2011年04月29日

ついに売り上げランキング全国1位!只今営業中!


4月28日の木曜日、地元の新聞一紙の朝刊に営業の”甲斐”があってか、本の出版の記事が掲載されていた。
掲載されていたが、まあ、音感本を出した、という程度のちっぽけな記事。

制作に関わった女性ピアニストとボーカルが、本を持っての写真付き記事。

しかし、このページは、ローカルな話題とか、そういう感じのページじゃないか。
今日は、地元のどこかのスナックのマスターが、自作のCDを出した、という記事もあり、まあ、それと同じ程度の扱いだ。

地元の人間が、こうした本を出した、という強調すべきポイントもない。
しかし、まあ、とりあえず、記事をコピーし、貼り付け、手書きの広告ポスターを作り、これをコンビにでコピー。

写真付きの新聞記事のコピーは、意外に繊細な写りなのだ。

28日に、アマゾンと楽天にて、譜面部門第一位のセールス・ランキングという。
さっそく、手書きで、このことを大きく書き記し、近所の大手の本屋にサンダル履きで営業に出かける。

まずは、オーナーが生徒でもある老舗楽器店(高良楽器店)。
その日、事前に午前中、「本が入荷しました!」というメールは貰っていた。
4月25日の発売日と言っても、沖縄は、5日ばかり遅いが、28日入荷は、意外に早い。

楽器店では、何と店頭に本が10冊ほど積んであった。
おお!、と手書きのポスターを渡し去る。

ついで、その近くの大手のジュンク堂へ。

いつもの3階へ上がり、音楽書の棚を見るがない。
備え付けのパソコンで検索すると、前日に7冊入荷とある。

しかし、どこを探してもない。
それで、レジの女子店員に「”大人のための音感トレーニング本”は、入荷していないのか?」と尋ねる。

するとしばらくして、「入荷しています、持って来ましょう」と男子店員が言うので、「えっ!探したけどなあ。一体、どこにあるの?」と一緒に着いて行く。

何と、いつもの棚ではなく、その裏の方の棚のずっと奥の外れの方に「音楽理論書、楽典」などと言う小さい棚がある。
専門書のコーナーだ。ここまでやって来る者は、専門家でもない限り、そうそういない。
そこに5冊ばかり並んでいた。

これでは売れん!と、若い店員に「こりゃあ、ダメだ!ちっともわからん!」と言ってポスターを渡す。
どうやら芸術関係の担当責任者らしい。

ポスターを見て、すぐに理解したらしく「ああ、わかりました、ポップを付けて、もっと目立つところに置きましょう」と言うので、「本当は1階の一般書のコーナーに積んで欲しいけどね!」と言う。

名刺を渡すので、こちらも、めったに渡さない名刺を渡す。
すると、著者であることがわかったらしく、「ああ~!」と言うので、顔を隠し、これからは、黙ってチェックしに来るからよろしく、と言うと、丁寧に返答してくれた。

それなのに、店員に向かって「あれ?名刺もらったっけ?」と、どこへ行ったかわからなくなった相手の名刺をあちこちのポケットをまさぐって探すが、見当たらない。

「ああ、大丈夫です。もう一枚渡しますから!」と再び、貰った。
じゃあ、よろしく、次からは、本人がわざわざ来ないからね!と言って去る。

本屋を出ると、あれ?今、貰った名刺は、どこへ?と探って見るがない。
しかし、すぐに、ああ、素早く財布を出して名刺を入れたのか、と思い出す。

たぶん、財布に二枚入っているだろう、と思いつつ本屋を出る。
この本屋は、頻繁に出入りして、本を大人買いするので、あまり顔を知られたくないのであるが、一応、ゴールデンウィークへ向けての緊急のセールス活動である。(顔を知られたら、変な本が買いづらくなるからだ。)

その足で、今度は、新都心地区のサンエー・メインプレイスのビルの2階にある「文教図書」へ。

ここは、ジュンク堂の50分の1くらいの小さな書店ではあるが、巨大ショッピング・モールのビル内なので、一応、チェック。

音楽書の棚にないので、パソコンを見ていた中年の女性店員に尋ねると明日の入荷と言う。それで、さっとポスターを渡して、「これ、よろしく!」という。
ポスターを見ながら、なぜかニタニタを笑って会釈したので、こちらもニタニタ笑って1センチだけ会釈して去る。

この本屋もたまにウロウロする本屋ではある。一度、マニアックな雑誌を注文したこともある。届くのに時間は掛かるが、本屋に注文すると送料が無料になるからだ。

しかし、文教図書は、この巨大ビルができてからここへ移転して来たが、私の子供の頃は、沖縄1くらいの、もっと巨大な本屋だった。今は、その10分の1くらいに縮小されている。

