2012年02月12日
インタビュー後記とホテル・ライブの戦略と心得、親死に子死に。
2月10日、金曜日は、告知通り、雑誌の取材記者が来た。
私の本の出版社でもあるリットー・ミュージック社の宣伝マンと、楽器業界専門誌の「ミュージック・トレード」の記者だ。
ミュージック・トレード社:
http://musicfair.jp/exhibitor/information.html?id=MF11053
目的は、この手の理論書では異例のベストセラーとなっている著者の実体を調査したい、という事で、事前に、質問事項も送られて来た。
音楽との出会いや、理論との出会い、これからどういう事をして行きたいか、など1時間で済むインタビューではあったが、私の話が脱線してばっかりなので、結局、3時間過ぎてしまった。
(いやいや、4時間近く、という話です!、と後から知る。)
「まだ、話足りない事はないですか?」と聞かれるたびに、え~と~とあれこれと話したためである。
その後にある教材CDに関わったピアノとボーカルの女性のホテルでのライブへ招待していたので、ようやくインタビューが終えたわけである。
私は、別の飲み会の用事があって同行する事はしなかった。
ホテルでの2DAYSの初日のこの日のライブは、全く客がいなかったようで、招待された二人もびっくりした事だろう。
まあ、こうした現状も取材にはなっただろう。
お客さんがゼロでも芸は一流、と言うことであれば、宣伝次第で、いずれどうにかなるもんだ。
私の情報では、ジャズ・ギタリストの巨匠、ジョン・アバークロンビーがニューヨークの某ホテルのバーでライブがあると言うので、たまたまニューヨークに出張していた生徒が行ったら、客が、自分と他の二人程度だったという話がある。
演奏は、ギターとベースのデュオだったそうだ。
だから、本当に最悪なのは、お客もゼロで、芸も三流の場合だ。
これは救いようがない。
お客さんがいないのは、企画したホテル側の責任もある。
ちゃんと営業を掛けなきゃいけないし、接客も一流でないといけない。
どこかしら、お役所的な体質だから、必死さがないのだろう。
これが自営業なら大変だ。死活問題である。
しかし、である。
本来、同じ人間が定期的に同じ場所で、演奏をすると、次第にお客は減って行く。
どうせ、次があるだろう、という安心感から来なくなるもんだ。
ジャズ・ピアノの巨匠、セロニアス・モンクが、晩年、クラブで2ヶ月、毎日、演奏で入ったら、最後は、客は、ゼロに等しいほどであった、というが、実は、その時の演奏が素晴らしい録音で残っている、という。
モンクでさえそうなんだから、普通のバンドマンが同じ場所で定期的にやる場合は、別の戦略で対応しないといけない。
これが「毎週」となると、さらにハードルは上がる。
まず、演奏している側が「固定」されているわけだから、お客さんは、「流動客」を掴まないといけない。
ホテルだと宿泊客になるわけだが、私自身がバリ島のホテルに泊まった時も、そのホテルのバーのライブで過ごす気持ちはなかった。
何か、損した気分ではある。よっぽど天気でも悪くない限り、外出する事になる。
その点から言えば、本屋は、同じ通りに本屋街があっても繁盛するわけだし、同じ業種が密集すると飲食街もそうだが、栄える、という理論がある。
山の上に一軒だけあるレストランより、そこにいくつものレストランがあった方が、賑やかで全体が発展できる、という。
そうした事からすると、もっとホテル同士が、他のホテルのイベントを宣伝しあえばいいんじゃないか、と思う。
お互いが、お互いに宿泊している客に対してではなく、別のホテルの客を自分のホテルのバーのイベント・ライブに呼ぶわけだ。
宿泊している客しかあてにならないわけだから、何かイベントを考えたら、別のホテルの宿泊客に宣伝をお願いしたりするわけだ。
これなんか、多湖輝「頭の体操」シリーズにもあった。
