2015年08月02日

友寄隆哉「禁断のジャズ理論」とパタン・プラクティスの違い:Facebook転載シリーズ

Facebook転載シリーズ

Facebook::8月1日:3時29分


深夜の思索シリーズ:ジャズ・アドリブ・メソッドを考える:友寄隆哉「禁断のジャズ理論」とパタン・プラクティスの違い:

昔から英会話のメソッドで、パタン・プラクティス(PATTERN PRACTICE)というのがあります。

良く知られたのが、「How are you?」 と聞かれたら「I’m fine thank you,and you?」と返せ、というものです。

すると、もはや、コメディですが、すかさず、今度は、「By the way ,what time is it now?」と聞け、と言います。

すると、「Let me see,,,,,(ええと、、)」と相手が答えます。

とにかく、この「By the way(ところで)」が日本人は好きです。これでどんどん話題を変えます。話題が続かないからです。

外人(英米人?)からすると、わざわざ自分に時間なんか聞かなくてもいいのに、と思っています。凄いのは、しっかりと腕時計をしているのに聞いたりする、と言うエピソードがあります。

この延長線上に、「レストランでの会話」とか「空港にて」とか、「ショッピングにて」とかいろんな状況設定での会話練習が、テキストには書かれています。

このメソッドが日本の英会話テキスト収集家は大好きです。

新しいのが出るたびに購入して、何十回、何十年と挫折の歴史を積み重ねても、なおかつ、「悪いのは自分の怠惰だ!」と自分を責めます。

そして、今度こそ!とまた新刊に挑みます。
だから、本は毎回売れます。

このメンタリティー(mentality:ある人、あるグループに特別にある考え方の癖)が日本人にはあります。

この体質が、そのままジャズ学習にも持ち込まれます。

本物のネイティブの会話(1流ジャズミュージシャンのCDのアドリブ)は、よくわからないので、人工的で、わかりやすい会話がいい!という事になります。

すると、そこに不自然な流れの台本が生まれます。ジャズで言えば、作られたアドリブです。

この作られたアドリブは、スピーチで言えば、一字一句、きちんと読まなくてはいけないスピーチ原稿のようなものです。

日本人は、とにかく、こうした“原稿”が大好きです。

ところが、こうした原稿をいくら暗記しても、ちっとも自由には喋れません。

英会話も同じです。

[By the way, what time is it now?]と質問した時、自分がしている腕時計を「おまえ、腕時計してんじゃないか」と指差されたら、用意していた会話が成立しません。

あるいは、「オレのか?これはそんなに正しくない、壊れてるんだ」と言われても後が続かないのでダメです。せっかく用意していた答えが出せません。

また、よくあるのは、外人が日本語で答えた時です。あちらはあちらで、日本語の勉強をしたいわけです。

つまり、こうしたパタン・プラクティスでは、臨機応変な対応能力がつきません。

アドリブの場合で言えば、1コーラスは、用意された原稿のような完璧なソロ(スピーチ?)であっても、「もう2コーラス分アドリブしてくれ!」と言われたとたんに、大変な事になります。

