2014年07月08日

弁護士の論理と政治家の論理、闘う人の心。追記:台風情報と集団的自衛権



つい昨日、このブログを楽しみに読んでいる、という某歯科医師関係者がいる、との話を聞いた。

このブログの読者の知的レベルはかなり高く、医師関係者は確かに多い。


実は、通いの生徒の中には、このブログを読まない者もいるし、さらに私の本も読めない者もいたりする。(オレ流が凄すぎる!)

まあ、あまりに近所にあるものは、その“偉大さ”がわからないのだろう。

”英雄も従者の前ではただの人”(ことわざ)


しかし、それだけ、彼らの無知ぶりは、育てがいがある、と思って関わってはいる!

だから、通常の常識感では、びっくりする”人造人間”が作り出される。

え~、こんな奴が、ジャズができるのぉ~!という、そのギャップ・イメージだ。

通常は、ジャズができる、という者は、頭良さそうな雰囲気があるはずだが、うちは違う!(声を大にしよう!)

びっくり人間が、ジャズを演奏しているような感じだろう。

だから、ジャズを演奏しているからと、ついつい間違って、生徒に”芸術論”なんか持ち出すと大変な事になる。

以前、生徒だった30代半ばのギターの若者(?)のエピソードでは、「おまえの音はチープ(cheap)なんだよ!」とバンマスから叱られた、というのだが、さぞ、落ち込んでいるか、とすぐに、慰めたメンバー(女性ボーカル)がいた。

しかし、そのメンバーに向かって彼は、「チープって何ですか?」と聞いたらしい。

(もちろん、なぐさめた側は、後ろを向いて「ダ~ミダ、コリャ!」とつぶやいたはずだ。)

このエピソードは、いかに、私の音楽メソッドが優れているかのよい例ではある。

毎日、犬と猫の事にしか関心のないピアニストの生徒もいる!(バレてるか!?)


というわけで、このブログだけは、さすがに、知的レベルが高い人でないと読めないが、単純に、私が、難しい話を面白く書いているだけだからかもしれないけど、、、、。

それでも「長い!」という人は、基本的に、知的レベルは高くない。これは断言できる。

なぜなら、こんな程度で、へたばっている人間は、一日に5冊の本なんか到底読めないから、本に文句ばかりをつける人間にしかならない。

年に5冊しか読まない人は、その5冊の話題しか出ないだろうが、一日、5冊では、もう二日目では、いちいち批判する時間もないからだ。

ゆえに、このブログの話が長い、という人は、まず、読書人ではない、という事がわかる。

1日に1冊読めばいい方だろう。(一般の会社員でも、通勤時間にそれくらいは読んでいるだろう。)

私もよく読む人気作家の例では、一日、20~30冊らしい。

(もちろん、鋭い知性の人、という前提は大事である。1冊読み終えても「チープって何?」という質問をするようでは、一日に100冊読んでも知能は発達しない!)


ということで、このブログの読者は、県外の人が多いので、ブログ・ランキングは、つねに最下位あたりではないか。

弁護士関係は知らないが、弁護士の悪口?も言ったりするからか、弁護士で「読んでます!」という人はまだいない。。

なにせ、「弁護士は論理的思考に弱い!」とか言ったりするからだろうか。

何かの基盤となる刑法(六法全書)に照らし合すのは、得意(?)なのだろうけど、この基盤が、世間の「常識」や「倫理観」となると、その「常識感」が単なる、感情的な価値観を基準にしていた事が露呈してしまうわけだ。

これは、もう15年くらい前から主張していたのだが、近年では、弁護士も人気者になり、やっとこれを証明してくれた。

彼らは、「論理」のエキスパートではなく、「法律」の専門家、というわけだ。


現・大阪市長の失言なんか、これを証明してくれるので実にありがたいが、氏の場合は、慰安婦はどこの国の軍でもやっているわけだ、という事でこれは弁護士らしく(?)「国家の弁護」という事になるのだろうか。



*橋下徹:


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E4%B8%8B%E5%BE%B9



弁護士で政治家と言えば、米国元大統領のクリントン氏もいた。

クリントン氏は、大統領室での不倫問題で、「知性」と「理性」「倫理観」は別だ!、という事を証明してくれた。


*ビル・クリントン:


