2017年06月05日

著者へ質問シリーズ「絶対音程感について」

質問1:


「初めての質問を、させていただきます。

友寄さんの、絶対音程感の著書が大変素晴らしいと思いまして、練習しています。

そこで、質問したいことが3点ほどあります。

1つ目は、絶対音程感の定義についてです。

自分はある2音を聞いた時に、その音程を言い当てられる能力だと思っているのですが、正しいでしょうか?

これは、長2度、完全4度といった具合です。」


回答1:


はい、基本的には、それで正解です。

2012年6月、N本K済新聞の記者が東京からベストセラーとなった第1弾の「大人のための音感トレーニング本:音楽理論で才能の壁を破る」(2011年4月25日出版)の取材にわざわざこちらまで出張して来ました。

合気道を少々と、クラシックギターを少々嗜む、という彼は、40歳くらいだと思いますが、最後まで「絶対音程感」が理解できませんでした。

「ああ、新聞記者には理解できないのか、それともK済新聞の記者だからかな?」と、その知性を不思議に思っていました。

出来上がった新聞記事は、送られて来ず、自分でコンビニで買いに行ったら、「誰でもこれでカラオケで高得点!」という記事になっていて、写真の一部は、カラオケ店でどんちゃん騒ぎしているサラリーマンたちの写真でした。

ひょっとしたら本人とその一行のどんちゃん騒ぎ映像かもしれません。

記事の最後には、記者本人の名前を全面にアピールして「***のリポートでした!」みたいない仕上がりになっていました。

記事は、ネットに引用できない、ということで、実物を見せられないのですが、私は、その記事を封印する事にしました。

この本は、小学生高学年辺りからは、理解できるんじゃないか、と思って書いてます。小学生とはいえ、今は、難しい算数の勉強してますからねぇ~。

酔っ払いのサラリーマンがカラオケで高得点取るための本じゃないないですから。

カラオケで高得点取りたいなら、その手の攻略本があります。

それを言うなら、叶姉妹の叶美香は、カラオケで毎回90点以上取りますが、そんな歌よりは、毎回、70点代の点数しか取れない堀内孝雄氏の歌を”お金を払って”でも聴きます。

だから、この概念は、K済新聞の雇われ記者のような頭脳明晰な人たちには、どうしても理解できないのかな、と思ったこともあります。

取材中、一度も「カラオケ」の話は出ませんでしたし、、。

絶対音感は、どんな状況でも、「この音は、ミ、この音は、ソ」と当てて、その音が歌える能力です。

相対音感は、「相対」ですから、何かを頼りに、音を判別する能力です。

この場合、伴奏を聴いて歌う能力ですね。

あるいは、コーラスなんかのハモリもそうです。

つまり、誰かの音を聴いて、自分の音を見つけるわけです。
もちろん、何がドで、何がソかはわかりません。

もしも、この音が「ソ」としたら、という音が出てから、「じゃあ、この音は、ミですね!」となるわけです。

それぞれに不都合もたくさんあります。
それは、本にも書いてある世界ですね。

絶対音程感は、絶対音感が、ドレミファソラシの音の高さを覚えているように、「音程」を記憶しているんですね。
だから、出だしの音さえわかれば、その音を「踏み台」に音程を探る事ができるわけです。

相対音感との違いは、周りの音を気にしない!という点ですね。この点で、絶対音感と似ています。

絶対音感の人も、周りの音は聴いていない場合が多いわけです。

だから、絶対音感の人は、伴奏で、どんな過激な編曲をしても歌って見せるでしょう。
ひょっとしたら、半音違いのキーの伴奏でも、自分だけは正しい音で歌えるかもしれません。

これと同じ事を「絶対音程感」の人も可能なわけです。
自分の歌う「音程」しか気にしてませんから。

だから、周りの音には引っ張られることもありません。

実際、演歌歌手の中には、そんな人が大勢います。
そうでない人もいますけど。

そうでない人は、相対音感ですから、伴奏がいつものと違うと、その伴奏に引っ張られて歌えなかったりします。
また、隣で、別の歌を歌われても困るわけですね。

私の本は、こうした絶対音感の人は神様のような優れた才能の人?という「絶対音感幻想」の日本社会に、すでに「絶対音程感」を所有しているにも関わらず、絶対音感コンプレックスを感じている人たちへの救いと、また、この能力のトレーニングは、大人になってからも身に付きますよ、という事を世界で初めて、説いたわけです。


