2017年01月07日

質問:「禁断のジャズ理論」では、なぜC7なのにB音が使えるのですか?(PS:お礼返信追加)

 質問:



『禁断のジャズ理論興味深く拝見させていただいております。

 ひとつ質問があります。キーCメジャーで出現するセカンダリードミナントをCメジャースケールで演奏する件ですが、FM7に向かうGm7ーC7の部分でBナチュラルの音を使うことに関してはどのような解釈をされているでしょうか?私的には以下のように考えました。

1、本来のコードはG7-CM7であったが盛り上がりポイントを後ろにずらして、解決ポイントも後ろにずらしたため結果的にGm7-C7になっただけ。だからアドリブをするときは本来のG7ーCM7と思ってBナチュラルを使う。

2、1と基本同じで、ブルース色を出すためコードの方はオプショナルにB♭を使用しただけ、フレーズはもともとのBナチュラルを堂々と使える。

3、反対意見としてGm7-C7部分は完全にFメジャーに転調している。よって、理論的にはBナチュラルは使えない。(実際の演奏は自由だけれど、、)

一般的な理論解釈は3が多数かと思いますが、1,2に近いような(堂々とBナチュラルが使える)解釈はあるでしょうか?

コメントいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。』



『友寄様


 こんばんは。早速のお返事どうもありがとうございました。


もし、私の質問の2のようなパターンが想定されるなら、例えばCのブルース冒頭などでも理論上の元のコード進行はCM7−FM7だったものを、好みでC7−F7にオプショナルに変更しただけだったものが、定着しただけ、、なんてことも想定できるかな?と思ったりしました。

一般的な理論では7コードで単独でM7の音というのはNG(テンションとも解釈できない)かとは思いますが、解釈しだいでは理論的にもOKになるのかな、とも期待した次第です。


ブログどのような展開になるか楽しみにしております。

遠方の一読者の私にお返事いただきどうもありがとうございました。』





回答:


最初に、まず、通常では、C7では、Cメージャー・スケールを使わないのが一般の理論でもあり、常識です。(C7は、この場合は、Fのキーのダイアトニック・コードですから、基本的には、Fのメージャー・スケールですよね。ミクソリディアン・スケールですね。B音が、B♭音になるだけのスケールです。)

音階は、和音から発生する、という考え方です。

あるいは、逆でもいいです。和音は音階から作られる、です。

C7のようなDominant 7th(属和音)で、M7の音なんか使ったら、バークリー音楽理論しか知らない人だと、4thのF音も同様に、AVOID NOTE(避けるべき音)じゃないか!となりますよね。


バークリー理論というのは、”赤尾の豆単”みたいなものです。手っ取り早い、受験のための短期戦略です。

一単語、一語訳、、です。

一つの英単語には、一つの訳を覚える、という方式です。


https://www.amazon.co.jp/s/?ie=UTF8&keywords=%E8%B5%A4%E5%B0%BE+%E8%B1%86%E5%8D%98&tag=yahhyd-22&index=aps&jp-ad-ap=0&hvadid=138158055318&hvdev=c&ref=pd_sl_72sxo74kbe_b


これが、バークリー理論のAvailable Note Scale(利用可能なスケール)という理論です。


では、まず、この譜面を見て下さい。

サビの部分のC7の強拍である第3拍目で、M7のBのが堂々と使われていますよね。


○サンタが町にやって来る:譜面


http://ototama.com/music/folksong/score.php?id=148


○サンタが町にやって来る:YouTube


https://m.youtube.com/watch?v=avUAFBLy2y8


○サンタが町にやって来る:wikipedia



https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%81%8C%E8%A1%97%E3%81%AB%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%82%8B


これは、専門的には、”倚音”という使い方ですね。

まず、こうした使い方が、この曲の登場の1934年、昭和9年から使われていますね。

バークリー音楽大学の創立?が、1945年、というのですから、その11年前には、すでに、C7を見て、強拍にM7の音、B音なんかは、平気で使われていたわけです。


○バークリー音楽大学:


