2014年02月16日
ロック・ジャズのモンスター・カスタマー常連ゴロ、PS1,2
このところ、ちょっと音楽関係のクラブやバーに誘われて二軒ばかり新刊の宣伝も兼ねて飲みに行く機会があり、ちょっと忘れていた世界を思い出した。
某ジャズ関係の高級クラブ風のジャズ・ライブ店のカウンター席では、ちょっとトイレに行っている間に隣の常連風な客が私の本をちょっと覗きこみ、「こんな本は、音大で教えるべき本だよねぇ」と物知り顔で話していたので、ああ、音大出身かな、と思い、「そんなことはない!そもそも音大では、こんな本は教えない!」ととうとうと解説して言ったら、「まあ、そもそも俺は音大に行ってないから知らないんだけど、、」と言い訳して来た。
昔から、こうした高級ジャズクラブ系の客というのは、みんなインテリ風で(医者、弁護士、会社社長、クラブオーナーなど)、ミュージシャンを上から目線で見下す体質があって、私も20年くらい前になるが、店のハウスバンドに飛び入りしてギターを弾いていたら「もっと伴奏もしないとな!」と帰り際にエラそうに言って来る金持ち風おっさん系の中年から言われたことがある。
私は、別にそこの雇われメンバーでもなかったので、「ビルエバンスとジムホールが共演したレコード聞いたことあるの?」と答えたことがある。
これが雇われハウス・バンドのメンバーなら、何にしても「お客様は神様!」なので、客とバンドマンが口論してはいけない。
店の営業妨害になるから、何でも客の言うことは、はいはい、と相槌を打っていないといけない。
これは、客に気を気を使っている、というより、店のオーナーに気を使っているのだ。
特に、オーナー自身が、バンドマンで、そのハウス・バンドのバンドリーダーだったりするから、気を使うのは当然ではある。
ただ、そうした「しがらみ」がなければ、やっぱり、そこは、反論してもいいだろうと思うが、バンドマンとして生きるには、とにかく、世の中の”士農工商バンドマン”のルールに従わないといけない。そうでないと仕事を失くしてしまうからだ。(だから、今もない!)
まあ、なんやかんやと店自体は、同業者のつもりでいたら、帰りに一人五千円の飲み代を要求されてしまい、ああ、ここは、年に1回だけ来る店だな、と思った。
同業者から二千円以上取ってはいけない。
大した酒も飲んでいない。焼酎だけだ。つまみなんかないに等しい。
しかし、まあ、他の酒場から移動して午前3時頃に店に入り、午前6時に店を出たのではあるが、、、。
さらに三次会で、おでん屋風飲み屋に行って、カラオケ大会になったが、1曲だけ歌って、午前7時に一人抜け出し、帰った。
そもそもが、午後11時40分集合の飲み会ではあった。
今度は、また別の日、S氏とおち合い連れて行かれたロック・バーでは、モンスター・カスタマーとちょっとディベートになった。
こちらも新刊の宣伝にもなるかと、常に本やフライヤーを持ち歩いて飲みに出るのだが、リズム本ということで、カウンターに二人別々にいた客の40代か50代かわからない酔った中年客が「なんで黒人リズムだ?」と言って来た。
ちょうど店では、私の新刊でもちょっと触れている、往年のバンド、”STAFF”のDVDの映像が流れていて、コーネル・デュプリーがギターでアドリブしているところだった。
この間見たケーブルテレビで、イギリス人音楽評論家のピーターバラカン氏が、来日したきっかけとかをインタビューされている番組があり、そこで、ピーターバラカン氏は、「もう、70年代の日本のロックは、ロックじゃなく何か、日本の伝統的な盆踊りのような”音頭”のようだった!」と過激に語っていた。
ピーターは、ああした柔和な顔で、司会ではなく、自分がメインにインタビューされる時は、かなり過激な発言をするようだ。
この話をたとえに出したら、この客が怒り出し、「じゃあ、フラワートラベリンバンドはどうなんだ!」と食ってかかって来た。
今、考えれば、これは、私にではなく、ピーターバラカンに食ってかかればいい話ではあるが、一応、言い返した。
