2015年04月02日

彼は、なぜスイングできないのか?:日本人のためのリズム感トレーニング理論


“飛んで火にいる夏の虫”という言葉があります。

「自ら進んで禍に身を投ずることのたとえ」と言うのがその意味です。

彼はまさにそんな感じで、セッションに飛び入りして来ました。

若手なのか中堅なのかは、わかりませんが、フュージョン・バンドやファンク・バンドを組んで、新進(?)の有名エレキ・ベーシストです。

突然、素人集団の「枯葉」演奏に飛び入りして来て、「おいおい、オレのビートに誰も合わないぞ!アッハハハハ」、「そこのピアノ、じゃまだから弾かないで!アッハハハハハ!」という調子です。

ピアノを弾いていたのは、何と、唯一プロの私です。

さらに、他のメンバーは、私の生徒のギター生二人です。

そうした状況なのに、いきなり飛び入りして来た有名人は、とにかく私のピアノがじゃまだから弾くな!と演奏中に叫ぶわけです。

そして、終るとすぐに「みんな、もっとマイルスを勉強しようよ!アッハハハハ」と説教します。

カウンター席に着くと、「あんなピアノよりオレの方が上手いよ!アッハハハハ」という声も聞こえて来ます。

彼は、非常にラッキーな星に生まれたと思います。

これが、もし、私ではなく、一般の教室の先生なら、どうしたでしょう。

離島の某地域によっては、黙って帰った「先生」が、自宅から何か持参して来て、再び、店に現れ、自分を侮辱した有名エレキベーシストめがけて突進するかもしれません。


一体、誰が正しいのか、という検証は、すでに演奏が終わってしまったので、諦めていた所へ、今度は、エレキベーシストにとっては、アンラッキーな事に、この一部始終が、生徒の録音機に残されていました。

通常、私は、こうした演奏中は、野球帽を被ってピアノ演奏をしてますので、私の表情は飛び入り演奏者にはわからないと思います。たぶん、年齢もわからないでしょう。

まあ、彼には、誰が演奏していようが、関係ないことでしょう。

初対面から、人を見下して来たわけですから。

酔っていたのでは?という人もいますが、彼は酔っていません。

演奏後、私が、すぐにセッションを中止すると、私が、オーナーが噂したギタリストである、という事を知り、一応、飛んで来て、言い訳をあれこれました。

「でも、ピアノは、ずれていましたよね?」としつこく言うのですが、私は、演奏中は、多数決に従う民主主義な立場なので、「でも、みんなに合わせないとね。」とだけ答えました。

生徒の中には、ベースの音があまりに大きく、この現場で何が起きたのか、さっぱりわからない、という者もいましたが、事件現場を記録した録音を聴くと、有名人エレキベーシストは、ズレまくっています。

ピアノは伴奏するな、と言って始めたベース・アドリブでもその「のり」の悪さが耳につきます。


そこで、今回は、真面目にちょっと、もっと正しい方向でのリズム判断をしてもらいたいので、「彼はなぜスイングさせる事ができないのか、という事にちょっと触れて見たいと思います。

エレキベースの彼の得意な分野は、肩書き上の「ジャズ・ベース」というよりも8ビート系のユージョンやファンクのようですが、こうしたジャンル出身者が、4ビート系のジャズをやると非常に単純な「のり」でアドリブ演奏をしてしまいます。

ベースという楽器は、私の著書にもあるのですが、これは、自分のビートやリズムの“上”に、他の楽器を「乗せる」役割をする、“乗っけもの”の役割です。

それが、その役割を知らないのか、それに乗っかり演奏する「乗っけもの」になって自己アピールしようと必死です。

これは、特にベーシストの場合、ベースソロの際、せっかくの4ビートの流れを突然、断ち、得意満面な8ビートリズムに修正してしまうエレキベーシストが多くいます。

これは、ドラマーも同じです。4ビートの曲なのに、ドラムソロになると突然、8ビートに変わるわけです。
ロックドラマーが無理して4ビートをやるとこうなります。

どうせ1人でやるんだから!と、8ビートと4ビートの違いがわからないわけです。

それでも一つの「表現」ですから、それも有りでいいのですが、こうしたビート感しか持たないため、実際の4ビートに乗り遅れたり、ずれたりするわけです。

このズレを回りのせいにしてしまうのがコンプレックスを持った傲慢な人間でもあるわけです。

こういうプレーヤーにありがちなことは、メトロノーム相手の「特訓」です。誰か、相棒のドラマーと一緒に、様々なデジタル特訓を重ねるわけです。

一時期のプログレ・フュージョン・バンド系のようなものです。

だから、こういう人たちは、テーマの「超絶合わせ技(わざ)」が好きです。

もちろん、それはそれでいいのですが、こうした人種は、彼らに憧れるアマチュア・ミュージシャンも多く作りました。

しかし、こうした「特訓」は、人間を機械化する作業で、この対極にある、人間そのもののビートを競う「ジャズ」の収縮自在なビートには通用しません。

また、日本のこうしたフュージョン・バンドが、サンバの曲を録音するために現地ブラジルへ行って、現地の1流ミュージシャンをパーカッションで使ったら、全然、合わなくて、後に、そのブラジル・ミュージシャンは、「彼らのは、サンバじゃない。彼らは、4拍子でやっているんだ。サンバは、2拍子なんだよ!」とコメントしています。

こうした「リズム」の解釈の違いは、どこから来るのか、というと、簡単に言えば、そもそもからして、メトロノームや機械的なリズムマシンをお友達としてタイト(tight:かっちりした)な8ビートを練習して来た日本人のリズムに対しての「意識」の問題があります。