「アラブの王子である二人が、馬のレースで、最も遅い馬が優勝と言うレースをした。しかし、実際やって見ると、これでは時間がいくらあっても足りない。そこへ、ある賢者が、競争している二人にアドバイスしたら、二人は、突然、猛烈に馬を走らせて去って行ってしまった。賢者は何を言ったのでしょう?」
10代の頃なのか、20代の頃なのか、今も覚えている。
答えは、ブログの最後にでも書いておこう。
閑話休題
という事で、宿泊している流動客が掴めないなら、ホテルでのイベントは、地元客を引き込まないといけないわけで、そうなると、前述したように、定期的な場所では、お客は、減る一方である。
それでも地元客を集客したい、というなら、「接待」をもっと考えて行かないといけないだろう。
「接遇」だ。
寂れた店は、接客も悪いのが常識だ。
この場合、地元客が「常連」になった場合の特権も必要か。
まあ、ポイントカードみたいなものだ。
そういった事もなく、ただ、客がいなくてもいても給料が貰える、という態度では、客なんか全く来ないのも当たり前ではないだろうか。
某ホテルでは、イベントのたびに常連客の一人一人にいちいち電話で告知するセールス戦略というから凄い。
ホステス営業戦略だ。
だから、イベントでは、いつも満員状態ではある。
こうなると、ホテルのバーも民営化、独立化が必要かもしれない。
独立して宣伝するホームページも重要ではないだろうか。
まあ、それでも持っているのがホテルではあるけど、あまり、こうした現状にミュージシャン側が馴れてしまうと「芸」に「華」が無くなる。
ああ、この人はお客さんのいない所でやって来たな、という「匂い」が着く。
そのため芸もどこかしら「お役所芸」的になる。
「お役所芸」というのは、私が今作った造語で、とりあえず「定時」まで働けば、給料だけは貰える、という「芸」である。
やっぱり、芸人にとって、お客さんは、いないよりは、当然いた方がいい。
しかし、これがミュージシャンなら、これをまたチャンスに切り替える。
お金を貰ってメンバーを集め「練習」「実験」ができるわけだ。
当然、その日のこうした「実験」や演奏は、録音される。
今の時代は、DVD映像として残す。
そのためのスタッフを一人雇う。
一日、5千円~1万円でもみんなで出せば撮ってくれるだろう。
その映像の中からユーチューブにアップできる映像、録音も生まれるかもしれない。
友人なら只でもやってくれるかもしれない。
こうした万全の準備がないとライブを企画しても意味がない。
すべてが徒労に終わる。
歴史は証言者がいて初めて、歴史となるわけなのに、証言者がいないために、何の意味もない時間になってしまう。
この事がわからないために、これまで、恐らく20億人くらいの優秀なミュージシャンが無駄な死に方をしているはずだ。
逆に、このことを知っている50億人くらいのどうでもよい演奏が、記録として残っていたりする。
録音や画像があれば、後で、メンバーみんなで見ても勉強になる。
しょ~もない演奏は、消去すればいい。
これからの時代、観客は、”人”じゃない。
これまでの歴史的に記録された演奏に一体、どれくらいの観客がいたかは、実際は、定かではない。
私のCDで言えば、
第1集「アコースティック・ジャズトリオ・ライブ95」(http://www.tomoyosejazz.com/sakuhinsyu.html#2)がある。
これは、二箇所のライブハウスでの演奏が記録されている。
1曲目の” Blue in green ”、2曲目の” Willow weep for me”は、観客が、60人くらいいた。
しかし、別の場所での3曲目の” When you wish upon a star”は、確か、観客は、8人程度だ。
それでも”名演”!に変わりない、、、。
もしも、この時の演奏が、カセットに残っていなかったら、この演奏を聴く人はいないまま、私は、一生を終えたはずだ。
何年も何十年も掛けて磨いた芸が、誰にも知られずに、ごく少数の人間に披露され、その証拠さえもどこにもないまま老いて行くわけだ。
その一方で、一度聴けば、もう十分な芸が、記録として残っていたりする”人生の矛盾”に憤りを感じないか。