そもそも、この客は、「別に黒人リズムなんかどうでもいい。フラワートラベリンバンドは、日本独自の音楽で世界に出たんだから!」と言って来たが、”人間の証明”のテーマソングを歌ってメジャーになったジョー山中氏が在籍していたバンドで、これは私の方が詳しいはずだ。
ギタリストの石間氏も覚えているし。
私は、「連中だって、最初から日本人らしいバンドをやろうとは思ってないでしょ?」と言ったら、「彼らに聞いたのか?」と言って来た。
それで、「じゃあ、あなたは聞いたのか?」というと、そう彼らが雑誌で言っていた、という。
そもそもフラワートラベリンバンドが、世界的に成功した、という話すら聞いたことはないし、ボーカルのジョー山中氏自体、黒人とのハーフ(ダブル?)である。
あの70年代、”ヒロシマ”というロックバンドが、海外進出したことはある。
ピーターバラカン氏の「日本の70年代ロックは音頭だった!」という話に、ちょっと私から反論すれば、実際は、当時、一番の人気だったロックバンド、”クリエイション”は、アメリカの人気バンド”マウンテン”のベーシストでリーダーで、プロデューサーのフリックス・パッパラルディーに認められ、一緒に全米ツアーをした、というニュースが話題になったことはある。
”クリエイション”のギタリストは、竹田和夫氏だ。
新刊でも触れているが、ベースの山内テツ氏は、70年代初期に、すでにイギリスのボーカル、ポール・ロジャースの率いる”フリー”やロッドスチュアートの率いるバンド”フェイセズ”にベースで参加したりしている。
だからまあ、ピーター・バラカン氏は、具体的に何を指しているかはわからないから、この問題は、当時のロックファンにはショッキングな話ではあるだろう。
しかし、成毛氏の”日本人にリズム音痴からの脱出は可能か”という記事が出たのも1972年だ。
竹田氏は当時から先輩の成毛氏を慕っているギタリストだ。
そんな話は、どうでもいいというように、カウンターの客は、「そもそもこの本を読めばリズムが良くなるのか?弾いてみろ!」と言って来た。
私は、この「弾いてみろ!」という発言に対して、本を読んでみたらわかる、と答える。
そんな話は、どうでもいいというように、カウンターの客は、「そもそもこの本を読めばリズムが良くなるのか?弾いてみろ!」とさらに言って来た。
私は、この「弾いてみろ!」という発言に対して、「何で弾かなきゃいけないの?そもそも、今、この黒人リズムをBGMで、コーネルデュプリーが弾いてるじゃないの?これが、そのリズムだ。」と答えた。
「それに、実際に何十年もレコードやCDを聴いて来たというのに、この“のり”がわからない人ばかりだってことは、演奏しても意味がないってことじゃないの?だったら、今度は、文字で読んで見るしかないんじゃないの?それなのに、聴かなきゃわからないって言ってるってことは、どういう意味かな?、喧嘩売ってんの?」と返答した。
まあ、実際、私の本なんか読む気がさらさらない人間の前で、30年以上もライブばかりして来た人間が、こんな人間の前で、タダで弾くわけがない。
こいつに好かれたからと言って、明日から自分の人生が変わることなんかない。
毎月、お金を振り込んでくれる、というなら弾かないでもない。
あるいは、百冊購入しようという男気があるなら、話は別だ。
一冊すら購入する気もなく、「本を読んだらリズムが良くなるのか?」という人間は、これは、人類に対しての挑戦で、読書から何か学ぶことがあるのか?ということを言っているわけだ。
まあ、恥ずかしながら、これが沖縄の原住民の実体ではある。
こういう人間は、ロックやブルース界にはごろごろいて、「おめぇのブルースなんかまだまだ大したことないから調子に乗んなよな!」という連中は、ブルース好きな関西方面にはごろごろいるはずだ。
私は、20年ほど前か、某有名関西系ジャズピアニストが、ブルースバーで、そんなことを客から言われているのを目の前で聞いたことがある。(註:東京のブルース・バー)
そのピアニストは、インテリで、あらゆるジャンルを弾く系のピアニストで、クラシック、ブルース、ジャズと、今では、音楽業界に君臨し、様々な歌手のアレンジをしていたりするピアニストで、当時からも有名だったのだが、その時、「ああ、すいません。勉強させていただきますぅ~」というように下手に出てなぜか謝っていた。
