祝・新ジャズサイト・リニューアル・オープンの前口上

TOMOYOSE TAKAYA

2018年04月16日 00:00

さて、人生も残り少なくなって参りました。

ラスト10年のためにジャズ学習、音楽学習のための「普遍のサイト」を新設しました。

私が、「ジャズはなぜ死んだか?」というサイトを立ち上げたのが、2000年。

毎夜、朝方まで、コンテンツを書き続け、三ヶ月ほどで、あのサイトが世の中に誕生しました。

当時、40歳。

20代でコンピューター・ミュージックをしていたのですが、インターネットは初体験。

6歳でオルガン教室にちょっとだけ通い、小3にちょっとだけ、クラシック・ギター教室体験。

ギターは持っていなかったのですが、教室用のギターが何本も教室にありました。

「宵待ち草」「峠のわが家」といった古~い曲が課題だった記憶が、、、。

小6で、初めて、フォークギターを入手。

中1で、フォーク一筋。通信講座マニア。フォークからロック、クラシックまでありとあらゆる通信講座を受講。

14歳、中2で、「成毛滋のロックギターマスター論」の記事に出会い、成毛氏と文通を始め、ロックギター一筋!

16歳、ダンスホールで初仕事。演歌からサンタナまで。

17歳で、ジャズ学校へ。

気が付いたら、40歳。

10年ぶりで、パソコンを購入し、インターネットに挑戦。

兄の助言、「おまえのメールは、昔から面白い。絶対に、ホームページをやるべきだ!毎日、原稿を書いたら、送れ!おまえのサイトを作ってやる!」という言葉に、「いや、忙しいから、、」と断り続ける事、半年。

あまりに、しつこいので、ついに、原稿を書き始め、送信。

しかし、毎日、あまりの大量の原稿に、兄も必死。

三ヶ月もすれば、検索に引っかかるようになり、様々なネットサイトで、話題に。

2000年当時から、何度も何度も、2chには、私のスレッドが立ち、「あいつ死ね!」「哀れなバンドマン!」などなど、

一切、無視して、記事を掲載し続けます。

当時は、まだ、私の写真や映像もなく、ひたすら文章だけです。

しかし、ちゃんとCDは、発売していました。

反響の大きさに、2002年から通信講座を開始。

みんな、私のCDを聴いての入会でした。

しかし、それでも、何年経っても、私の顔は公開していませんから、みんな、顔もわからない先生とやりとりしていたわけです。

実際は、私の「フリースタイル」のライブ映像のDVDも一部のマニアに販売していましたから、どうしても、顔を見てみたい!という人は、ゲットしていました。当時、1万円のお宝映像で販売してました。

そんなサイトも10年後の2010年に「友寄隆哉and all that "JAZZ"」と名称を変えて、早や8年。

過去記事の一部も残してありましたが、デザイン的にメインではありませんでした。

「ジャズはなぜ死んだか?」のホームページのデザインは、普通のノートのページのイメージでしたから。

そのノートに、日記のように、書き続ける、というイメージです。

非常に、シンプルで、何の飾りつけもなかったイメージですね。

当時は、常に「過激」でしたから。

誰とでも闘って、死んでまえ~!という気持ちで生きて来ましたが、2006年に家族が現れました、、、。

その後、2011年に、依頼されて、初めて出版したのが、「大人のための音感トレーニング本」が、ベストセラーに!