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3



テレビを見ると、弁護士同士であっても正反対の意見だったりするので、こうなると、六法全書を前提とした本業での「論理力」さえも絶対的とはいえない。

「弁護士脳」は、基本的に、何かを「弁護」する脳回路になっているわけだから、これは、そのまま「言い訳」にもつながるが、最終的に「六法全書」に帰結する話でない場合は、人間社会では通用しなかったりする結論になる。

法廷での勝ち負けは、「無罪か有罪か」なのだが、これが一般社会となると、「人の心を動かしたか、動かさないか」という事でしか決着はつかない。(近年の法廷では、陪審員の心を動かしたか、動かさないか、となる)

これを専門としているのが、“政治家”ということになるのだろう。

政治家は、“弁論”を武器に生き抜くしかない、という事もあり、映画なんかでは、アメ~リカの大統領は、その頂点としてリスペクトされていたりする。

国民が動揺していたり、反乱を起こしそうになったりするのを抑え、鎮めるのは、軍隊の武力よりも、大統領の演説に掛かっているわけだ。


スピーチの力を思い知るエピソードとして何年か前、「英国王のスピーチ」を見た事がある。


*英国王のスピーチ:(The King's Speech:2010年のイギリスの歴史ドラマ映画)


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E7%8E%8B%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%81


しかし、日本で、それだけの“名演説”が日本の政治家にあった、という歴史的なエピソードはない。

(演説中に刺された、という話しはあるが、それが名演説中だった、という記録はないだろう)


沖縄には、名演説で鳴らした政治家の瀬長(せなが)亀次郎がいる。


一般に「カメジロ~」として県民に愛されていた。


米軍統治下の”琉球”時代、何千人もの市民の前で声を張り上げて行い、人々の心を動かした、有名な“カメジロ~”の野外演説での言葉がある。


“この瀬長一人が叫んだならば、50メートル先まで聞こえます。
沖縄の70万人民が叫んだならば、太平洋の荒波を越えてワシントンを動かすことができます。“



*瀬長亀次郎(せなが・かめじろう)1907年(明治40年)6月10日 - 2001年(平成13年)10月5日)


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E9%95%B7%E4%BA%80%E6%AC%A1%E9%83%8E


「カメジロ~」の話となると、私の母が、いつも思い出して語るのは、あるラジオ番組でのインタビューで、好きな食べ物は、「沖縄そば」で、好きな女優は「大竹しのぶ」と言っていた、という話しだ。

年代的には、昭和5年生まれの母親の親にあたる世代ではある。

母は、カメジロ~と聞くとすぐにこの話を持ち出して私に聞かせていた。

(その母も84才になり、今は、デイケア―に通う毎日ではあるから、もう、そんな話も出ないだろう。しかし、試してみようと今、思った)


こういう過去の偉人たちの闘いを知ると、いかに、“今”の人たちが、“現状を変えたい”というハングリー精神が薄れ、ただただ、日々の“儒教的”な“奴隷暮らしを”心地よい“としているかがわかる。

現状を肯定する、という事は、自己肯定でしかないわけだから、そこからは何も生まれない。
何の修行の必要もない。


それでは、吉田拓郎の“イメージの詩”の意味も理解できない。



*吉田拓郎(1946年4月5日 - ):イメージの詩(1970年6月1日)


http://www.youtube.com/watch?v=ql8lav7vP20



吉田拓郎、24歳の時の作詞になる。



この詩の中で、10代の頃からいつも心に響く箇所がある。


『おれもきっと君のいる太陽のあるところへ
行ってみるよ そしてきっと言うだろう
来てみて良かった 君がいるから

長い長い坂を登って
後ろを見てごらん 誰もいないだろう
長い長い坂をおりて
後を見てごらん
皆が上で 手を振るサ』



歌詞の意味は、結局、男にとっては、好きになった女性が一番で、その娘が、「こっちへおいでよ、楽しいから!」と言われて、そんな場所や、そこにいる他の人間なんかどうでもよいのに、それでも行く理由は、単純に、その娘が好きだから行くだけだ。(さすが、恋愛に生きた拓郎ならではの詩だ。)

その周りにいる男たちや楽しそうなものなんか、ど~でもいいわけだ。

しかし、人というのは、孤独に努力してがんばって生きていて、ふと後ろを見ると、誰も自分に着いて来ていない現実がある。

努力する人の闘いは孤独な闘いだったとわかる。

それだからと言って、努力する事を辞めて、楽しく生きようとすると、今度は、自分が落ちぶれて、それを見下すように、みんなが上で楽しく暮らしながら、手を振っている、というものだ。


