2015年01月20日
ジャムセッションの心得、年賀状プロファイリング
SUNPOWER MUSIC 公開ジャムセッション・レッスンVOL.2が無事(?)終わった。
しかし、これを失敗したとしても、困るのは生徒ではない。
教えた先生だけが困るだけだ。
生徒は気楽でいい。
そもそも、普段から「個」で生きているわけではなく、「ということで、その他大勢です」という無名の気楽さ生きているわけだから、出て来る音はまさに「音は人なり」ではある。
全員、自信なげに、どんどん音は小さくなって行くし、当初、ドラムがいないんで、ドラムを叩こうか、と思っていたのだが(昔は、ドラムを叩いて、アンサンブルレッスンをスタジオでしていた!)、これで、ドラムが入れば、誰の音も聴こえなくなるだろうなあ、という危惧や、また、曲の途中途中で、アドリブの順番を気づかせたりする指揮者の役割もあったので、実際は、1ステージ50分程度の2ステージ中、ずっと正面横で、立ちっぱなしで合図をする事にはなった。
いつもなら、ピアノでサポートするところだが、今回は、プロのピアニスト参加という事でサポートはまかせたのだが、これも、全体が見えていない。自分のパートをきれいに弾く事だけがサポートと思っている段階だ。
全員、どこへ行っているかわからない状態も長く続く。
良いサポートは、すぐにメロディを示唆して現在地を示す。
ただ、コードを弾いているだけでは、誰も気づかない。
まず、全員、私と、目が合わない。プロも含めて、譜面をじっと見ているだけ。
アドリブの順番は自然に決まっているのに、次は誰なのかは、気にしない。
呼ばれて初めて気づく次第。
また、飛び入りの元サックス生が、なぜか、日本語の上手な黒人パーカッションという客に声をかけ、「チキン」をやるから参加するか?といきなり仕切っている始末。
元生徒は、「スペシャル・ゲスト」と言ったのを勘違いしたのかもしれない。
それだけのプレッシャーを抱けるなら参加して良い、という意味でしかない。
全員、そんな曲はできない。
「なぜ、そんな事を言うのか?」と聞くと、「自分は、できるんですけど、、」と。
つい、何か月前までは、同じクラスなのに、全員のレベルを忘れたのか!。
案の定、当の本人も他の曲は、覚えていない。
あらためて、アマチャーの度胸の凄さを知る。
人に聴こえない音で弾くベースなんてのも基本的には、度胸があるからやれるわざではある。
プロに関しては、世の中にこの曲を覚えていないプロというのがいるのか?という曲を自信がない、という始末。
これは、一般のアマチャーで言えば、「枯葉」を覚えていない、というようなレベルなので、ああ、毎日、ずいぶんと甘い仕事をして生きてるんだなあ、と改めて判明。
普段から問題意識もなく何も考えていない証拠だ。
、というわけで、いくらでも「課題」は、見つかるのだが、だからと言って、これは生徒の課題ではない。
元々、そんな事を気にしないでいるから、みんなマイペースの20年を送って来たわけである。
だから、これらは、私だけの「課題」だ。
次からは、私が、この注意点を述べて、生徒の1人1人のボリュームを毎回チェックして行かないといけない。
一度、ボリュームを決めたら、「絶対にボリュームを触らないように!」というルールを作るだけだ。
1984年あたりから、教室を始めた時は、2回ほど、胃に穴が空いて、胃潰瘍になったのだが、これでは、身がもたんなあ、と思い直し、次第に、あまり生徒に期待しないようにしてから、気楽に教えられるようになった。
優秀な生徒なら、自分で演奏の場も開拓して行くのだが、そんなこともなく、あっと言う間に20年経ってしまったのだから、それはそれでその人のマイペース人生ではある。
今回は、こうしたセッションの場を再び、教室として開拓したわけではある。
ただ、こうした公開レッスンをして初めて、「やっぱり、普通のセッションにいくら参加してもこりゃあ、上手くなるわけないなあ」と感想を改めて持つ。
普通のセッションというのは、別に、「社運」「教室運」を背負って参加しているわけでもない。
ただ、やりたいようにやって、誰からも厳しいチェックもアドバイスもなく終わるだけだ。
これでは、全く無意味で、下手すると、「舞台度胸のある下手くそ」を大量生産するだけじゃないか。
お客さんは、全員、セッション参加者なわけだから、不味い演奏をしても何の責任もない。
言うなれば、これは、一般の人が普通に、みんなでカラオケに行くようなものだ。
みんなが好きなように歌って、別に、誰の歌がどうのこうの、と言われるわけでもない。
こんなカラオケ参加は、毎晩やっている人もいるのではないか。
今は、カラオケもロボット点数制で、ある程度は、自分でも判断できるポイントはあるだろうが、ジャムセッションは、よほど上手くない限り、他人からは褒められないし、それ以外は、あとは、なれあいではある。
毎回、録音を録って、あとで、チェックするなら、まだ、進化もあるかもしれないが、セッションが終われば、音の記憶も薄れる。カラオケの記憶も薄れる。
しかし、基本的には、上手くなるのが目的でセッションをやっているわけでもない。
上手くなりたい、という欲望があれば、もっと必死にはなる。
愉しむために音楽をやっているのだから、こんな感じでいいのかもしれない。
だから、すべては、私の課題で、いかに、この「駒」を指揮して、店のお客さんのBGM程度になれればいいか、だろう。
最悪な状況は避けなければならない。
たとえBGMでも、あまりに下手で、「やめてくれ!」と言われたら、それで終わりだ。
やっぱり、そもそもがロックバーなわけだから、もっとごきげんなロックの映像やCDを聴きながらお酒を飲みたいはずだ。
失望と言えば、今年に入り、何かと失望する事も新年早々発生している。
年賀状に関しても地元の生徒のほとんどが、元旦に慌てて年賀状を出す者ばかりで、ほとんどの年賀状が到着したのは、1月6日、7日。