まるで、美人に化けて、旅人をたぶらかしていたタヌキの変化(へんげ)の妖術が解けた翌日の朝になってしまいます。

2コーラス目のアドリブから「あれ?何、この下手さ!」となってしまいます。

昔、こういう人がたくさんいました。

コンサートをするというので、曲が決まったら、一生懸命、有名ジャズミュージシャンのコピー譜を手に入れ、1コーラスマスターします。

1コーラスしかしないからです。

長くても2コーラス程度です。

全曲、そんな感じでアドリブをしてコンサートを無事、やり遂げるわけです。

これは「アドリブ」とはいいません。

しかし、昔から日本人は、このメソッドが大好きです。

英会話メソッドの「レストランにて」でも、まるで自分が英語を自由に喋っているかのような気持ちになれるからです。

この話をしたら、じゃあ、なんで、プロがそんなものを書くのか?と聞かれました。

それは、まず、第一に、このメソッドが売れるから、というのが一つ。

第二に、プロにとっては、これは自分のフレーズ作りの勉強になるので、マイナスな作業ではありません。

プロというのは、大体、こんな事を普段からしているものです。

しかし、これは、自分のために作成しているアドリブ・ノートです。

これを一般用に改良するだけです。

こうした英会話テキストを書く大学の先生も同じです。

みんな、いずれは、コントの台本でも英語で書いてみたい、と思っているから、本人の勉強にはなるわけです。

さらにそれがお金にもなるわけです。

私の「禁断のジャズ理論」にも、サンプル・アドリブが各曲に書かれています。

教室では、これを徹底して“暗記、暗譜”させ、付属CDと同じ「ノリ」で実践させます。

「じゃあ、これも同じじゃないか?」と突っ込みが入ると思います。

しかし、そうではありません。

私のテキストは、アドリブのフレーズを覚えるためのメソッドではないのです。

これは、あくまでも、メージャースケールというシンプルな1本のスケールやブルーノート・スケールを利用して、「センス、フィーリング、ノリ、タイミング」をマスターさせるためにあります。

フレーズを暗記させる、ためのものではないのです。アドリブ・センスを磨くためのものなのです。

なぜ、それが可能か、というと、スケール(音階)がシンプルだからなのです。

昔は、ブルーノートスケールのみで黒人の少年たちは、「リズム」「センス」「フィーリング」を鍛えたのです。

これも、理屈は同じです。

スケールがシンプルだからです。

スケールがシンプルだと、左脳を使う必要がなく、その分、右脳(リズム、のり、フィーリング、センス)に集中できるからです。

黒人の少年たちは、みんなこれで、リズム感を磨きました。

私の「禁断のジャズ理論」は、ジャズに通用するために、という事で、メージャースケールを中心にし、そのサブ・スケールとしてブルーノートスケールを追加したわけです。

どちらも、複雑性はありません。だからこそ、抽象度が最も高いスケール、という事になるのです。

それに、メージャー・スケールとは言っても、たったの1音、2音を変えるだけで、様々な特殊スケールに”早変わり”します。

(4大スケールの、Hmp5↓、Alt,Comdim,Whole Toneなどは、その程度の違いです。)

だからこそ、この音階は、抽象度が高いのです。

抽象度が高い、という意味は、より色んな音楽への応用性が高い、という事です。

”抽象度が低い”、という意味は、あまりにも具体的すぎて、他への応用が利かない、というものです。

しかし、これは、悪い意味ばかりではありません。

それが「マニアック」な世界での「こだわり」となります。

一般の人では、その違いがわかりません。

あるいは、他のジャンルが好きな人でもわかりません。

クラシック愛好家が、ヘビメタのこだわりは、さっぱりわからないはずです。

逆も同様です。

ロッカーではあっても、ヒップホップの音楽の違いもわからない人もいるでしょう。

あまりにも、具体的な原稿作りは、応用が利きません。

相対性理論がどういうものかは、抽象度が低いマニアックな話ですが、相対性理論がどのように活用されるかは、一般的な会話になるので、こちらの方が抽象度は高い話題になります。