簡単に言えば、「絶対音感」の人のように、ドの音、ミの音はわからないにも関わらず、「相対音感」の人のように、周りの音にも左右されない、という人がいるわけです。

これが「絶対音程感」の人たちですね。

歌手の中には、レコーディングで何度もミスをするので、難しい箇所では、ヘッドフォンを何度も外し、出だしの音とテンポだけを聴きながら、自分の歌の音程だけを気にして録音したりする人もいたりします。
その方がミスせずに上手く行ったりします。伴奏なんかに振り回されずに、です。

本来、この人たちには、伴奏もいらないわけですね。ちょっとした微調整でベース音を聴いたりしますが、本来、それも関係ない。

そうでないと、高度な伴奏和音の編曲では歌えなかったりしますから。

その意味で、最初からこの概念を理解して、トレーニングすれば、音程が強化されるわけですね。

なぜか、この「絶対音程感」を理解できない人はたくさんいます。

世の中には、絶対音感と相対音感しかない!と、洗脳され続けた結果です。
すべてが、この二種類の音感でしかない、と思い込んでしまっているわけです。

また、そう信じて、音感を説いて来た人たちも、訂正したくないのか、それ以外の音感を認めません。


「著者は、これを絶対音程感と称しています」と言ったりしていますが、こういう事は「称しています」という、自由勝手に選択できる概念ではありません。

これは、極めて、論理的な帰結です。

「絶対音感ってあるよね?でも、ドの音もミの音も覚えていないのに、最初の出だしの音さえわかれば、歌えて、歌が上手い人がいるよね?でも、また、その中に、どんな伴奏でも、ミスだらけ?の即興伴奏あるいは、高度な和音での即興伴奏でも平気で歌える人と、歌えない人がいるんだよ。」という話しです。

この平気で歌える人たちが、自分の「音程」しか気にしていない「絶対音程感」の歌手たちなんですね。

絶対音感の人は、「音程」は、気にしないですよ。

たとえば、「ド」から「ラ」へ飛ぶメロディがあれば、彼らは、それが、「長六度」の音程とかは気にしないわけです。

「ド」と「ラ」の音さえちゃんと歌えばいいわけですから、その時点で、「音程」まで気にする必要性がないわけですね。

もちろん、「絶対音感」の人が「音程」を気にして記憶することもできるでしょうけど、もうすでに彼らにとっては音の正体は判別していますから、それ以上の追求をしないだけですね。

こうした点は、絶対音感は都合が良いのですが、みんな移調に弱いんですね。


この移調能力の基礎を磨くのに、今回の新刊をぜひ毎日、聞いて歌って下さい!






質問2:


「2つ目は耳による音程の判別についての質問です。

自分は、あるメロディー聞いた時に、
集中すると、頭の中に勝手に、音の幅の2つの線みたいなのが浮かんできます。それが繋がって進んで行く感じです。マイケルジャクソンとかには、それを強く感じます。

見えるようにすると、平井堅さんが手を歌うとき、上下させたりしてるような感じです。

けれども、その幅について完全4度とか、短7度とかの名称は思い浮かんできません。

逆に集中していないと、ハーモニーでない単音の、トランペットとかの音が複数に聞こえたり、人の歌声が、いろんな音に聞こえたりします。

すごい、伝わりにくいと思うのですが、この状態は、自分はどういう音感の状態なのかわかりません。

自分は絶対音感は、所有していません。

この状態がどういうことなのか長年わからなかったので、教えて欲しいです。

お願い致します。」



回答2:


「能力」というのは、それが武器になる、というものです。

音を聴いて、色が浮かぶ、という「共感覚」というものがあります。

たとえば、「ド」の音は、黄色、とか赤色とか、です。

それを自慢する人もいるのですが、本当の「能力」というのは、「じゃあ、音を聴いて、黄色が見えたら、それは、”ド”の音か?」ということにならないと「能力」とは言えませんよね。

