2014年11月30日
夜がまた来る。思い出連れて。
高倉健さんの座右銘のブログタイトルにしたら、みんな「高倉健氏の話か?」と勘違いしてしまい、いつもの読者より数倍にもなってしまったので、こりゃいかん!と、今度は、「やしきたかじん」は、暗号にしたら、今度は、誰も気づかなかった。
最後のオチは、人類の恋愛論を書き換えるもんでもあるのだが、これもスルーされた形で、何の反響もない。
何の反響もない、といつも思うのだが、私には、昔から「ああ、またか」と思う特殊な現象がある。
私の話が、いつも突拍子もない話だったり、あるいは、深~い考察と読書の結果から生まれているためか、突然、自分の言った話を他人が私に向かってする事がある。
えっ?何?
これって、オレが言ったんじゃないか!と言うのだが、本人は、自分が考えて言ったと思っている。
あるいは、どこかの雑誌にでも書いてあるのを読んだ気になっている。
この間も、「人は、今日は明日よりは、若いわけで、明日には、もうすでに歳を取っているわけだから、今日以上の事はできない。だから、一日一日を大事に生きないといけない」とメールで諭された。
うっそ~!という感じだが、本人は、その出所がわからない。
そもそも、素人は、「出典」を気にしない。
この考えは、絶対に、その辺の普通に仕事に忙しい、パソコンの本や、ハウツー本にしか興味ない者たちが簡単に見つけて来れる言葉じゃない。
しかも本人は、”永遠の愛”を誓うキリスト教徒じゃないか!
(初期仏教的には、人は、無常で、変わり続けるから、”永遠の愛”は存在しない。毎日が、愛情獲得の闘いである。)
これは、仏教書を読み漁って、ようやく発見するほどの考え方で、そもそも近所で、こんな話をするのは私のブログくらいだ。
それをまあ、明らかに私のブログを読んでいる者から言われたりすると、何と答えていいかわからなくなる。
しかし、これも修行の一つだ。
「真理」をみんなが言うようになったからと言って、いちいち、「これは私が教えたんじゃないか!」という事自体、せっかく広まった「真理」を妨害するドリーム・キラー行為でしかない。
いちいち、人に尊敬されたいと思うから、そんな邪心も抱くのだ。
そもそも、初期仏教でのお釈迦様は、「私の言った“法”さえ守れば、私の事なんか忘れてもかまわない。私を崇めるより“法”を崇めよ!」と言って亡くなった、というわけだから、これは、常に、誰が言ったかを重視する日本仏教とは違う。
そもそも、日本仏教は、「仏教」というのに、お釈迦様より偉いお坊さんがたくさんいるし、、、、。
この日本の偉いお坊さんたちより、遠いインドのお釈迦様の方が偉い、とはとても思えない。
しかし、お釈迦様は、それを予見していて、「私を崇めなくていい」と言って亡くなったわけだから、これは凄い。
(この点から、初期仏教では、仏教は、教祖を崇めるものではないから、これは”宗教”ではない、人が生きるための”科学”である、としている。)
それから、すると、やっぱり、これはオレが言ったんじゃないか、という自分は、何と言う、“凡人の極み!”、であるか、とは思う。
そもそも、人は、そんな事よりも、どれだけの仕事を世の為人の為にやったか、という事を自慢しなきゃいけない。
また、そんな事を紹介して、1人、ビジネス的にもお金が入り成功すればいいだけの話で、結局、自分の人生に何の意味もない事で、自慢しようとするから、こういう嫉妬心に支配されるのだろう、と自己分析できる。
人は、今日より明日は、老いているわけで、記憶力も今日よりは低下しているわけだから、今日を大切に学ばなければいけない。
この事を他人に伝えるよりも、まず、自分が実践して、自分の人生をより豊かなものにしていけばいいだけの話だ。
それをしようとしないから、いちいち、自分が言ったのだ、という事にこだわるしか、自慢話がないのだろう。
私は、この「今日よりは明日はもう若くないのだから、今日がんばらないといけない」という話しは、毎年、8月4日の自分の誕生日に触れている。
週末の土曜日は、珍しく、1人で、二件ばかり、音楽関係のバーに行って飲んで来た。
出かけるのは、深夜零時くらいからなのだが、まずは、女性ボーカルL子の店から。
行くと、客が二人で、L子は、すでに酔っ払っていて出来上がっていた。
土曜日は、その手伝いとして、もう1人女性がいて、23歳。
ボーカル修行中で、バンドもしている、という。
二人とも、英語の歌が上手く、カラオケでお客さんに聞かせて「おもてなし」している。
そこで、この間の訪問で、見抜いた理論があって、「夏川りみ症候群」の話をしてあげた。
*夏川りみ:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E5%B7%9D%E3%82%8A%E3%81%BF
“1996年に引退し沖縄県那覇市の姉のもとに移住した。姉の飲食店を手伝いながら歌っていると、彼女の歌を目当てに店に訪れる客も増えたという。1998年には琉球放送のラジオ番組『岩ちゃんのビタミンラジオ』に本名の兼久りみの名前でアシスタントとして出演した。”
もしも、このスナックを訪れた者が、歌の上手い夏川りみを見かけたら毎回、どう思うか。
客は、「ああ、歌が上手いねぇ」と拍手して終わり。
それは、“花火”のような感動でしかない。
なぜなら、歌が上手い、というオーナーは、女性でも男性でもスナックならけっこうどこでもいるもんだ。
そんな生活からは、歌手志望の者だったとしたら、一生、脱する事はできない。
じゃあ、実際、そんな夏川りみを救ったのは、何か?