ジャズで言えば、抽象度が低い、というメソッドは、具体的なコード進行での“アドリブ原稿”にあたります。

スピーチ原稿でいえば、「若くして高校生でできちゃった婚をした友達の結婚式でのスピーチ」という事になります。

通常の結婚式のスピーチでは使えません。

それぞれの各小節に、様々なスケールチェンジがほどこされていては、その曲にしか通用しない原稿になりがちです。

もし、部分的に他の曲でも応用が利く、というのなら、それは、自然な流れを無視したフレーズです。

そのフレーズが生まれるには、その前後の流れがあるはずです。

これをコンテキスト(CONTEXT:文脈、前後関係)といいます。

”RUN”という単語は、これだけでは、本来、全く意味がわかりません。

「走る」という意味もありますし、「経営する」という意味もあるからです。

He runs,,,,,と言われても、まだわかりません。

He runs the restaurant!と言われて、初めて、彼が、このレストランを経営している事がわかります。

He runs every day! と言われれば、ああ、彼は、毎日、走る事を習慣にしているんだな、とわかります。

だから、フレーズと言うのが出現するには、コンテキストが大事です。

という事は、どこでも、そのフレーズを簡単に使えるわけではない、という事です。

この曲のこの部分のフレーズを、同じコード進行のこの部分に、突然、使って見よう、という事は、とても奇妙な事になります。

つぎはぎアートのパッチ―ワークのような世界でしょうか。

また、音階のチェンジというのには、トリックがあります。

抽象度の低いアドリブ原稿は、そこに、チャーリーパーカーなりのフレーズが丸ごと使用されていたりするものです。

しかし、だからと言って、「様々なスケールを駆使してのアドリブ作成してくれ!」という要望であっても、抽象度は高いメソッドは実践できます。

それこそ、これこそが、本当に“リアル”な理論で、より、応用性の高いメソッドになります。

たとえば、一つの音階を表すのに、8分音符を使えば、一応、7音すべて出て来ますから、音階を使った気分に浸れます。

「オレはこの音階を使用したな」という満足度100%としておきましょう。

これが、16分音符となると、各人の早や弾き技術の問題はありますが、完全にすべての音階が何度も出せるので、スケール使用満足度が200%になります。

これが、ヘビメタ・ギタリストが、なかなか、ジャズの1小節毎の目まぐるしいコードチェンジに対応できない理由でもあります。

だから、彼らは、モード的な曲だけに関わります。

ヘビメタ・ギタリストは、一つのスケールをいかに何度も往復できるか、と言った早や弾きを競うところがあるからです。

逆にその能力が、ジャズでは命取りになるからです。

せっかく、1小節の間にスケールを2往復くらいしたのに、また、すぐに次の小節で別のスケールが弾かなくてはいけないため、「オレは、見事に高速で、この小節をすり抜けたぜ!」という満足感に浸っている場合ではなくなるからです。

ジャズのアドリブに必要な能力は、たとえ、1音でも、「ええ、私は、ちゃんとスケール・チェンジしましたよ!」と法廷で堂々と証言できる勇気と自信です。

「ええ~!、たったの1音なのに、そのスケールを使ったとあなたは言い張るのですか!」という検事の追求にも負けない自信です。

これが抽象度の高いメソッドになります。

残念な事に「ジャズ・アドリブ」に関しては、これ以上、関わる事は、あまりにマニアックすぎるので、教室の中だけのレッスンとなっているのが現状です。

あとは、生徒や通信講座生へ、という事にはなります。

昔から、ジャズのメソッドと言えば、とにかく、サンプル・アドリブの実践でした。

ジャズピアノのソロ演奏の曲集でも開けば、すぐにわかると思います。

そこには必ず、テーマのアレンジとともに、作られたアドリブもちゃんと掲載されて、それが、アレンジの一部となっています。

こうした、曲集を利用して、ホテルやバーなどで、「ジャズ」を演奏する女性ピアニストはたくさんいます。

ところが、何十年、この譜面で演奏しても、彼女たちは、アドリブができません。

これもこうした「複雑な原稿」の理由にもよりますが、譜面を暗譜していない、という事と、アドリブ理論がわからない、という二つの大きな要因もあります。

売れそうもないので、こうしたメソッドの本は、なかなか書けませんが、いつか、この事を理論的に解説できる機会ができれば、まとめてみたいとは思います。

たぶん、自分からはやらないとは思いますけど。

(武術的には、これを”後の先”と言いますが、。依頼が来たら、力を発揮するワザです。)

しかし、今日の深夜話を頭の片隅に置いておけば、どんなサンプル・アドリブをマスターしても、その後、すぐに「自由にアドリブできない」「自由に会話できない」という不安に襲われた時に、「ああ、そうか、このやり方が気休めだったのか」とわかるはずです。

そうです。

これは、「私の右腕を握って見なさい」と言って、握った瞬間、すさまじい攻撃をしかける合気道家や、「右からパンチを出して見て」と要求して、恐ろしい関節技をしかける武術家の稽古法です。

これもこのパタン・プラクティスなのです。

(もちろん、言われた通りしないで、左腕を握ったり、左からパンチを出したりしたら、大変な事になります。)

