2010年11月19日

電子化、機械文明社会と私

ついこの間、知って、びっくりしたので、みんなに教えまくっていたら、生徒の中でも、すでに所有している、という者までいて、知らないのは、自分だけか、という感じである。

音楽のジャンルの中のさらにマニアックなジャズの話なので、ここで取り上げるのは、ちょっと気が引けるが、iphone に、世界的なジャズ曲集で有名な[REAL BOOK]が、ダウンロードできて、その譜面を画面で見る事ができる、というのは、当たり前として、何と、その伴奏まで、実際にピアノ、ベース、ドラムで行う事ができるソフトが売り出されていた。

と、ここまでも何とか、受け入れる事ができるが、さらに、この曲のテンポを変えるのも自由、またまその上に、キーを変える事も自由だ、というのだ。そのたびに、移調されたコード進行の譜面も、画面で見ることもできる、と言うから、まいった。もちろん、移調された譜面の伴奏も行う。

楽器で、メロディやアドリブを練習するための伴奏だから、ピアノだけを抜いたりも可能だ。

専門用語で、マイナスワンの演奏、と言っている伴奏だけの演奏だ。自分の練習したい楽器だけを、マイナスして、演奏できるわけだ。ピアニストなら、ピアノの演奏だけを抜けば、残りは、ベースとドラムになる。

世の中、何と便利になったのだろう。

なんだ、それくらい、自分でも機械操作でできるよ、と言う一般の愛好家がいるかもしれないが、私が、一番、歓喜しているのは、その小型化だ。

携帯電話サイズで、その再生が可能なわけだ。

トイレでギターを弾いたりする際、その伴奏を担当するための再生機で、ポケット・サイズくらいのものがないかなあ、と、10年ほど前からずっとイメージしてはいたのだが、実際に、世の中は、中々、そこまで進んでいなかった。

とは言え、残念な事にこちらの携帯電話は、iphone ではないので、ipadを利用しなくてはいけないだろう。

機械の日進月歩に、いちいち驚いていては、現代は生きていけないし、また、それを否定しても年寄りの部類に入った感じで楽しくない事は承知の上での発言ではあるが、何もかも便利になるのは、損ではある。

しかし、そこをあえて触れてみたいのは、能力を磨くには、どちらかと言うと不便な方が、実は得をするのである。

(この辺、ちょっとオフレコにしてもらいたい。密室で生徒にだけ伝えている内緒話である。内緒話、と言うと、またまた「生徒を洗脳している」と言われるだろうか。元々、雑誌の記事や広告、しょーもない音楽評論に洗脳されまくっていたのは、生徒の方でもある。それを一つ一つ、正していたら、逆に「洗脳された!」と言われるわけである。しかし、相手の生徒の方が、重症洗脳患者であったわけで、あと10年もすれば、いい歳となり、ようやく本人も納得する人生となるだろう。10年前、私のサイト全体に強烈な拒否反応を示したのは、こうした重症患者たちでもあった。)

まず、創造的な文明を生み出している現代の賢人たちも、生まれた時からそんなに便利な中で、育って来たわけではない、という「事実」が大前提である。

たとえ、現在、最先端の科学者であっても、生まれた時から便利な機械文明の中で育ったわけではない。アインシュタインですらそうだ。エジソンだってそうだ。

生まれてみたら、いきなり「2001年宇宙の旅」のような暮らしでもないし、鉄腕アトムが、近所にいるわけでもない。現在でも、まだまだ、スーパーマンもスパイダーマンも夜間パトロールしていない。

よく、機械が労働を引き受けたため、その余った時間を人間は、活用できるようになった、と言うが、確かに、この問題は、現代でもリストラ社会を生み出している社会問題ではある。

しかし、これが一般家庭であれば、機械化は、どう影響して来ただろうか。

1950年(昭和25年)頃からと言う三種の神器の世界か。
テレビ、洗濯機、電気冷蔵庫と言った高価な所有物がステイタスとなった時代が、その始まりだ。

洗濯機、皿洗い機、自動掃除機、などの発明で労働時間が短縮された主婦は、どうなったか。

パートの仕事や子育てで大変だろう。(あれこれ言うと、文句が出そうなので、この辺は、お茶を濁そう。寝っころがって昼ドラとか見ているばかりではない。。)

未来から来た、ドラエモンの便利な機械で育った、のび太は、どうか。

(大人になり、しずかちゃんと結婚できれば、何でもOKだが、幼なじみが、泉ピン子似の者は、どうしたらいいか。)

最近は、さらに電子書籍の時代でもある。

思い起こせば、私は、いつも機械に出遅れている。
CDデッキを購入したのも5年ばかし遅れた。ずっとレコード集めの時代だ。

携帯電話は、早かったような気がするが、今度は、回りがあまり持っていなかった。
メールだって、今は、普通にやっても、相手が、もぞもぞ人間だと、返信も遅いし、内容もないから、そんなのばっかりだと楽しくない。

