2015年05月01日

テレビ講座:ファーブル昆虫記:Facebook転載シリーズ


4月11日、Facebookより転載:


4月11日 15:10 •

*テレビ講座:ファーブル昆虫記

ファーブル昆虫記第3、4回の講義のテレビ講座を見ながら、コーヒーを飲みつつ、夢中でギター練習をし、頭の中は、本の執筆内容を考えています。
すべてを同時に行います。

立ってギターを弾けば、スクワットもできますが、あとで、小動物を抱っこしたまま歩き回るので、これはカットしています。

ファーブルが昆虫記を書き始めたのは55歳からです。
教師をしたりしていたファーブルは、家族を養うので大変だったからです。

それから30年掛けて、10巻を書き上げます。

私も55歳のようです。

Σ( ̄。 ̄ノ)ノ




*続:ファーブル昆虫記講義(4月11日 15:56 )


ファーブル(1823~1915)は、これまでの生活の苦労も落着き、虫のいっぱいいる郊外の家に50歳から移住します。

やがて40年連れ添った妻に先立たれます。

さらに、10人の子供がいましたが、6人の子供を亡くしています。

最も辛いとされたのが、16歳で亡くなった息子だといいます。

息子はいつもファーブルの手伝いをして昆虫に興味がありました。ファーブルは、自分の後継者にと考えていたのです。

55歳で、昆虫記を書き始め、30年掛けて、10巻を書き上げたファーブルの昆虫記は、亡くなったこの息子へ向けて、平易な言葉で書かれた、といいます。

ファーブルは91歳で亡くなります。

最後の言葉として「死は終わりではない。より高貴な生への入り口である」という言葉を遺しています。

命は虫の生態系のように循環している、という意味だといいます。一つの死であっても、何かの意味があり、他の生き物の役に立っている高貴な生き方だ、ということです。

人間のように一種類の生き物だけが繁栄する生き方への警鐘とされています。

分をわけまえて、慎ましく生きるべきだ、というのです。

生きていくのは、虫のように、その途中を楽しまなくてはいけない、といいます。

自分は、精一杯生きた、そして世の中は、虫の世界を見ても楽しい事に満ちている、というメッセージを子供たちに遺したといいます。

さて、そろそろ保育園に小動物を迎えに行く時間です。

このFacebookでは、この生態観察も行っています。







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Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00 │人生論Facebookより転載