2011年01月28日

文は人なり、プロとは何か、卑怯な戦い方。


もうちょっと、ブログを更新しよう、と思うのだが、本来、このブログは、「営業活動」の一環でもあるので、まあ、CDの1枚でも売れたら更新しようかなあ、と普段は、のんびりと思っていたりするものだから、これが悪循環になる。


現在は、4月発売予定の本の書き終えた原稿の最終的な校正やチェックが始まっている。

私の書いた文章を編集者が、もっと売れるように、と「編集」して、簡潔に構成にした文章にしたわけである。
その編集後の文章が、電子化され、最終原稿として、ワード(文書)形式の添付ファイルで送られて来るのである。

まあ、あまり誰も信じないので、自分から言うと、私は、真面目に文章を書こうとすると、1行書くのに、何時間も費やしてしまうくらいの文章マニアでもある。(だから、教室用の年賀状とかの文句を考えるのは、実に楽しい。)

これは、音楽で言えば、作曲にあたいするわけで、英語でも、”COMPOSE(コンポーズ)”の意味は、「作曲」でもあり、「作文」でもある。

自分が、作曲したものを、「これでは売れない!」と手を入れられる事は、気持ちの良いものではない。
しかし、今回の本に関しては、私は、無個性を心がけた文体にしたので、簡潔に「編集」される事は、気にしない。

気にしないが、編集された文章に関してのチェックもまた、あれこれと、こだわりはある。こだわりはあるが、ある程度は、こうした、売るための本を売っている専門の編集社の方針に従うつもりではいる。

気分は、ピンク・レディのデビューに際して、「これではピンク・レディは、売れません。先生、どうか、詞を書き直して下さい!」と言われた、作詞家の阿久悠氏の気分でもある。

その点、こうした、ブログは、自由に好きな事が書けていい、と言う気楽さが、ある。
、、と、言いたいところだが、そうでもない。

常に、自分で設定し取り決めたルールに従い、このブログの文章も書いているわけである。

それは、音楽のジャンルによって、アドリブのスタイルを変えるような気分でもあるから、自分にあってはいる。
(私は、場所によって、キャラまで変える習性があるので、とにかく、そうした方が、楽しいと思っているのだと思う。)

これまでの10年の「時々日記」での文体と、去年からのこのブログでの文体、そして、やがて、本が出版されると、全く未知の大量の読者が、やって来るだろう、と思われるので、それに備えての心構え。(テレビなんかに出ると、いっきょにブログの読者は、何十倍にもなると言う話だ。テレビには、地元でさえ、一度も出たことがないけど、、。)

というわけで、現在は、こうしたプロの編集者の書いた文章を、書き手として最終チェックし、校正しているわけである。
しかし、文章は、私もプロである、という自負がある。
オリンピックも昔は、アマチャーの競技で、その技術は、プロをはるかに越えていたわけである。

高柳昌行氏は、「それで食べているからプロだ、と言う論理は、田舎の論理でしかない!」と、喝破した。
私は、十代から、そうやって教えられて来た。毎週行われる高柳教室では、第4週目は、自由テーマの作文提出が義務だった。

私は、小学生の頃から、作文を書くのが大好きで、ずっとそれで、アピールして来た人生があったから、それだったら、私の本領発揮だとばかり、書きまくった。

だから、すぐに高柳氏も「友寄!」と18歳の私の名前を呼ぶようになった。

本当のプロは、「こだわり」の権化である。
それをプロフェッショナルと言うのだ、と高柳氏に教えられて来たわけである。

そういう話で言えば、相撲の横綱、白鵬も、本当の”横綱相撲”なら、昔は、けっして、横綱が、相手の胸に頭を付けたりしないものだった。横綱は、常に「胸を貸す」存在でないといけないわけだが、まあ、回りも強いので、「胸を貸す」どころではない、というのが、実情だろうけど、基本的に、「蒙古襲来」以来、モンゴルは、勝てば良い、というDNAがあるのではないか。