これが、成功する人のモンスター客のあしらい方だ。
しかし、よく無頼派の作家(立原正秋など、)やフォーク・シンガー(吉田拓郎など)が、飲み屋で毎日のように喧嘩している話を自慢したりしていたが、飲み屋では、こうしたトラブルはつきものではある。
その喧嘩を買うか、買わないかの二者択一になる。
私自身は、本当は、隣の客なんかとは喋らない体質でもあるし、基本的には、明るい焼き鳥屋のカウンターで一人で読書しながら飲む。
しかし、相変わらず、こんな考え方の客の男が親だったり、周りにいたら、もうその子供の未来は決定しているようなものだ。
そもそも、こいつにとってロックは何なのか。
何か、バツが悪くなったのか、いちゃもん客は、すっと立ち上がり、もう帰ろう、と言って突然、帰って行った。
翌日になって何となく思ったのは、二人の客はそもそも、私を自分よりもずっと若い奴、と思っていたのではないだろうか。
野球帽を被ってもいたし。
実際、いつも若く見える感じで苦労したことはあれこれある。
マスターへは、これまで見たことがない顔でもあり、ロック系出身なら、その年代では、共通の知人もいるはずだ、とあれこれ質問したら、共通の知り合いがぞろぞろ出て来たが、彼からするとみんな「さん」付けだったので、年齢を聴くと私より5歳ばかり下だった。
引率したS氏よりも4歳下になる。
私は、さらに鋭い質問をぶつけた。
そもそもロック・バーのマスターとして生きるほどロック的な生き方を貫いて来たのか、という点だ。
どうやら、顔を知らないのは、東京で長年生きて来た、という。
始まりは、ロックバンドのギタリストだったらしい。
この店は、ライブセッションができる、ということでS氏に連れられて来たが、この日は、しょっぱなから、ああしたモンスター客もいたので、和気あいあいと楽器を弾いたりする気分にはならなかった。
もちろん、S氏が心配したような暴力系の喧嘩沙汰には絶対にならない。(、、、と思う)
なったら、警察関係が介入すると私がかなり不利になるので、わざわざそんな事を招くことはない。
喧嘩の絶えなかった、という作家の椎名誠氏でも30歳で喧嘩は卒業、と言っているらしいし。
あれやこれや、次回からの対策を考えると、まあ、こうしたロック系、ジャズ系、ブルース系の店へは出入りしないことではある。
入っても、客とは口を利かないことだ。
私を目下の者扱いしたあのモンスター客も、酔っていたとはいえ、ちゃんと私からご褒美があって、今後、二度と親しく喋らない、という地位に上り詰めた。
その地位は、将来も変わることはない。
そこで、今回の新刊本に関して、この本を読んだというだけで、こうしたブルース系、ロック系のモンスター素人ファンから、同様な“インネン”を付けられないとも限らないので、その際の、返答のモデルパターンを教えておこう、と思う。
これは、インタビューでもあまり聞かれなかったので、“護身術ディベート”として創作してみよう。
まず、相手の口調に同調してはいけない。
品性を保たないと、同列の人間になってしまうからだ。
Q:なぜ黒人リズムをマスターしなきゃいけないんだ!日本人は、日本人らしいリズムで勝負すべきじゃないか!
A:昔、漫画「巨人の星」で、星飛雄馬が父の星一徹にデパートの屋上のレストランに連れて行かれ、「明日からは、親でも子でもない闘いが始まるから、今日は、父親として最後だから好きなものを食べなさい」というシーンがあり、そこで飛雄馬は、ひねくれて「一番高いもの!」と注文したら、ステーキが出て来る。
その時、ナイフとフォークが付いているのだが、飛雄馬は、ナイフとフォークがうまく使えない苛立ちから「くそ!箸はないのか。箸もって来い!」とレストラン側に怒鳴る、というシーンがある。
ここから、洋楽を日本人リズムでやろうとする人間の音楽を“箸持って来い音楽”と命名している。
これは、異文化を否定するような考え方で、経済大国日本”農協社会”を象徴する考え方ではないか。
その証拠にイギリス人やアメリカ人が、もしも「日本民謡」をやった場合、すべてイギリス式でやったとしたら、どう感じるか?