中学生の私は、この歌詞の意味をわかった気になっていたのだが、観念として理解できても、経験としてないわけだから、年々、年を経るたびに、この意味を痛感して行く事になる。


あれから、40年以上経て、今では、振り返っても誰もいないし、遠くの方で、みんなが上でこちらに手を振ることもなく、ただ、みんなで騒いでいるのだけが見える。

だからと言って、そこまで行くか、となるが、そこには、別に、魅力的な“君”がいるわけでもないから、当然、行く気もないが、それにしても、みんなの毎日は、楽しそうだな、という事だけはわかる。

これで人生に不満や不安があってはバチが当たるんじゃないか。


それにしても、誰が、24歳で、こんな詩が書けるか!?、歌が作れるか。


近年のヒット曲は、小学生の日記のような歌詞が歌になっていることだけはわかるが、その歌詞を国語力が異常に低下した世代が「歌詞に共感した!」と絶賛しているのが現実だ。

えっ?それは、あんたが、それだけ年寄になった、という事になるんだよ!、というのなら、じゃあ、文学や名画の世界はどうなんだ、となる。往年の名曲、スタンダードでも同じだ。

何十年経ても、その価値が下がらない、としたら、やはりそれは、普遍の価値がある、という証拠にならないか。
単純に、そうした質の高い世界を知らないだけじゃないか。


ちなみに、「イメージの詩」から2年後に誕生した、泉谷 しげる(1948年5月11日 - )の“春夏秋冬(1972年9月)”も泉谷氏が24歳の時の作品だ。


“闘う天才詩人”たちの偉業は、すでに24歳までには終わっているのだ。




*泉谷しげる:春夏秋冬


http://www.youtube.com/watch?v=ZrkS0XoBsVE





ということで、今回もまた暇つぶしに、東京在住の46歳の元生徒からのメールを後半で紹介しよう。


一連のサッカー話の“発起人”ではある。

ブログでの回答に対して返信をくれていたのを一挙に列挙して終わろう。


例によって、プライベートな話はカットしての掲載。



メール1:


『新刊、7月25日発売ですね。
表紙も明るいですね!
今までの理論書とは一線を画すのは間違いないでしょう!
絶対買います。』(6月30日)



返信:



これまでのジャズ理論書は、ただ“六法全書”の“法律”を列挙しただけだな。

しかし、知識ひけらかし、クイズ好きな日本人は、そういうのを好む。

ひけらかし用の断片的な“知識”だけを求めるから、知識はあるのに、ホームレスだったりする。

英語を喋るホームレスも日本にはいるくらいだ。





メール2:


『お疲れ様です。
日記読みました!
始めはバーテンの話は飛ばしてサッカー話総括をなるほどー
と思いながら読みました。
(バーテン話も後でよみました。)

一からやり直しという言葉の重みが伝わってきましたね。
これを指摘しているのはこのブログだけではないでしょうか。

サッカー関係者にも読んでもらいたいものです。』(7月3日)



返信:


サッカー関係者が読んだら、文句しか言われないから、前半を色恋沙汰にして、興味がない人は、読むのを断念するようにしてんだな。
サッカーファンは、ジャズおたくや、クラシックおたく、AKBファンのように過激だからねぇ。最近見た番組では、ラーメン・おたくも異常だな。
醤油派とみそ派の闘いを見たな。みんな、自分では、何も作れないんだけどな。



メール3:



『お疲れ様です。
新刊本、予約はしてません!
なぜなら今回も平積みで置かれると思うからです。
過去の著書はすべて平積みでした。

紀伊国屋はいまでも音感本を平積みです。

なので書店業界としても割合チカラ入れているのかな、、と。

音感本のあと他社があわてて?類似本出しましたよね。
音感*** でしたっけ?
似たような配色で結構えげつないなぁと思いました。

出版業界も大変みたいですから(特に音楽業界の出版は!)
先生の本はまさに救世主でしょう。

はやく25日になってほしいものです。

では失礼します。』(7月2日)



返信:


おお、平積みだって!凄い!

偉業だ!

大手の本屋では、1日、2日でも売れなかったら、本は返品だからだな!

平積みは、本にとっての王様の椅子になる。最高の特等席だな!

それにしても、沖縄で3人にしか売れない本が、東京では、何万人にも売れる、わけだから、ますます地域の格差が広がる一方だなあ。。。。


紀伊国屋で買う場合は、入ったらすぐに大声で「友寄隆哉の本は売り切れですか?どこにありますか?」と店員に聞いてくれ!