文永(1274年、文永11年)・弘安(1281年、弘安4年)の役だ。

当時、日本は、鎌倉時代。

その頃の武士の戦い方は、敵に対し、まず、「やあ、やあ、われこそは、、」と名乗りを上げた。
これが、男らしい、正々堂々とした戦い方である、とした日本武士社会である。

ところが、これが、蒙古には通用しなかった。
名前を言っている最中から、すぐに攻撃して来るし、一人の武士に担当の二人が付いて、攻撃して来る。しかも、蒙古流の攻撃は、後ろからバッサリが、主流で、それでOKという戦法でもある。

当時の日本の武士社会では、人を後ろから斬る事は、「おのれ、何と言う卑怯な、、」と言う事になる。
だから、当然、その成立過程の違う外国人との戦い方では、日本流は通用しない。

最初にこの「横綱相撲」の掟を破ったのが、白鵬である。(朝青龍は、たま~に、ここで負けたらやばい!という勝負で、相手の胸に、横綱だと言うの頭を付けた!)

そんな白鵬が、ライバルも全くいなくなった相撲界で、連勝の末に、「そろそろ、横綱相撲でもこだわろうかなあ~」と考えても不思議ではない。

これまでは、とにかく勝てばいいのだ!として、今日の地位を得たわけでもある。
これは、現代のビジネスマンに取っても、学ぶべき点の多い事だろう。

とにかく、勝つためには、手段を選んでいられないのである。

どんな組織の長も、トップになるまでは、あらゆる手段を利用し、恐れられたはずである。

そういう意味では、そろそろ白鵬が、「横綱相撲」の伝統を守ってもいいだろう、と考えるのは自然である。

勝ち方を気にしないなら、60連勝くらいは、あっと言う間に行くわけだから、それよりも、勝ち方をもうちょっと気にした方がいいかな、と思ってもいいだろう。

昔は、横綱が、下っ端の力士の胸に頭を付ける事なんか、考えられなかったし、もし、付けたとしたら、「貴様、それでも横綱か!」とマスコミにもののしられたはずだが、現代のマスコミは、その点を一切、指摘しない。その辺、何かあるのだろう。

だいぶ、話が、脱線したが、本来、「こだわり」とは、そういう事である。

今回の出版本は、「無個性」なスタイルの文体なので、何でも、編集が、OKなわけである。

そもそも、モノを売ろう、と思ったら、昔の演歌方式の戦略を取らねばいけない。

社員一丸となって、各地の様々な喫茶店にちらばり、できるだけ、その担当の喫茶店から有線放送のリクエストをしたり、といった日常を習慣化したり、地元、地元の、それなりの名士、あるいは、その筋の権力者に挨拶し、興行毎に、受付で売りさばく、その道の「口上」のプロを投入したり、、と、関係者全員が、本気にならなくてはいけないわけである。

それが、かつての演歌のビッグ・セールの販売戦略システムであったわけだ。

ところが、現代は、流れ作業でもあるため、モノを作る人、それを管理する人、それを売る人、、が、別作業と言う事になる。

それぞれが、自分の分担に従って、任務が、終了すれば、「次!」「次!」となるわけである。
残念ながら、これじゃあ、昔のような演歌の売れ行きは期待できない。

自分が作ったモノを、一生を賭けて売る!というスピリッツが、ないわけだ。。

国民、一人一人が、100冊売りさばけば、トンデモ売り上げにはなる。

要は、それくらい「価値」が、あるものが作れない、と言う事でもある。

私の本であっても、それなりの規制やルールで、なかなか、理想的には、行かないのが、今日の出版事情でもある。
現代は、とにかく「売れる」ものを作らなければ、”生きてはいけない”、また、”生きる資格もない”、というハードボイルドな世界が、編集社員のモットーでもある。

こうした「売れるための本」の事が、わからないので、手助けが必要である。

「先生、この曲では、ピンクレディは売れません!」と直談判する、当時の若者の担当者のセンスでもある。

それに対し、「いやいや、1年で、完売するものと、10年を掛けて、その何倍も売れるのとでは、やり方が違うでしょ!」と、説得するのも、自己防衛である。

これもあれもカットして、本の分量を半分くらいにしましょう、と言うアイディアに対して、何!それをカットしたら、1年もすれば、やがて、ゴミになるんじゃないか、少なくとも、自分なら、確実に、ゴミとして、捨てる本になるとは思うぞ!、と言うやりとりである。

