2014年09月20日

バリバリな夜、後編



もうちょっとバリ旅行の話はないのか!?と思われるだろうとは思うので、じゃあ、もうちょっと。

そういえば、前回の続きで書き忘れた事は、バリ空港から香港空港へ帰るホンコン・エアーラインの着陸時に泣き叫ぶ2歳児の話をしたが、これが、2歳の誕生日の前日までなら、まだ1歳児だから母親が抱きかかえてもいい、というルールになる。

このため、西洋人は、幼児に睡眠薬を飲ませる、という処置で対応するらしい。

しかし、着陸が寝起きだったこともあり、今回は、合計8回の離着陸で、泣きわめいたのは、その1回だけなので、これは2歳児にしては、奇跡に近い87・5%の勝率だ。


さらに奇妙な事に、隣の席のブルース・ウイルス(註:前回ブログ登場)とは、乗継ぎで降りた香港空港で別れたはずなのに、2時間後、沖縄行きの飛行機でも、なんと、またまた通路を挟んでの隣同士だった。

これも奇跡に近い縁だ!

バリ島にいたブルース・ウイルスは、今度は、沖縄に上陸したわけだから。

(今回、ブルースは、機内では、完全にこちらを無視して見ないようにしていた!)


話しは、常に前後、ワープするが、バリに午前12時頃到着して飛行機から降りたら、こんな深夜だと言うのに何百人という入国手続き街ちの観光客が何列にも並んでいた。

ほとんどは中国人の団体客ではある。

その中に、西洋人の家族がいたりする光景だ。

こりゃあ、まともに終わるには、1時間は待たなくてはいけないだろう、と思って10分ほど待っていたら、厳しく、行列を仕切っているバリ人の空港職員から、声が掛かり、「こっちから、通れ!」という指示を受けて、通ると、いきなり最前列の隣の出口に回された。

後ろには、白人のファミリーも同様に指示されて着いて来ている、。

どうやら、幼児や子供がいるファミリーは、優先されて、先に税関の手続きを受けられるシステムのようなのだ。

税関や、空港の身体検査では、やたらと「帽子を取って!」と言われた。

頭に何か、隠し持っているんではないか、と思っての事らしい。

税関を出ると、さっそく空港内のポーターが二人寄って来て、荷物を持とうとする。

これがガイドブックでも有名な”おせっかいポーター軍団”だ。

彼らは、空港職員に見せるため、勝手に空港職員に似た服装までしているくらいだ。

ついつい、「おお、バリはサービスがいいなあ!」と荷物でも持たせると、30秒ほどで、すぐに目的地の「出口」まで到着する。

彼らは、30メートルも運搬すれば、十分、それでチップを要求できる、と思っている。

そこで、30メートルばかりの目的地に到着したら、「10万ルピアだ!」とチップを要求されたりする。

「10万ルピア」は、実際は、「one hundred thousand」ルピアという言い方で、「1000円」くらいだ。

ルピア(rupiah)にすると桁が円の100倍になる。

10円だと、1000ルピアだから「one thousand」ルピアになる。

しかし、団体ツアーの観光客はガイドから、これらのポーターに騙されないように!と言う事をきつく言われているので、団体ツアー専門の中国人なんかも、なかなか騙される事はないが、ツアーでない日本人なんかは、彼らの上客ではある。

だからと言って、これらを断るのは、まだまだバリ初心者の内らしく、バリ島近隣の国のオーストラリアなんかの欧米人の観光客の中には、荷物を運搬させて、千円を要求されたら、「いやいや、そんな義務はないから、100円だけ上げよう」とチップを上げて済ませる、という旅の達人もいるようだ。

市販のバリ島のガイドブックなんか見ると、まだまだ、凄い事ばかり書いている。(30年くらい前から書き換えられていないかもしれない!)

税関にワイロをいくらかチップで渡さないと、通さない、とか、両替商は、インチキばかりして、計算機にも細工をしているので、自分の自前の計算機を持参した方がいい、とかだ。

