2012年06月06日
私のある一日
午後9時に寝て、午前5時に起床したのは、小学生の夏休み以来じゃないか。
睡眠障害センターでの一日入院で、身体中のあちこちに検査のためのコードを装着し寝かされる。
まるで、鉄腕アトム誕生のようなシーンだ。(よく覚えていないが、、。)
寝られるかなあ、と心配だったので、事前に、病院側に「お酒を飲んで行っていいですかあ?」と、問い合わせたら、「ちょっと、先生に聞いて後から連絡します。」と。
最終的には、お酒は飲まないで来て下さい、眠れない場合は、睡眠薬を使いますから大丈夫です!と来る。
ああ、睡眠薬か、と納得し病院へ。
結局、何だか初めてのような体験のうつらうつらとした寝方をする。
夢うつつとは、この事か、と思う。
途中、身体中にコードを装着したまま、トイレのために何度か起きる。
この発見には、びっくりだ。
普段、お酒を飲んでいるから、トイレで起きるのだとばかり思っていたのに、全く、水分も控え、お酒も飲まずに寝たのに、同じような回数と量である。
検査技師に聞くと「無呼吸症候群の人は、腎臓の動きが活発になり、尿もどんどん製造されるんです。」と言う。
な~るほど。
そういえば、入院前にテレビのニュースを見ていたら、やたら、”酸蝕歯(さんしょくし)”の事を特集していた。
いかに、食べ物の”酸”が、歯を溶かすか、という特集だ。
おお!、これは、このブログで、前回、ダイエット・コーラと歯の関係で取り上げた話じゃないか!
やはり、このブログは、常に、時代を先取りしているな!
しかも、たんなる知識としての情報でなく、実際の体験記だ!
という事からすると、今回の体験記からは、”首回り45センチ以上の人で、寝ている時、トイレで起きる回数の多い人は、無呼吸症候群を疑った方がいい!”という事になる。
お酒とも全く関係ない!
まあ、その他にも「前立腺肥大」の疑いもあるが、これは、2年くらい前にチェックし、否定された。
私にとって、入院は、基本的に”入院のプロ”なので、苦痛ではない。
入院は、あれこれの読書三昧ができるからでもある。
また、実際に、保険も下りるので、”プロ”そのものでもある。
これまでの入院歴もけっこうある。
最大が半年で、これは、24歳くらいの頃か。
それから、盲腸とか、いろいろあって、近年は、手の骨折まである。
入院で、持参するのは、ほとんど本だけ。
これは、旅行でも同じ。
あまり長期になるとギターまで持って行く。(もちろん、いつも愛用の象さんギターや、ギタレレだ!)
だから、入院は、基本的に”収入もある”仕事”にもなるから、一石三鳥くらいはある。
もちろん、不治の病は、困る。
治るから、入院は楽しいのである。
しかし、もし、治らないとしたら、毎日、ブログを更新するだろうとは思う。
これまで、言いたい事の100分の1も(!?)言えなかったことを毎日、書いて行くことだろう。
まあ、ビッグバンのホーキング博士のような天才ではないから、沖縄ブログ・ランキングの80位くらいの順位にふさわしく10人くらいが、熱心に読んでいるだけではある。
しかし、私のブログの読者層は、10年も前から、10人くらいとは言っても下は、中学生から、上は、60代までの幅がある。
まあ、でも、この10年くらいは、ただの音楽活動のブランクの”つなぎ”として更新している感覚ではある。
やはり、本来は、ライブ中継やCD発売告知をしたいではあるが、時代には逆らえない。
”ビート・たけし”だって、漫才にしがみついていたら、今頃、どうなっていたか。
「おまえのギターなんか聴きたくない!」という時代の流れのどさくさに紛れて、今度の新刊では、むりやり、ギター演奏を放り込んでいる。
しかも、これまでのマニアック路線スタイルでなく、大衆路線のギター演奏、という事で、なんとか便乗OKである。
普通に音感本を買った人は、なんでギター演奏が入っているのだろう、と思うはずではある。
いやあ、あまりに演奏する機会がなく、この芸を1センチも活かせないのは、もったいないなあ、と思うが、いやいや、ビート・たけし氏も漫才やコントする機会はない。(なかなか、”北野たけし”と呼べないなあ。)
入院中、色んな夢を見た。
しかし、これが、瞑想なのか、夢なのかわからないスレスレの睡眠だ。
20代の後半だったか、夢なのか現実なのか、わからない日々が続いた。
元々、夢なのか現実なのか、わからない狭間で生きて行きたい、というのがあったのだが、社会生活では、何かと問題もあるので、一応、理性的に暮らしているだけである。