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%A4%A7%E5%AD%A6


もちろん、”倚音”としての使い方ですが、いくら、隣の音が、コードトーンであっても、音というのは、時系列ですよね。

ぶつかった瞬間は、ちゃんと、その瞬間の衝撃はあるわけです。

”倚音”というのは、いわば、車と車が、あっ、ぶつかった!と思った次の瞬間、突然、次のシーンでは、二台は、仲良く並走している、というわけです。

緊張緩和を表しているわけです。

”倚音”というのは、そうした印象です。


B音が、半音だけ上のC音に進行するから、強拍でのぶつかりもいいのだ!という理論です。

この考えは、AVOID NOTE(避けるべき音)の考えとも同じです。

C7でのF音の使い方ですね。

また、一体、誰が、その”ぶつかり”の衝撃を”トラウマ”として記憶しているのでしょう。

これが、まず、バークリー音楽大学創立以前の音楽側からの回答として一点。

この考え方は、経過音の考え方とも同じです。

C→B→B♭の進行で、C7内でのアドリブもよくある音使いです。

また、逆に、B♭→B→Cという使い方もあります。

共に、経過音的使い方です。

しかし、B音から次の音への半音進行には、様々な時間差攻撃が可能です。

時間差攻撃が出来る、という事は、そのまま、忘れてしまっても、気にならなかったりします。

たとえ、経過音としてでも、解決はいらない、ということです。

C→B→?


2点目は、倍音、という見地から。

○倍音wikipedia:

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8D%E9%9F%B3


ある1音を鳴らしたら、自然界では、まず、共鳴して、様々な和音が聴こえて来る、という音響学のデータです。

たとえば、低い音のC音という1音をピアノで鳴らすと、簡単に言うと、この1音に共鳴して、Cメージャーという三声の和音が鳴ります。

次に鳴るのが、C7というコードです。

Cメージャーの三声の和音に、B♭という音が加わるわけです。

B音が加わる、CM7というコードではありません。

C7が、真っ先に出来上がるわけです。

C音という1音を鳴らしただけで、C7という四声の和音が聴こえて来るわけです。これを”自然四声の和音”と言います。


*ここで出て来る、C7の中の第3音のE音や第7音のB♭音は、正確な意味での12音の中のE音やB♭音ではありませんが、どちらかというと、近いかな、という程度です。近似値、ということです。


B音は、最初のC音を鳴らした瞬間から、15番目に共鳴して聴こえて来る第15次倍音です。

倍音を簡単に言うと、お風呂場でのエコーとか、鐘をならしたら時の、一体、何の音程かわかない音です。

お風呂場では、倍音が響きまくりますから、どんな音程で歌っても、様々な音が、すでに共鳴して鳴り響きますから、音痴に聴こえません!

つまり、お風呂場では、たったの1音のC音を鳴らしただけで、Cメージャーの和音も、C7の和音も、第15次倍音のB音も鳴り響いているわけです。

しかし、倍音が、ほとんど響かない布団部屋では、こうは行きません。

だから、昔の歌手は、布団部屋で、歌を練習し、響かない部屋でも響く、”絹が裂ける”ような繊細な発声を身につけたわけです。

ビブラートもそんな中から生まれたテクニックです。

これが、第二点。

C7というコードが鳴れば、1音でも共鳴して聴こえて来る第15次倍音のB音が、聴こえないわけはありませんが、これが、聴こえるのは、イヌ(犬)の耳レベルの人かもしれませんが、、、。

C7というコードのB♭音自体、第7次倍音です。低次の倍音と高次倍音の境目です。

一般に、C7に対して、9thの音であるD音が、第9次倍音。

♯11thの音であるF♯の音が、容認されているのも、第11次倍音だからです。

すでに、C音という1音を鳴らしただけで、F♯音も聴こえて来る、というのが倍音の世界です。

C音という1音を鳴らすだけで、Cメージャーという三声の和音や、C7の和音、9thにD音や、♯11thのF♯音が聴こえているわけです。

この延長線上に、第15次倍音のB音があるわけです。

しかし、お風呂場で歌うなら、何でも有りでOKだけど、布団部屋ではダメ!な音が、B音、と音響学的には、なるわけですから、何じゃあ、こりゃ!と、その理論が生まれる環境が大事です。