私の世代では、まだまだ人間自体が、機械に追いつけずに進化しないままでいる。

私の場合、ワープロやパソコン普及以前は、膨大な手紙や日記、テキストなんかも手書きで書いていて、これは、現在も同じだ。

今回の音感トレーニングの本の執筆だって原稿用紙に手書きだ。

あまりに膨大なので、これを少しずつコピーして編集者に送っていたわけだ。
ファックスだと大変だ。

譜面作成もあって、電子化は、大変そうなので、テキストの執筆はすべて手書き原稿になる。
だから、あれこれの辞書も手引きだったりする。

まだ電子化されていない辞書もたくさんあるからだ。(音楽辞典だってそうだ。一般向けじゃないのだろう。)
私にとっては、まだまだ世の中は不便でしょうがない。

読書だって同じで、私の場合は、赤ペンがないと本を読んだ気がしない派で、この一派は、意外に学者関係で多い事がわかってから、なるほど、自分は、そっち系か、と満足していたりする。

だから、今、世の中を席巻している電子書籍もちょっと困る。
読了感が、ないからである。

やっぱり読んだ本は、赤線を引きまくり、丸めて肩や頭を叩いてマッサージしたりして、あれこれ、十分にもて遊んだりした後、不用となれば、二束三文で売り飛ばせばいい。(念のため、、これは、本に対してだけの話ではある。。)

昔から、本を膨大に買い込んで、部屋のあちこちに置いているのを、友人知人が、こんなに一体、何をするために置いてあるのか、と言われて来た。何をするためか、と聞かれても、好きだから、と答えるしかなかった。

引越しの際も本だけでダンボール箱200個になってしまい、5人くらい来た運送屋の従業員が、全員、無口になって運んでいた。1個あたり30キロくらいだろうか。

しかし、まあ、だからと言って、目的があるわけじゃない。好きで買い込んでいたら、こんなに集まっただけである。雑誌だって、やっかいだ。

こんな雑誌どこに売ってんだ!と言われるくらいマニアックな雑誌を集めては、毎月、増えて行く一方だ。
確かに、これがみんな電子書籍になってくれれば、ありがたい。

つい、5年ほど前は、映画をダビングしたVHSのビデオカセットだって100本くらいあって、これもあちこちに積み重ねていた。

テレビ番組を録画したビデオも増えて行く一方なので、やがて、「ゴミ屋敷中年」の取材で、テレビ局がやって来るのではないか、となる所だったのだが、思い切って、ハードディスク付きのテレビを購入してから、これが解決した。
今では、ビデオ・カセットは、昔、購入したままの教則ビデオ系程度で、わずかしかない。

しかし、そうは言ってもテレビのハードディスクは、ケーブル・テレビも含めて、2台利用しているが、「容量が少なくなっていますので、ちゃんと録画できない場合があります!」という警告表示が、しょっちゅう出るくらいだから、60時間分くらい常に録画されている。

こうした生物になってしまった自分自身と電子化の時代に突入する時代の事を比較して考えて見ると、私の場合、電子化よりも、まず先に、その「習性」があるわけだ。

ハードディスクが、内蔵されたテレビだから、録画する、というわけではなく、長年、何でも録画してしか見ない「習性」があるから録画も溜まって行くわけだ。(コマーシャルまで見ている時間がもったいない!)

テキスト執筆も、電子化する前から、すでに膨大な量のテキストを手書きで書いてしまっている。
その中の100分の1の量が、来年の4月に出る、という本の執筆量にあたるに過ぎない。

冒頭で触れた、iphoneで自動演奏されるジャズ曲集のソフトの機能でも、私自身の暮らしの中では、すでに20年以上も前から利用されている暮らしの一部でしかない。それが、ついに一般の人でも体験できる、というわけだ。

しかし、そこに至るのにも”不便の歴史”がある。

楽器を始めた頃の1970年代は、伴奏に合わせて、楽器の練習がしたい、と願った時、まず、やらなきゃいけないのは、メンバー探しからだっだ。

楽器別にメンバーを探さなきゃいけない。ドラマーを探して、ベーシストを探して、ピアニストを探して、と言った具合だ。

ただ、メンバーを探せばいい、というだけではない。

探したメンバーの中には、必ず、ルーズな者、変人な者、傲慢な者、と、社会人不適応型も混ざっていたりするのが、こうした音楽の世界だ。

これをいちいちなだめたりしなきゃ集まってもらえない。

その上に、当時は、練習スタジオなんかもないから、騒音OKな練習場所も見つけないといけない。
いくつかのバンドで、郊外の一軒家を借りたりするわけだ。(沖縄だと、外人住宅系だ。)