1月7日から仕事始めではある。
また、たぶんこれは、「超義理」で年賀状を出しているなあ、という、直筆の言葉もなく、ただの印刷物の年賀状もあれこれいて、そこまでして関わらなくてもいいのに、と失望する事ばかりだった。
もっと、正月にあたって、相手の気持ちを喜ばそうというサービス精神というのはないのか、と思う事ばかりだ。
自分が正月気分で、見て楽しいものを送るのが基本じゃないか。
私が購入したメガネ屋や保険屋でさえ、印刷文字の横に、誠意溢れる直筆の言葉が書かれてあった。
他の業者からのハガキは、すべてただの印刷物だからこの二社は特別な感じではある。まあ、保険屋は、20年以上だし、メガネ屋は、まだ5年程度だ。
こういうのでも、普通の人は、みんな喜んでいるのだろうか、とは思う。
私自身は、会社員として生きているわけではなく、「個人」として「個人」とつきあっているつもりではあるから、他の会社からの事務的な年賀状が大量に来る、という仕事でもない。
1年ぶりに年賀状が来たので、久し振りだな、と思ってメールしたり、返信したりしても、何の音沙汰もない元生徒もいて、「ああ、これは、本当に、ただの義理の挨拶だったんだなあ」と学んだりした。
このように年賀状から十分に、相手と自分の関係をプロファイリングできる。
まあ、こういう生徒は、ブログなんかもう読んでいるわけないから、以上のプロファイリングの結果をここで述べておこう。
書かないと、また、来年も同じ思いをするだけだ。
特に、音楽をやっている者は、自分では普通に思っていても”非常識勝負”をしているようなものだから、その体質をそのまま教室関係に持ち込んで、それを「教育」とするわけにも行かない。
「パソコンが壊れたので、今年は誰にも年賀状を送りませんでした」という元生徒もいたが、そういう者は、そもそも、人生に未来はない。
パソコンが壊れたなら直筆で書けばいいが、そもそも、それほどの人間関係はないのだろうけど。
こんな人間関係の中では、自分の人生は、変わらないからだ。
元生徒の中には、年賀状とメールまでくれる者がいて近況を報告して来たりする者もいた。図書券をお歳暮がてら贈って来たので、お返しに何冊かアマゾンで本を選んでプレゼントした。
それは、Facebookだって同じだと思う。
何百人も「友達」がいる人は、毎日が楽しいのかもしれないけど、「友達」というのは、その「濃さ」ではあると思う。
本来は、「知人」程度を「友達」と言い換えるわけだから、これは、1流のホステスにかかれば、ちょろいんじゃないか。
私は、商人なので、私の売る商品をその「友達」の誰もが購入していなかったらどうか。
もしも、500人、そういう「友達」がいたとして、全員が、誰も購入していなかったとして、じゃあ、私は、この500人とは別の人間を顧客として探さなくてはいけないのか、と思うと、これは、大変だなあ、と思ったりはする。
そもそも、それだと、Facebookって何のために入ったんだろう?となってしまいそうだ。
だから、こうした「利害関係」の発生しない人間同士が、本来「友達」に最も適した人間、という事になるだろう。
残念ながら、私には、そんな「私生活」はない。
音楽活動が、私のすべてであるし、私生活は、数人の飲み相手がいれば十分だ。
今後も私の人生は、商品だらけの人生でしかない。
売る商品、見せる商品がない時が、私の人生の終わる時だ。
そもそも、それで食べているわけである。
その一環で、音楽指導があるわけであるから、どこかの会社から給料を貰っていて、Facebookは、プライベートというわけには行かない。
そこが、そもそもの私のビジネス場でしかない。
だったら、私の場合は、誠実に「友達」なんて言わずに、「顧客」とすべき人間だな、と言う考えがあって、今回のFacebookへの参加ではある。
次は、ツィッターだ!という指令もあるのだが、これはまた、同様に、遅れて行く事だろう。
ただ、今年は、水ぼうそうやらインフルエンザと言った体調面でいきなり挫かれたが、いきなり、「Amazon参入事件」もある。
Facebookでも触れたが、ある朝起きたら、Amazonに私のCDページが始まったのだ。
ところが、これが、TAKAYA TOMYOSE, でも、takaya tomoyoseでもいいのだが、英語で検索しないと出て来ない。
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_ss_c_0_9?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Ddigital-music&field-keywords=takaya+tomoyose&sprefix=takaya+to%2Caps%2C320
そのため、またしても、CD Babyとのあれこれの事務的な問題も発生していて、やる事が山積みではある。
2000年に加入したCD Babyから、2002年にitunesに行き、そして2015年、Amazon加入となったわけである。
15年掛かっている。
これが、今年来たわけである。
これで、まだ、1月の20日なのか!というのが、実感ではある。
いつもながら、1人で突っ走ったら、人の10年分を1ヶ月で終える感じはある。
人に合わせると、私の1ヶ月分が、10年掛かる事になるわけではある。
ただ、有名人との地域での共演は、ほとんどないのではないか。
相手が有名人だと、いくら共演してもその映像も録音物も使用できない。
その地域の人にしかわからない。
私には、それは、意味のない活動でしかなく、今の時代、そんな閉鎖的な活動をしている場合ではない。
だからと言って、じゃあ、無名人とやればいい、となるが、それもできない。
一般の無名人では、そもそも、商品となる映像や録音物を公表できるレベルを持つ者はなかなかいない。
この難しいパズルを今年は、解いて行かないと私の未来もない。