日本では、「テンポ=ビート」と勘違いしてしまった人を多く輩出してしまったからです、。それだけ、商業ビジネスに関係しているドラマーやベーシストのプロが主流だということでしょう。

こうしたプレイヤーの意識を探ると、例えば、4分音符を打とうとします。

その第一打を叩いた瞬間に、彼は、もう誰の音も聴いていません。

彼は、ひたすら、自分の中にある4分音符を叩き続けます。

これは、4分音符に限らず、3連符、16分音符でも同じです。

音がスタートした瞬間に、こうした人は、すでに目的の音が終わる所要時間まで予測してしまっているわけです。

テンポ表記で、♩=60という表記は、このテンポは、4分音符を60回打ったら、ちょうど1分です、という表記です。

という事は、これを4拍子の曲として4つ区切りにすると15小節分あります。

16小節目の第1拍目がちょうと1分という事になります。

機械だけが頼りでリズムをトレーニングして来た人たちは、こうした考えが主流になるわけです。

また、きっちりと計算された時間内で音楽を作らないといけない商業音楽の世界では、こうした能力が重宝されます。

しかし、こうしたリズム感覚の人達が、みんな、4ビートに自分を乗せる事ができないわけです。

機械に頼らない、人間ビートを競う4ビートの世界では、アインシュタインの相対性理論ではないですが、時空がゆがむ、という現象が起きるわけです。

それぞれの人に、それぞれの「1分間」が存在するわけです。

こうした「1分間」を突き抜けるには、物理で言う「等速直線運動」では、対応できない!という事をもっと認識しないといけないのです。

近年、もの凄い勢いで、「リズム感」というものに対して、機械文明が主流になり、こうした機械派からの「洗脳」が著しい働きかけがあります。

こんな洗脳がまかり通るなら、じゃあ、古代の人たちは、みんな「リズム音痴か?」という謎が同時に発生します。

4ビートジャズの世界は、こうした古代の音楽の再現とも言えます。

すべてを人間と人間の間の「グルーヴ」感覚で行っているわけです。

これを全く理解できない、持って生まれたリズム感に自信がないために、機械に頼るしかなかった人たちが、どんどん知名度を得て、全く見当違いのリズム論を展開しての洗脳が始まってしまったわけです。

彼らのリズム論が矛盾に満ちている、という論証は簡単です。

彼らの論理では、機械の発達していない時代の音楽には、「リズム」も「ビート」もないことになります。

なぜなら、時計のない古代の人が、時計に頼った現代人のように、ロボット化したテンポ・キープをできるわけがありません。

また、これは、「音楽」の世界では、大事なポイントでもありません。テンポキープが大事なのは、あくまでも、時間的制約の中でビジネスする商業音楽の世界です。

そうした世界の考え方で洗脳されてしまったのが、彼らなわけです。

彼らに問えばいいのです。

「じゃあ、あなたたちは、古代の人たちの音楽は正しいビートではないと思っているんですね?」と質問したらいい。

バリ島のケチャは、一定のテンポではないですから、音楽じゃない、という事になるわけです。(本人たちは、一定のつもりです!)

「いや、あれは音楽として認める」と彼らがもし言ったとしたら、最後の一言です。

「じゃあ、なぜ、あなたは、あのように周りとコラボしてビートを作らないのですか?」です。

こうした現状からも、相手がドラマーだとか、ベーシストだからと、一般で言う「リズム楽器」だからと言って、彼らをリズムの「専門家」に祭り上げる必要はありません。それこそ洗脳です。

リズムは、みんなのものです。

リズム感の良い歌手もいるし、サックスもいるし、ギターもいるし、ピアノもいるわけです。

その逆に、間違った考え方のリズム論で、特定の人間としかやれないドラマーやベーシストもいたりするわけです。

周りと合わせる事ができないから、「特定」の人間としかやれないわけですよね。

近年、ロックもどんどん機械ビートの導入が主流になりました。

私は、彼らに合わせる事はできます。

なぜなら、彼らを機械と思えばいいわけです。

たまに機械にも合わせてもいますから。

しかし、彼らは、「人間」には合わせる事ができない、というのですから、どちらの考え方が、抽象度が高いか、は言うまでもありません。

私は、自著「日本人のためのリズム感トレーニング理論」で、この事を世界で初めて世に問いました。

どうぞ、せめて、これからの若者は、こうした傲慢で、狭い考えのリズム論を持った有名人志向の大人たちに「洗脳」されないためにも、ぜひ、読んで欲しい一冊だと思います。

神様は、本当に、いたずら好きで、こうした本を書いた著者の前に、こういう「夏の虫」を、よくぞ放り込んでくれたなあ、と、思います。(沖縄はもう夏です!)

私が学んだことは、世の中は、様々な人がいるので、初対面で、相手の素性も知らないのに、あまり偉そうな説教を垂れてはいけない、という事です。

護身学の見地からすると、それは命に関わる事でもあります。

本当に力がある人は、常に、周りの音を包み込み、一体感を作り上げます。

だから、演奏中、けっして「君、じゃまだから弾かないで!アッハハハハ」という発言をしてはいけません。

人生は、どんなに計画していても、思ったようにはなかなか運びません。

「ジャズ」という音楽は、特に、そういう要素を持った音楽だと思います。

それを、何がなんでも、自分をかっこよく見せたい、という無意識の欲望に支配されたがために、スタートした瞬間から、不安感を抱き、あれこれ、周りを規制するのは、「ジャズ」が最も嫌いとする生き方ではないでしょうか。







同じカテゴリー(修行&音楽)の記事