自分の人生への願望は、けっこう特殊なので、これは教育上よくないので、誰にも伝えないようにしてはいる。
すでに、そういう生活をしている人への配慮からではある。
私の願望は、ワンカップ泡盛を飲みつつ、プラプラと家に帰りたい、とか言うものでもある。
しかし、社会的には、明日の事もあり、なかなかそんな暮らしもできない。
結局のところ、私の願望は、ギターを弾いて、弾きたい曲をCDにして、好きな本を読んで、言いたい事を本にしたい、という事でしかない。
だから、1960年代の生き方が大好きで、これをしたいから、今まで、生きて来たようなもんだ。
このために努力するわけだ。
1年が365日だとしたら、たとえ1日でもいいから、364日努力して、味わいたい、と思う。
それを、1日から2日、2日から3日とするのが、目標だ。
30年ぶりか、40年ぶりのシラフで見る、午前5時の空は、沖縄でも、やっぱり、”限りなく透明に近いブルー”だった。
(濁り曇った東京の空でも、午前4時頃に一瞬だけ、沖縄のような青空が顔を見せる。一瞬だけだ。夜遊びに明け暮れないとわからない、早朝の青空である。)
コンビニで、酒のつまみを買い帰宅し、録画していた、5月2日の番組、「名曲ベストヒット歌謡:1960~70年代、歌謡曲・演歌・フォーク・ロック」を飲みながら見ている。
なんと1974年のN・S・Pの「夕暮れ時はさびしそう」から1965年、バーブ佐竹「女心の唄」まで、流れている。
そうそう。
こんな生き方だ。
これで、ようやく、朝からお酒飲んで、一日を潰す人の気持ちもわかった。
がんばるだけが人生じゃない。
”歴史を味わう”ことに、一日くらい潰していいじゃないか。
まあ、ここらで、”お正月”休憩でもある。
色んなことを”見たり”、”聴いたり”していると、心の中にいろんな事が蓄積されて、これを味わうだけで、一生が終わるほどである。
これが、できるから、落ち込む事も、ウツ病もなく!、また、明日が来るわけだ。
たまには、BBキングで、一日中、踊ってみなよ!
イエ~イ!
音楽最高!
睡眠障害センターでの一日入院で、身体中のあちこちに検査のためのコードを装着し寝かされる。
まるで、鉄腕アトム誕生のようなシーンだ。(よく覚えていないが、、。)
寝られるかなあ、と心配だったので、事前に、病院側に「お酒を飲んで行っていいですかあ?」と、問い合わせたら、「ちょっと、先生に聞いて後から連絡します。」と。
最終的には、お酒は飲まないで来て下さい、眠れない場合は、睡眠薬を使いますから大丈夫です!と来る。
ああ、睡眠薬か、と納得し病院へ。
結局、何だか初めてのような体験のうつらうつらとした寝方をする。
夢うつつとは、この事か、と思う。
途中、身体中にコードを装着したまま、トイレのために何度か起きる。
この発見には、びっくりだ。
普段、お酒を飲んでいるから、トイレで起きるのだとばかり思っていたのに、全く、水分も控え、お酒も飲まずに寝たのに、同じような回数と量である。
検査技師に聞くと「無呼吸症候群の人は、腎臓の動きが活発になり、尿もどんどん製造されるんです。」と言う。
な~るほど。
そういえば、入院前にテレビのニュースを見ていたら、やたら、”酸蝕歯(さんしょくし)”の事を特集していた。
いかに、食べ物の”酸”が、歯を溶かすか、という特集だ。
おお!、これは、このブログで、前回、ダイエット・コーラと歯の関係で取り上げた話じゃないか!
やはり、このブログは、常に、時代を先取りしているな!
しかも、たんなる知識としての情報でなく、実際の体験記だ!
という事からすると、今回の体験記からは、”首回り45センチ以上の人で、寝ている時、トイレで起きる回数の多い人は、無呼吸症候群を疑った方がいい!”という事になる。
お酒とも全く関係ない!
まあ、その他にも「前立腺肥大」の疑いもあるが、これは、2年くらい前にチェックし、否定された。
私にとって、入院は、基本的に”入院のプロ”なので、苦痛ではない。
入院は、あれこれの読書三昧ができるからでもある。
また、実際に、保険も下りるので、”プロ”そのものでもある。
これまでの入院歴もけっこうある。
最大が半年で、これは、24歳くらいの頃か。
それから、盲腸とか、いろいろあって、近年は、手の骨折まである。
入院で、持参するのは、ほとんど本だけ。
これは、旅行でも同じ。
あまり長期になるとギターまで持って行く。(もちろん、いつも愛用の象さんギターや、ギタレレだ!)