重要な任務だ。頼んだぞ!



メール4:



『お疲れ様です。

(中略)

そういえば近所(註:東京)に
チャーヌガナイサ(註:なんとかなる)
という沖縄スナックがあります。
全然流行ってないっぽいです。
沖縄語はそれとなく使えば外国語に聞こえなくもない言葉たくさんありますね。』



返信:



北朝鮮のスパイの店と思われているんじゃないか!



『(中略)


あ、思い出しました。

ダカラヨー

って内地の人が理解できない使いまわしだそうです。』



回答:


「だからよぉ~」は、以前、職場に中国人のバイトがいるんだけど、どう言ったら理解して貰えるでしょうか?と県外出身の県在住者から聞かれたことがある。

その時は、彼が英語がわかる、というので、英語にした覚えがある。ここでは、教えられないが!



『あと、

やがて○○するところだったさーの「やがて」も理解しにくいみたいですね。』



『だーるか(であるか)は信長の口癖だった「○○であるか」の「であるか」と同じ意味
だばーよーと言えば理解されました。

先生は質問されたら何て解説してます?』(7月6日)


返信:



言葉の考察シリーズは、岩波書店から出版されるまで保留することにしよう。

それまでは、勝手に解釈しておくといいぞ!

世の中、何でもタダでは手に入らないしな!

演奏してもお金を払う気にならないミュージシャンもいるし、お金を払いたくなるミュージシャンもいるわけだし。


同級生の葬式で集まった同級生の弁護士に法律のことをちょっと相談したら、後日、請求書が来たらしい。

彼らは、一律、30分5千円の一般向けの相談をしているくらいではあるけど、「知識を得るのにお金がいる」という事を知らない庶民も悪いが、同級生の雑談で、請求書を出した弁護士も何とも言えないではある。

でもまあ、普通、友人に弁護士がいたら、聞きまくるかもしれないではあるしねぇ。

近年は、歌手は、バラエティ番組なんかでは、歌ったりしないはず。

昔は、すぐに「歌って、歌って!」と言われて、無伴奏で歌わされた歌手も多かった。

今は、冗談めかして「ギャラが発生するよ!」と言って断る人も増えた。


本当に回答を聞きたい個人的な質問の場合、お中元、お歳暮をくれたら、特別に、個人への質問を密室のやりとりで行ってもいいだろう!


よくある困る質問は、このブログをちゃんと読まない読者が、子育てに失敗した、という話しをしたりするが、何と言っていいかわからない。

このブログは、14年ほど前から、実は、”教育サイト”なはずだし。

でも、それは、しょうがない。

みんな自分の方が頭がいいから、と思って育てるからだ。

こちらは、自分は頭が悪いと思っているから常に学ぶしかない。

だから、少しは頭が良くなったかな、と思うたびに、教育方法もメソッドもさらにグレードアップさせ”更新”している。

10年前は、10年掛かると思った事が、今は、5年でマスターさせる事ができる。

1年前と現在では、その手順も全く違う。

それが、今回の新刊本「禁断のジャズ理論」にも反映されている、とは思う。



ああ、そうだ!

最近、もっと凄い生徒がいたぞ!


自分の先生の「日本人のためのリズム感トレーニング理論」の本は、文字が多いからと、読まないのに、”リズム研究会”を作って、みんなで練習している、という生徒だな!

やはり、地元の生徒たちは、普通の人間たちではないなあ、とつくづく思う。

だから、こちらには、”教えがい”はあるが、あちらは、逆に”忘れがい”があるのかもしれないな!

みんな”理論嫌い”だから、理論もちゃんと教えないやり方ではある。

こういう”恵まれた(?)”環境にいるから、色んなメソッドが生まれるんだと今では感謝している!

優秀な生徒ばかりいたら、何のメソッドも生まれない。


これは、スポーツでも同じだと思う。

根性も技術も知性もないダメ・チームだからこそ、これまでにない特別な練習法を考え出さないといけないはずだな。


もちろん、これが”会社”なら、すぐに”倒産”することは確かではあるが、”学校”という教育の場では、それが許されないと、人は創られない。


生徒は去っても、こちらには、その経験が”知識”として残るから、メソッドもまた変わり続ける。

そして、また、次の世代を育てるためのメソッドとして活かされる。

この繰り返しだねぇ。






PS:台風情報と集団的自衛権



現在、7月8日、午後4時。

沖縄は、台風8号の真っただ中!