それは、大変、傲慢な民族だと思うはずではないか。
日本人の、「日本人らしいリズムで洋楽をやればいい」、という考え方自体、すでに他国の文化を否定した傲慢そのものではないか。
それに、そもそも、自分は、不良なので、親の言うことを聞いたことがない。
家にもいたくなかった。
不良は、いつも“外”の世界にあこがれ、家を飛び出す。
親孝行じゃない。
親が弱っていたら、単に人として、手を貸すわけで、それはけっして尊敬しているからではない。
弱い人に手を貸す、という意味でしかない。
だから、自国の音楽よりも、洋楽にあこがれた。
それなら、洋楽は、洋楽として学びたい。
ロックもジャズもモデルは黒人音楽なわけで、、自国の“親孝行音楽(民謡)”として好きになったわけじゃない。
それに、自分は、いつでも日本人らしい演奏はできるが、洋楽は修行が必要だった。
ということは、洋楽リズムをマスターしていない人は、それしかできないから、芸の幅が狭すぎるんじゃないか。
これは、近年の若者バンドマンが、「アドリブなんかする奴はかっこ悪い」というのに同じではないか。
アドリブできる人は、アドリブしなければ、いいだけで、そもそも、アドリブできない人は、それだけしかできない。
だから、芸としても幅が狭すぎるのに同じじゃないか。
Q:リズムに関して、本を読めばわかるのか?
A:じゃあ、CDを聴けば、できますか?
Q:完コピして弾いている人はどうなんだ?ちゃんとできてるじゃないか!
A:それは、モデルがある演奏をそのまま再現しているだけだから、関西系のアナウンサーが、標準語で原稿を読むようなものじゃないのか。
大事なのは、“即興(フリートーク)”で、標準語が保てるのか、ということではないか。
決められた音符では、誰でもそれらしくはできる。
Q:この本は、分厚すぎて読めないねぇ。
:
A:じゃあ、薄かったら読めるのですか?
読めるとしたら、薄い本が、全10巻あると思えばいいんじゃないか?
そもそも、分厚い本を読んだことはないのか?
いつもそれくらいの本を読んでいれば、分厚いことに大して驚きはないんじゃないか?
それに、この本は、文字を読まない読者を相手にばかり物事を考えていたら、自分も同じようないバカになるから、そういう読者をターゲットにしていないし、そういう読者はどうでもいい。
PS1:
人気を得るために生きている人はいるのだろうけど、漫才の”爆笑問題”のコンビじゃないけど、芸人の基本は、舞台で、ライブだ。
そこで、同じ舞台に立って、見劣りしたら、終わりじゃないか。
そこには、有名とか無名とかも関係ない。
世の中は、「どれくら練習したらジョーパスみたいに弾けますか?」というアマチャーばかりではあるけど、私自身は、いつでも、自己過信のアマチャーに深淵なる芸事の世界を伝える、その道の奥の深さを教えることへは、労力を惜しまないから、このブログもなんとか続いている。
「おめ~らに、ゲ~ジュツの何がわかるんだ!」と怒鳴ったら、すべては終わりである。
PS2:
こうした店に巣食う、からみ好きな常連客を”常連ゴロ”と呼ぶことにした。(註:”ゴロ”は、当然、”ごろつき”の意味だ。)
ミュージシャンは、くれぐれも、こうした”常連ゴロ”に気をつけよう。
酒の酔いも手伝って、威勢のよい音楽の刺激で気も大きくなるのだろう。
また、店のマスターも商売上、こうした常連ゴロの”御講釈”を、反論もせず、下手に出てうけたまわっているから、ますます増長する、という原因もある。
しかし、客というのは、そもそもからして、下手に出る店の者には強気ではある。
そのさらに上、、じゃなかった、下に出る、という客は、なかなかまれではある。