2010年08月03日

悪の曲集と一杯のCD

うわっ!もう、8月3日だ。

ブログを更新しなきゃいけない。

そうは言っても、これでも毎日、朝方まで、原稿を書いて、少しづつ某出版社へ送ってはいるわけだ。(もちろん、通信講座のテキストも執筆しながらだ!)

大変そうに見えるが、出版用の原稿は、400字詰原稿用紙300枚程度は、誰にも見せないで、すでに下書きとして書き終えている。

それをもう一度、最初からチェックし直しながら書き直し、各項目別に発送しているわけだから、驚くならその二倍くらい驚いて欲しい。

以前、”悪の書”ならぬ”悪の曲集”と私が呼んでいる1992年に出版されたとある、2007年6月の時点で第20刷発行となっていた「THE HAND **** OF JAZZ STANDARDS」と言う曲集の全208曲もすべて修正液を使って書き直した。
2008年の6月7日から8月16日の間の事だから、70日くらいの作業だ。

この手の曲集のコードは出たら目なのは、当然としても、メロディまで違っているわけだから、たまらない。何がたまらないかって、自分の目の前に、でたらめな曲集がある事自体がたまらないわけだ。これは、目の前に犯罪者がいるのと同じだからだ。

それで何となく、1曲1曲を”更生”じゃなかった「校正」している内に(上手い!座布団3っつ!)、よ~し全部直してしまえ!、となったわけだ。

最初、生徒から、これが、今、全国で一番売れている曲集で、どこのライブハウスでも、アマチャーのジャム・セッションではこの曲集の中から選ばれているようです、という事を聞かされて、それじゃあ、と購入してみたら、”悪の曲集”だったわけだ。

私は、ジャズを学ぶのに身銭も一切使わない、師匠もいない独習好きな、どうせ将来もないインチキ・ジャズ愛好家が、どうなろうと全く気にしないが、一応、身銭を切って、私の教室に通っている生徒たちのためには、教育上、校正しなくてはいけない任務があったわけだ。

もし、プロなら、プロが、こんな曲集を利用してメロディやコードを覚えてしまったら一生、終わりだからだ。こんなメロディで演奏された録音物は、すべて没になる。

最後の演奏、という事で録音されたメロディが間違っていたらどうだろうか。いくらアドリブ中心のジャズとは言え、メロディの間違いは、間違いだ。

これが、童謡なら、ポッポッポ~、ハト、ポッ「プ~~!」と言った、トンデモ・メロとして後世に残ってしまうわけだ。
何!、今の?と、たまたま、これを聞いた街中の人間の間で、大騒ぎになってしまう。

そういうことも、わからないで、こんな悪の曲集を使っているのか、何と言う、危機意識のなさよ、と思うわけだ。もし、これにプロが関わっていたとしたら、うだつの上がらないプロとしか思えない。

、、、というような事を当時、思っていたら、全国のプロ・ミュージシャンの中には、出版社に電話までして、クレームを付けた者もいるらしい、と最近、生徒から聞いた。あるセミナーに行ったら、そこのギタリストが、この本をそのライブハウスで見つけ触れていたそうだ。

(このクレーマーの猛者もやっぱりギタリストだ。ベテラン・プロ・ギタリストだと言う。この本の著者もギタリストとあるからだろう。普通、この業界は、どこかで名前が知られているものだが、この著者の名前は全く知らない。モグリである。)

その結果、この著者とされる「伊*伸*」と言う著者は、世の中に存在しないんじゃないか、と、架空の人物じゃないか、と言う結論を得たらしい。

(曲集のタイトル、著者名の伏字は、一応、冗談で伏せている。。みんな名指しで出しているはずだ。)

この出版社は、同時に優秀な著者による教則本なども出しているから、謎ではある。

(一応、ホローしておこう。実際、そこの大御所ジャズ教育家が、この本の間違いを直しているブログがあるそうだ。私は、「私が、書いた改定版をそのまま出版してみたらどうか?」という宣伝のつもりでしかないけど。。)

208曲も書き直すなんて凄いですね!と言うかもしれないが、これもこれくらいでびっくりして貰っても困る。

私の改訂版は、208曲中、英語の歌詞がある曲は、すべて、200曲近く、全歌詞まで音符の下にびっしり書き込まれている。
”般若心経書き”という名称でも付けておこう。歌詞が、3番まであれば、3番全部、書き込まれている。

キーの問題は、どうしましたか?と言うマニアックな声もある。

この曲集は、その曲をよくやるキーではなく、セッションでは、全くやらないキーで書いたりまでしているからだ。これでは、使えない。

では、この「キー」の質問にお答えいたします。

「はい、東の方の空を見たら、緑の光が、ピカっと光って、(ああ、しょーもな!なので止めよう。)、、、キーの問題は、全部、修正液で、ページ上から丸ごと、消して、新たに、五線を引いて、キーを改め、書き入れました!」

そんなに暇だったんですか?という質問には、ノーコメントだ!