こうした”装備”もせず、闘いに挑むとしたら、一体全体、何のために、わざわざ”討ち死に”のようなライブに向かわなくてはいけないのか。
100人いる観客が、全員、「無口」な客であれば、そのコンサート自体、誰にも語り継がれないまま、歴史の中に埋没して行く。
どんな素晴らしい演奏をしても、「フンガ~、フンガ~」「ムキキ、ムキキ」としか言わない観客ばかりだとどうするのか。
たとえ、他の観客がいないとしても、私一人がそこにいれば、こうしてブログでも語れる。
ブログにさえも何の評価も載せない観客相手にライブをして何の意味があるか。
随筆家、故・山本夏彦氏は、「広告なきものは、この世に存在しない事に等しい!」というような事を昭和30年代にエッセイに書き、この事を見抜いている。(私の10代、20代の頃の心の師匠である。)
という事で、客のいないライブに落ち込んではいけない。
反省すべきは、無防備にも他人(ホテル側)を信じ(観客が来るだろう、という)、長年、磨いた芸を披露しようとした、その無知から来る危機意識のなさである。
残せない「芸」なら、わざわざ他人を呼んで披露する事もない。
もし、そう自覚しているなら、「客がいなくてラッキ~!」となるべきではないか。
客がいなくて落ち込んでいる、という事は、多少なりとも自信がある、という事だ。
そうで、あれば、自分の芸をもっとこうした「世間」から守らなくていけない。
私自身も、近年は、テキト~に弾いても、けっこう良い演奏をするなあ、と思うので、記録に残して披露する事ができない”有名人”との共演を避ける。
相手が有名人だと、これを公にするな、だとか、高額なギャラを寄越せ!という事になる。
公にしたって、売れるとは限らないから、高額なギャラなんか払えない。
そんなトラブルが発生するなら有名人はいらないな!という事になる。
じゃあ、何のために共演するのか、という事になる。
昔は、みんなもっと「地道」だった。
この土地で、3人相手にして、あの土地で、6人相手にして、、と飛び回って人生を終えるのが習わしであったが、現在は、インターネットを通じて、何百、何千、何万、何億と言う人も相手にできる。
もちろん、インターネットとは言え、それなりの「宣伝」も必要ではあるだろうけど。
今、沖縄に有名日本人ベーシストが住み着いた!と島民バンドマン業界は大騒ぎである。
まるで、70年代かに、ジャズ・ドラマーの巨匠、エルビン・ジョーンズが京都に住んだ!、というような勢いではある。
世界的なドラマーのエルビンと日本国内だけの有名人ベーシストが、一緒じゃないだろ。
ここに来るミュージシャンは、どうせ仕事もないし、ついでに放射能も嫌に違いにないなオレは、という事でみんな来ているわけで、売れっ子なのに、すべての仕事をキャンセルして、自分だけ生き残りたいからってわけでもないだろう。
誰しも仕事が充実していれば、どこに住もうと、これと共に死のう、と決意するもんだ。
それくらい、人間の目的は、長生きでもない。
長生きするのは、家族のために過ぎない。
一休禅師が、祝いの席で、何か祝いの一言をと言われ書いたと言う”親死に、子死に、孫が死に”がある。
何て縁起でもない!とその時、回りの人がなじったが、一休禅師は、「これは大変めでたい言葉だ。もしも、この言葉を逆にしたら、人間に取ってこれ以上の不幸はないのだ」と言ったという。
孫が死に、子が死に、親が死ぬ、という順番で、人生を終えるわけだ。
したがい、なぜ長生きしたいのか?と言う問いには、この言葉の順番が一番の幸福で、一番の親孝行であるから、この順番に死ぬために、、と答えるしかない。
(たまには、このブログも良い事を言うだろう!)。
この長文のブログが読めない人は、飢えた動物と変わりない。
ただ、生きるか死ぬかを悩み、あれが欲しい、これが欲しい、有名になりたい、という欲望だけの不幸な人生を送るだけである。
今回は、もうちょっと取材の事を書こうとは思ったが、それよりも重要な心得が必要な者たちのために、こうして、ライブの心得を書いて見た。
ああ、そうだ!
多湖輝氏のクイズの答えだった!