誰も買わないだろうなあ、と思う思想や文学関係の専門書が多い本屋で重宝した。
一体、ここでどれだけの本を購入した事か。子供の頃からだから一千万円分ってのはどうか。

その足で、今度は、近くの”ツタヤ”に行く。
ツタヤは、趣味のコーナーやスポーツ書のコーナーはけっこう充実しているが、音楽書のコーナーがあまり記憶にない。

相当によく行くが、音楽関係の書は、まったく心当たりがない。ほとんどスポーツ書のコーナーにいるからか。
探すと、音楽雑誌の棚の下のちょっとだけ音楽本が並んでいた。

小さなスペースなので、本は、当然のように入ってないので、男性店員に尋ねると、検索してくれて、パソコンで本を出しながら、「この本は、ツタヤでは扱っていませんね。」と厳しいことを突然言われた。

「えっ?この出版社とは取引してないの?」と男性店員に尋ねると、そうではない、という。
はっきりした理由は、どうもわからない。
とにかく、注文でもしない限り、取り扱わない本だ、という。

すでにバッグからポスターを取り出そうとしていたが、辞めた。
とにかく、ツタヤでは扱わないそうだ。

まあ、恐らく、私の本はツタヤ向きじゃないのだろう。
ツタヤには、音感を良くしたい、と言う客は絶対に来ない、という社の方針だろう。
(単純に、専門書だと思っているのだろう。残念だ。)

翌日の今日、29日、教材CDにも参加した女性ピアニストとボーカルが、私の行動を知り、自分たちもと他の地区の本屋に”営業”に出かけた。

私は、今日は、ジュンク堂の次に大きかった近所のトマリン・ビルの3階の宮脇書店へ行く。
レジに若い男女の店員。

トマリン(泊「とまり」地区のビルだからトマリンだ。)の宮脇書店は、2分の1ほど縮小したとは言え、まだまだけっこうな広さではある。

ここでは、いきなり、その女性店員に本はありますか?と尋ね調べさせると、入荷する予定もない、という。
へぇ~、ツタヤと同じか、と諦め、音楽書の棚を探すと、なんと、おなじみのあれこれの本がある。リットー関係の本もある。

そこで、もう一度、レジへ行き女性店員へポスターを渡して、これも入荷するといい!と手書きポスターを2枚渡す。
何やら、もの凄く興味のある風にポスターを見つめ、名刺ありますか、というので渡すと、「あれ?」と本人であることがバレる。

ニコニコしているので、こちらもニコニコして、じゃあ、そういう事で、と言うと、わかりました、と返答してくれた。
やっぱり、私の本にすぐに関心を示す人たちは、何か、明るいオーラを持っている感じである。
ツタヤは、私は会員でもあるが、そもそも音楽書の棚が、雑誌コーナーの下のところで、慌しく、落ち着けないではある。

久々の営業で、10年以上も前にあちこちのレコード店へCDを置かしてくれないか、と手紙を送ったり、電話をしたりとセールスした事を思い出す。

ほとんど門前払いで親切な店もなかった。
まあ、当時から無名の人間のCDが売れるわけもなし。
今だって、アマゾンや楽天に私の本はあるというのに肝心の私のCDがないわけだ!

当時は、一人で、自分という商品をセールし続けて来たわけだ。
協力者なんかほとんどいない。
だから、本屋にセールスに行く、というのは、当時のことを思い出すわけだ。

もちろん、近所の本屋に、本を見つつ、ついでにセールスに行く、という感じではあるが、他人に頼むと、みんな行動が私の100倍くらい遅いので、昔から他人のペースに合わせていられないのだ。

せっかち、ではない。
物事の優先順位をよく知っているわけである。

一般の人は、優先順位が、ちょっと違うのである。
大半の時間を、何か、しょーもない事か仕事に囚われてしまっている。

しかし、こうして本屋を回っていると、今、一つ、時代が遅れているなあ、と言う気がしないでもない。
レコードが無くなり、CDの時代に入ってからは、音楽も通信販売がほとんどの時代に入ったのではないか。
10年以上も前に、レコード店回りをしていた頃と良く似ているシステムではある。

とりあえず、ゴールデンウィーク前という事で、手書きでも良いからポスターを作成し、配ったわけである。
本屋だって、ポスターがあれば、本を売るのに多少は貢献できるだろう。

ゴールデンウィーク前、と言えば、25日には、出版記念飲み会を午後7時から午前2時まで参加スタッフの5人で行う。

その翌日26日、二日酔い気味ではあったが、午後3時からの映画、3Dの「ガリバー旅行記」と終わってからは、3Dでやらない「英国王のスピーチ」をちょっと遠くの映画館に行って見た。

ゴールデンウィークなんかに入ったら「ガリバー旅行記」なんか子供だらけで大変だろうという懸念から。
主演は、なつかしのギャグ満載映画「スクール・オブ・ロック(2003年)」のジャック・ブラック(Jack Black, 1969年8月28日 - )。

