れや敬意を持って就職したのだとしても何ら不思議はない。

給与未払いなどの話も残るが、一般的に両巨人の確執は主に「直流と交流との確執」から始まるとされている。


(中略)

エジソンの名言「天才は1%のひらめきと99%の汗(努力)」を聞いたテスラは、これを皮肉って「天才とは、99%の努力を無にする、1%のひらめきのことである」(「天才とは、1%の直観と99%の徒労である」とも)という言葉を残した。

とはいえ当のテスラ自身はエジソンの工場に勤めていた頃、毎朝10時半から翌朝5時まで研究改良・製作に打ち込み続けた努力家であり、エジソンが「貴様にはかなわない」と言ったと伝わる、つまりはひらめきだけではない、努力の人でもあった。

後年エジソンが語った所によると、件の「名言」は取材した記者がエジソンの発言を努力賛美の発言のように勝手に書き換えたものであり(「天才は1%のひらめきと99%の汗」の真意)、エジソンの発言趣旨は「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」という、極端に言うならば努力の否定(発想・天才の賛美)に近いものであった。

つまり「結局、それを生かすひらめきがなければ、そこまで積み重ねた努力なんて全部無駄」「努力をどれほど重ねるよりも、たったひとつのひらめき(発想・発明)のほうが局面打破できる」というテスラの皮肉はエジソンの真意と、実は同意であったという事になる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ニコラ・テスラ


そんなわけで、エジソンでさえ、真意は、99%の努力よりも、大事なのは、ヒラメキだ!と言う主張をしていた事になる、というわけだ。

世の中には、それだけの努力していながら、何の実りもない人生を送る人が主流だ、と思われているが、はたして、本当に努力しているのか、という問題もある。

”努力”を辞書で引くと、「目標実現のため、心身を労してつとめること。ほねをおること。」とある。

つまり、ここでのキーワードは、”目標”だ。

となると、今度は、じゃあ、この”目標”が、正しいか、となる。

立派な芸能人、あるいは、お笑い芸人になる、とか、自分が正義の人だと思う人は、警察官になって、繁盛している店の前の違法駐車や、渋滞中の車の脇をすりぬけるバイクを取り締まる!と言った目標もあるかもしれない。

私の聞いた例では、”将来、タクシーの運転手になりたい!”と言って、無事、自己実現した若者もいる。

(ロバート・デニーロの「タクシードライバー」を見たわけでもない。)

彼も、何の努力もいらなかったんじゃないか。。

(しかし、ロンドンでは、タクシーの運転手になるのは、相当に難しい国家試験らしい。ロンドンの複雑な道をすべて頭に入れなくてはいけないそうだ!)

向いていない事に対して、これを「目標」にすると、苦労する、という事になるが、今の時代は、向いていない上に、努力もする事もなく、ただ、ひたすら、人前に出て、アピールをする事だけが、戦略となり、何でも数打ちゃ、当たる、と思ってやるしかない、と思っているからこそ、頑張っていられるんだろう。

だからこそ、え~、こんな芸で、そんなにアピールするのぉ~!となるわけだ。

この状況は、まさしく終戦直後の、とにかく食うためにバンドをやるしかない、という時代にも似ていて、当時は、とにかく、みんな食うために、楽器を手にしていて、楽器さえあれば、すぐに進駐軍ためのバンドマン稼業だ。

まあ、”乞食とバンドマンは、三日やったら辞められない”、ということわざもあるくらいだ。(??)

