2019年06月11日
児童虐待問題考:Facebook
Facebookで、あれから1年と”結愛(ゆあ)”ちゃん事件に触れた翌日、今度は、詩梨(ことり)ちゃん事件です。
共に、名前だけで、親の姓なんか忘れていい子どもたちです。
[懸命に指を伸ばす赤ちゃん。
生後間もないころの池田詩梨ちゃんの様子です。
その詩梨ちゃんが死亡したのは今月5日。
死因は衰弱死でした。]
*2歳女児衰弱死 1歳ころから“育児放棄”か 札幌市は緊急対策会議 北海道
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190610-00000008-hbcv-hok
スマナサーラ長老は、「親の顔を見るとものすごい憎しみが出て来ます。小さい頃からいつも叱られていたからだと思いますが、どうしても素直になれません!」という、”親が嫌い!”という悩みに対して、「もう二度と会わないつもりで家を出なさい!」、「これが一番正しい方法です。」と答えています。(「心は病気」サンガ新書)
どんなバカ?でも優秀でも、また、何の権力もないので、誰も従ってくれない人間でも、あるいは、人望のなさから、誰も尊敬してくれない人間でも、子どもさえいれば、簡単に”王様”にも”社長”にも”神”になれます。思う存分、自分の考えを強要し、従順な部下を作ることができるでしょう。
言う事を聞かなければ、虐待すればいいわけです。
親を尊敬しなくてはいけない、というのは、親=国家、という結び付きを奨励したら、国家安泰に都合がいいからなんですよね。
本来、すべては、尊敬に値する行動、行為をするから尊敬するべきで、そうでない、年長者は、親であれ、先輩であれ、先生であれ、一切、尊敬すべきではないわけですが、そんな風に育てると、反乱が起きるんですよね。
だから、処世術としては、適当に頭を下げておけばいいわけです。
相手は、尊敬に値しない年長者なわけですから、何か気に入らない事があると、やっぱり、尊敬に値しない事をするので、適当に、頭なんか下げておく事ですよね。
この際、子どもも親を選べばいいわけです。
ただ、成人した子どもの責任は、親自身は取る必要ない、という芸能界特有の?都合の良い考え方は、「そりゃあ、ないだろ!」とは思います。
自分が、そういう風に育てておきながら、「成人した子どもは、親とは関係ない!」って、こんな都合の良い子育てはないんじゃないか、と。
しかし、この場合も、最初から、ず~っと悪い子と、突然、魔がさして悪いことをした、という子どもとの”仕訳”は必要だとは思います。
こんな子どもの突然の行動は、予測できませんから、、。
あれ?
これも都合の良い考え方?
しかし、何をもって都合がいい、悪いかを決定するのかは、親の地位、肩書きではないかなあ、とは思います。
親が偉くなければ、子どもが何をしても、その地位をおびやかすほどの、都合が悪い事もないのかもしれません。
いずれにせよ、「尊敬するからいたわる」という事ではなく、「弱者だからいたわる」というのが、老人介護の問題ではありますが、、。
尊敬に値しない老人は、いたわらない!、となると、これはちょっと都合の悪い社会になってしまいますし、、。
という事は、”いたわる”、という行為は、尊敬心なんかなくてもいいわけです。
もちろん、血縁関係のない”弱い人たち(老人)”は、出会った時に、いたわる程度ですが、血縁関係のある”弱い人(老人)”たちは、ちょっとした社会的責任ですか、、、。
しかし、この問題も、あちこちで起っていますし、、。
さんざん、酷い目に遭わされた父親や母親なりが、一人身で孤独になり、病気なんだけど、となっても、無視している家族もいたりします。
それは、家族?としては、正解ですが、社会人としては、どうか?という問題かもしれません。
お葬式代や、お墓代も高いですし、あったとしても、結局は、無縁墓地も増えてますし、、。
子育てにベストを尽くした親でさえ、この様なんですから。
しかしまた、この”ベスト”なやり方は、本当に、子どもの人格形成に役に立ったのか、という問題が、こうした事件の元凶ですよね。
やっぱり、岸田氏の言うように、”歴史的悪行は、すべて正義の名に於いてなされる!”ですか、。
戦争も、虐待も体罰も、み~んな、”正義”の名に於いて、相手を指導してんですよね。
本当に正しい指導だったか、どうかは、指導された当事者が晩年になり、「ああ、あれはありがたい指導だったなあ」と、子孫にまで伝えるくらいのものじゃないか、と思うので、すぐに、その回答はできないんじゃないか、とは思います。
自分の親、あるいは先生は、ちゃんとした育て方、教え方をしたんだろうか?という話しですから。
という事は、その人を許しているか、いないか、という事にも関わって来ますよね。
しかし、どんなに恨んでいても、相手が、死んだりすることで、その恨みが解消する、という話しもあります。
最大の復讐が終わったわけですね。
どんな形であれ、成長させてくれたから、感謝します、というのは受け手の気持ち。
これが、「感謝せ~よ!」と仕手側からの気持にあったりするのが、おかしいわけですよね。
あれこれ難しいですが、まず、正しい指導は、常に冷静です。
それが、正しくない指導との分岐点ですかねぇ。
しかし、涙流しながら、怒る!という指導者もいますし、、、。
その場合は、ただの怒りではないわけですし、、、。
心には、響きますよね。
でも、女性で、それを戦略とする人もいますし、、、。
やっぱり、この問題は、終らない話です。