この続きは、企業秘密なので、ここまでにするが、どこかのスナックで私に出会った歌手志望の女性は質問したら、すぐに答えてあげようとは思う。
ちなみに、L子から要望された、「ジャズシンガーのための**トレーニング」という本は、すぐに「これはマニアックすぎて売れないだろう」と編集員に没にされた。
書いても、地元では、3人くらいにしか買わないだろうしなあ、とは私自身も何となく思ってはいた。
一体、全国に女性ジャズボーカルが何人いるか、だ。
続いて、行った店がいつものように、ロック&ブルース・バーの“リビエラ”という店。
ホームページはないようだから、フェイスブックをやっている人ならチェックするといいだろう。
11月は、店の5周年もあり、50歳のオーナーに女児誕生ということで、何かと祝わなくてはいけなかったのだが、私自身も奈良に“弾き子守り”疎開をしたり、でやり過ごしてしまったので、なんだか、罪悪感もあった。
あまり1人で、こうした音楽バーに行く事もないので、私かるすると珍しい事ではある。
いつも呼びかけるS文字氏が、零時前だと言うのに、まだまだ仕事が終わらない、という事で、1人であちこち行く事にしたわけである。
私自身が、いつも行く店は、本を読んだりするために行く、明るい焼き鳥屋でしかないから、本も持たないで、あちこちのバーに行くのは、けっこう大変ではある。
もしも、他の客がいて、カウンターに1人座るハメになったら、証明の暗いバーやスナックでは、読書もできないし、ただ1人、ぼ~とお酒を飲むだけの時間になってしまうからだ。
暗いバーのカウンターで、1人、ぼ~っと、ジャズやロックなどの音楽を聴きながらお酒を飲む。
これが一番苦手だ。
なぜなら、これは、あまりにも極まり過ぎているからだ。
職業が、「ジャズ・ミュージシャン」で、1人、ジャズ・バーで、ジャズを聴きながら飲む、なんてちょっとかっこ良すぎないか!?
20代の時は、少しだけやった事があるかもしれないが、そんなのは絶対に楽しくない。
そんなところで1人飲むくらいなら、家で、1人、映画でも見ながら飲んでた方がいい。
だから、そういう店は、誰かと行くところだ、。
実際、50歳というか、40歳からだろうか、こういう店は、男同士で行くよりは、女性同伴がいい。
そもそも、中年になったら、飲みに行くのは、“愛人28号”を作って行きべきだろう。
もう、同世代は、老化し、身体もボロボロで、夢のある話をする者は稀である。
だから、中年になったら、絶対に、愛人28号を作って飲みに行く方が正しい飲み方だ。
しかし、そうは言っても、こちらも一応は仏教的な生き方を望んではいる。(実体は、インチキ初期仏教徒ではあるけど、、。)
どうでもいい仏教的知識を暗記して披露して、尊敬されようという気は全くない。
まだまだ、何一つ、実践できない未熟者、たわけ者ではある。
まあ、愛人もお金次第だから、そう思っている人間には、お金が入らないようになっている。
それが目的な人間にお金だけが都合よく入るわけがない。
世の中の社長族が、なぜ、常に愛人を連れて、あちこちに行くか、という理由は、同世代の男がすでに力尽きていて、夢がない毎日を送っているから、という事が第一にあるだろう。
20代の若者同士は、まだまだお互い夢を語りあえて楽しいだろうけど、これが、30代、40代となると、もう、つねにお通夜である。
50代以上となると、もうなんとお悔み申していいか、、、。
ただただ、日々、働き蜂となって、家庭には疲労だけを持ち帰り、また、変わりない明日に備えるだけだ。
そこで、バーに1人来ていた40代後半の男性がいたので聞いたら、48歳バツイチ、との事だった。
やはり、こういうバーに1人で来る者は、不幸せな者でないといけない。
だから女性も、独身やバツイチが多い。
途中、私よりもけっこう上な年輩3人の男性がやって来たので、う~ん、これはまるで、全国でも有名な石垣島のフォーク・グループの”ビギン”が、解散して20年後に再会した関係に見える、と隣の48歳の男性に話したら少し受けた。(みんな、デブだったからだけど、、、。)
実は、彼は、この間、来た時、ジャムセッションをした際、ドラムを叩いていた、という。
あれから、家に帰って、インターネットで私をチェックした、と言ってかなり恐縮していた。