だから、その場は、強くなった気分に浸れますが、稽古を怠れば、また不安に陥ります。

これは、せっかく覚えたサンプル・アドリブを稽古不足で忘れてしまった、という不安感と全く同じものなのです。

本当の稽古は、一度、マスターすれば、そのコツは、一生、忘れないものです。

ただ、身体が動かない、指が動かない、程度の問題で、それは、ちょっと1週間ばかり稽古すれば、また、すぐにそのコツは思い出すものです。

それは、クラシックも同じです。

本当に、その作曲家の心をマスターすれば、曲なんか忘れても大丈夫です。

なるほど、これがモーツアルトか!です。

これは、抽象度の高い学び方ですから、実際の細かいフレーズは、忘れてもかまわないのです。

大事な事は、その心もわからないのに、ただ、その曲を暗記して、ロボット的に弾いている事なのです。

暗記だけに頼る稽古では、自由なパフォーマンスには発展できません。

ただ、ただ、年齢とともに、記憶力が落ちて、終いには、何の記憶もなくなってしまった、という結果にしかなりません。

この逆に、センス、フィーリング、ノリ、リズム感といった、まるで自転車に乗る事を忘れないようなワザを身に付け、そして、より抽象度の高い理論的な知識を持つ事が、日に日に、進化して行けるメソッドになります。

実際、自著の「禁断のジャズ理論」の実践にしても、まだまだ、日本人特有の「無表情弾き」という大問題をクリアーできる生徒がなかなか出て来ないのが現状ではあります。

長年の、音楽性を抜きにした、音楽は、ただただ、次へ次へと進むもの、という幼児教育のために、1音1音の表情付け、といった音楽性の問題をスルーして来た結果だと思います。

音の強弱に対する耳が、全くないのです。

この問題は、またいずれ語ります。

今回は、長年の“パタン・プラクティス”の英会話メソッドの弊害は、昔からジャズ教育でも常識のように実践されて来た現実を考察してみました。

そんな、すぐに「アドリブした気分」「英語を喋った気分」に浸らずに、もっと、センスを磨くといった、急がば回れ、というメソッドがあるんだよ、という話し、とも言えます。

できれば、どんなジャンルの人でも、この話は、50年くらい覚えておいて下さい。

人間は、「こうくれば、こうする」という咄嗟の対応は、なかなかできないのです。

咄嗟の行動に反応できるようになるのは、もっとシンプルな理解とメソッドなのです。

一流、アドリブ奏者や武術家は、自分自身は、けっしてパタン・プラクティスを行なっていません。

これでは、成長しない、とわかっているからです。

じゃあ、どんな練習をしているか、が問題なんですが、それをけっして他人や弟子には、ばらさないのが、達人たち、一流ミュージシャンのメソッドであるわけです。

私は、それを見抜くのが仕事です。

日本の英会話教育とジャズ・アドリブ教育は、一般対象には、このパタン・プラクティスで、50年ばかり来ているのです。

だから、他国の人が、日本語をペラペラ喋るようには、結果が出ないのです。

最後に、一言。

第一線のプロとして生きる人は、他人のフレーズを弾いたら、それを弾いた分だけ、第一線のプロとしては厳しいです。

チャーリー・クリスチャンに影響を受けたジム・ホールは、遊びでしかチャーリーのフレーズを弾きませんでした。

もちろん、ファースト・アルバム「ジャズ・ギター」後に、宇宙人に拉致されたから、だと思いますが、、、。

それを言うなら、パット・メセニーも、高校生の頃から大好きなウエス・モンゴメリーのフレーズを弾きません。

彼も、たぶん、高校を卒業してすぐに、拉致されたのではないでしょうか。

もっと、根元的なメソッドの価値を知らないといけないと思います。

自著「禁断のジャズ理論」は、長年のこうした考察の結果生まれた、ジャズ・アドリブ・メソッドのテキストです。

私自身は、世界で勝負できる、と確信していますが、この不況では、動かないですよねぇ。

まあ、とりあえず、日本限定のテキストにしておきます。

しかし、パタン・プラクティス全盛の中、廃刊の危機は、十分あるので、改めて、その価値の全貌を著者自身がこうして述べたつもりです。

できれば、この本は、生き残って、10年後の若者たちへも出会わせてあげたいと思っています。

このテキストの実践からは、ジャズはもちろん、ロックでも、ブルースでも、演歌でも、どんなジャンルにも行けるミュージシャンが生まれるからです。

それほど、抽象度の高いアドリブ・トレーニングを作り上げた、と思っています。

これを全部、弾けた人が、他のジャンルの音楽で、通用しないわけないじゃないですか。

もちろん、パタン・プラクティスの人は、「レストラン」や「空港」での、ほんの二言、三言の会話でしか通用しませんけど。

午前3時29分



















同じカテゴリー(レッスン内容&風景)の記事