幸い、そんな目にはあっていないが、タクシーもでたらめな料金を要求して来るので、国が認めたタクシーにしか乗らない方がいい、とかもガイドブックにはある。

実際、繁華街の通りであれば、10メートル毎に、「タクシーいらないか?」と声が掛かって来る。

すべてが「白タク」だ。

ところが、今回は、この白タクばかりに「交渉」して乗った。

「ダメダメ、それじゃあ、ホテルが手配するタクシー(35000ルピア)より高い!」と言って、値切るわけだ。

大概、最初は断られるが、それでも、歩けば、また次の白タク・ドライバーに出会うから、「安くしないならええわ~」と断り続ければいい。

すると、すぐに「わかった!しゃ~ないわあ、ほな、30000(ルピア)で行きますわぁ~」と相手も折れて後ろから声を掛けて来る。


それでも、白タク屋側からの交渉はこれで終らない。

「さお竹屋は、どうやって儲けているのか?」みたいな実体がわかる。

彼らは、送りながら、「明日は、どこへ行く?」と聞いて来る。

彼らの目的は、一日、貸切での観光案内のドライバーをしたいわけだ。

明日がダメなら、明後日がある。

それでもダメなら、最後の日に空港まで送る、という交渉もある。


それをいちいち、「明日の事は明日にならないとわからない。何も決めていないんだ」というと、今度は、名刺を渡して来る。

ちなみに、「明日の事は明日にならないとわからないぜ!」を、昔の映画で覚えた、"Tomorrow is another day!"という英語を使ったが、普通に「そうでっかぁ」というようにスルーされた。

タクシーが必要な時があれば、オレを呼んでくれ!と名刺を渡すだけだ。


彼らにとって、どこかの会社やホテルで真面目に働いても一日500円くらいしか稼げない、としたら、一日中、道端に座り込み、通行人に声を掛ける白タク商売で、1,2回成功するだけでも、トータルで考えれば、十分な稼ぎになるわけだ。

ましてや、一日の観光運転手としての貸切りだと、2千円~4千円くらいは稼げるんじゃないか。(正規のガイドだと、ドライバー込みで1日、5、6時間で7千円以上は行く!)


観光客相手の西洋レストランは、実際、日本国内と変わらない値段ではある。

ところが、インドネシア料理に限定すると、その5分の1程度の費用で済まされる。

しかし、旅というのは、不思議なもので、知らない土地で、馴染みの料理を食べるのも実は、一番の愉しみになる。


だから、西洋人なんかは、バリ島とはいえ、入り浸っているレストランは、アメリカ式ステーキ・レストランやイタリア式料理店とかになる。


実際、バリ島で食べた、日本レストランの「日本そば」(http://www.bali-chili.com/center/enak/62manmaru.html)や


「親子丼」(http://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g297701-d1533654-Reviews-Minami-Ubud_Bali.html)は旨かった!


しかし、バリのウブドと言えば、何と言っても、音楽だ。

ウブドの中心といえば、「モンキー・フォレスト・通り(MONKEY FOREST ST.)」だ。


この通りの始まりに「モンキー・フォレスト(サルの森)」があるから、ここから一直線の通りがそう呼ばれているわけだ。


他人のブログから拝借して紹介しょう。


*モンキー・フォレスト

http://bali.navi.com/miru/16/



この森から一直線につながった通りは、徒歩だと50分くらいの通り(早歩きの人だと30分?)だから、けっこうな長さではある。その通りの両脇に様々な土産品店やカフェやレストランが延々あるわけだ。

通りは、一方通行で、モンキー・フォレストから前方に進み、その一方通行の通りの終わりは、ウブド・パレスという寺院になる。

だから、ホテルからは、何かと、「ウブド・パレスまで」という言い方でタクシーに送ってもらったりする。

そこから、メイン・ストリートのモンキー・フォレスト通りは、一方通行なので、入れないのだ。

かなり迂回して、始まりのモンキー・フォレスト(サルの森)に回らないといけないので、それだと、タクシー料金も300円から500円を要求される。


このウブド・パレスも、ケチャやガムランと言った音楽や踊りを行う場所でもある。

この他にも、あちこちに小さな寺院があり、そうした場所で、毎夜、午後7時くらいから8時30分くらいまで、踊りや音楽が行われてはいる。

どこの寺院も、ガムランやケチャのスタート時間や終わりの時間は同じではある。


*ウブド・パレス(サレン・アグン宮殿):


http://www.tripadvisor.jp/Attraction_Review-g297701-d1590311-Reviews-Puri_Saren_Agung-Ubud_Bali.html



