2012年05月17日

第2弾本:ついに予約受付開始!

ついに、6月15日発売予定の第2弾本の予約受付開始です!

"大人のための音感トレーニング本:「絶対音程感」への第一歩!編”




構想2ヶ月!執筆4ヶ月、CD制作2ヶ月と、ついにその全貌が明らかに!

以下、リットー・ミュージック・サイトの紹介!

リットー・ミュージック

5月15日、火曜日の予約開始から何と半日で、リットー週間予約ランキング第1位!

以下、ランキング・サイト

リットー予約ランキング


ということで、アマゾンからの予約購入は以下:




今日は、リサイクル何でも引き取り業者を呼んだ。

二人来る。

10年前に4万円で購入し愛用した事務机を2000円で、12年前、団体授業のため、4万円での特注オーダーメイドの五線譜入りの、どでかいホワイト・ボードを1500円、そして、8千円で購入した5段、180センチのスチール本棚を800円、4千円の3段の本棚を200円、と処分。

あまりの安さに、30代、40代風、原住民業者に、「元々、その財布に三千円くらいしか入ってないんじゃないか!何でもその予算内で済まそうとしてないか!」と文句を言うと、笑って、「そんなことはないです。こんなもんですよぉ~!」と。

「じゃあ、よく考えてから売ってもいいですよ」と言われたが、「いや、しょうがない。引き取って貰ってあとから、恨むから!」と言うと、「いやいや、恨まれたくないので、考えてからでいいですよ~」という会話もありつつ、「え~い!持ってけ、ドロボ~!」と処分。

こうして、昼間、要らないものを捨てる、「空間浄化」のためのスペース・クリアリングした夜、編集員から本の発売予約開始の朗報メール!

(このところ、ずっと部屋に缶詰状態で原稿チェックしているんだけど、今日が最終、締め切り日ではあった!。)

自分自身でも、初めて見る本の装丁の写真に、この1年の時給1円の苦労もふっとぶ!

今時、こんな細かい音楽本を書く人は、おそらく世界でも稀ではないか!

さらに、今回は、2曲ばかりギターまで弾いている!

ちょっと内容があまりにも豪華で凄すぎるから、一冊、5千円くらいで売ってくれないか!というこちらの要望は、すぐに編集社に却下され、前回と同様の価格にて、またしても出血大サービス価格!

この内容に、この価格で文句を言う人間は、おそらく、何をしても大成もしないし、出世もせんだろう。

今の内に”合掌”しておこう。

ということで、一家に6冊くらいでいいんじゃないか。

1冊は、仏壇に奉って、2冊目は、贈答用、3冊目は、1ページずつ破って学ぶための携帯、学習用、4冊目は、自宅学習用、5冊目は、この幻の名著、絶版の危機意識から、念のための保存用に、6冊目は、10年後の自分への手紙を添えて、タイムカプセルの中に入れ、秘密の場所に埋める、という一般的な購入、、という事になるか。

本書購入を夢見て、6月15日を待てば、無気力、ウツ病、5月病もふっとぶこと請け合い!

世界に先駆け、日本国内にて、20年ばかし、特別先行予約販売!

え~い、持ってけ、ドロボ~!

まあ、営業販売は、フーテンの寅さんでかまわない。


  
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00

2012年05月08日

ドライアイの眼力と瞬きの秘密

いやあ~、忙しい。

ゴールデンウィークだと言うのに部屋から一歩も出ず、6月15日に出る新刊本の原稿チェックの日々。
ベストセラーとは言え、たいていは、自分で何もかもやらなくてはいけない。

