2010年07月13日

おお!ロミオ、あなたはなぜロメオなの?

なんてこった~い!、今日の午後4時、家の近所で、車での右折禁止のため若い二人の警官の乗ったパトカーにつかまってしまった。レッスンは4時からだと言うのに、営業妨害だ!。7千円の罰金だ。

こんな事があると、思い出すのは、20代の頃で、その頃は、警官に掴みかからんばかりに文句を言ったりした。

当時、バスレーンと言うのがあって、午後5時くらいから7時くらいまでの2時間は、この道は、バスしか走れず、一般車両は通ってはいけない、と言うルールに違反してしまったのだ。

500メートルばかりある通りの中間あたりで、検問に遭ってしまったのだが、これで、怒ってしまった。その地域でのバスレーンに対する知識もなかったので、まったく知らなかったからだ。

その時の若い警官二人に向かって(まだ、自分より若そうだった)、進入していけないなら、何で、通りの入り口で検問しないで、進入した車を中間で捕まえるんだ!卑怯じゃないか!入り口に立ってたら、誰も交通違反なんかしないんだから!と物凄い剣幕で怒鳴ったわけだ。その時、確か、同乗していた兄が呆れていたもんだ。確か、ダウンタウン・ブギウギ・バンドの着るような「つなぎの服」を着ていたはずだ。(戦闘服にも見えた)

「こんな通りの中間で、違反切符を切ってなあ、じゃあ、あと半分の距離を走らないとここを抜ける事ができないのに、オレは、どっから出てばいいんだ!このまま走れば、また違反だろ!」、とさらに怒鳴った。

すると若い警官の一方が、「おい、よしお~、どっから出ればいいんだあ~?」と同僚の名前を呼んでいた。すると、その「よしお」が、言うには、このまま残りの距離は、違反しながら走って行っていいという事だった。

その時、記憶にはないが、罰金の切符を切られたかどうかは、覚えていない。(たぶん、そのまま帰されたと思う。。)
27歳頃ではなかったか。

今だに、その発言は正しいと思ってはいるが、まあ、当時は、頭のネジも緩んでいたとは思う。たぶん、人間よりも、動物に近かったのではないか、と思う。

あれから、23年ばかし経てば、人間にもかなり近づいて来る。

今回は、すぐに「あの~、職業は何ですか?」と聞かれたが、たぶん、非番の刑事かなんかだと思われたかもしれない。一応、微笑みを絶やさず、「名前をずっと貼って覚えておくから名刺でもちょうだい。」と言ったら、「大丈夫です。振込み用紙に名前が書いてありますので、いつも思い出して下さい!」と言われた。けっこうジョークが通じる若い警官だ。

「あ~、いつまでも、覚えとくでぇ~!」となぜか、関西弁で対応する事ができた。

やはり、人間、理性を鍛えておく事が一番大事だ。私が、理性を鍛えておかなかったら、今頃は、ゴルゴ13に狙われて生きていなかったかもしれない。

今回の罰金は、右折に対しての知識が全くなかったので、仕方ないと諦めた。7千円は、日本の恵まれない子供たちに寄付してやってくれ、としよう。まさか、警官各自が、今年の自分の忘年会参加費用にと金策にあたっている交通キャンペーンでもないだろう。

ゴルゴ13といえば、スペシャル・ドラマ「必殺仕事人2010」(7月10日版)を録画で見た。「中村主水に捧ぐ」とあった。亡くなった、中村主水の藤田まこと氏に捧ぐと言う意味だろう。

ジャニーズの東山紀之が、引き継ぐ形になるのか、これをサポートするのが松岡昌宏だ。今回は、実に豪華な悪役陣で、まさに怪人俳優、怪優合戦である。こんな役となると必ず、出て来るのが、北京原人役だったか、とにかく変な役専門の本田博太郎、という俳優と、これと競う形で、津川雅彦だ。

女性版は、つ、ついにこんな役が来たか、ア~メンという、かたせ梨乃だ。普通の悪女役なんかじゃない。私が子供の頃から見ていたシリーズの仕事人シリーズの悪役として殺されるわけだから。私の年代では、かたせ梨乃が、昔、誰と噂になったか、とかもちゃんと知っている。(単なる、ゴシップ好きなだけだが、、。)

そして、あの小澤 征爾の息子の俳優、小澤 征悦か。これは、もう、デビュー当時からインパクトがあって、眉毛の濃さが、私と同じ系列である事から何か近いものを感じる。

彼は、昔、寅さんシリーズにマドンナが惚れるメインで出た時が、最初に見かけた時だが、その時からなんとも言えない、眉毛、眉芸というか、そうした系列の存在感を醸し出していた。(どんな系列よ!)

どんなドラマを見ても、この俳優が出ていれば、間違いないだろう。
今回は、最初は、正義の人だが、最後は、気の狂った悪役に変身だ。
なんとも美味しい役どころだ。
彼は、この役を見事な眉芸で演じてみせた。(こんな批評もお断りだろう。しかし、父親の眉毛も大変、印象的だ。)

今回は、もうひとり、かつては、年下のダウンタウンの浜ちゃんを師匠と呼んでバラエティの司会で修行した、明石家さんまと同年生と言う、内藤剛志氏も仕事人として出演だ。最初は、悪役の用心棒役だったが、これもインパクトある殺し屋のキャラを作っていて満足。