ちなみに、ガムラン音楽とケチャ音楽や踊りは、こういうものだ。


*ガムラン音楽と踊り:

http://www.youtube.com/watch?v=fC08ff46RHE


*ケチャと踊り:


http://www.youtube.com/watch?v=bsPjqZdEkEU



インターネット検索をしていたら、これ以上に「モンキー・フォレスト通り」の凝った説明はできないだろう、というブログを発見したので、紹介しておこう。

旅行報告は、すべて「他力」のブログで補うのが一番だ。

実際、こんなにマメにお店を紹介できない。



前篇:

http://bali.navi.com/special/5025354


後編:

http://bali.navi.com/special/5025358




そのモンキー・フォレスト通りを夜に歩くと、午後9時くらいから、オープン・カフェの店の中から、ライブの音楽が聴こえいたりする。

これが、どれも抜群に上手い。

ある日、午後10時頃、通り過ぎようとしたら、大音量のバンドの音で、とんでもなく上手いブルースの歌が聴こえて来た。

店の前に行って見ると、ギターとベース、ドラム3人のバンド。

全身刺青の男がボーカルでギター。

このギターがまた凄い。

「ああ、これは完全にジミヘンを越えているなあ」と思ったくらいだ。

ワイルド&早や弾きに加えての、ブルース、ロック向けの野太い声のボーカル。

これは、もう最強だなあ、と思いつつ、店の外からステージをしばらく見ていた。

店は白人客で満席。

超デブの中年白人男が、店の外のテーブルに陣取っている。

「凄いだろ!」とか、言っている。

入りたいのだが、抱きかかえた2歳児は、うとうとしていて、この店の広さでの大音量の中へは、ちょっと幼児の聴覚的にまずいだろう、という事で店内には入らなかった。

それに目的は、ジャズのカルテットが演奏している、という情報で、あるホテルのラウンジまで徒歩15分。

途中、10人くらいの白タク・ドライバーの、「タクシーいらないか?」という誘いを断って歩き続ける。

体重、約11キロの2歳児を抱えてはいるが、最高記録は、1時間くらいは、片手で抱えながら歩いたりした。

本来、この腕は、タトゥーを入れたい太さではある。

だから特別に運動する必要はなかったどころか、手も足もけっこうへとへとになった。

当然、年中、常夏という暑さもある。

だからと言っても、時期により、プールに入るには、ちょっと寒い、という午前中のシーズンもかなりある。そんな日でも午後は、けっこう気合で入れる。


私の場合、プールに入ったら、最低1時間半は出て来ないで、泳いだり、歩いたりしているので、プールサイドで、水着姿で、ほとんど泳がないで、読書しかしない欧米人は、内心、「この東洋人は、ちょっと異常ではないか!」と思っている事は確かだろう。

私からすると、プールサイドで水着になって日焼けがてら読書しかしない欧米人は、「こいつら、普段は、読書とか全くしないから、ここまで来ても読書するんだろう!」としか思っていない。

本当に日焼けだけしたいなら、ペーパーバックではなく、雑誌にすべきだ。

この辺、わからないかもしれないが、ペーパーバックは、修行性があるからだ。

暇つぶしなら、雑誌に限る。

まあ、大きなお世話ではある。


ジャズ・カルテットの演奏しているラウンジに到着すると、午後10時頃で、10時半くらいまでしか演奏はしないとの事。

サックスとピアノがなぜか白人で、エレキベースとドラムがバリ人らしい。

何と言っても、店のソファの色と合わせたのか、赤いピアノにびっくり。

演奏は、意外に、ガンガンとストレートなジャズを演奏していた。

(こうした場所で、演奏される曲は、企業秘密なので、無料のブログでは答えらえない!)


*Rouge Lounge:


http://www.tripadvisor.jp/LocationPhotoDirectLink-g297701-d4724693-i77253971-Rouge_Lounge_Sushi_Bar-Ubud_Bali.html



2歳児は寝てしまっている。

飛び入りしたくても、こういう時、ギターは困る。

そこにギター弾きがいないのと、いたとしても、ギターを貸してくれるかもわからない。

エレキベースで飛び入りするしかないが、あっちのエレキベースの方が上手そうではある。

飛び入りしたベースがメインで何かやらないで、ただ伴奏だけしていては、飛び入りした意味がないので、遠慮する。

こういう時、ジャコ・パストリアスなら何を弾くかなあ、と思った。

客は、年寄りの白人客がちょぼちょぼいる程度。

ロックやブルースのバンドの満員の客とは大違いで、ここでもジャズは、年寄しかいない。

おそらく、70代以上じゃないか。

欧米の団塊の世代は、ウッド・ストック世代で、ヒッピー文化のロック好きだからだ。

ジャズは、さらにその上となるから、70代以上になるのだろう。


30分くらいして演奏が終ると、またまた2歳児を抱きかかえたまま、白タクがいる賑やかな通りまで出て、交渉。

ホテルまでは、5分~10分くらいだから絶対300円くらいの距離だが、あちらは、「500円!(50000ルピア!「fifty thousand rupiah!)と必ず言って来る。