これは、有名なクイズなので、知っている人はかなりいるはずだ。
どれだけ遅く着くかの馬のレースの話だ。
賢者が言ったアドバイスは、「両方の馬を取り替えよ!」という事だった。
互いの馬を交換したわけだ。
すると、お互いが、我先に、お前の馬の方が遅い!という事を証明するために、とにかく相手の馬を早く走らせれば良い、というわけだ。
相手の馬を早く走らせてゴールさせれば、相手が乗っている自分の馬は、相手の馬より遅い!という事になる!。
ホテルでのライブパフォーマンスの問題への結論は、ホテル側は、ライバルのホテルに「夜はうちのライブに来て下さい」!とお互いが広告を出して宣伝すればいい。
ミュージシャン側は、観客がゼロに備えて、映像と録音をしっかり撮るスタッフを雇い、ライブに挑む、というわけだ。
これが、現時点で、もっと良い”三方一両得”の法則ではないか、と思うがどうか。
主催のホテル側、演奏者、観客の三方である。
全員が、一両分、得をする、というわけだ。
もちろん、不幸になる人は、常に、何事も実践しないから、何を聴いても見ても感激だけは人一倍だ。
私へのインタビュー記事は、雑誌「ミュージック・トレード」の3月号、白黒2ページ、という事らしい。
楽器の業界誌ではあるが、マニアなら手に入れる事ができるだろう。
私のインタビューでは、放送禁止用語満載で、これは、掲載できない、という事ばかりではあった。
しかし、楽しい体験となった。
ああ、その日も深夜、居酒屋から呑んでの帰りで、最近では、地元のコンビニのローソンに、カップ酒として「泡盛水割り」が、2、3百円で常備してあり、これを買って、40分ばかし呑みながら、人生を歩いて帰った。
午前2時半。
いつもよりは、かなり早い。
人生なんて、インタビューくらいで、そうそう変わるもんではない。
変わらなくてはいけないのは”世間”ではなく、そもそも自分自身であるからだ。
自分自身が、世間に合うか、合わないか、という事だろう。
音楽も同様で、良し悪しを決めるのは、世間でしかない。
私自身ができる事は、呑みながら、ひたすら”ホームへ”向かって歩く事だけである。
ああ、そうだ!
インタビューで、今後の夢はありますか?と聞かれたから、”ホイットニー・ヒューストン”に23歳の頃に初めて作曲した、自作の”キャバレー”という曲に英語の歌詞を付けて歌わせて、全世界で発売したい!と言った。
『註:自作曲、「キャバレー」は、「作品集第3集 作編曲編」(http://www.tomoyosejazz.com/sakuhinsyu.html#4)に、24歳(1983年)の頃のライブ演奏で収録。
2001年「THE OLD SONGS](http://www.tomoyosejazz.com/sakuhinsyu.html#1)で、ギターソロで収録』
それなのに、その二日後の今日のニュースで、ホイットニーが亡くなった、と。
ついこの間、テレビで録画した、ケビン・コスナー(昔、ケビン・コスナーを「土瓶こするな~」と言って受けた事がある)との共演映画、「ボディガード」を久しぶりに見たばかりでもある。
また、一つ、夢が消えたか。
合掌。
私の本の出版社でもあるリットー・ミュージック社の宣伝マンと、楽器業界専門誌の「ミュージック・トレード」の記者だ。
ミュージック・トレード社:
http://musicfair.jp/exhibitor/information.html?id=MF11053
目的は、この手の理論書では異例のベストセラーとなっている著者の実体を調査したい、という事で、事前に、質問事項も送られて来た。
音楽との出会いや、理論との出会い、これからどういう事をして行きたいか、など1時間で済むインタビューではあったが、私の話が脱線してばっかりなので、結局、3時間過ぎてしまった。
(いやいや、4時間近く、という話です!、と後から知る。)
「まだ、話足りない事はないですか?」と聞かれるたびに、え~と~とあれこれと話したためである。
その後にある教材CDに関わったピアノとボーカルの女性のホテルでのライブへ招待していたので、ようやくインタビューが終えたわけである。
私は、別の飲み会の用事があって同行する事はしなかった。
ホテルでの2DAYSの初日のこの日のライブは、全く客がいなかったようで、招待された二人もびっくりした事だろう。
まあ、こうした現状も取材にはなっただろう。
お客さんがゼロでも芸は一流、と言うことであれば、宣伝次第で、いずれどうにかなるもんだ。
私の情報では、ジャズ・ギタリストの巨匠、ジョン・アバークロンビーがニューヨークの某ホテルのバーでライブがあると言うので、たまたまニューヨークに出張していた生徒が行ったら、客が、自分と他の二人程度だったという話がある。
演奏は、ギターとベースのデュオだったそうだ。
だから、本当に最悪なのは、お客もゼロで、芸も三流の場合だ。
これは救いようがない。
お客さんがいないのは、企画したホテル側の責任もある。
ちゃんと営業を掛けなきゃいけないし、接客も一流でないといけない。