そろそろ通信講座用の第69回のテキストも書かなくてはいけないし、録画満杯のテレビも見なきゃいけない。

そんな中、ブログの読者からのタレコミ情報が入る。

去年から沖縄在住という「外来種ピアニスト」と名乗る現代音楽系の有名女性ピアニストY沢さん。

ジャンル違いか、私は、全く面識もないが、地元のテレビ・ニュースでチラッと見かけた記憶があった。

私が、2月19日のブログで書いた「ドライ・アイ」に関しての情報だ。

http://sunpowermusic.ti-da.net/d2012-02-19.html


これは、自分の症状と同じで、自分は、かなり良くなった、という情報だ。

私の症状は、四六時中、目から涙が溢れて流れる、というもの。

それで、薬局で「涙目(なみだめ)」の症状の目薬を探したら、今時、効能で「涙目」なんて書いてある目薬がない。

「目のかすみ」とか「目の充血」といった症状はある。

まさか、涙がこぼれるのは、「乾き目:ドライアイ」なんかじゃないだろう、と言う事で、仕方なく、近所の眼科へ行ったのが、旅行前の2011年の5月末だったか。

3ヶ月分の目薬をもたされ、現地でも目薬を差していたのだが、まったく良くならず。

原因も「老化」しか言わないものだから、治療は諦めていた。

それでも、今年に入ってからも涙目が激しいので、またまた、同病院へ。

すると、30代後半風の医者からは、自慢気に、「ドライアイについて」の新聞に掲載されたコラム記事のコピーを見せられた。

「乾いた目ばかりがドライアイではないんです。」という。

これはコラムにもあった。

「涙目もドライアイですから」と。

もう、驚くこともないので、そんなことはど~でもいい。

それで、どうやって治すんですか?と聞くと、「う~ん、疲れているんですかねぇ」と。

またまた、同じ目薬を渡された。

この10ヶ月で、この医者から得た情報は、「ドライアイ=老化=疲れているんですかねぇ。。」。

治療は、とにかく、病院からの目薬を頻繁に目薬を差すだけ。

視力検査も行なった。
ところが、眼科のアシスタントではなく、なぜだか、どっかの眼鏡店から派遣されている店員。

私は、その眼鏡店は知らないが、もっと安価で手に入る大手の眼鏡店に行ってメガネを新調するつもりだったので、その時も嫌だなあ、と思っていた。

メガネを新調したい、と言えば、視力検査をしてくれた、その眼鏡店でメガネを購入しないといけないかな、と言う風になるからだ。

昔は、眼科で視力検査を受け、その診断書を持って、眼鏡店に行ってメガネを購入した。
中学1年から眼鏡を掛けている私は、その辺は、詳しいのだ。

あらゆるメガネを試して来た。

中学生の頃は、メガネは、地元の大手眼鏡店で、大体、5、6万円もした。

また、中学3年生の頃は、サングラス兼用の度付きメガネも試した。

これは、現在も最新のサングラス兼用の度付きメガネだが、当時のものとどう違うかといえば、当時のサングラス兼用の度付きメガネも、日光(紫外線)に当るとサングラスになるものではあるが、これが、室内に入っても、なかなか戻らない。

大体、早くて30分、長くて1時間近くも掛かって、サングラスから、通常の色のメガネに変わる。

それを中学生の内から掛けていたから、ちょっとどこか、おかしかったのだろう。
ただ、それがかっこいいから、と掛けていた。

先生からすると、教室にサングラスに変身したメガネを掛けた中学生がいるわけだ。
授業が終わる頃には、元に戻っている。

これなんか、怪獣が暴れている時は、人間のままなのに、怪獣がいなくなってから、ウルトラマン・セブンになっているモロボシ・ダンと言う感じで、ちっとも役に立っていない変身である。

それから、高校1年の頃は、毎晩、煮沸し、冷蔵保管しなきゃいけないハード・コンタクトを試し、ソフト・コンタクトになり、めんどくさくなって、再び、メガネに戻る。

それから、色んなファッション用メガネを変遷し、現在は、一見、普通のおじさん風、スーパー・マンの変身前のメガネ、という感じの黒ぶちのメガネだ。

とは言え、これだって14万円くらいは掛かっている。

1:遠近両用 2:極薄レンズ 3:サングラス変身用 4:レイバンのフレーム、、という4条件を備えている。

遠近両用と言っても、元々、近眼だから、近くの文字を読む時は、相変わらず、メガネを頭に掛ける、ド根性ガエルのヒロシのスタイルになっているので、大して、役に立っていない。

読書の時は、大体、ヒロシに変身しているわけだ。

ああ、そうだ。

最近のサングラス兼用と私の中学生の頃のものとの違いは、日光(紫外線)に当るとサングラスに変身するのは、一緒だが、最新のものは、部屋に戻ると、1分くらいで、元の透明レンズのメガネに戻るところが、凄い進化だ。

これだと、外の世界では、サングラスで、内の世界では、一般市民のような普通のメガネ、という事で、変身願望を満たしている。

中学生の頃の度付きサングラス・メガネでは、自分が、本当は、タイガー・マスクだったのだ、というのがバレバレで、タイガーマスクの覆面をつけたまま、そのまま教室で授業を受けているような感じにも取られる。