「ダメダメ、じゃあ、歩いて帰る!」と言って歩き出すと、「わかった!300でいい!」となる。

しかし、車内では、意外に気さくに会話して来るし、またまた、「明日の予定は?」と聞いては来る。

ホテルに到着して、お金を渡しながら、「ありがとう!君は命の恩人(life saviior)だ!」と言ったら、笑みが見えた。

ちなみに、Thank you very much とかいうと、 召使いのようになるので、very much まではいらない。

Thank you や、Thanks!(a lot!) で十分だ。

”~していいか?”の、Can I have ~は、ちょっと上から目線で、親しくない他人には横柄だから、Could I have~程度がよくて、May I have~までいくと、店員か、召使いにまで、へりくだるから、この辺の使い方が難しい。


しかし、今回の滞在の収穫は、何と言っても、バリのウブドに行くと必ず、毎晩のように行ったライブハウス、“ジャズ・カフェ”だ。



*JAZZ CAFÉ:


http://jazzcafebali.com/



“ジャズ・カフェ”の客は、すべて白人観光客で、毎日の出し物は、歌と演奏が中心だ。

どれも、一級品のバンドで、上手い。

MCも歌もすべて英語だ。

バリのミュージシャンのアメリカ英語の発音は、抜群ではある。

一般の人は、完全なバリなまりの英語ではあるから、いかにバリのミュージシャンの耳がいいかがわかる。


今回は、この5年、3度目のウブドのこのジャズ・カフェで、歌なしの“ジャズギター・デュオ”のライブに遭遇。


日曜日のレギュラーライブだ。

“Jeko Fauzy & Friends”


日曜日が関係あるのか、行くと白人客のカップルもわずかではあった。

しかし、このデュオが、また上手い。

かなり進歩的なスタイルで、まあ、パットメセニーとジム・ホールが演奏している感じだ。

1ステージが終わると、2年前か3年前に、ウブドの有名、超絶ギタリストのBALAWANのライブで、休憩中、しきりにBALAWANと話していた、ギル・エバンスのような白人の中老人が再びいて、しきりにギタリストと話している。

あの時もそうだが、「ああ、これは、どこかのプロデューサーなのかなあ」とずっと思っていた白人だ。

いつも夫婦で来ている。


60代後半風か70代風だ。


客もさほどいないし、じゃあ、声を掛けるか、とギターの二人がいるテーブルまで行って、「日本から来たギター弾きだ」というと「ジャズか?」と聞かれたので、「そうだ!」と言ったら、「ぜひ、一緒にやろうよ!」という。

二人は、兄弟だった。

それで、何となく、貫録があって、いい音を出している兄を指して、じゃあ、あなたと、といって、飛び入りが決まる。

兄は、「弟が上手いけどね!」という。

私が聞いたところ、兄がやっぱりちょっと上手いかなあ、と。

そこへギル・エバンスが通りかかり、「えっ日本?君らも知っているのか?」と言って来たら、二人は、「いや、自分たちも知らないけど」と言ったので、私がすかさず、「ああ、私の事は、日本でも誰も知らないんだ!」と言ったら、一応、受けた。


それで、2ステージでは、「日本から来た、TAKAYA だ!」と紹介されて、1曲、兄のJekokと二人でデュオをした。

終ると、ギル・エバンス(風)が来て、「いやあ、よかった!」と言って、名刺を渡された。

それで、「自分は、日本と言っても沖縄から来たんだ」と言ったら、「おお、自分は来年、フィリピンを回り沖縄に行く予定だからよろしく!」とか言う。

その会話で、「えっ?フィリピンから沖縄へ、、、、兵隊かなあ。それにしては年齢が行き過ぎているし」とは思った。

イギリス人だという。

帰国して名刺をインターネットでチェックすると、どうも、クルーザーで世界を回っている金持ち夫婦のようだ。

フィリピンから沖縄へクルージングするって意味だったのだろう。

まあ、沖縄に来ても私の事は探せないはずだけど、簡単に探せると思っているのかもしれない。


というわけで、ステージが終わってから兄が、「明日は、弟がダブル・ベースとやるから、明日も来いよ!」とかいう。

ダブルベースって、またしてもBALAWANのようなダブルネック・ギターかな、と一瞬イメージする。

老けてはいたが、帽子とあごひげの兄は、32歳だった。

私も帽子とあごひげだけど、私は、55歳だ、と言ったら、びっくりしていた。

虚しくなったのは私の方で、無名の55歳は、もう飛び入りしない方がいいかもしれない、と思った。

二人は正反対の“若さ”に見えるようだ。


日曜日は、レギュラーでこの二人のデュオだ。


翌日、再び、ジャズ・カフェを訪れる。


"Icang Rahimy Trio"