この事から、音使いというのは、非常に、その時、その時の”環境”や”状況”に左右されるわけです。

というわけで、みんなバークリー音楽大学理論に洗脳?されてしまったわけです。

だから、サンタクロースも町に来なくなってしまうわけです。

理論をひけらかすわりには、”サンタが町にやって来る”という昭和9年の曲でさえ超えられないわけです。(T ^ T)


強拍で、堂々と、倚音として、B音を使ってアドリブができる人には、この話は、どうでも良い話ですが、じゃあ、倚音の使い方は、ジャズ理論で言えば、初級なのか、中級なのか、上級なのか、という事になります。

あらゆるスケール理論も学んだ後に、倚音を学ぶのか、倚音を学んで後に、スケールを学ぶのか?


しかし、昔の人は、倚音から学んだわけです。


ディキシーランド・ジャズですよね。


そうした、様々な、インテリ風理論からの洗脳を溶く第1弾が、”禁断のジャズ理論”なのですが、インテリになりたいアマチュア・ジャズ愛好家からは、「ジャズは、そんな簡単なものじゃない!」と激怒され、プロミュージシャンからは、「あっちゃ〜、誰でも、簡単にプロに成られたら、困るぞなもし、ニャンコ先生〜!」という状況です。

しかし、どんな音であれ、それをカッコよく弾けた者が、その使い手で、次世代の理論になります。

また、複雑な問題になりますが、チャーリー・パーカーを始め、そのコード進行通りにアドリブしている一流ミュージシャンはいません。

もしも、コードにそって、バークリー理論通りにアドリブできる人がいたら、それは、実に、つまらない教科書のアドリブになってしまいます。

たとえば、1小節内に、CM7とC7というコードが2個もあったら、どうしますか?

これが、スローテンポなら、何とかこなせても、早いテンポなら、どうしますか?

じゃあ、こうした進行に対して、1流ミュージシャンはどうした対応をしていますか?

もしも、バークリー教科書通りのアドリブができる人(先生?)のアドリブは、理論信奉者たちからは、支持されるわけですか?

それは、必ずしも、進化の過程で、通過しなければいけないプロセスでしょうか?

こうした、1小節を、バークリー理論通りに弾けないといけないのでしょうか?

これを、ジャズを好きになった初学者にも要求したら、その人は、ジャズをその後も好きになれるでしょうか?

これができないと、おまえのはジャズじゃない!と言っている人がいたとして、しかし、その人のアドリブは、死ぬほど、つまらないのです。

そして、もしも、C7に対して、B♭音を持ったFのメージャースケールではなく、CメージャースケールのB音のアドリブしかできない人は、致命的な欠陥を持ってしまったのでしょうか?

たったの1音の間違い?でアドリブしている人は、もう取り返しも付かない間違いをしてしまっているのでしょうか?

そんな些末な音使いよりも、ジャズ演奏には、もっと大事な要素がたくさんあります。

それが、リズム感、のり、フィーリング、センスの問題です。

これらの問題は、ジャズのアドリブ演奏で、何パーセントの比重を占めると思いますか?

この場合、誰もファンがいないアマチャーの人の演奏は、論外として置きます。

いくら「オレの演奏は、バークリー理論に忠実だから、オレの演奏が正しいのだ!」と言われても、聴く人がいないなら、どうでも良いんじゃないでしょうか。

オタクの人は、たまに、「これは、**の理論を忠実に再現した!」という演奏をひけらかしたりします。

これは、言葉の問題とも同じです。

リアルな言葉使いと、文法的な言葉使いとの差です。

「それは私です!」

という英語を、どうしても、It's me! ではなく、It's I とは言えないわけです。

もしも、言えるとしたら、それは、どんな人か、という問題も発生します。

こうした、言葉使いに、絶対に間違わない事、というルールで、語学を学ぶとしたら、これは、もう、一般には、無理な話です。

また、こうした瑣末?な事にばかり、こだわる人は、語学学習として正解でしょうか?