そしたら、3人の年輩男性集団が、私もよく知っているブルース・バンドのリーダーの話をしていた。
9歳上のリーダーで、10代からよく知っている。
もちろん、20年くらい会ってはいない。
という事は、彼らもそれくらいの年齢だ。
とにかく、みんなでセッションだ、という事になり、私は、またまたキーボード担当。
ギターを弾くと伴奏者がいなくなるから、ちゃんと弾けないのだ。
終って3人の内の1人が、「友寄隆哉?この名前を知らないわけないだろ~!」と彼が酔っ払って言っていたので、いい気分になり、そのまま1人、午前4時に帰る。
今回の夜の街への旅は、零時から4時までの4時間だけの旅になった。
帰りは、繁華街を通って歩くと、もの凄く流行っていそうなラーメン屋があった。
カウンターだけのけっこうおしゃれな店で、たくさんの水商売関係の若い男女がラーメンを食べていた。
その店に入り、そこで、ラーメンを食べてると、なんだか、新宿のラーメン屋でラーメンを食べている気分になった。
ああ、こんな時間まで、働いて生きている繁華街が沖縄にも当然あるんだなあ、と思うと、少し、エネルギーを貰う事ができた。
何と言うか、人は、未知な未来があるから、夢を持ち、エネルギーが常に充電されるのだな、と。
夜の街を1人さまようのは、何十年ぶりだろう。
どんな事に気づこうと、同世代の男性に何かを言ったところで、何かが起こるわけでもない。
みんな、ただただ、何十年にもわたって行われているルーティーン・ワークをこなす日々を送るだけのためのエネルギーだけしか残ってはいない。
それは、まるで、「あと1ヶ月後にとんでもない巨大地震が来るから、みんなで今の内に逃げよう!」と呼びかけても、果たして、誰が動くか、という言動にも等しい。
これが若者同士なら、何人かが、賛同し、行動を共にする。
帰り道で思った事は、「やっぱり、50歳過ぎたら、愛人28号を作るべきだろうなあ」と言う事くらいではある。
燃えた男たちの気持ちを受け止めてくれるのは、愛人28号たちだけであるからだ。
まあ、現在20代の若者は、50歳過ぎたら、この話を思い出すといい。
家庭に生きれば、社会が薄れるし、社会に生きれば、家庭が薄れる。
だからと言って、社会に生きた人間が報われたか、といえばそうじゃない。
自殺者の多くは、社会に生きた人間だ。
この微妙な駆け引きが、おそらく「人生」の醍醐味なんだろう。
この話は、11月末にする程度の話にふさわしい、、かな。
私のブログが、あまり流行ると、好きな事が言えないので、そこそこにしているつもりではある。
高倉健さんの座右の銘、”往く道は、精進にして、忍びて終わり悔いなし”の解説を少し。
元々は、常に平常心のお坊さんに憧れた人が、自分の人生は、いつも悩み報われないもんだったけど、お坊さんになったら違うだろう、と、お坊さんを目指した。
そして、じゃあ、せっかくお坊さんを目指すなら、自分は、お坊さんの中でも「あの人は立派なお坊さんだったなあ!」と言われるくらいのお坊さんになろうとと決心した。
もしも、目指したものに、これくらいの決心があるなら、その人は、周りから何を言われようが、どんなことが起ろうが、そんな事には惑わされず、ちゃんと、初志貫徹して、立派な坊さんになるだろう、という経典からの言葉を分かりやすくした言葉である、そうだ。
ちょっと、気安く使用した罪ほろぼしに触れておこう。
しかし、もしかしたら、また、私に向かって、この言葉の解説をする者が出て来るかもしれないが、これは、このブログで私自身が、触れたことを忘れないで欲しい。
そうでないなら、何の経典か、まで言わないといけないだろう、とは思う。
そこまでは、できない暮らしじゃないのか。
しかし、もしも、そこまでしている”仏教徒”だとしたら、そんな生き方の奴にはならんだろう!という突込みはある。
PS:私は、生まれてからずっと、小林旭少年で、小学5年生の頃に初めてレコードプレーヤーを手に入れてから、まっさきにしたのは、小林旭氏のレコードの収集だった。
だから、私の根っこには、つねに小林旭氏の歌がある。
毎日のように仕事が終わった父親に、近所の映画館に連れて行ってもらって見た、小林旭の映画の記憶は、3歳くらいから。
*小林旭 さすらい:
http://www.youtube.com/watch?v=l2eAXe_WCcE