よく、「酒でも飲まなきゃやってらんねぇよぉ~!」なんて台詞があるが、これが現代では、「バンドでもやらなきゃ、やってらんねぇよぉ~!」という事になるのだろう。

まあ、人生は、何でもいから、楽しきゃいいいかあ。

「私、シャンソン歌手よ!」と、おネェ族を認めないカマ族のピーコ氏が言っても、まあ、世の中は、言ったもんがちではある。

非常に現代を象徴している人物である、とは思う。

でもまあ、そろそろ次の時代じゃないか。

もちろん、こうした一世を風靡した考え方が、何年か後、地方に根付くわけであるから、地方は、これから、どんどん、そういう人たちが増えるんじゃないか。

さらに、あれやこれやと、物資は、北から南に流れ着くわけだから、南の島には、50年ばかし遅れて何でも揃う事になる。

これで、みんなハッピーで、めでたし、めでたし。


、、、というような事でいいか、と思っていたら、沖縄県知事の仲井真知事が訪米した、というニュース。

『仲井眞 弘多(なかいま ひろかず、1939年8月19日 ‐ )は、現沖縄県知事。報道などでは新字体を用い仲井真 弘多とも表記される。』


そこでの米人記者軍団とのやりとりが流れ、ある記者が、「中国人に聞いたら、沖縄は、元々、中国の領土だった、という。そして、現在の沖縄の人のほとんどは、日本の領土になるのが嫌い、という話があるが?」と質問して来た。

これは、そもそも、沖縄の人間は、共産主義の中国人になりたがっている民族じゃないか?と遠まわしに言っているようにも聴こえる。

元々中国の領土→県民が本土が嫌い→中国が好き?という誘導尋問だ。

これに対し、仲井真知事は、さらにいっそう顔をゆがめ、「そんな事はありません!沖縄の人は、誰も中国がいいと思ってはいません!」と答えていた。

こんなディベートのやりとりがあるか。

日米間の密約の話も公表できなかったのか。

また、ある米人記者は、「そもそもこれは、沖縄と日本本土の問題で、米国は関係ないのではないか?」と言っていた。

まさに正解だが、だからと言って、東京で、「沖縄にオスプレイ反対!」というデモ行進も聞かない。

仲井真知事は、「オスプレイで凧を上げての抗議は危険だから辞めて欲しい」という見解を、その前には出している。

そもそも政治家では拉致あかないから市民が行動しているんじゃなかったか。

まあ、元々、「密約」も、自民党政権での話で、自分自身も自民党から出て来たので、ようやく、民主党政権になって、国に対して文句が言えるようになったから、県民に対して、「国はけしからん!」と面目が保てたわけである。

それにしても、沖縄の人は、本当は、中国人になりたいんじゃないか?と言うアメ~リカ人記者がいるってのも凄い情報だ。

そうこうしている内に、またまた酔った米兵が、民家に侵入し、中学生から女性から暴行三昧。

酔うと、深層真理にある植民地意識が出て来るのだろう。

日本国に言われて、この国を守りに来たのに、この扱いは何だ!と言う教育を受けているはずだ。

こうした問題も解決できないまま戦後67年、次の世代へと継続か。


ア~メン。


そんな中、権威主義体質のNHKのアナウンサー体質は嫌いだが、NHKスペシャルで、またまた、いじめの問題の番組を録画していたので見た。

1995年にすでに、これほど、いじめの核心に付くドキュメント番組が放映されていた事に驚いた。

NHKスペシャル(アーカイブ1995年) 「いじめ 子どもたちのSOS:チャンネル」

(Eテレ放送日時: 2012年11月10日(土)午前2:00~午前3:10 [金曜深夜](70分))

『番組内容:大津の中学生いじめ自殺から1年、94年に亡くなった大河内清輝「おうこうち・きよてる:1980年生」さんの両親に届いた千通の手紙を取材したNスペから子供を救う道を考える。ゲスト:大河内祥晴、江川紹子』


『大河内清輝: 1994年11月27日深夜、愛知県西尾市の市立東部中学校2年の大河内清輝君(13歳)が自宅裏庭のカキの木にロープをかけ首吊り自殺。姿の見えなくなった息子を探していた母親(当時44歳)が発見した。死後、遺書が見つかり、その悲惨ないじめの事実が社会に衝撃を与えた。』

番組の中で、ショックだったのが、なぜいじめに遭っている事を親に言わないのか、という問題に子供たちが手紙で答えているその理由だ。

一つは、自分を育てるのに、苦労している親を悲しませたくない、というのだ。

自分の顔を見る事で喜んで働いている父親や母親に、知られたくない、と言ったものだ。

あるいは、学校でのいじめを家庭にも持ち込めば、もう、自分の居場所はどこにもない、せめて、家の中だけは、そういうことも忘れらさせてくれる場であって欲しい、というものだ。