だから、入院は、基本的に”収入もある”仕事”にもなるから、一石三鳥くらいはある。
もちろん、不治の病は、困る。
治るから、入院は楽しいのである。
しかし、もし、治らないとしたら、毎日、ブログを更新するだろうとは思う。
これまで、言いたい事の100分の1も(!?)言えなかったことを毎日、書いて行くことだろう。
まあ、ビッグバンのホーキング博士のような天才ではないから、沖縄ブログ・ランキングの80位くらいの順位にふさわしく10人くらいが、熱心に読んでいるだけではある。
しかし、私のブログの読者層は、10年も前から、10人くらいとは言っても下は、中学生から、上は、60代までの幅がある。
まあ、でも、この10年くらいは、ただの音楽活動のブランクの”つなぎ”として更新している感覚ではある。
やはり、本来は、ライブ中継やCD発売告知をしたいではあるが、時代には逆らえない。
”ビート・たけし”だって、漫才にしがみついていたら、今頃、どうなっていたか。
「おまえのギターなんか聴きたくない!」という時代の流れのどさくさに紛れて、今度の新刊では、むりやり、ギター演奏を放り込んでいる。
しかも、これまでのマニアック路線スタイルでなく、大衆路線のギター演奏、という事で、なんとか便乗OKである。
普通に音感本を買った人は、なんでギター演奏が入っているのだろう、と思うはずではある。
いやあ、あまりに演奏する機会がなく、この芸を1センチも活かせないのは、もったいないなあ、と思うが、いやいや、ビート・たけし氏も漫才やコントする機会はない。(なかなか、”北野たけし”と呼べないなあ。)
入院中、色んな夢を見た。
しかし、これが、瞑想なのか、夢なのかわからないスレスレの睡眠だ。
20代の後半だったか、夢なのか現実なのか、わからない日々が続いた。
元々、夢なのか現実なのか、わからない狭間で生きて行きたい、というのがあったのだが、社会生活では、何かと問題もあるので、一応、理性的に暮らしているだけである。
自分の人生への願望は、けっこう特殊なので、これは教育上よくないので、誰にも伝えないようにしてはいる。
すでに、そういう生活をしている人への配慮からではある。
私の願望は、ワンカップ泡盛を飲みつつ、プラプラと家に帰りたい、とか言うものでもある。
しかし、社会的には、明日の事もあり、なかなかそんな暮らしもできない。
結局のところ、私の願望は、ギターを弾いて、弾きたい曲をCDにして、好きな本を読んで、言いたい事を本にしたい、という事でしかない。
だから、1960年代の生き方が大好きで、これをしたいから、今まで、生きて来たようなもんだ。
このために努力するわけだ。
1年が365日だとしたら、たとえ1日でもいいから、364日努力して、味わいたい、と思う。
それを、1日から2日、2日から3日とするのが、目標だ。
30年ぶりか、40年ぶりのシラフで見る、午前5時の空は、沖縄でも、やっぱり、”限りなく透明に近いブルー”だった。
(濁り曇った東京の空でも、午前4時頃に一瞬だけ、沖縄のような青空が顔を見せる。一瞬だけだ。夜遊びに明け暮れないとわからない、早朝の青空である。)
コンビニで、酒のつまみを買い帰宅し、録画していた、5月2日の番組、「名曲ベストヒット歌謡:1960~70年代、歌謡曲・演歌・フォーク・ロック」を飲みながら見ている。
なんと1974年のN・S・Pの「夕暮れ時はさびしそう」から1965年、バーブ佐竹「女心の唄」まで、流れている。
そうそう。
こんな生き方だ。
これで、ようやく、朝からお酒飲んで、一日を潰す人の気持ちもわかった。
がんばるだけが人生じゃない。
”歴史を味わう”ことに、一日くらい潰していいじゃないか。
まあ、ここらで、”お正月”休憩でもある。
色んなことを”見たり”、”聴いたり”していると、心の中にいろんな事が蓄積されて、これを味わうだけで、一生が終わるほどである。
これが、できるから、落ち込む事も、ウツ病もなく!、また、明日が来るわけだ。
たまには、BBキングで、一日中、踊ってみなよ!
イエ~イ!
音楽最高!
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00
│雑談集