「英国王のスピーチ」は、テレビでの録画した西部邁・佐高信の「学問のすゝめ」を付けたら、いきなり、今回は、映画「英国王のスピーチ」が話題、というので、慌てて中断。

これは、今、宣伝しているはずの映画なのに、まだ見ていない、ということで、評論を先に見てしまうので慌てた。
それで、この映画も見ておこう、と思ったわけだ。

その日、映画を見終わり帰宅して、すぐに”「学問のすゝめ」を見たら、西部邁が子供の頃、吃音だというのは、知っていたので、ああ、それでか、と思った。

まあ、評論は、さほど映画を見ていなくても問題はないだろう、という内容ではあった。これは、今のイギリスのエリザベス女王の父親の実話という事で有名なエピソードの映画らしい。

今は、目の前でテレビで、録画した「つながろうニッポン」という今回の震災を扱った4時間くらいの番組をやっているので、ギャグ映画のガリバー旅行記の話はできないなあ、と思うので自粛しよう。

それにしても、あの「スクール・オブ・ロック」のジャック・ブラックは、あれから8年くらいなのに若いなあ、と思ったら1969年生まれとある。

若い頃の西田敏行氏と良く似た演技で、よ~く比較して考えて見ると、両者は区別が付かないなあ、と思うくらいの錯覚に陥る。

ああ、それと、刑が確定したホリエモンのことに触れて下さい、というメールが「てぃーだブログ」の方にあったらしいが、今日は、「朝まで生テレビ」もある、ということで、これを録画して見ようとは思う。
1時間ずつぶつ切りにして録画し、1時間毎に見れば、コマーシャルを飛ばして短時間で見ることができる。

ホリエモンが、有罪か無罪か、裏にどんな権力が潜んでいるかは、私は、素人なので良くわからないが、彼の場合、いきなりインターネットにあの年齢で出て来たので、同世代が、まだまだ元気な年齢だから、ライバルや嫉妬心を抱く人も多いだろうと思う。

彼同様、自分一代で、成上がる人たちも多いだろうけど、昔だから、みんなもっと、密かに暗躍して、そうした若い時代をスルー出来たのではないか。

若くして出て来た芸能人でも、「芸」を見せて、人気を維持しつつ、常に国民の「審査」を受けている。彼の場合は、別に「芸」を披露する職業でもないから、なおさらわかりづらい。

ソフトバンクの孫氏なんかも、ある時期から裏の方へ回って、そうした若い時代を通過させて来た戦略があるんじゃないか。

芸もなく大衆の前に出るってのは、政治家に近い。

芸を見せることもなく、いきなり20代から、目上に対しての失礼な態度もあってか、損したんじゃないか、とは思う。
どっちか一方にしないといけなかったんじゃないか。頭が良くてズケズケものを言うが、態度はジェントルマンであるとか、服装は、ラフだけど、言動は、ジェントルマンである、、と言った、バランスだ。

それが、服装もラフで、言動もラフ、というわけで、やたらと目上の人間に失礼な態度を取ったりするから、それが許されるのは、20代までじゃないか。
20代同士なら、連帯感もあって、みんなで大人に失礼でいい、という成人式のメンタリティーで仲間も増えるわけである。

しかし、そのまま30代、40代で、あのまま、となるとどうか。
普通の人は、コロコロっと変わるわけである。
分別が付かなかった若者も分別が付き始める。

ずっとラフで許されるのは、ローリングストーンズのキース・リチャードのようなロッカーのように、まず視覚的にかっこ良くないといけないのではないか。

さらに、その上にもっと失礼なロックンロールの元祖、チャック・ベリーがいるわけだ。
さすがのキースでさえも「チャックでなかったら殴っている!」と言うくらいチャックは失礼がそのままギターを弾いている。

「おいおい、キース、ちゃんとギター弾けよ、そんなのダメだよ!いいか、こうやって弾くんだよ!」と言うリハーサル風景だ。

(それにしては、本番では、しっかりとキースを立てるから、さすが、芸人としてチャックが親父的ではあるわけだ。キースは、リハーサルでは、いちいち怒っていたが。何しろ、キースの子供の頃からのアイドルが、チャックだから怒るに怒れない。)

そんなわけで、ホリエモンの不幸は、あのルックスで不良ロッカーの態度を気取ったからではないか。
執行猶予なしの懲役2年半だったか。

しかし、それでもまだ道はある。

10年くらいして、再び、あのままの態度で大衆の前に出て活躍し出したら、今度こそまた、再びカリスマになるのではないか。

だって、本物は、昔から、変わらないのが、本物たる所以ではあるからだ。

あの”ロッケン・ロール!”が口癖の日本のチャックのように、である。




同じカテゴリー(自著本)の記事
SNS護身学:Facebook
SNS護身学:Facebook(2020-06-05 00:00)

Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00 │自著本時事テレビ、映画