先生も思わず、「そこのタイガーマスク!」と怒鳴ったりするかもしれない。

という事で本題。


以下の眼科が、名医です!との情報を提供してくれた。



http://www.ishikawa-eye.com/dry_eye.html



それで、さっそく、ゴールデンウィークの隙間を狙って行って来た。

もう、びっくり仰天する事実の数々で、初めて、納得の行く説明を受けた。

私の眼は、老化ではあっても、まず第一に、まばたきがちゃんとできていない、という事実を動画で撮影され、見せられる。

なんと、両まぶたが、ちゃんと閉じていないのだ。

あともう少し、という所で、まぶたがストップしているのだ。

原因は、私の下まぶたの筋力の低下。

これが、ググっと、上まで上がって行かない。

したがい、私の目は、正面からアップで取ると、下まぶたが、垂れ下がり、黒目とまぶたの間に白い部分が出ている。

この部分を「三白眼」と言うらしいが、正常な人は、ここは見えないらしい。

黒目の下は、すぐにまぶたで覆われている、という。

そのため、どういう事が起こるか?

上下のまぶたが、ちゃんと密着して、まばたきする度に、下のまぶたにある、何かのスイッチと言うかポイントをタッチする、という。

ここがポンプのような役目をしていて、眼球全体にまんべんなく水分を広げ、余った水分は、鼻の下へ、排出して行く役目をしている、というのだ。

私のまぶたは、ここまで、まぶた同士が、タッチしないものだから、涙もまんべんなく眼球に広がらず、また、余った水分も排出されずにこぼれ落ちる。

そうだったのかあ~!、、、とびっくりすると同時、なるほどぉぉぉぉぉぉ、、と、大変、納得の行く「まばたきシステム」だ。

まばたきが、ちゃんとできていない事での、本当の恐怖がさらにある。

私の下まぶたを裏返し、綿棒で、線上に、その上を押して行くと、下まぶたから、どんどん小さな水滴が、あちこちから線上に浮かびあがって来るのだ。

さらに押して行くと、だんだんと粘っこい油が吹き出て来るのだ!