どこかしら、お役所的な体質だから、必死さがないのだろう。
これが自営業なら大変だ。死活問題である。
しかし、である。
本来、同じ人間が定期的に同じ場所で、演奏をすると、次第にお客は減って行く。
どうせ、次があるだろう、という安心感から来なくなるもんだ。
ジャズ・ピアノの巨匠、セロニアス・モンクが、晩年、クラブで2ヶ月、毎日、演奏で入ったら、最後は、客は、ゼロに等しいほどであった、というが、実は、その時の演奏が素晴らしい録音で残っている、という。
モンクでさえそうなんだから、普通のバンドマンが同じ場所で定期的にやる場合は、別の戦略で対応しないといけない。
これが「毎週」となると、さらにハードルは上がる。
まず、演奏している側が「固定」されているわけだから、お客さんは、「流動客」を掴まないといけない。
ホテルだと宿泊客になるわけだが、私自身がバリ島のホテルに泊まった時も、そのホテルのバーのライブで過ごす気持ちはなかった。
何か、損した気分ではある。よっぽど天気でも悪くない限り、外出する事になる。
その点から言えば、本屋は、同じ通りに本屋街があっても繁盛するわけだし、同じ業種が密集すると飲食街もそうだが、栄える、という理論がある。
山の上に一軒だけあるレストランより、そこにいくつものレストランがあった方が、賑やかで全体が発展できる、という。
そうした事からすると、もっとホテル同士が、他のホテルのイベントを宣伝しあえばいいんじゃないか、と思う。
お互いが、お互いに宿泊している客に対してではなく、別のホテルの客を自分のホテルのバーのイベント・ライブに呼ぶわけだ。
宿泊している客しかあてにならないわけだから、何かイベントを考えたら、別のホテルの宿泊客に宣伝をお願いしたりするわけだ。
これなんか、多湖輝「頭の体操」シリーズにもあった。
「アラブの王子である二人が、馬のレースで、最も遅い馬が優勝と言うレースをした。しかし、実際やって見ると、これでは時間がいくらあっても足りない。そこへ、ある賢者が、競争している二人にアドバイスしたら、二人は、突然、猛烈に馬を走らせて去って行ってしまった。賢者は何を言ったのでしょう?」
10代の頃なのか、20代の頃なのか、今も覚えている。
答えは、ブログの最後にでも書いておこう。
閑話休題
という事で、宿泊している流動客が掴めないなら、ホテルでのイベントは、地元客を引き込まないといけないわけで、そうなると、前述したように、定期的な場所では、お客は、減る一方である。
それでも地元客を集客したい、というなら、「接待」をもっと考えて行かないといけないだろう。
「接遇」だ。
寂れた店は、接客も悪いのが常識だ。
この場合、地元客が「常連」になった場合の特権も必要か。
まあ、ポイントカードみたいなものだ。
そういった事もなく、ただ、客がいなくてもいても給料が貰える、という態度では、客なんか全く来ないのも当たり前ではないだろうか。
某ホテルでは、イベントのたびに常連客の一人一人にいちいち電話で告知するセールス戦略というから凄い。
ホステス営業戦略だ。
だから、イベントでは、いつも満員状態ではある。
こうなると、ホテルのバーも民営化、独立化が必要かもしれない。
独立して宣伝するホームページも重要ではないだろうか。
まあ、それでも持っているのがホテルではあるけど、あまり、こうした現状にミュージシャン側が馴れてしまうと「芸」に「華」が無くなる。
ああ、この人はお客さんのいない所でやって来たな、という「匂い」が着く。
そのため芸もどこかしら「お役所芸」的になる。
「お役所芸」というのは、私が今作った造語で、とりあえず「定時」まで働けば、給料だけは貰える、という「芸」である。
やっぱり、芸人にとって、お客さんは、いないよりは、当然いた方がいい。
しかし、これがミュージシャンなら、これをまたチャンスに切り替える。
お金を貰ってメンバーを集め「練習」「実験」ができるわけだ。
当然、その日のこうした「実験」や演奏は、録音される。
今の時代は、DVD映像として残す。
そのためのスタッフを一人雇う。
一日、5千円~1万円でもみんなで出せば撮ってくれるだろう。
その映像の中からユーチューブにアップできる映像、録音も生まれるかもしれない。
友人なら只でもやってくれるかもしれない。
こうした万全の準備がないとライブを企画しても意味がない。
すべてが徒労に終わる。
歴史は証言者がいて初めて、歴史となるわけなのに、証言者がいないために、何の意味もない時間になってしまう。
この事がわからないために、これまで、恐らく20億人くらいの優秀なミュージシャンが無駄な死に方をしているはずだ。
逆に、このことを知っている50億人くらいのどうでもよい演奏が、記録として残っていたりする。
録音や画像があれば、後で、メンバーみんなで見ても勉強になる。
しょ~もない演奏は、消去すればいい。
これからの時代、観客は、”人”じゃない。
これまでの歴史的に記録された演奏に一体、どれくらいの観客がいたかは、実際は、定かではない。
私のCDで言えば、