この二つの意見が、いじめられる子の心理を象徴しているように思えた。

また、話しても、「それくらいで負ける子ではいけない。いじめ返せ!」という親も拒否されている。

その結果、いじめられていても、親に内緒にし、最後は、自分で、死を選ぶ子供たちだ。

今でも清輝君の母親は、全国へのいじめに遭っている子供からの手紙へ必ず書くコメントが、「あなたは悪くないから自分を責めないでください。一人で背負いこまずに、少しだけ勇気を出して、心の中の辛さを話してください。」という。

こうして、他のいじめられた子供たちを通じて、何も言わずに死んでいった息子へのなぜ、という問いかけは今でも続いている、という。

現在でも、根本的には、そうした学校でも義務として通うことを前提としている”常識”があるから、何の解決策も出て来ないのではないか。

大人になれば、小学校や中学校時代の同級生なんかと付き合う可能性は、ほんの1%もない。

大抵は、高校時代、あるいは大学時代の仲間だろう。

それさえも、ない、という人も多々いるだろう。

私なんかでも、いまだに、小学校や中学校の同級生に会う事は、まったくと言っていいほどない。

50年に一度、5分くらいは会うかもしれない。

人生に取って、その程度の関わりしか持たない人たちに、いじめられて、自殺する、という事自体、そもそもの、「学校へ行かなくては勉強や人間形成ができない」という大前提からして、おかしくないか、と思う。

勉強は、インターネットや通信講座の時代でもあるから、学校は不要だ。

人間関係なんか、なんらかのサークル活動や運動サークルで十分だろう。

しかも、同じ歳の子供ばかりが集まる必要もない。

昔のストリートの子供のように、学年は、いろいろいた方が、それがそのまま「社会経験」になる。

すでに、17年前のドキュメントで、その実体の答えが出ている、というのに、解決法はいまだにない。

人間は、差別する生き物である、という三田誠広氏と西部邁氏の「闘論:息子の教育」では、語りあっている。

人間は差別する生き物であるのに、これを近年の教育の平等主義が否定した。

そのため、「差別したい。いじめたい」という感情だけが残った。

昔のいじめは、ちゃんと理由があった。

相手が、貧乏だから、とか、肥満だ、とか。

だから、昔の正義の味方は、理由がはっきりしたイジメなので、「貧乏で何が悪いんだ!」とか、「太っていて何が悪いんだ!」と、いじめられている子を助ける事ができた。

しかし、近年の平等主義の教育のために、そういうものはないんだ、という事になった。

それで、今度は、いじめたい、という願望だけが残り、理由も不明ないじめが始まった、という。

「あいつウザイんだよ!」という理由だ。

みんな、いじめられる理由が明確には、わからないから、自分も何時、いじめに遭うか、と怯えるようになった、という分析だ。

となると、昔、「理由なき反抗」、という映画があったが、これが、現代では、「理由なきいじめ」という事になるか。、






そもそも、なぜ、こうした子供たちが、生まれるか、キレる子供が育ってしまうのか、という根源的な問題を母子間のふれあいで探った一冊の本に出会った。

3歳くらいまでの母子の関係が、後後、大きな問題となって大人となって行く子供たちに影響する事を指摘した本である。

私が、探っている、キレる5歳児、という事の探求のひとつの回答にもなっている。

これを読む、読まないでは、子育てにも大きな影響が出て来る、というものだが、まあ、誰も関心を示さないではある。

そもそも、いじめる側の子供たちの方が多数派なんだから、こうしたすべての親たちの無関心な反応は、その子たちの親である、という事の証明にもなってしまうだろう。

こうした親の子が、イジメをし、インターネット上でもさらに、その餌食となる対象を見つけ、少数派を攻撃する、というわけだから、まさに、学校でのイジメと、同じ構造が展開される事になる。

集団の意見に同調し、一人の人間をいじめる、という構造は、インターネット上の誹謗中傷そのものの構造でもある。






l=as1


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Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00 │教育戦争と平和