これは、自動車で言う、オイル交換しなきゃいけない、悪い油だ、という。

この、住みついた悪い油を何回かに分け、すべて、まぶたから押し出し、正常になった「まばたき」で、正しい涙成分の水分を目に与えなければいけない。

完全なる、まぶたのオイル交換作業である。

このオイル出しの作業は、下まぶたを裏返し、綿棒で線上を押して行くから、多少の痛みを伴う治療ではある。

私は、痛み移動の術を知っているので、こうした痛みは、何とか大丈夫だ。

あまり痛いと、内腿を指でつねったりすれば、痛みがまぶたから腿に移動する。

脳が一瞬、「どっちが本当の痛みだ!」と、迷うわけだ。

治療法として、下まぶたの筋力アップのためのまぶた筋トレを二つ教えてもらtった。


まずは、上のまぶたを指で上に上げ、下まぶたをそのまま目を閉じる筋トレだ。

次は、横の目尻を指で外へ引っ張り負荷を掛けたまま、その指を引っ張るように目を閉じる。

目を閉じる事によって指が中央へ引っ張られる感じが、筋トレになるわけだ。

下まぶたの油押し出しは、病院で行なわなければいけない。

後は、点眼だ。

この、目の筋トレ、目の油出し、点眼の三つが治療の三本柱である。

この目の筋トレは、毎日、5回を1セットとし、5セット程度、という。

Y沢さんによると、大体、3ヶ月くらいで効果が出て来るそうだ。

私の目は、何とか何とか機能不全、、という病名になった。

まあ、「まばたき機能不全」という事ではある。


最近は、子供でも、このまばたきが、ちゃんとできない子が増えているらしい。

この原因が、柔らかい食べ物ばかりを食べているので、顔面の筋肉を動かしていない、という。

つまり、最近の子供は、まぶたの筋肉も動かしていないわけだ。

音楽系の仕事の私は、譜面を見ながらの演奏で、まばたきが疎かになったりしていたりする。

しかし、私のこの症状は、老化とも言えず、実は、かなり心当たりがあった自業自得でもある病気ではある。

私は、長年、「まばたきをしない会」のメンバーであり、発起人が私で、会員もずっとこの10年間、私だけではある。

まばたきをしないトレーニングを積んで来たわけだ。

まばたきをしない事のメリットは、あれこれある。

人生は、まばたき(瞬き)している間に、何が起こるかわからない。

光陰、瞬きの如し、、だ。

瞬ききは、泥棒の始まり、ということわざもあるかもしれない。

しかし、この10年の稽古の結果が、涙目芸人という新ジャンルを作ってしまった。

目に涙が溜まるので、文字が、かすんで見える。

感動もしていないのに、涙が流れる。

この間も、豆腐の作り方、という番組を見ていたら、涙が流れて来た。

あの人は、他人と泣き所が違うから、、というどころの話ではない。

今の時代は、医者のセカンド・オピニオンも大事というが、派閥に満ちた世界で、セカンド・オピニオンもない。

医者に向かって、「この間、先生が言っていたこと、別の病院に言ったら、それは間違いだって言われましたよ!」なんて言えない。

たとえ、言えたとしても、「わかりました。じゃあ、手術は何時がいいですか。どうしてもあなたは手術しなければいけませんから」となったらどうか。

私だって、「先生の言うことは、あの有名ミュージシャンと違います。洗脳しようたってダメですよ!」と生徒に言われたらどうか。

「何を言っている!何でも雑誌に騙されている、島育ちのおまえらの方が洗脳されいるから、オレが洗脳したように見えるだけだ。たわけ者が!」と言っても無駄な事だ。

実際、言われたし。

まあ、あと10年もすれば、若い頃は、雑誌の言うこと、丸ごと信用して、バカだったなあ、と気づく中年になっている事だろう。

いやいや、一生、気づかないから、その人にふさわしい一生があるわけだから、これはこれでいいのだ。

という事で、今回、学んだことは、以前の眼科医が、新聞にコラム記事を書くほどの「ドライアイの権威」みたいに思ってしまった私にも洗脳があった。

その権威が、「あなたの眼は老化です!」というから、ああ、そうですか、と信じて、治療を諦めてしまったわけだ。

まさに、これなんか、あの中学時代の中年男性の音楽教師の職員室での言葉に同じだ。

私が、進路相談で、「音楽の道に進みたいんですぅぅぅぅ、、、」と、当時の音楽教師、Y川先生に相談しに行くと、「音楽の道?何言ってんだ。私の子供は、3歳からピアノを弾いている。そんな環境にある子が、プロになるもんだ。ギターなんかでは、音大も行けないよ!」と言われたわけだ。

当時、先生や親の言う事には、逆らってばかりいたから、「何だって!アホ教師め!」と、自力で、あれこれと調べ出した。当時は、インターネットもなく、すべてが、ハガキを送り、「資料取り寄せ」の時代だ。

ニュース番組を見ていたら、「精神科で、大量の薬を貰って、これを素直に呑んで死亡した」、という若い女性のウツ病患者の話が出ていた。

一日に何十粒という錠剤を呑まないといけないらしい。

他の同業の医師からのコメントでは、「これは、ちょっと考えられない量ですよ」と言う話だ。

これを処方とした医師の回答も音声だけは流れていた。

物事の事実の因果関係をつなぐ論理力ってのは、勉強と関係ない。

法律と関係ない話をしている弁護士の話もさっぱりわからないことがある。

しかし、この先生が、医師が、弁護士が、音楽家が、本物かどうかを見極める力を持った人だけが、明日があるだけである。

運は、人が運んで来る、というわけだから、そうなると、他人からのタレコミも運の内で、人生は、何事も、まだまだ、諦めるには早すぎる、という話に、今回はなるか。

とりあえず、これまでの暮らしで出会った先生からは、これと言った治療法もなかったので、これからの3ヶ月は、何でも信じて、実践してみたい。

しかし、原住民の私が知らないというのに、外来種と自ら呼ぶY沢さんから、地元の名医を教えて貰うってのも、まあ、さもありなん、とは思う。

この調子で、おそらく、私がジャズの名コーチだって事も地元の原住民は知らないから、誰も近寄って来ないのだろう、とは思う。

原住民は、原住民を認めないって心理が、働くのだろう。
正確には、認めてたまるか!、、である。

島国には、よくある話ではある。

私だって、なかなか認めないから、これでは、お互いが、自業自得という事になるか。



  
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00

2012年04月30日

ホテル・ジャズ・ライブ後記、各楽器とバンドマンのヒミツ。


おかげさまで、ロワジール・ホテルでの第3回のジャズナイトが無事終了。

前回のホテルのホームページは旧ホームページ・サイトの登録であったようだ。

もう遅いが訂正しておこう。

http://naha.loisirhotels.com/pdf/jazznight_2012.pdf

ざっと第1回から振り返ってみる。

料金は、最初から飲み放題&オードブルを含む。

第1回ジャズナイト、2DAYS(仲本政國トリオ)¥4,000:2011年2月4日、(金)5日(土):バー・プラネート12F

仲本政國(p)、上幸一郎(as,ts),友寄隆哉(el-b)