和久井映見は、相変わらずの、こんな魅力的な声では、普通の生き方はできないな、と思える特徴ある声だ。

まだまだ取り上げれば、切りがないが、毎度、レギュラー出演なのに、全くいい所がなく、かわいそうなので、東山の滑稽な上司役での宇梶剛士氏も入れておこう。

どの番組を見ても滑稽な役だが、元、全国組織の暴走族、元ブラックエンペラーの7代目の総長の宇梶に真面目な殺し役をさせてしまってはまずいわけだから、本人もこうした危い風な役は避けての役者人生を送っているはずだ。

なるべく、ひょうきんな役の方が役者としてのやりがいもあるだろう。聞けば、役者と言うのは、役にはまりすぎて、なかなか、私生活でも役から抜け切らない事がある、というから、宇梶は、おだてられても仕事人の役をやってはいけないわけだ。

一体、どうやって、故、藤田まこと氏に捧げる内容にできるのだろう、と思ってみると、中村主水は、家に「この度 急ぎの命を請け あいさつも出来ぬまま江戸を離れる事になりました。各位さま 中村主水」という張り紙を張って江戸から消えた事になっていた。

番組中には、声だけが回顧シーンで出ていたのか。これで、私が中学1年の1972年9月2日に始まったと言う必殺シリーズでの中村主水(もんど)という役とその役者が番組から永遠に消えた。
何度か打ち切りになりそうな番組を藤田まこと氏のキャラ、中村主水が、一人、支えて来たわけだ。

番組が終わってからわかったのが、ナレーションが、春風亭小朝だった、という事。まったく気がつかなかった。

さて、今日のブログのタイトルの「ロミオ」の話だ。

この間、「題名のない音楽会」を見ていて、以前から不思議に思っていた事で、いつのまにか、私の記憶の中では、「ロミオとジュリエット」であるのだが、これが、いつのまにか番組では、堂々と「ロメオ」と呼ばれていたのだ。

そんなわけはない。私は、幼い頃から、「ロミオ」と教えられて育てられた。それなのに、プロコフィエフ作曲「ロメオとジュリエット」と番組では呼んでいるのだ。

辞書を調べると、広辞苑では、「ロミオ」となっている。ひょっとして、これは、何か、最初にタイトルが商標登録でもされてしまったのか、と思い、作曲家の「プロコフィエフ」で調べても、”彼は「ロミオ」とジュリエットを作曲した”、という説明文がある。

英語辞典を調べても「ROMEO」の発音は、「ロミオ」で、「ロメオ」ではない。

元々、ロミオとジュリエットは、シェークスピアの作品で、イタリアの名門モンタギュー家の子息ロミオと仇敵キュビュレット家のジュリエットとの悲劇物語、、とあるから、今度は、イタリア語の発音を調べてみたら、これでもやっぱり、ROMEOは、「ロミオ」だった。

では、一体なぜ、「題名のない音楽会」では、世界に通用しない「ロメオ」の発音を日本に普及させようとしているのか。この意味が謎である。

私は、子供の頃からすでに「ロミオ」と馴染んで来たと言うのに、なぜに、今さら「ロメオ」という、単なるローマ字読みにしてしまったのだろうか。

しきりに、「ロメオとジュリエット」と連呼するわけである。
なぜに、わざわざ、世界に通用しない名前の読み方に戻してしまおうとしているのか、謎である。

外来語の表記は、確かに突然、意味不明に変わる事があったりする。

今まで、「野球チーム」と呼んでいたのに、ある時、急に「野球ティーム」とテレビで言うようになったりした。(今では、再び、「チーム」になったのか。)

映画俳優のアルパチーノなんかも、急に「アルパティーノ」に変わってしまったりした。(今は、なんだ?)

確かに、そんなことを言ってしまえば、キリがないこともたくさんある。

往年のロックバンドの「レッド・ツェツペリン(LED ZEPPELIN)」は、「レッド・ゼッペリン」だし、「ブルース(BLUES)」は、「ブルーズ」ではある。

しかし、この「ロメオ」に関しては、元々の「ロミオ」の方が、世界でも通用する呼び方であるのだ。それなのに、なぜ、今になって、わざわざ「ロメオとジュリエット」と言い出すのだろうか。

番組での連呼は、かなりの影響力でもある。
私は、映画でも「ロミオとジュリエット」としていたのを覚えている。また、この映画の主題歌(A TIME FOR US:1968年)の作曲者、ニノ・ロータ(NINO.ROTA)の方が有名である。(このバージョンは、私は、ギターソロの仕事で。20代の頃、何度もホテルで演奏した。)

なぜに、今さら、わざわざ、世の中に逆らって退化させる言動を番組で行っているのだろう。
何か、裏の著作権、商標登録の関係でそうしているとしたら、この罪は、私の個人的な右折違反との比ではない。

全国的な洗脳にも値するし、いくら「ロメオ」と連呼されても、私、自身は、今後も、「ロミオとジュリエット」と言い続けて行くつもりではある。

この番組でのおすぎとピーコのピーコの「おかま」という単語の普及活動といい、今回の「ロメオ」という語の普及活動といい、何かの裏の組織のシンジケートによる言語普及活動に利用されているのだろうか。

これを連呼していたレギュラーの音大の教授も一応、ピーコ系の者ではあったが、音楽専門の作曲家なのだから、当然、ピーコよりは、美輪明宏派であるはずだ。(顔は、ピーコ派だが、、。)
この「ロメオ」の連呼は、一応、司会で指揮者の佐渡氏も納得の事ではあるはずだから、単独作戦でもないわけだ。

絶対に、ロミオをロメオにしては、いけないのではないか。
そんな事が許されるなら、奥田民生も、オクダ・タメオと呼んでいいはずだ。

という事で、全く、面識もない、奥田氏に抗議してもらいたい。



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Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00 │天網恢恢私事件テレビ、映画