弟は、“イチャング・ライミー”という名前だ。

“ダブル・ベース”は、ダブルネック・ギターの事ではなく、ウッド・ベースのことだった。

“トリオ”と言ってもドラマーではなく、女性のボーカルが加わっての“トリオ”だった。

このトリオは、月曜日のレギュラーバンドだ。


ここでは、ドラマーはいらない、との主旨らしい。

何しろ、一応、名目は、“ロマンチック・ナイト”としているからだ。

確かに、白人カップルがわずかにいるだけで、客は少ない。

ここでも2ステージ目に紹介されて、ベースと二人で、デュオを1曲。

すぐに降りようとしたら、「TAKAYA もう1曲やってよ!」というので、適当に1曲を追加。

しかし、ちょっと派手に弾きすぎて、浮いてしまった感はある。

あくまでも、ロマンチック・ナイトでないといけない感じで、それに、客は、女性ボーカル目当てでもあるはずだ。


帰る時、1人で来ていた20代後半風の韓国人女性から声を掛けられた。

「よかったです!」と言うのだが、それはちょっとお世辞かもしれない。そんなに一般受けする感じでの演奏でもなかったし。

日本語が異常に上手く、まるで日本人のように喋る。早稲田大学に留学していた、という。

ちょっと、日本語がうますぎるねぇ、日本人みたいだ!というと、「私は、韓国語もあまり上手くないからかもしれないです!」と、たぶん冗談で言って来る。

彼女は、ライブ中、ずっと現地のバリ人のナンパ男が、口説いていたから、ちゃんと聞いていたかは怪しい。

帰り、タクシーのある所まで歩いていると、この女性がバイク便の後部座席に乗って帰る所を見た。

あのナンパ男のバリ人の酔っ払い運転のバイクで送られているんだな、と思った。

(この女性は、翌日もモンキー・フォレスト通りで、出会った。初めてのバリの1人旅、というのに、なぜか韓国人の男性が一緒だった。昨夜のバイク便のドライバーは、ナンパ男ではない、と否定していた。)


という事で、5年掛かって、ようやく飛び入りできた。

なかなか、歌が中心のバンドのライブで、ギターだけでは飛び入りできないからだ。

ちなみに、この弟よりは、兄の方が英語は上手い。兄は、英語でMCもしていたからだ。

しかし、ここでのメインは、女性ボーカルだ。

パンフレットには、この月曜日のジャズは、“クラシックからプログレ・ジャズまで”とあるトリオだったが、プログレの意味は、ポピュラー・ソングの意味だった。

クラシックは、スタンダード・ジャズの意味で、ジャズ以外の曲をプログレ、としているのだろう。

とりあえず、2歳児は眠りこけていたが、最後まで聴く。

ジャズカフェのボスのような女性が、「あんたの事は覚えているよ!」と言って来る。

2年前にも来ていたよね、と。

「ああ、この2歳児のために、この2年来れなかったんだ」というと、子供をあやしてくれたりした。


「明日はブルースナイトだから、明日も来るといいよ!」と営業されるが、「いや、明日来れるかは、2歳児しだいだ」と言って、一応、また来年!、と言って去る。


まあ、飛び入りはしたが、いきなり他人のギターを触って、その1分後には、すぐに本番、というのもけっこう大変ではある。

もうちょっと、他人のギターに慣れる時間が欲しい、とは思った。



話しは、前後となるが、その翌日の火曜日が、脅威のロック&ブルースギタリストが演奏していた日で、それを通り過ぎて、ジャズカルテットの演奏を見に行った日だ。


だから、エレキベースでの飛び入りを考えていたりしたわけだ。


次の日の水曜日に再び、そのブルース演奏をライブでやっていた店の前を通りながら、「昨日の奴は、なんて名前だ?」と店の前に立っている従業員に聞いたら、「彼は、ジャカルタから来たギタリストなんだ。ドラマーはバリの人間だけど」という。

それで、今もインターネットでチェックしても、あの風貌のジャカルタのジミヘンを越えるほどのギター弾きがわからない。従業員から聞いた名前は忘れてしまった。

店の名前も忘れてしまった!2年前に1度入った事はある。その時は、ラテンバンドが客を盛り上げていた。

インターネットで、「全身刺青」「腰までの長髪」「細身」「ブルース・ギター」「ロック・ギター」「ジャカルタ」「ウブド」とあらゆる検索ワードを駆使したが、どうもそれらしいのはいない。