これは、共感覚が、さらに進化し、「ド」を聴いたら、「カツ丼」を連想する、という事とも同じです。

ある音を聴いて「カツ丼」が浮かべば、それは「ド」なのか?です。

質問では、大勢の人がいて、集中すると、二人の声が音の幅が帯状に繋がる、という感じですかね。

これをどう「能力」につなげるかは、自分の活かし方次第です。

たとえば、オーケストラの指揮者は、20人、50人の演奏の中から、間違った音を発見します。どの楽器が、何小節目の音の和音の中の一音を間違っている、とかですね。

こうなると、これは「能力」ですね。

また、指揮者は、ガン!と一つのドミソの和音が鳴っただけで、どの楽器がどの音を担当したかを一瞬で見抜いたりします。

これもオーケストラの団員が20人から50人くらいいると思います。

また、平井堅さんの手の動きですが、この振り幅は、実際の度数に対応しているのか、単に、音程が取りづらい時だけ、大きく振っているのか、です。

長2度上の音程よりは、長6度の音程の方が、手の振り幅が広い、とかですね。

ひょっとしたら、ちょっとした手の動きで、1オクターブ上の音を歌っていたら、この手の意味の法則がわからなくなります。

ただ、音程を取るのに、身体を使ってイメージする、という事は、正しいとは思います。

上手い一流の演歌歌手の中には、アゴを上手く使ったり、口の開き方で、微妙な音程を表現したりしています。

(美空ひばりさんのアゴと口元に注意!八代亜紀さんでも、天童よしみさんでもいいですが、、、。八代亜紀さんは顕著ですね。)

というわけで、そのイメージ力を「能力」に昇華することです。



質問3:



3点めは、絶対音程感を持っている人達は、例えば、A音を聞いた後に、その後、音程を気にして、歌っているということなのですけど、疑問が1つあります。

A音を聞いた後に保有者の歌手は、自分の出だしの音を確認しているわけですが、その次に、2拍め、3拍めは、A音に対しての音程を、感じているのか、それとも3拍目でしたら、2拍めに対しての音程を感じているのか気になりました。

教えていただきたいです。」



回答3:


「大人のための音感トレーニング本:音楽理論で「才能」の壁を越える!」(2011年4月25日出版)のCD トラック86~87の「総合トレーニング」に、これが、最初の音からではなく、次々の”音のリレー”で音程を見つけていることがわかりますよね?

歌の上手い、というか、音感の良い人は、二つの感覚があります。
ここで言う、最初のA音を基準にしている人は、曲で言えば、常に「主音」を感じる感覚ですね。

これについては、「大人のための音感ドリル」(2016年8月19日出版)の「あとがき」でも触れていますから参照して下さい。

実際にこの「ドリル」を実践すれば、音程感は、「音のリレー」であることがわかるはずです。

たとえば、何かの曲、「ほたるの光」でもいいですが、無伴奏でメロディを歌って見れば、それが「音のリレー」で歌っていると、わかるはずです。

どんなに歌が上手い人でも、絶対音感でない限り、無伴奏だと、最初の音から、微妙にずれていたりはします。
それは、国家斉唱をア・カペラで歌う歌手にも言えますが、あれは、短めなので、何とか、大丈夫でしょう。

まあ、ギターでも、実際のレコーディングでは、1曲毎にチューニングしないと、段々、狂って来ますけど、、。

伴奏が、あると、曲の途中でも、すぐに修正ができる利点はあります。

しかし、あまりに複雑な和音の伴奏では、頼りとなる音がありませんから、要所要所で、主音を確認できるトニックの和音を置いたりしているのが、良い?伴奏と言えるでしょうか、、、。



質問者:

「長文になってしましました。

音楽が大好きなので、是非とも練習したいので、この3点教えていただきたいです。

どうかよろしくお願い致します。」(関東、20代男性)












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Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00 │修行&音楽自著本