2016年08月01日
バリ島と日本、そして沖縄
Face book:2016年3月17日 掲載
深夜の音楽論シリーズ:
今日は、N村君のレッスンでした。
今日は、最近、気になっているライブハウスとオヤジバンドの関係を話しました。
私の修行時代は、色んなこだわりがありました。
リズムもそうですし、ノリの問題もそうです。
そうした10代からの悩みに結論を着けたのが、自著、「日本人のためのリズム感トレーニング理論」です。
1970年代、こうしたことを気にした人は、当時は、一部の有名トップ・ミュージシャンだけでした。
この現地は、元々、米軍相手で始まったロックやジャズでもあったりで、日本本土とは、観客が違いました。もちろん、米軍基地がある一部の地域だけですけど。
この辺、今のバリ島とよく似た環境でもあったわけです。バリ島の観客が、白人観光客で、ここでは、白人米兵、というわけですけど、、、。
本土復帰した1972年以降は、観客は、日本人観光客限定になりました。
それからは、何もかも、普通になりました。
70年代と言えば、日本本土の洋楽が、世界へ向けて、脱日本人を目指していた頃です。
ところが、本土復帰とともに、今度、ここは、逆に、急速に日本本土化していくわけです。
だから、これ以降、生まれた世代は、全国一律な環境と教育を受けることになります。
どこまで、記憶があるか、ですが、3歳児からは、記憶がある、としたら、やはり、1970年以降の生まれからは、本土復帰以前の環境なんか関係ないですよね。
1970年生まれは、現在、今年、46歳?になりますか。1972年の本土復帰に2歳児です。
私が、中学1年の頃でした。
本格的にギターを始めたのもその頃ですから、まあ、この辺りから、ギリギリ世代に入って行きます。
私の世代は、本土復帰以前の文化で、たっぷり育った世代?ということですね。
お年玉が、全て、ドル、セントの時代です。
だから、私は、私の世代では、当時、ここでは、たった一人のこだわりであり、悩み、問題意識でしたよね。
どうしたら、アメリカ人、イギリス人のように、ロックやジャズができるのか、という問題意識であり、悩みでもあったわけです。
ところが、今は、その習得に失敗した、私より若いおじさん?連合が、昔取った杵柄、と言う感じで、夜な夜なロックしたり、ジャズしたりと、賑やかですよね?
また、こうしたオヤジ連合のライブは、Facebookなんかでも”お友達”がたくさんいますから、毎回、満席状態ですよね?
これは、日々、お友達作りを忘れて、孤独な修行ばかりして来た、ローカルでない、より全国的なプロミュージシャンを目指した者では、太刀打ちできないお祭り騒ぎです。
お友達のいないプロミュージシャンでは、今の時代、観客なんかいませんし、それに、本当に、全国のプロミュージシャンを目指す者にしたら、ライブなんかに、お友達なんか呼びませんよね?
世界的を目指す人は、なおさら親戚やお友達なんか呼びません。
しかし、プロミュージシャンは、ファンがいなくては、生きて行けないわけです。
こうした、すべての人を商売にしないといけない稼業のN村君に、こうした問題を話して見ました。
だから、今、本物を目指した人は、音楽を披露する必要もなく、護身術クラブで、生きてくしかないんじゃないかなあ、と。
この話し、どう思う?と、ベースレッスンも含めて、また、今回も、遅刻も含め、午後2時半から午後5時半までの3時間、語り合いました。
9年目のN村君だから、こうした市民大学な話しができます。
もちろん、40代半ばという年齢と、職業を見て話すテーマではあります。
N村君は、来週も来ます。
来週来たら、ようやく、その次から、いつもの隔週レッスンに戻ります。
*日本のどこかに、私を待ってる人がいる:
https://www.youtube.co/watch?v=VY_kzSqjsYY
深夜の音楽論シリーズ:
今日は、N村君のレッスンでした。
今日は、最近、気になっているライブハウスとオヤジバンドの関係を話しました。
私の修行時代は、色んなこだわりがありました。
リズムもそうですし、ノリの問題もそうです。
そうした10代からの悩みに結論を着けたのが、自著、「日本人のためのリズム感トレーニング理論」です。
1970年代、こうしたことを気にした人は、当時は、一部の有名トップ・ミュージシャンだけでした。
この現地は、元々、米軍相手で始まったロックやジャズでもあったりで、日本本土とは、観客が違いました。もちろん、米軍基地がある一部の地域だけですけど。
この辺、今のバリ島とよく似た環境でもあったわけです。バリ島の観客が、白人観光客で、ここでは、白人米兵、というわけですけど、、、。
本土復帰した1972年以降は、観客は、日本人観光客限定になりました。
それからは、何もかも、普通になりました。
70年代と言えば、日本本土の洋楽が、世界へ向けて、脱日本人を目指していた頃です。
ところが、本土復帰とともに、今度、ここは、逆に、急速に日本本土化していくわけです。
だから、これ以降、生まれた世代は、全国一律な環境と教育を受けることになります。
どこまで、記憶があるか、ですが、3歳児からは、記憶がある、としたら、やはり、1970年以降の生まれからは、本土復帰以前の環境なんか関係ないですよね。
1970年生まれは、現在、今年、46歳?になりますか。1972年の本土復帰に2歳児です。
私が、中学1年の頃でした。
本格的にギターを始めたのもその頃ですから、まあ、この辺りから、ギリギリ世代に入って行きます。
私の世代は、本土復帰以前の文化で、たっぷり育った世代?ということですね。
お年玉が、全て、ドル、セントの時代です。
だから、私は、私の世代では、当時、ここでは、たった一人のこだわりであり、悩み、問題意識でしたよね。
どうしたら、アメリカ人、イギリス人のように、ロックやジャズができるのか、という問題意識であり、悩みでもあったわけです。
ところが、今は、その習得に失敗した、私より若いおじさん?連合が、昔取った杵柄、と言う感じで、夜な夜なロックしたり、ジャズしたりと、賑やかですよね?
また、こうしたオヤジ連合のライブは、Facebookなんかでも”お友達”がたくさんいますから、毎回、満席状態ですよね?
これは、日々、お友達作りを忘れて、孤独な修行ばかりして来た、ローカルでない、より全国的なプロミュージシャンを目指した者では、太刀打ちできないお祭り騒ぎです。
お友達のいないプロミュージシャンでは、今の時代、観客なんかいませんし、それに、本当に、全国のプロミュージシャンを目指す者にしたら、ライブなんかに、お友達なんか呼びませんよね?
世界的を目指す人は、なおさら親戚やお友達なんか呼びません。
しかし、プロミュージシャンは、ファンがいなくては、生きて行けないわけです。
こうした、すべての人を商売にしないといけない稼業のN村君に、こうした問題を話して見ました。
だから、今、本物を目指した人は、音楽を披露する必要もなく、護身術クラブで、生きてくしかないんじゃないかなあ、と。
この話し、どう思う?と、ベースレッスンも含めて、また、今回も、遅刻も含め、午後2時半から午後5時半までの3時間、語り合いました。
9年目のN村君だから、こうした市民大学な話しができます。
もちろん、40代半ばという年齢と、職業を見て話すテーマではあります。
N村君は、来週も来ます。
来週来たら、ようやく、その次から、いつもの隔週レッスンに戻ります。
*日本のどこかに、私を待ってる人がいる:
https://www.youtube.co/watch?v=VY_kzSqjsYY