あの2000年当時の記事を読んでた人は、10代、20代が多かったですね。

だから、通信講座を開講すると、20代、30代が多かったです。

「高校生の時に読んでました!」と言う人もいました。


その後、そんな読者の1人が、有名フリージャズ・ピアニストの”巡業”のトリオメンバーのベーシストとして、沖縄に来て、私に会ったのですが、本人は、自分自身も有名人になってしまったと勘違いしたのか、相手にされませんでしたけど、、、。

私が、余興で、そのボスである、有名フリージャズピアニストとデュオで演奏している際、同じ”境遇”のメンバーの若手ドラマーと奥の席で、お喋りしてました。

私は、演奏しながら、その映像、光景?が視界に入るわけです。

「ああ、あいつら、聴いてないな、、」と。

私よりも10歳以上も下でしたけど。

生れて初めて聴くギタリストの演奏には、どんな形であれ、興味を示したら?、とは思います。

たとえ、それが、フリージャズではなかったとしても、ですね。

一応、君達の巨匠のボスと対戦してんですから。

オフレコのピアニストの誕生日のための祝賀ライブでしたし、、。

それは、2014年?

私の興味は、その人が有名か、有名でないか、ではありません。

「上手いのか?」「上手くないのか?」です。

ウッドベーシストなら、ベースラインは、常に変化あるラインか、いつも同じラインじゃないか、また、その音程が常に、正しいのか、アドリブのリズムは、スイングしているか?です。

フリージャズですから、演奏のたびに、怒りながら、「そんなのカンケーねぇ!、そんなのカンケーねぇ!」という事ですが、本当に人気を得たのか?、その中に、本当に、好みの女性はいたのか!?

人気を得たという自負があるなら、じゃあ、自分の名前でも活動できるのだろうか?

そうした”有名人”が、本当に、高校生の時に、私のサイトを読んでいたのだろうか?

(ボスのピアニストから紹介された私の名前を聞いて、すぐに、サイトのことを言ったので、読んでいたのは確かです。私は、当時、2歳の息子を抱いていましたけど。)

音楽を続ける、という事は、「どんな事をしてでも、観客に受ければいいんだよ!」という事ではないと思います。

私自身は、そんなんになるために、わざわざ、高額なお金をつぎ込んで、音楽を学んで来たわけではありません。

こうした、様々な疑問から、私のブログは、ありとあらゆるジャンルの探究しているわけです。

それは、この世に生まれて、当然の行為です。

政治家、官僚を目指す人がいたとしても、勉強は優秀でも「倫理」「道徳」の知識、教養がなければ、失脚します。

スポーツを追求していても、同様です。

「そんなのカンケーねぇ~!」と、気に入らないプレイをした者には「体罰すればいい!」というわけにも行きません。

音楽も同様です。

”芸のためなら、女房も子どもも泣かす~!”と、家庭崩壊は、当たり前、となれば、じゃあ、それほどの”芸”とは、どれほどの芸か?となります。

そんな事を考え始めると、こんなブログになります。

世の中は、疑問だらけです。

しかし、今回のサイト新設は、まず、そうした問題は、”置いといて!”と言うことで、2000年当時のように、音楽だけに、もう一度、限定して見よう、という事になったわけです。

当時の兄に代わる存在が出現して、プロジェクトがスタートします。

私自身が、ホームページの事を考えることはないですから。

求められたら記事を書くだけです。

(私自身は、いつも、好きな事しか考えていませんから、、、。)

初めて、「ジャズはなぜ死んだか?」という過激サイトが、世の中に登場して10年。

16歳であのサイトに出会った少年は、10年後、26歳に。

それが、メインで無くなって8年。

少年は、34歳に。

しかし、2010年以降の16歳の少年は、そんなサイトにも気づかず、早や、26歳。

2000年当時は、このままでは、恐らく、ジャズは、消えて行く音楽だな、と感じて、「ジャズは、なぜ死んだか?」を書き上げましたが、それが、現在のネット学習時代に入り、音楽学校からも消えて行く音楽ジャンルになりつつあります。

日本の音楽で言えば、「雅楽」「義太夫」「浪曲」みたいなものです。その次に「ジャズ」が来るような勢いです。

私が、ロック&ジャズ教室を始めた24歳の頃、ジャズに対しての若者のイメージは、「大人がやるもの」「お爺さんが聴く音楽」でした。

私は、このイメージをせめて、地元では打破したく、「現代ジャズは、ロックよりもハードなんだ!」という事で、ロック・ギターとジャズ・ギターを一緒に教えていたわけです。