ジャワのジャカルタがブルースが盛んだ、という事はわかった。

とにかく、あの男の前では、世界の誰も簡単にロックやブルースは弾けないはずだ。

辛うじて、ギターで対抗できたとしても、今度は、あの歌の迫力まで兼ね備えているギタリストはいない。

ボーカルの迫力からすると、ギターは勝ったとしても、歌では、ロベン・フォードでも危ないかなあ、と思うほどだからだ。


その日は、もっと幼児でも大丈夫な音量の小さいロックバンドの店に行こう、と入った店がここ。

かなり広いスペースの野外テントのような店。

すでに、通りの中間にあるサッカー場の広場の向こう側から音楽が流れて来ている。
午後10時頃


*CP LOUNGE

http://cp-lounge.com/wp/events/



若者5人のバンドで、ボーカルがメインだ。

アドリブ担当のリード・ギターと、ボーカルがサイド・ギターも兼業。

ドラマーの代わりに、段ボール箱を叩いている風の者(“カホン(Cajón)”という楽器。ペルー発祥の打楽器(体鳴楽器)の一種。カホーンとも発音される。)

それとエレキベース、電気ピアノの計5人だ。

客は、白人客でいっぱい。

女性1人、というのもけっこういる。

うっとりと歌を聴いている。

バンドは、みんな二十歳前後みたいな顔をしている。

それなのに、ボーカルの青年が上手い。

スティングからオアシスなどの曲を歌っている。

味のある声で、アイドル系からなんでも行ける声だ。

リクエストもOKという事なので、この声ならイーグルスの“ホテルカリフォルニア”まで行けるなあ、と思っていたら、同じ事を思っていた白人客がいたのか、次の曲で、“ホテルカリフォルニア”を歌い出した。

やはり、上手い。

この時、ああ、リクエストがあるって事は、みんなこの声で、いろんな曲を聴いてみたいんだな、とわかった。

ここでも、日本のロック系のボーカリストが、こんなにも英語の曲をリクエストされるかなあ、と思うと、やはり、自前の歌だけを歌った方がいいだろうなあ、とは思った。

この声なら、どんなロックバンドでも聴いてみたい。ビートルズでもだ。

ギターの青年も、ちっとも上手そうな顔をしていないのに、アドリブは、完コピと多少のアレンジを加えていて上手い。まず、本物ぽくてリズムがいい。(「ホテルカリフォルニア」のアドリブは、オリジナルは、ツイン・ギターではある。)

この上手そうでないけど、上手い!という顔が、バリの凄いところだ。

みんな、別に、頭が良さそうな顔でもないのに、英語はペラペラ喋る。

これが、日本だと、これくらいのギターだったら、もう、全身タトゥーで、ヒッピー風で、それらしい歩き方をしているはずだ。

それが、バリでは、この程度だと、普通の十代風だ。

見た目で凄い奴は、あの全身タトゥーのロック&ブルースギター弾きのように、とんでもないレベルの演奏をするから、ちょっと基準が違う。

私なんか、若く見られて、ちょうどいいくらいではないか、と思った。

「ホテル・カリフォルニア」の次の曲の途中で、眠りこけた2歳児のために帰らないといけないので、悪いと思いつつ、演奏中に席を立つ。

それで、バンドに向かって、2歳児を抱きつつ、右手の親指を立てて、「最高だったぞ!」というサインを見せつつ帰ると、ギターの青年が、会釈してくれた。


そんなこんなで、9日間の旅が終わり、飛行機での帰路、バリ島から香港空港の着陸で、シートベルトをして座席に座ることを拒否した、2歳児が泣き叫ぶ事件が起きたわけだ。

あとから、この対応をインターネットでチェックすると、どうしても2歳児は、座席でシートベルトで締め付け、押さえつけておかないと、突然の気流でふっとんだりする、というので危険である、という。

実際は、離着陸時には、私が片腕でしっかりと向こう側の肘掛けをつかみ、シートベルトの代わりとして押さえてはいたのだが、果たして、どれくらいの衝撃に耐えられるかはわからない。

