2016年05月29日

なぜ、ギタリストがピアニストを指導できるのか、の不思議な話:Facebook

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深夜の哲学シリーズ:なぜ、ギタリストがピアニストを指導できるのか、の不思議な話

今日のジャズ・ピアノレッスン:


今日は、先週の振り替えレッスンに引き続き、プロ・ピアニストのS木さんのレッスンでした。

なぜ、ギターの私がピアノのレッスンができるんだ?と、S木さんは、当初(16)年前?、地元のバンドマン・ピアニストに言われたらしいのですが、じゃあ、あなたなら、ちゃんとしたジャズ・ピアニストを育てられるのですか?と、逆に聞き返したい気持ちでした。

もちろん、楽器の初心者となると、同楽器の指導者の基礎指導が大事です。

ピアニストが、ピアノの生徒を教える、と言った図式ですね。

しかし、ある程度の基礎レベルの技術(楽器を弾く際のフォームなど)を終えた人だと、よほどの1流の同楽器の指導者でないと意味がありません。

実際、指導者が超有名、人気プレーヤーだとしても、その人が、良い指導者かどうかは、わかりません。

私が、この事に対して、常に行って来たのは、ピアノの先生が、ピアノの生徒を指導し続けたとして、じゃあ、その生徒が、ジャズやロックのバンドのメンバーとして抜擢されるのは、誰が選ぶからか?という質問です。

これは、ドラムの先生がドラムの生徒、と置き換えても構いません。

ギターの先生が、ギターの生徒を、、としても同じです。

メンバー選びは、そのバンドのバンマスが選ぶわけです。

ピアニストがリーダーなら、ピアニストが、ベースやドラム、あるいはギターを選ぶわけですよね。

リーダーがサックス奏者なら、彼がすべてのメンバーを選ぶわけです。

つまりは、同楽器の推薦でメンバーは選ばれるわけではないんです。

ギタリストが好むドラマーと、ドラマーが好むドラマーは、全く違うわけです。

管楽器も同じです。

さらには、そのリーダーの好みもあります。

通常、ピアニストが選ぶピアニストは、技術が十分で、早や弾きも凄い、というような者ばかりですが、管楽器奏者によっては、「そんなにうるさく弾かないでくれ!」という要求を出す管楽器奏者も多いわけです。

この点、ドラマーなんかは、その典型ですよね。

ドラマーが選ぶドラマーなんて、もう、どれだけ複雑なリズムが叩けるか、あるいは、手数が多いか、でしょ?。

この点では、ギタリストの私からすると、「音がでかくて、うるさいドラムは嫌だ!」というのがあります。

昔、あのロック・ギタリストの神様?のエリック・クラプトンのソロ・コンサートのビデオを見た事があります。

80年代ですか。

そのビデオでは、ツアー中のリハーサル風景なんかも収録されているんですが、あるリハーサルの光景です。

クラプトンが歌った曲の間奏で、ドラマーが、やたら、叩きまくり技をアピールする場面がありました。

すると、クラプトンは、曲をストップさせて、そのドラマーに向かって、「そんなプレイをしたかったら、自分でバンドを組んで、自分のバンドでやれ!」と”恫喝”するシーンがあります。

ツアーメンバーとして雇ったメンバーが、自分よりも目立とうとして、ちょっとしたドラムソロ交じりのプレイをリハーサルで披露した瞬間です。

当然、周りは、凍りつくようなシーンとなりました。

この事は、私の考えを実証しているようなシーンそのものです。

どんなドラマーがいいかは、ギタリストでありシンガーであり、そのコンサートの看板であるエリック・クラプトンが決定するわけです。

けっして、一流ドラマーが弟子を推薦して決まるものではありません。

もしも、先生が、このエリック・クラプトンのツアーメンバー経験者なら、「いいか!絶対に、歌を無視して叩きまくるんじゃないぞ!」という教えをちゃんとしておくべきでしょう。

ところが、同楽器の指導というのは、そういう世界ではありません。

「この技ができるか?」と言った、伝承芸です。

こうした事を20代の時に見抜いて、30代あたりから、ピアニストを教えるようになりました。

ドラマーを教えたこともあります。

ドラマーというのは、本当にその典型で、ビッグバンドでのドラミング、カルテットでのドラミング、ピアノ・トリオでのドラミング、ギター・トリオでのドラミングと、本来、変化させるべきなのですが、そんな音楽性があるドラマーは、一流でない限り、一般にはいません。