第1集「アコースティック・ジャズトリオ・ライブ95」(http://www.tomoyosejazz.com/sakuhinsyu.html#2)がある。
これは、二箇所のライブハウスでの演奏が記録されている。
1曲目の” Blue in green ”、2曲目の” Willow weep for me”は、観客が、60人くらいいた。
しかし、別の場所での3曲目の” When you wish upon a star”は、確か、観客は、8人程度だ。
それでも”名演”!に変わりない、、、。
もしも、この時の演奏が、カセットに残っていなかったら、この演奏を聴く人はいないまま、私は、一生を終えたはずだ。
何年も何十年も掛けて磨いた芸が、誰にも知られずに、ごく少数の人間に披露され、その証拠さえもどこにもないまま老いて行くわけだ。
その一方で、一度聴けば、もう十分な芸が、記録として残っていたりする”人生の矛盾”に憤りを感じないか。
こうした”装備”もせず、闘いに挑むとしたら、一体全体、何のために、わざわざ”討ち死に”のようなライブに向かわなくてはいけないのか。
100人いる観客が、全員、「無口」な客であれば、そのコンサート自体、誰にも語り継がれないまま、歴史の中に埋没して行く。
どんな素晴らしい演奏をしても、「フンガ~、フンガ~」「ムキキ、ムキキ」としか言わない観客ばかりだとどうするのか。
たとえ、他の観客がいないとしても、私一人がそこにいれば、こうしてブログでも語れる。
ブログにさえも何の評価も載せない観客相手にライブをして何の意味があるか。
随筆家、故・山本夏彦氏は、「広告なきものは、この世に存在しない事に等しい!」というような事を昭和30年代にエッセイに書き、この事を見抜いている。(私の10代、20代の頃の心の師匠である。)
という事で、客のいないライブに落ち込んではいけない。
反省すべきは、無防備にも他人(ホテル側)を信じ(観客が来るだろう、という)、長年、磨いた芸を披露しようとした、その無知から来る危機意識のなさである。
残せない「芸」なら、わざわざ他人を呼んで披露する事もない。
もし、そう自覚しているなら、「客がいなくてラッキ~!」となるべきではないか。
客がいなくて落ち込んでいる、という事は、多少なりとも自信がある、という事だ。
そうで、あれば、自分の芸をもっとこうした「世間」から守らなくていけない。
私自身も、近年は、テキト~に弾いても、けっこう良い演奏をするなあ、と思うので、記録に残して披露する事ができない”有名人”との共演を避ける。
相手が有名人だと、これを公にするな、だとか、高額なギャラを寄越せ!という事になる。
公にしたって、売れるとは限らないから、高額なギャラなんか払えない。
そんなトラブルが発生するなら有名人はいらないな!という事になる。
じゃあ、何のために共演するのか、という事になる。
昔は、みんなもっと「地道」だった。
この土地で、3人相手にして、あの土地で、6人相手にして、、と飛び回って人生を終えるのが習わしであったが、現在は、インターネットを通じて、何百、何千、何万、何億と言う人も相手にできる。
もちろん、インターネットとは言え、それなりの「宣伝」も必要ではあるだろうけど。
今、沖縄に有名日本人ベーシストが住み着いた!と島民バンドマン業界は大騒ぎである。
まるで、70年代かに、ジャズ・ドラマーの巨匠、エルビン・ジョーンズが京都に住んだ!、というような勢いではある。
世界的なドラマーのエルビンと日本国内だけの有名人ベーシストが、一緒じゃないだろ。
ここに来るミュージシャンは、どうせ仕事もないし、ついでに放射能も嫌に違いにないなオレは、という事でみんな来ているわけで、売れっ子なのに、すべての仕事をキャンセルして、自分だけ生き残りたいからってわけでもないだろう。
誰しも仕事が充実していれば、どこに住もうと、これと共に死のう、と決意するもんだ。
それくらい、人間の目的は、長生きでもない。
長生きするのは、家族のために過ぎない。
一休禅師が、祝いの席で、何か祝いの一言をと言われ書いたと言う”親死に、子死に、孫が死に”がある。
何て縁起でもない!とその時、回りの人がなじったが、一休禅師は、「これは大変めでたい言葉だ。もしも、この言葉を逆にしたら、人間に取ってこれ以上の不幸はないのだ」と言ったという。
孫が死に、子が死に、親が死ぬ、という順番で、人生を終えるわけだ。
したがい、なぜ長生きしたいのか?と言う問いには、この言葉の順番が一番の幸福で、一番の親孝行であるから、この順番に死ぬために、、と答えるしかない。
(たまには、このブログも良い事を言うだろう!)。
この長文のブログが読めない人は、飢えた動物と変わりない。
ただ、生きるか死ぬかを悩み、あれが欲しい、これが欲しい、有名になりたい、という欲望だけの不幸な人生を送るだけである。
今回は、もうちょっと取材の事を書こうとは思ったが、それよりも重要な心得が必要な者たちのために、こうして、ライブの心得を書いて見た。
ああ、そうだ!