第2回ジャズナイト(西平和代、ジャズボーカルナイト)¥4,000:2011年7月30日(土):フレンチ・レストラン「シレーヌ」12F

西平和代(vo)、鈴木由貴子(p)、上幸一郎(as,ts)、友寄隆哉(el-b):バー・プラネート12F

第3回ジャズナイト(友寄隆哉バンド)¥5,000:2012年4月28日(土)

友寄隆哉(g)、岩崎文紀(as)、鈴木由貴子(p)、浦谷仁美(wb)

毎回、趣向を変えて、あれこれやっているように見えるが、実際、プロデュースしているのは、私ではある。
ホテル業界のイベントを自分がリーダーでやるのは、メンドクサイ、というのがあって、他力でなんとか済まそう、という魂胆で、第1回、2回と来た。

イベントで、ギター1本とか、ギタートリオ(ギター、ベース、ドラム)でできればいいのだけど、ホテルやバー、クラブの演奏のようなBGM業界は、ピアノが中心の世界で、ピアニストが主流である。

そうした世界なので、ホテル業界というか、BGMバンド業界からは、足を洗っているつもりで、20年くらい経った。
もちろん、サイドマンとしての関わり方であり、自分がリーダーになってのバンマス活動には、最初から関心もない。頼まれても困る。

基本的に、ピアニストやボーカルってぇのは、我がままな人間が多いので、積極的に関わる事をしないで来た。簡単に言えば、使いづらい!という事になる。

そもそも、基本的にギタリストの言う事を聴く女性ボーカルなんていない。

みんなピアニストの言うことしか聴かない。

ピアニストは尊敬できるが、ギタリストは、尊敬の対象にはならないってのが、女性ボーカル側の見解だろう。

そんなピアニストがリーダー(バンマス)になる場合は、それに従えばいいだけだが、逆にサイドマンとしてピアニストを使うとなると、総じて、大体、文句が出る。

要するに、あれは嫌だ、これは嫌だ!だとなる。

これは、同様に、ソリストとしての活動が中心にできるクラシック・ピアノの世界も同様らしく、ピアニストのご機嫌を取るのは、けっこう大変である。

ピアニスト自身は、知らないだろうけど、実際、サイドメンとしての活躍が主流である管楽器奏者とか、打楽器奏者などと比べると、一番、使いづらい。

打楽器、管楽器奏者の彼らは、最初から、”アンサンブル”体質なわけである。一人では、音楽活動ができないからだ。

要するに、一人では仕事ができないから、これは当然のサバイバルのための処世術ではある。

もちろん、一度、リーダーとなった人間をサイドマンで使う事は、どんな楽器であれ、けっこう難しい。
トランペットのマイルス・デイビスをピアノのセロニアス・モンクが簡単に使えるわけがない。

逆にセロニアス・モンクをサイドマンとして使うリーダーなんかいない。

二人ともリーダーでしかやれないタイプの人間である。

そういう事を置いておくとしても、ピアニストは、基本的には、使いづらい、という事は言える。

学生の内から色んなピアニストを見て来たが、中々素直に「ハイ!」と言って従う者がいなかった。
それは、初学者のような段階から変わりない。もちろん特に女性ピアニストに顕著な現象だ。

一人でも音楽ができる、という事は、それくらい人を我がままにしてしまうものらしい。

一人でもできる、という事で言えば、私のようなギタリストも同じだ。長年のソロ演奏で、私もわがままではある。
わがままではあるけど、一応、黙って何でも言われた通りにして来たつもりである。

特に、ジャズ屋に取っては、曲毎にアドリブする機会を与えられるのは名誉なことである。
どんな難しい曲であっても、ひとたび「できない!」と言ってしまったら、もうチャンスは来ない。