当然、集合時間にもやって来ないメンバーもいる。

こうした時代を経て、シンセサイザーなどの機械が一般にも安価で市販される時代が来たのが、1980年頃だ。(それでも1台20万円くらいだ。すぐに中古の時代も来たが。)

このおかげで、練習メンバーなんか集めなくても、自分で、伴奏が作れるようになった。
しかし、それでもキーボードが弾けないと、作成するのにも時間が掛かるので、それなら、とキーボードの練習をするようになって、実際の伴奏を録音できるようになった。ついでに、曲も覚えてしまい、移調も機械に頼らなくても、頭の中でできる。移調人間Zとなった。(Zには、何の意味もない。。)

当時、こうした機械の恩恵で、もう、社会不適応型のメンバーは、いらなくなった。

そんな時代を経て来たからか、今では、一人4役(ピアノ、ギター、ベース、ドラム)くらいで、録音が可能な、バーチャル・バンドが結成できるくらいだ。

(実際、私は、レッスンでは、ピアノしか弾いていないし。改まってのピアノの練習なんかは、全くしない。他の事で忙しいからでもある。必要以上の事は、時間の無駄でもある。)

こうした「ハードウェア」な面もそうだが、iphoneに入っている曲集自体にも、歴史がある。

1980年頃までは、ジャズの曲集なんていい加減なものも多く、1曲の1曲の正しいコード進行を知るためにも多くの文献や、参考とするレコードなどが、必要だった。

正しい譜面に出会うまでは、みんないい加減コードなんかで演奏していたわけだ。(そのまま、今だに、いい加減なコード進行で演奏している者も多い。)

こうした曲集問題に水戸黄門の印籠のように解決に導いたのが、今回の「REAL BOOK」だった。1983年頃に出会った。ライブハウスへ出入りの基地内の米兵音楽隊が、入手して来たのだ。

そんなわけだから、一般の携帯電話から、あの時代に苦労した曲の伴奏が、簡単に実演されて、テンポも移調も可能、となると、隔世の感がある。(私の教室では、20年以上も前から実践されているが、、。)

特に、移調も可能、という事で、これは、楽器が弾けない女性ジャズ歌手連合となると、もはや狂喜乱舞の世界ではないか。

「もう、あの頑固で、短気なピアニストに頭を下げて、伴奏してもらわなくて済むわ!」と言った溜飲が下がる事もあるだろう。

(しかし、待て待て!早まってはいけない。曲集にない歌を唄う時は、またまた、あのピアニストに頭を下げないといけないわけだ!)


こうした便利な機械の時代が、ようやく到来した、と言うのに、面白い現象が起きているわけである。
(これを指摘する者もなかなかいないだろうけど。。)

便利な機器だと言うのに、みんな実に飽きっぽいのである。

すぐに機械に飽きるわけである。

こうした伴奏中心の教材レコードも1967年頃からあるのだが、実際に頻繁に活用する者は、全国でもほとんどいない。しかし、意外に、みんな所有してはいるのである。

現代で言えば、掃除機だってそうだろう。
掃除が簡単になった、と言うのに部屋をなかなか掃除しないわけである。

こりゃあ、どういう事だろう、と考えて見ると、やはり、その人の「習性」に関わっているわけだ。

つまり、そうした「習性」もない人に、いくら便利な機械を与えても、無用の長物、となる。

ところが、習性のある人は、飽きない。
掃除好きな人が、最新の掃除機に出会うと、毎日、やたら掃除機を掛けていたりするのである。

では、この習性は、どこから来たのか、と言う事になる。

ハイ、ソレハDNAニアルカラデス、、、では身も蓋もない。

この習性こそ、まさしく「不便」な環境から培われて来たものではないだろうか、と考えるわけである。

不便、不都合な時代の中、手間隙を掛けて、続けていたからこそ、便利な機械に対して、常に、その恩恵のありがたみを感じつつ、飽きずに利用できるのではないか。(掃除好きと、最新の掃除機との出会いのようなものだ。)

ふと、ああ、今は、こうやって簡単にやってるけど、昔は、これをやるのが、どんなに大変だったか、これができるようになるのに膨大な時間を掛けて来たんだよなあ、(、しみじみ、)、と思うわけである。

中学生の頃は、辞書を手引きする事を競ったりした。
誰が、一番速く辞書を引けるか、である。
そうやって、引いた単語に赤線を引き、辞書のすべての単語が、いつか赤線で埋まるのを待ち望んでいたりした。

(古い辞書は、どんどん捨てて買い換えた方がいい、という専門家の本を読んでからは、学生時代の辞書は、捨ててしまったが、、。とりあえず、捨てずに置いてある辞書で一番古いのは、1980年に購入した英和辞書が残っている。)

そんな時代を経て、1996年頃に電子辞書に出会ったものだから、もう、これには、発狂寸前まで行って、興奮した。

以来、肌身離さず、供に暮らしていたが、今年になって、とうとう壊れてしまい、もう部品もなく修理もできない、という事になり、新しく電子辞書を手に入れたが、これにもまた狂喜。百科事典から何から入っているのだ!