多湖輝氏のクイズの答えだった!
これは、有名なクイズなので、知っている人はかなりいるはずだ。
どれだけ遅く着くかの馬のレースの話だ。
賢者が言ったアドバイスは、「両方の馬を取り替えよ!」という事だった。
互いの馬を交換したわけだ。
すると、お互いが、我先に、お前の馬の方が遅い!という事を証明するために、とにかく相手の馬を早く走らせれば良い、というわけだ。
相手の馬を早く走らせてゴールさせれば、相手が乗っている自分の馬は、相手の馬より遅い!という事になる!。
ホテルでのライブパフォーマンスの問題への結論は、ホテル側は、ライバルのホテルに「夜はうちのライブに来て下さい」!とお互いが広告を出して宣伝すればいい。
ミュージシャン側は、観客がゼロに備えて、映像と録音をしっかり撮るスタッフを雇い、ライブに挑む、というわけだ。
これが、現時点で、もっと良い”三方一両得”の法則ではないか、と思うがどうか。
主催のホテル側、演奏者、観客の三方である。
全員が、一両分、得をする、というわけだ。
もちろん、不幸になる人は、常に、何事も実践しないから、何を聴いても見ても感激だけは人一倍だ。
私へのインタビュー記事は、雑誌「ミュージック・トレード」の3月号、白黒2ページ、という事らしい。
楽器の業界誌ではあるが、マニアなら手に入れる事ができるだろう。
私のインタビューでは、放送禁止用語満載で、これは、掲載できない、という事ばかりではあった。
しかし、楽しい体験となった。
ああ、その日も深夜、居酒屋から呑んでの帰りで、最近では、地元のコンビニのローソンに、カップ酒として「泡盛水割り」が、2、3百円で常備してあり、これを買って、40分ばかし呑みながら、人生を歩いて帰った。
午前2時半。
いつもよりは、かなり早い。
人生なんて、インタビューくらいで、そうそう変わるもんではない。
変わらなくてはいけないのは”世間”ではなく、そもそも自分自身であるからだ。
自分自身が、世間に合うか、合わないか、という事だろう。
音楽も同様で、良し悪しを決めるのは、世間でしかない。
私自身ができる事は、呑みながら、ひたすら”ホームへ”向かって歩く事だけである。
ああ、そうだ!
インタビューで、今後の夢はありますか?と聞かれたから、”ホイットニー・ヒューストン”に23歳の頃に初めて作曲した、自作の”キャバレー”という曲に英語の歌詞を付けて歌わせて、全世界で発売したい!と言った。
『註:自作曲、「キャバレー」は、「作品集第3集 作編曲編」(http://www.tomoyosejazz.com/sakuhinsyu.html#4)に、24歳(1983年)の頃のライブ演奏で収録。
2001年「THE OLD SONGS](http://www.tomoyosejazz.com/sakuhinsyu.html#1)で、ギターソロで収録』
それなのに、その二日後の今日のニュースで、ホイットニーが亡くなった、と。
ついこの間、テレビで録画した、ケビン・コスナー(昔、ケビン・コスナーを「土瓶こするな~」と言って受けた事がある)との共演映画、「ボディガード」を久しぶりに見たばかりでもある。
また、一つ、夢が消えたか。
合掌。
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00
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