基本的に、どんなに騒ごうが、シートベルトで押さえつけておくべき、というのが、国際的な安全対策ではある、という。


沖縄に到着すると、なんと、沖縄は、バリ島よりも暑かった。

だから、私が、バリ島で、学ぶ事は、ちょっと他府県の日本人とは違うのは当然ではあるだろう。

ただ、もっと自分が若ければ、妻子を捨てて、バリ島で毎晩、音楽三昧で暮らすだろうなあ、という事だけは思った。

残り少ない人生の日々を、毎晩、演奏して死にたいなあ、とは、いつも思うことではある。

バリへ行く前に買ってあった「日本のジャズ・ギタリスト」(ジャズ・ギターブック:シンコーミュージック)という雑誌の巻末の「日本のジャズ/フュージョン・ギタリスト名鑑」を「あ」行から最後の「わ」行まで見ていても、自分の名前がなかった。

しかしこれは、当然だとしても、「おれは、こいつらよりは、マシじゃないのか!」と思うギタリストがたくさんいて憤慨はしたが、そもそも“沖縄”は、日本ではなかったんじゃないか、と思い直し、それをよし、とした。

それは、80年代後半、東京にいた頃から変わらない。

自分は、ただ、日本本土の人間とは、南国の島生まれ、という育ちの違いと、年功序列意識のない態度から、団塊の世代から気に入られなかったためサイドメンとして活動できなかっただけじゃなかったのか、と思ってはいる。

当時は、何のコネもないので、北朝鮮から来たような目で見られたものだ。

もしも、「世界のギタリスト」に、インドネシアのギタリストが入らないとしたら、何か、似たようなものではないか、と思った。

バリで飛び入り演奏して初めて、本土からのミュージシャンが、沖縄、という貧乏県民からお金を巻き上げても、“観光地”沖縄で、演奏したい、と願う気持ちもわかった。

どうせ、南国に遊びに行くなら、お金を使って観光で行くより、逆にお金を稼ぐ“仕事”で行きたい、という事なんだろう。

しかし、バリの貧乏なミュージシャンの取り分までも、金持ち日本から来たミュージシャンがやって来て、横取りしてはいけないだろうなあ、とは思う。

観光客が、千円で食べる料理を、インドネシア料理を食べれば、100円くらいで済ます事ができる。

これは、沖縄も同じだ。

中国のように固定相場で、外貨に替えたら、逆にお金持ちになるなら、海外旅行も盛んになるだろう。

(1972年の本土復帰した頃の沖縄のドルから円への変換レートが固定相場で、1ドル=360円だった!変動相場制の現在は、100円前後ではあるが、当時は、それが固定されていた。)


帰って来て、近所の大きなドラッグ・ストアーに行ったら、中国人観光客を乗せたバスが止まっていて、レジは、どこも2、30人ばかりの中国人だらけで、チュン、チュン言っていた。

沖縄が、これから、さらに観光国として盛り上がるには、これまでの欧米からの観光客よりも、中国人を相手にしなくては生き残れない、としたら、これからは、中国語を話し、ライブハウスでも、中国語で、MCをして、歌もすべて、中国人が好む中国の歌を歌うべきではあるだろう。


沖縄の人は、日本人からはミュージシャンとしては仲間扱いされて、東京へは呼ばれないのに、常に、観光目的の仕事場として、本土からのミュージシャンはアクセスしては来る。

また、バリ人は、誰も沖縄を知らず、「オキナワ?、知らないけど、カナガワ(神奈川)なら知り合いがいる」と言った調子ではある。


その沖縄も日本も、中国人観光客を相手にしないと生き残れない時代ではある。

じゃあ、観光地のミュージシャンとして、これから中国人が喜ぶパフォーマンスができるかどうか、というのが、未来の子供たちに託された世界だとしたら、これからの子供たちは、何をもって“夢”とし、ましてや“希望”という言葉の意味は何の事なのかを本当に理解できるだろうか。

まあ、これは、70年代の固定相場制で、日本の「農協」の観光客が、フランス、パリへ行って、お土産を買い倒した時代とそっくりではあるから、あの時、欧米人は何を思ったか。


とりあえず、まあ、妻子を捨て、孤高の旅に出た俳人、山頭火が、またまた蘇る。

「先生の俳句は、ちっとも5、7、5に収まりませんが?」という山頭火のファンに対して、山頭火は、「はい、私は、自由にやっております」と答えた。

それは、生き方にまで及んだわけだ。

つまり、「自由」とは、自分のためだけに生きる、という意味である。

本当に「自由」に生きるには、多くの痛みも伴うわけだ。

この意味では、妻子を捨てて出家したブッダも「自由」に生きた人という事になるだろう。


でもまあ、こんな時代の日本にいるよりはと、ニューオリンズやシカゴに飛び出した日本人ブルース・ギタリストたちもいるわけではある。

その気持ちは、わからないでもない。

ギタリスト名鑑には、載らなくても、一生、本場の音楽好きな「上質」な客だけは相手にしていたい、という事ではある。

以前、このバリ島の音楽の在り方は、かつての60年代、70年代初期の沖縄と同じだ、と分析はしたが、その音楽を支えていた観客に大きな違いはある。

一方は、ただただ大音量の音楽を好み「ロックンロ~ル!」としか叫ばない、明日は、ベトナムの戦地で散る運命の米兵たちであり、一方は、様々なジャンルの音楽や料理を嗜好する、お金持ちの客ではある。