現在は、こうした段階のやりとりが、編集社との間に、密かにされているわけである。

一つのモノを作り上げる、という事は、それだけの労力が掛かる。
私にして見れば、同じ本の内容を4回ほど、書き換えている感覚である。

いずれ、この11年に渡る日記、ブログも、出版されるとうれピー。

そのためにも、何かしらの犯罪に関わらないといけないのだろうか、とは思う。

(犯罪者は、話題になり、テレビにも出られるからである。ニュース沙汰にでもなれば一発であるのだが、、。実は、私は、”職業柄”、歌舞伎の海老蔵事件の真相とその相手や、古くは、三億円強奪の犯人などの情報が入って来るのだが、真実のところは、定かではない。)

そんなわけで、物事の「優先順位」にこだわる私としては、溜まりに溜まった、膨大な原稿チェックを手がける前に、ブログの更新の方が、重要である、と判断したわけである。

クレーマーとして、様々な文章を様々な人、会社に送って来たその実績から、他人の代筆までして、クレームを付けて来た、と言う点では、私も一応、文章の「プロ」と言う事になる。

その中には、名だたる、出版社とのやりとりもあるが、これは、公開できないまま10年が経った。
同じ出版社の語学本に、主張が違う二つの文法事項があり、こんないい加減な出版をして良いか!と、これを追求し、両方の作者まで、引き出してのやりとりとなった事がある。40歳の頃だ!(実際の争いは、大学教授の作家同士となったが。)

出版社側は、丁寧にも、何度も何度も、そのメールに誠実に答えてくれた。

この矛盾が生じる出版社の結末は、一応、私自身が、自分で、幕を引いた。
(二十歳の頃、その出版社から出た本に感銘を受けたから、もう、こうした矛盾は気にしないことにします、と伝えた。)

出版社に一貫したポリシーはない、と言うのが、わかったのもその頃である。(同じ出版社で、主張の全く違う本が、出版されるわけである。)

普通、両極端な意見と言うのは、違う出版社であるはず、と思っていたのに、同じ出版社で、こうした事が起こったわけである。

言うなれば、「UFOを見た!]という本を出した出版社にも関わらず、 [UFOは、存在しない!」と言う本も同時に出した、というようななものである。

このメールのやりとりを10年の歳月を経て、公開したら、さぞ面白いなあ、とは思うが、昔から、自分のこうした「こだわり」は、変わらないなあ、と言うのも事実である。

まあ、音楽同様、小学校の頃から、私に取っては、文章も一つの武器であり、やがて、この土地で、私の音楽を聴く人も無くなり、一人、島流しを受けたような感じではあっても、何とか、これまで、文章だけで、生きて来た、と言う事もある。

(だからこそ、ブログは、長い!単なる、伝達文では修行にならない。いらんことばっかりを書いて読ませているから、これも「芸」のためなら~、である。ジャズのアドリブも同様である。)

今回、1月末のぎりぎりに、急遽、内輪の出版話を放り込んでみた。

「芸」には、生きるための「芸」と、生活するための「芸」がある、と言う、今日の話は、どうか。

さて、これからまた、原稿チェック。。。

何時、死んでもいい日々の生き方、これが、信条である。

もちろん、常に、このままでは死ねない!と思うわけである。

今、死んでは、原稿もチェックしないまま、終わるわけで、これでは、私でない「文章」が、そのまま本となるわけだから、いくら、今回の本は、無個性な文体であるとは言え、これではいかんなあ、とは思うわけである。

私の代役は、いない、と言う思いで、日々を生きているつもりではある。

、、、と言いつつ、1月30日の日曜日は、午後12時から奇妙な仕事で、午後6時頃から飲み会だ!

そこには、スリリングにも、タコ蔵、イカ蔵、カニ蔵もウロウロしているらしいから、果たして、どうなる事か!



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Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00 │修行&音楽人生論