*Facebook:6月9日 1:09 ·今日のニュース:児童虐待問題考
共に、名前だけで、親の姓なんか忘れていい子どもたちです。
[懸命に指を伸ばす赤ちゃん。
生後間もないころの池田詩梨ちゃんの様子です。
その詩梨ちゃんが死亡したのは今月5日。
死因は衰弱死でした。]
*2歳女児衰弱死 1歳ころから“育児放棄”か 札幌市は緊急対策会議 北海道
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190610-00000008-hbcv-hok
スマナサーラ長老は、「親の顔を見るとものすごい憎しみが出て来ます。小さい頃からいつも叱られていたからだと思いますが、どうしても素直になれません!」という、”親が嫌い!”という悩みに対して、「もう二度と会わないつもりで家を出なさい!」、「これが一番正しい方法です。」と答えています。(「心は病気」サンガ新書)
どんなバカ?でも優秀でも、また、何の権力もないので、誰も従ってくれない人間でも、あるいは、人望のなさから、誰も尊敬してくれない人間でも、子どもさえいれば、簡単に”王様”にも”社長”にも”神”になれます。思う存分、自分の考えを強要し、従順な部下を作ることができるでしょう。
言う事を聞かなければ、虐待すればいいわけです。
親を尊敬しなくてはいけない、というのは、親=国家、という結び付きを奨励したら、国家安泰に都合がいいからなんですよね。
本来、すべては、尊敬に値する行動、行為をするから尊敬するべきで、そうでない、年長者は、親であれ、先輩であれ、先生であれ、一切、尊敬すべきではないわけですが、そんな風に育てると、反乱が起きるんですよね。
だから、処世術としては、適当に頭を下げておけばいいわけです。
相手は、尊敬に値しない年長者なわけですから、何か気に入らない事があると、やっぱり、尊敬に値しない事をするので、適当に、頭なんか下げておく事ですよね。
この際、子どもも親を選べばいいわけです。
ただ、成人した子どもの責任は、親自身は取る必要ない、という芸能界特有の?都合の良い考え方は、「そりゃあ、ないだろ!」とは思います。
自分が、そういう風に育てておきながら、「成人した子どもは、親とは関係ない!」って、こんな都合の良い子育てはないんじゃないか、と。
しかし、この場合も、最初から、ず~っと悪い子と、突然、魔がさして悪いことをした、という子どもとの”仕訳”は必要だとは思います。
こんな子どもの突然の行動は、予測できませんから、、。
あれ?
これも都合の良い考え方?
しかし、何をもって都合がいい、悪いかを決定するのかは、親の地位、肩書きではないかなあ、とは思います。
親が偉くなければ、子どもが何をしても、その地位をおびやかすほどの、都合が悪い事もないのかもしれません。
いずれにせよ、「尊敬するからいたわる」という事ではなく、「弱者だからいたわる」というのが、老人介護の問題ではありますが、、。
尊敬に値しない老人は、いたわらない!、となると、これはちょっと都合の悪い社会になってしまいますし、、。
という事は、”いたわる”、という行為は、尊敬心なんかなくてもいいわけです。
もちろん、血縁関係のない”弱い人たち(老人)”は、出会った時に、いたわる程度ですが、血縁関係のある”弱い人(老人)”たちは、ちょっとした社会的責任ですか、、、。
しかし、この問題も、あちこちで起っていますし、、。
さんざん、酷い目に遭わされた父親や母親なりが、一人身で孤独になり、病気なんだけど、となっても、無視している家族もいたりします。
それは、家族?としては、正解ですが、社会人としては、どうか?という問題かもしれません。
お葬式代や、お墓代も高いですし、あったとしても、結局は、無縁墓地も増えてますし、、。
子育てにベストを尽くした親でさえ、この様なんですから。
しかしまた、この”ベスト”なやり方は、本当に、子どもの人格形成に役に立ったのか、という問題が、こうした事件の元凶ですよね。
やっぱり、岸田氏の言うように、”歴史的悪行は、すべて正義の名に於いてなされる!”ですか、。
戦争も、虐待も体罰も、み~んな、”正義”の名に於いて、相手を指導してんですよね。
本当に正しい指導だったか、どうかは、指導された当事者が晩年になり、「ああ、あれはありがたい指導だったなあ」と、子孫にまで伝えるくらいのものじゃないか、と思うので、すぐに、その回答はできないんじゃないか、とは思います。
自分の親、あるいは先生は、ちゃんとした育て方、教え方をしたんだろうか?という話しですから。
という事は、その人を許しているか、いないか、という事にも関わって来ますよね。
しかし、どんなに恨んでいても、相手が、死んだりすることで、その恨みが解消する、という話しもあります。
最大の復讐が終わったわけですね。
どんな形であれ、成長させてくれたから、感謝します、というのは受け手の気持ち。
これが、「感謝せ~よ!」と仕手側からの気持にあったりするのが、おかしいわけですよね。
あれこれ難しいですが、まず、正しい指導は、常に冷静です。
それが、正しくない指導との分岐点ですかねぇ。
しかし、涙流しながら、怒る!という指導者もいますし、、、。
その場合は、ただの怒りではないわけですし、、、。
心には、響きますよね。
でも、女性で、それを戦略とする人もいますし、、、。
やっぱり、この問題は、終らない話です。
*Facebook:6月9日 1:09 ·今日のニュース:児童虐待問題考