「すびばせん、、夜は、作業をしながら、お酒は、飲んでまじたあ~」、とだけ答えておこう。

しかし、それだからと言って、それが趣味だからだ、とは言えない。

様々な資料を出して、メロディやコードをチェックする作業だからだ。私のような辞書マニア、曲集マニア、教則本マニアだからこそできるわけだ。

自分の創造力だけでやることは、楽しいので趣味になるのだが、調べて書き直すのは、荒行でしかない。

特につらいのが、歌詞を書き入れる作業だ。何の創造力も要らない。(何が悲しゅうて、歌詞まで書き入れたか、、。正確なメロディを書くには、歌まで書かないといけないからだ!)

ところが、これが大変で、2番までは上手く書き入れても、3番の歌詞が、途中から入らなくなったら、最初からやり直しだ。もっと米粒にも書けるような小さな文字でないといけない。

また、2番では、メロディが変わっていたりもする曲があるから大変だ。
そのたびに五線をその上に足して、新たなメロディを1番と2番で二段譜にして入れるわけだ。

そんな私でも心が折れた事はある。歌詞を見た時、その歌詞が、4番まであった時だ。

こればっかりは、もう、どうしょうもない。

罪人のレッテルを貼られるくらいの覚悟を決めて、4番を切り捨てた。

これで、私は、"歌詞の4番目を書かなかった奴"、と言う、重い十字架を背負わされた気持ちになる。思わず、曲集を握り締め、そうか、そうか、この罵声に一生耐えて行かないといけないな、うん、うん、、という覚悟も生まれる。

しかし、書き終えると、しばらくは、曲集を眺めて、気分がいい。まさに快感だ。
自分の新たな作品を生んだかのような気持ちになるからだ。(たぶん、何かのビョーキかもしれない。。)

普段からこんなことができるんだから、もしも、需要があれば、私のエネルギーと忍耐力なら、これまでに5、000曲くらいは、残せたんじゃないか、と思ったりするが、実際には、ごくわずかだ。

需要がないから、怠けて書かないのだ。
フツ~、演奏する機会もないのに曲を書いたりは、しないものだ。
プレゼントする相手もいないのにマフラーを編んでいるみたいなものだ。

(しかし、そんな私でも20代から30代では、1日1曲の荒行で日記のように曲を書いて来た!この話は、置いといて、、。)

物事の優先順位、時間の使い方として間違っている気がしているからだろう。その先に何もないものには、関わりたくない、という性分からだろう。

、、、ということで、前回、触れた、沖縄を代表すると言うピアニストのCDが、実は、ラスト・コンサートの模様も収録した2枚組で全国に出たという話で、売り文句には、おまけがあって、ガンに侵されていたため左手が動かなかったのだ、とか、右手しか使えなかった、などと言う弁護付きのCDらしい。

あれ、妙だな、と思う。

このピアニストは、元々からして、左手でまともにコードを押さえて弾いた事はない。これが「個性」とばかりに、リズムもすべて独自のものだったわけだ。(私が、歌手に書いてあげた譜面も、コードがむつかしいと演奏してくれなかった、と聞いた。)

コードは押さえるものではなく触れるものとでも思ったのだろう。だから、病で演奏が変わったと言う事はない。昔も今もあんな感じだ。

また、病で足が使えず、車椅子のためにピアノのペダルが踏めなかった、というが、一流のピアニストは、みんな、ペダルなしでも弾くものだ。ペダルに頼っている内は、お嬢様芸でしかない。