この私の考えは、後に、泳げない脳科学者による水泳指導で、金メダルを獲った、北島康介氏なんかの例もあります。

もちろん、妨害して来るのは、既得権を得た、同楽器の指導者たちですが、しかし、ある程度の基礎を学んだ楽器奏者にとって、次に必要なのはこういう”眼”だと思います。

それと、これもよく言い続けた事ですが、「先生は、自分ができない事は、絶対に教えようとしな」という事です。

例えば、私は、ギターでライトハンド奏法という、いわゆるヘビメタ・ギターで主流のタッピング奏法を使いません(本当は、、あまり使わない、という意味なんですけど、、)。

そんな私が、「タッピング奏法をマスターすることが一番大事だ!」という指導をするわけがないはずです。(最近は、わかりませんが、、、。)

自分にできない事を、指導するわけないのです。

人は、必ず、自分の得意な領域を持ちこんで、指導するはずです。

これを”我田引水”と言います。

自分の得意な事しか、話さないし、教えないわけです。

こうした考えが、私が、実際に、「ギター」に限定したテキストや本を書いて来なかった理由です。

ひょっとしたら、10年後くらいに、「ああ、オレの人生もやがて終わるから、最後に、ギターのテキストで、すべての技の秘密を暴露しようか、、」と、実現するかもしれませんが、、、。

(実は、私は、ジャズ・ギターテキストを既に書いています。それが「禁断のジャズ理論」です。あのテキストは、ピアノ演奏をサンプル演奏にしてはいますが、実際にテキストをよく見ればわかりますが、ギターには、詳細なポジションのタブ譜が付けられています。)

実際、マイルス・ディビスも、「そうだ!ラリー、そこで、ベース・ノートを入れるんだよ!」と、起用することがなかった、ギタリストのラリー・コリエルのソロ演奏に対して、マイルスの自宅でアドバイスされた!、とラリーのインタビューにありました。


ラリーは、80年代、マイルスの近所に住んでいたので、自宅に遊びに行き、実際に目の前で弾いて見せたりしたそうです。

ジャムセッションという場がありますが、そこにプロのピアニストがホストとしていた場合、飛び入りで、上手いピアニストが出現した時、この飛び入りしたピアニストに未来があると思いますか?

このホストのピアニストにも、生徒がいるはずです。

ホストのプロ・ピアニストの使命は、自分の生徒を出世させることです。

突然、現れた、自分をも脅かすピアニストを応援するわけはないのです。

しかし、このセッションのホストが、サックス奏者だったとしたらどうですか?

突然、優秀なピアニストが飛び入りして来るわけですよ。

当然、そのホストのプロ・サックス奏者は、その飛び入りピアニストを逃さないはずです。

「ユー、上手いね!オレのバンドで、演奏しちゃいなよ~!」と、その未来をサポートするはずです。

以上の理由で、私は、S木さんの指導を16年くらい続けているのですが、私の誤算は、何事にも臆病な、普通の主婦が来てしまった、という事ですね。

でも、私にも、ロマンがあって、それは、「よし!普通の主婦を一流のジャズ・ピアニストにしてやる!」という野望に取り組んで16年!

有名なジャズ・ピアニストの女性たちは、みんなけっこう個性が強い人ばかりで、まるで、女優稼業のような男まさりの人達ばかりです。

私は、こうした”常識”を、未来の指導によって、ある程度は、覆せる、と思ったんですね。

指導力によって、どんな凡人も、かつての”天才”のレベルまで持って行けるんじゃないか、と思ったんですね。

よく、世の中には、優秀な指導によって、見かけとは全く違うのに、柔道やボクシングが強かったりする人もいたりするはずです。

ああいうような感じが理想です。

もちろん、その人の性格は、なかなか一生?変えられません。

そこで、力を入れたのが、「音感」と「リズム感」です。

一般の人が、天才に恐怖する事があるとしたら何か?

それが、”音感”や”リズム感”なわけです。

そこから、”天才”の解体新書が始まるわけです。

あと30年後の未来では、それを常識とした理論となるでしょう。

私の理論で、30年後は、普通の人が、トレーニングを始めて、5年くらいしたら、50年くらい前の”天才”になれるわけです。(百年以上も前には、音楽の巨人たちがいますが、実際のプレイは残っていません。噂だけです!)


つまり、二十歳の超・普通人でも、数年後には、それなりの一流ジャズピアニストになっているわけです!

もちろん、かなりの努力は必要ですけど、努力の方向性を間違えたら、アウトです。

ちょっとした方向の狂いが、ゴールへの軌道をアウトして行くわけです。

こうした指導が、私のロマンですが、できれば、臆病な性格もちょっと、変えてくれたら、だいぶ、苦労は減るとは思うのですが、、、。



































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