朝、気が付いたら、ベランダの三方の柵に巻きつけてあった2メートルほどの人口植物のネットが、すっ飛ばされていた!


何と言う台風か!

明日にも止まないとか言うし、まだまだ序の口という。


本格的には、今夜からだ、という話し。


今回の台風は、これまでにない最大級の75メートルの勢力とか言ってるし、、。

沖縄は、昔は、全国一の台風被害県だったが、それは、家の作りがベニヤ、トタンの平屋作りだったから。

昭和40年あたりから、鉄筋コンクリートの家作りが進み、現在では、台風直撃でも、頑丈な島になった。

ところが、台風が直撃しなかったのか、日本本土は、まだまだ、びっくりするくらい“紙の家”ばかり。

あるいは、“紙の元”となる家々。

それと洪水となる川ばかり。

この台風8号が北上すると、おそらく、相当な被害になると思うのだが、日本人は、危機意識が全くないカミカゼに守られている、という全能感に満ちた民族だから、毎回、気にしない。この点は、「オレは死なない!」と赤信号に突進する暴走族と変わりない。それを”勇気”と讃えるメンタリティーがある。

単純に、”無謀”で”ラッキー”なだけである。


日本人は、すぐそばで殺人事件が起こってもサッカー観戦に夢中だったり、やがて“徴兵制度”が置かれると言っても、どうせ自衛隊が行くだろう、と他人事ではある。

しかし、みんな“戦地”には行きたくないから、これから自衛隊入隊者も減る。

そうなると、アメ~リカがやるように、若者の失業者を増やし、みんな軍隊に入れる。

軍隊に入れば、給料が貰える。いろんな資格が取れる。

これは、かつての60年代の日本も同じ自衛隊員勧誘作戦を取った。

貧乏な家と仕事のない若者がターゲットとなった。

芸能人は、原宿でスカウトされる事が多いが、隊員は、どこでもスカウトされた。

「君、仕事ないなら国家のために働いてみないか?」、「君、がっちりしているね。国家のために働かないか?」だ。

アメ~リカの若者雑誌には、60年代、70年代当時、軍隊勧誘のコマーシャルがよく掲載されてたものだ。

中学生あたりの雑誌からだ。

どうせ、みんな高校を中退するから、中学生の内から宣伝しておかないといけない。

そんなわけで、何を事前に注意しても、日本人は気にしない民族ではあるから、これも自業自得と言うしかない。

だからこそ、毎日、元気なんだろう。

だって、昨日の事を覚えていないわけだから、いつも新たな気持ちになれるわけだ。

こんな、どんちゃん騒ぎな日々の人生の人は、ほとんど、晩年はこうなってしまいましたよ、という統計が出ていても、自分は、その例外の人間だと信じているわけである。

まあ、でも、人間、生きている日だけが、楽しければ、それはそれでいいのかもしれない。

、、、、という考えになると、じゃあ、クスリもやっていいか?楽しくなれるんだけど?、という事になるのも論理的には必然ではある。


という事は、「毎日、楽しければいいんだよ!」という考えは、どこからどこまでなのか、その境界線がまずわからない。

それが法律で「脱法」なのか、どうか、でしか区別ができなくなるから、そこには、個人の倫理観や哲学は関係ない。

この辺りが、台風への危機意識と関係あるかもしれない。

もちろん、「集団的自衛権」も全く同じ反応ではある。

昨夜は、午前3時頃、けたたましい音がして、携帯電話の方へ、「警戒注意報」のメールが来た。
これが、2度目で、今日の午後1時半頃には、3度目が来た。

海岸沿いの人は、浸水の心配があるので、緊急に安全地区へ移動して下さい、とのことだが、その地区は、こちらから車で5分くらいの地区ではある。

そういえば、そこには、妹一家が住んでいたな、とメールで、「早く、浮き袋とゴーグルと水泳キャップをして待機しておいた方がいいぞ!」と知らせたら、「うちは、浸水しないから大丈夫!」と返信して来た。

みんな、知らないだろうが、ここは6階なので、風の強さも地上の6倍ある。

大雨と強い風が、今もビュービューと吹き付けている。

生れた時から、台風となると学校が休みになった嬉しい記憶からか、沖縄県民は、みな、台風には血が騒ぎ、飲み明かしたくなる。



今夜が山田。


































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