それくらい普通だよ、とクールに言う者もいるかもしれないが、これは、「不便の時代」を知らない者だからだろう。

百科事典といえば、1980年頃、神田の古本屋で、信じられないだろうが、ブリタニカの20巻(英語版)だったか、これを購入した事がある。20巻くらいで、1万9千円くらいではなかったか。あまりの安さにびっくりして購入したわけである。たぶん、古いバージョンだったからだろう。(1960年代のものだったかなあ。)

それでも、あの1巻がでかい百科事典が、20巻くらいだから、けっこうな量だ。
もちろん!、ほとんど読まずに、10年ばかり、飾っていた。いわゆる「積読(つんどく)」だ。

こうした本も、引越し、引越しのたびに、古本屋に安価で、引き取ってもらった。

古本屋といえば、近所の古本屋に2年ほど前、単行本を20冊ばかり持って行ったら、「20円」と言われた。
どうせ本を整理しなきゃいけないので、引き取ってもらったが、以来、この古本屋を見るたびに、呪いの言葉を掛けて通る。いくらなんでも20円はないだろ~。ブック・オフに持って行けばよかった。。その後、古本は、ゴミとして出す事にしている。

そんなわけで、今持っている電子辞書には、百科事典も電子化されている事にも歓喜しているわけである。(電子化されているのは、ブリタニカの百科事典でもある!。)これが、手帳サイズの電子辞書と一緒になっているわけだ。

こうした「重さ」「不便さ」を味わったせいか、この電子辞書は、またまた、いつも肌身離さず持ち歩く。何かにつけ、知らない言葉は、すぐに辞書を引く。旅行には欠かせない。引くたびに、「ありがたやあ~」と言う気持ちが湧く。その他にも色んな辞書が入っているので、無限のような知識で飽きる事はない。

これだって、そもそも電子辞書だから引く習慣が付いたわけではない。
元々からして、何かにつけ、辞書を引く「習性」があるわけである。

だから、逆に言えば、掃除する習慣のない私には、どんな最新兵器の掃除機が、来てもダメだろう。勝手にロボット君が、行うようになったとしても、感謝の心は湧いて来ないはずだ。だから、すぐにその存在に飽きるだろう。

こんな事を考えると、いかに飽きないで、機械を使いこなすか、と言う秘訣は、まず、それが機械化される以前から、関心を持ち、手間隙を掛け、探求を続けておくことに尽きるのではないか。

部屋にルーム・ランナーを購入したから、走るのではなく、元々、走る「習性」が、あるから、雨の日でも、ルーム・ランナーの機械のおかげで、部屋で走る事ができる事に感謝ができるわけである。

そうでないから、様々な運動器具も飽きて、ほっぽってしまうのではないか。

この見解で言えば、電子レンジを購入したから、これから料理が楽しくなる、と言う事でもないわけだ。
元々、料理が好きだから、便利な電気製品に歓喜するわけだ。

という事は、新しく楽器を購入したから、真面目に練習するんだ、と言っている内は、これもすぐに飽きるはずだ。
楽器が、好きな者なら、他人から借りてでも弾いていたりするはずだ。
要するに、便利でも不便でも関係ないわけだ。(だから、最初は、レンタルで十分だろう、と言う事になる。)

何事も機械先にありき、ではない。

まず、それをする「習性」が、先にないと、どんな機械も「宝の持ち腐れ」になる、、という講話と今回はなったか。

ああ、そうか!

私のメールやブログ文が長いのも、元々、文章を書くのが「習性」にあった、というわけで、こういうのは、何と言うんだっけ、、。

”棚から牡丹餅”、、じゃないなあ。”青天の霹靂”、、でもないし、”鳶に油揚げをさらわれる”、でもない。

ああ、”キチガイに刃物”か!

いやいや、全く、違う。

そうだ!

とりあえず、「鬼に金棒」としておこうか。

つまり、金棒を得る前に、鬼になれ!という事か。

ちょっとだけ違う気もするが、結論は、一応、こんなもんでいいだろう。

あれ?

待てよぉ~、鬼は、金棒を振り回す。

そうか!

機械(金棒)は、振り回すもので、機械に振り回されるものではない、と言う事だから、このたとえが、ぴったりって事か!

上手い!座布団10枚!

お後がよろしいようで、、、。

テンテケ、テケテケ、ツッテンテン、、、。




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Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00 │修行&音楽