みんなが、みんな、正しい文法で、リアルな会話をしなくてはいけない!というルールを敷くと、何も喋れません。


私のスカイプ・レッスンでは、こうした30年の悩みを一瞬で、解決しますが、その代わり、すぐに、その代わりの30年掛かる課題を与えています。

こうした文法的な強制や、ジャズ・アドリブの際の厳格な理論”服従”を強いる人って、大学のサークルの先輩とかですよね?

そうしないと、自分自身が理解できないからです。

これを外国人の日本語学習で考えれば、すぐ理解できると思います。

そのサークルの先輩は、日本語の文法書を学ぶしかないわけです。

これを懸命に学び、後輩にも強要するわけです。

そうしないと、自分が学んで来た事が否定されるわけです。

It's me!(それは、オレだ!)の文法的説明ができないわけです。


昭和9年の人たちには、当たり前だったことが、今の人たちには、アメ〜リカの音楽大学に行ってもわからないことって、いかにも、アメリカ以外から、優秀な人が出ないようにしたシステムじゃないか、と思いませんか?

ジャズの1番の課題は、”スイング”です。

そこに踏み込まれたら、彼らも1番、困るわけです。

禁断のジャズ理論で1番大切なことは、このスイングの”のり”です。

このことを、アメリカ側は、内緒にしたのか、はたまた、日本のインテリ側が、苦手な、スイング問題は、問題意識にせず、たったの1音の音使いにこだわる体質にしてしまったのか、、。

個人的には、アメ〜リカの作戦勝ちだとは思います。

非常に、その一番の奥義を教えない、武術的な戦略だとは思います。

こうしたことに、悩む時間を持たないことが、時間を無駄にしないジャズ学習です。

ジャズ・ピアニストの上原ひろみは、そこに気づいてしまったわけです。


*上原ひろみ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%8E%9F%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%BF


*上原ひろみ:YouTube:

https://www.youtube.com/watch?v=KadnVRvO4cM



彼女の放つ1音の間違い音?にこだわる人はいません。

それよりも、圧倒的なスイング感で、すべてを圧倒します。


試に、複雑なスケールや、コード進行はどうでもいいですから、ハトポッポとか、チューリップとかの童謡を、メージャースケールだけで、スイングさせる”芸”を人前で披露してみたらいいいです。

人生で、こんな事、全く、気になりませんよ。

問題は、そう思えない学習法にあるんです。

C7というコードが鳴っていて、この時に、B音を延々と吹くサックス奏者がいて、それを嫌うって人は、どんな人でしょう?

レストランで、BGMとして、音楽を聴きながら、食事を楽しんでいる人でしょうか?

会話を楽しんでいるのに、音楽が主張しては、会話や食事のじゃまです!

とにかく、主張せず、普通の音楽で、スルーできる音楽が、BGM向きです。

音楽理論というのは、こうした、様々な状況を前提に生まれています。

でたらめ勝負のフリージャズでも、ミス音はあります。

デタラメを競っている中で、たまに、間違って、綺麗なC7を弾いたとしたら、それは、ミスコードです。

こんな回答でどうでしょうか?

私なら、子供たちに、どんどん「禁断のジャズ理論」の”理論”で、ジャズをさせたい、と思います。

たったの1音をとやかく言う事より、もっと、もっと大切なものが、99%あるからです。

もしも、こうした1音をとやかく言う人がいたとしたら、私なら、「そんな事より、童謡”ハトポッポ”をスイングさせて、アドリブして見せてくれよ!」と言うかもわかりません。


返信:


『友寄様

 おはようございます。ブログ拝見しました。

とても精しくとりあげていただき、大変勉強になりました。

実は、友寄様のリズムと音感の本ももっているので、そちらもあらためて熟読してみたくなりました。

どうもありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。』(東京 40代医師)
















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