当時出て来た、ジャズギター界のスターが、ジョン・スコフィールドでしたから。

それ以前には、ラリーコリエル、ジョン・マクラフリンがいました。

ロックのように、ディストーション(音を歪ませて)を掛けて、ガンガンにアドリブする世界ですね。

これを、当時の私と同じ地元の少年たちに伝えたかったんですね。

もちろん、その一方で、ジョー・パス、ジム・ホールといった、古い世代のギタリストも好きでしたけど、、、。

一番、古いのは、ギターの師匠(高柳昌行)の教えから、チャーリー・クリスチャンを良く聴いていたりしました。

とにかく、ジャズに、あらゆるスタイルを込めて行くのが現代ジャズだったんですね。

ギターの師匠の教えから、クラシック・ギタリストも、セゴビアからスタートして、レコードを集め、良く聴きました。

10代ですね。

その影響で、現在、7弦クラシックギターを弾いているわけです。

そんな私も、来年、とうとう、”還暦”です。

気が付きませんでした。

ず~と、夢を追い続ける16歳のつもりでしたから、、。

最近、有名な俳優が、急性心不全で、66歳で突然死したりしています。(大杉漣)

私も、大杉氏のように、演技(演奏)した作品を残しまくりたいのですが、人には、それぞれ与えられた状況があります。

演奏するには、お客さんがいなければ、「仕事」として、暮らしていけませんし、、。

フリージャズギタリストとして、家庭を2、3回は当たり前!とばかり、崩壊させまくって生きるわけでもなく、子守り狂四朗になり、ひたすら、子育て中の身でしかありません。

現在は、教育的音楽書を出すのが、私の役目ですが、7冊目の「童謡を聞くだけで、音感が身につくCDブック」では、7弦ギターでの演奏を入れたりしています。

ジャズのCDが、5千枚売れたら大ベストセラー!?な時代に、私の本は、何万冊?も売り上げています。

私自身は、こうしたテキストの世界を打破?するために、テキストでありながら、わざと私自身の自己アピール、というエゴを入れたりしていますが、本を読んで、私のこうしたブログまで来る人は、ほとんどいません。

何十年も変わらない読者数です。

そんなわけで、そんな10代の時から、ここまで生きて来ると、「有名」「無名」とか、関係ないわけです。

実際、私は、ホームページをやる41歳まで、誰も知らない存在ですから。

ネット社会にならなかったら、知られることはなかった、日本の町工場みたいなものです。

私は、とにかく、少年の頃の夢を実現したいだけなんですね。

どんな夢だったか?

それは、来年、還暦になるのを迎えて、ようやく、自覚できたわけです。

それは、「とにかく、ギターが上手くなりたい!」だったんですね。

こうしたところから、今回のサイト新設となったわけです。


しかし、このブログの主旨からすると、「人生は、いかに自分自身は成功者となっても、子孫までは、どうなるかわからない」と言うことになるわけです。

場合によっては、子孫から殺人者まで生まれる成功者もいるわけです。

今回、「音楽」に特化したサイトを新設しましたが、そこから、また、新たな人たちが、このブログを訪れる可能性も同時に生まれるかもしれません。


今日のこの「てぃーだブログ」のブログランキングは、604 位 (120,758ブログ中) とあります。!

12万中の604位ですよ!

前回が、900位台ですから、けっこうな飛び級?です。

どんな形であれ、次世代が、こうしたホームページなり、ブログなりで、これから、何十年も続く自分自身の人生や、その後の子孫の人生も含めて、一日、一日に学んだ知識を参考に、活かしてくれたら、本望です。

できれば、あと10年後にも、10代の若者を刺激できる演奏家、文筆家になりたいとは思います。



追記:渋谷すばる(36)関ジャニ脱退&退所の会見を見ながら、、、。
















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