どちらが、“芸”を育てるかは、王家貴族と宮廷音楽としてのクラシックの世界の歴史で証明されている。

食べて行くのが大変な状況では、バッハもなかなか音楽には専念できなかっただろうから、現在の100分の1くらいしか曲を残せなかっただろう。


そんな中、最近は、またまた、自著にモンスター・レビュワーも現れたが、今回は、この二つ星評価の者を過去レビューからプロファイリングをすると、株の本を買っても「これは、プロがやるものだ!」と食って掛かったり、サックスにもチャレンジしていたり、8年も習っているウクレレらしいが、どのウクレレ教則本を買っても難しいらしく、また、ジャズギターも習っているのだが、これが、またダメで、それなのに今回私の本に釣られてしまったわけだ。

そのギターの腕前は、先生に着いて習っているというのに、何年経っても譜面を読むだけが精いっぱいのレベルらしく、それなのに真面目に先生の言われた通りせず、勝手にいろいろな教則本を買い込み、読んでみても、これまた難しい、と文句を言う。

ちょっと、こんな“おっさん”までが、“アマゾン”では、自由に発言できて、出入りできる商売システムなのぉ~?と思うばかりなのだが、しかし、この“おっさん”のおかげで、彼らを“モンスター・レビュワー”なんて、横文字で“肩書き”を保証している場合ではないなあ、とようやくわかった。

彼らは、平和に暮らしている人の家庭に、“突然”現れる、“ゴキブリ”と同じ存在だな、とようやく、彼らにぴったりの名称が見つかった。

“ゴキブリ・レビュワー”でよかったのだ。

彼らの不満レビューは、何の益にもならないので、単なる、“ゴキブリ評”でしかない。

ゴキブリなら、世界遺産であろうと関係なく、それを卑しめようと寄って来るのは当然だ。


とりあえず、まあ、今回から、彼らにぴったしの名前ができて、よかった、と思う。

“モンスター”ではない。

“ゴキブリ”だ。


彼らには、殺虫剤をかけて、その繁殖を止めるしかないだろう。

本当に、“明るい電気の下の(人気商品)”場所を見つけると、寄って来るところなんか、彼らにぴったりだとは思う。


旅行から帰ったら、家にゴキブリが発生していた、という事で、これはもうしょうがない。

何やっても難しいんだから、文句ばかりを言わずに、生きるのをやめたらいいんじゃないか、と思う。

こんな人たちも、どうしてもウクレレを弾いたり、ギターを弾いたり、サックスまで吹いたりしたいんだなあ、とわかった。

先生に着いて習っているなら、いちいち勝手に教則本なんか買わずに、先生の言う事をまずちゃんと聞いて稽古して、その成果で、先生にまず認められないといけないんじゃないか。

勝手に教則本を買い込んで、文句を垂れている場合ではない。

先生の下で、ちゃんと優秀な生徒として活躍できるなら、余力で、他の教則本を買って、取り組むべきなのだが、そんな人間に限って、すべては、自分が悪いのではなく、教える側や教則本が悪い、となるわけだ。

難しいなら、「1日1小節だけ!」にしたらいいのに、勝手にどんどん進んで挫折する所なんか、何か、さすがに、これだからこそ、世の中に堂々と出て来てはいけない、ゴキブリのような存在ではあるなあ、とつくづく思う。


バリからも学んだが、こういうゴキブリからも学べる。

ちなみに、バリでは、食べ物を扱う、夜中のオープンカフェというのに、まだ、ゴキブリを見た事がない。

バリ自体が、常に浄化されているから、という話しではある。

彼らは、朝昼晩、常に、店や家の前に線香をあげて、奉っているからだ、という。




*「禁断のジャズ理論」レビュー:

http://www.amazon.co.jp/%E7%A6%81%E6%96%AD%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA%E7%90%86%E8%AB%96-CD%E4%BB%98-%E5%8F%8B%E5%AF%84-%E9%9A%86%E5%93%89/dp/4845624427/ref=zg_bs_492240_4






















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Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00 │修行&音楽芸の話人生論旅行