ジャズ・ピアニストのトレーニングに入る最初の注意点として、ペダルを一切、使わないように!からスタートさせる教則本もあるくらいだ。

それにアレンジした曲も演奏されているわけだから、病とも関係ない。アレンジの実力が判明するだけだ。

こんな弁護付きでは、テレビで、何か障害を持った人の音痴な歌声を延々と聞かされるようなもので、これに対して、何も言えないのに同じではないか。

そのまま、黙って終わればよいが、「これがこの土地を代表する最高峰」と言うレッテルだけは貼られて、洗脳の美辞麗句ばかりが並べ立てられ売られているわけだ。

故人に対して、そこまでよく言えるなあ、と思う者もいるだろうが、もっと、ちゃんとした実力がありながら、CDが出ずに亡くなって逝った者もいる。一体全体、この組織の仕分けの仕方は何が基準か、と言うことになる。
優先順位が違うだろ、と言う話だ。

歴史の真実を捻じ曲げても売ろうという魂胆ではないか。
店が、ジャズの中心だった事はない。むしろ、その逆だったはずだ。
生きている内から、そうした批判ばかりあったにも関わらず、亡くなったという事で、今度は、その不幸を武器にするなんてのは、どう言う了見だろう。

この事に対して、誰も何も言わないのだろうか、と思うが、結局、島国というのは、どこも同じで、島から出た事がない土地の有力者たちに依って政治も文化も支配されることになる。

(外の世界の文化を持ち込んで来た同胞に対して、先に既得権を得た、プライド高い者たちが、威嚇行為を示すわけだ。こうした動物的習性を見せるのが特徴だ。動物に近い形態を示しているわけだ。したがい、これらが、君臨する社会は、発展しない。なぜなら、彼らは、彼らを超える動物の侵入が、嫌いだから、できる限り、抹殺しようとするわけだ。それが「威嚇」行為だ。歴史的に見れば、わかる。この20年も進化しなかったわけだから、今後もない。もちろん、彼らが君臨している限りだ。現在の北朝鮮、かつてのソビエト連邦か。)

土地から出た事がない者、と言ったが、プロフィールのアメリカ帰りも実際は半年もない。アメ~リカのジャズ学校で、初級クラスに入れられただけであるが、プロフィールでは、アメリカ帰りとなっている。ものは書きようだなあ、と思う。

土地にしがみついて権力を得ることばかり考えず、3年ばかしは、島から出て、外の文化を学ぶべきではないか、そうでないとしたら、もっと謙虚に外の世界を知った後輩から学ぶべきではないか、と思う。それなのに、プライドの高さから、地位を脅かす若手には威嚇しか出て来ない。それとは逆に、何の力もない若手にはやさしい。

(もちろん、外からのお客様の接待だけは、奴隷根性が染み付いているわけだ。威嚇するのは、同胞に対してだ。同胞だから、最後は同じ土地に住む事になるので、既得権を得たその地位を脅かすと判断したわけだ。大きな視点で言えば、日本社会も離島社会も村社会も同じことになる。以前触れた、「キチガイ村の村長」の話だ。)

暇つぶしとしての今後の関心は、一体全体、こんなCDを誰が、絶賛するのだろうか、としばらく観察してみたい。店の常連だったという、バカ耳とバカ舌のあのタレント俳優が、まず一人。世の中は、洗脳のしまくり大会としかいいようがない。

私は、一応、この問題に対して、これ以上のコメントはないが、このCDを聞かせた生徒の反応は、哀れだ。みんな、視聴後は、音楽をやる気が無くなってしまった。

こんな演奏が、この島を代表して、戦後、君臨して来た、と宣伝されているわけだから、そのショックも相当なものだろう。(確かに、何をするにも常に君臨はして来た。)

この無力感は、どんなに真面目に努力しても、チャンスを掴むのは、常に別のルートからなんだ、ということを暗黙に示唆してしまっているからだろう。

「そんな事はない、これだけできるから、これだけの事ができて、これだけのチャンスを得るのだ!」、と言う事を、生き残っている人たちで、今後、子孫に伝えていかねばいけない。でなきゃ、こんなんで、名が残せるなら、誰もがんばって生きようとは思わない。

あれこれ同情を買ってCDを売る作戦に出ているレコード会社は、このCDの売り上げを"全額”、恵まれない子供たちの音楽教育のためにでも寄付したらどうだろう。その方が、故人も浮かばれるはずだ。

そうして初めて、未来へ向けてこのCDを売った「意味」が、生まれるはずだし、そもそも、お涙頂戴の「一杯のかけそば」のような話で得たお金は、そういう使い道こそ正しいのではないかと思うが、どうか?



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Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00 │修行&音楽天網恢恢