ところが、長年、BGM業界にいると、チャレンジ精神がなくなる。
一度受けた曲だけを何度もやる。

ジャズはアドリブが命、であるのに、アドリブ時間も大して取らないから、美しいメロディのテーマだけが頼りである。

メロディで盛り上げて、アドリブで盛り下げ、再び、最後にメロディを弾いて持ち直す、という方式だから、なるべく、アドリブ時間は、省略することになる。

ベテランのバンドマンになると、有名プレーヤーのレコードのアドリブ・ソロを2コーラスばかりコピーし、それを毎日、30年ばかしプレイする。

だからと言って、アドリブが上達するか、というと、全く上達しない。

この状態は、ただ譜面を覚えて演奏しているだけの譜面音楽のようなもので、左脳、右脳が合体していない。

そうしたアドリブを毎晩、客をわかすアドリブ演奏という事にして、日々の仕事を済ませる。

一種のトリックのようなもので、これも商売上の戦略である。
元来、アドリブが苦手なのに、”オレオレジャズ”で通さないといけないからだ。

サバイバルして行くためには、どんなトリックも考える。

同じネタで毎日のように営業しているわけだから、マジシャン、ともいえる。

ただし、アーティストではないから、応用が利かない。
覚えたことだけしかできない。

それに、好きでジャズをやっているわけではない。
お金になって、目立てばいいのだ。

だから、アドリブのできない”オレオレジャズ”も横行する。

アレンジの世界でも同じだ。

お決まりの”手法”でアレンジすれば、誰でもアレンジャーになれる。

特に、”演歌”と”ジャズ”アレンジは、手法が固定されているので、それさえ覚えれば、誰でも3ヶ月程度でアレンジャーになれる。

今や、寿司修行も3ヶ月の研修で、海外進出できる時代だ。

多少の楽器演奏の心得があれば、誰でも可能だ。

だから、昔から、ジャズアレンジと演歌のアレンジを兼業で生業とするバンドマンも多い。
ただし、アーティストではないから、目新しいことはできない。

洋裁で言えば、既成の型紙にしたがって、裁断しているようなもので、これを服飾デザイナーとは言わないだろう。

この方式で行けば、ジャズのアドリブができなくとも、大量にジャズのアレンジャーは製造できる。
車の運転はできないが、車は組み立てられる、と言えるか。

これは、冒険家と一般の人の関係でもある。

冒険家が探検し、道無き道を歩き山に登る。

やがて、その道を一般の人が通り、最後には、子供まで通るようになる。

この道が、音楽で言えば、「手法」になる。

イントロは、こうで、テーマはこうで、ハモリはこうで、と、何から何まで、決まっている。

多少、変わっているように見えたとしても錯覚だ。その順番が変わったに過ぎない。

まあ、こうした街の”職人”たちの手によって、ジャズも演歌も簡単にコピペされて繁栄して来たわけだが、やがて、そのコピペのために、若者に飽きられ、共に老人音楽、となって行ったわけだ。

また、こうした”錬金術”を学ぶのに才能はいらない。

使いづらいと言えば、年功序列型の管楽器奏者も使いづらい。
やたらと威張っているから、共通の話題も見当たらない。

こうしたモロモロのことがあって、できるだけリーダーなんかになりたくない。
基本的に、老いも若きもみんな使いづらいからだ。

よっぽど気心が知れて、何でも簡単に頼めるメンバーに出会えれば、こうした問題も解消するのだが、しかし、それ相当の実力もないと困る。

特にジャズの場合は、アドリブ、というのがあり、これを録音できるレベルというのは、プロ中のプロのレベルでもあるので、そう簡単に、そんなレベルが見つかるものでもない。

だから、ユーチューブの時代が来たからと言って、簡単に演奏を公開できるレベルはいないというのに、実際は、誰でも簡単に公開している時代ではある。

”猫も杓子もユーチューブ”というわけだ。

踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら、踊りゃな損、損、、、という言葉が、”佐渡おけさ”(新潟「おけさ節」)のキャッチ・フレーズだったか。

こうした様々な条件の中、さらに、ホテルでのジャズ、となると、条件はさらに追加される。

不特定多数、様々な年齢層の客全員が満足する選曲と、演奏スタイル、という事になる。

なるべく、うるさくなく、、、。

だから、ドラマーは、いらない、、という事になる。

しかし、そこに20代がいれば、激しい演奏を好むだろうし、30代がいれば、おしゃれな曲を好み、40代は、知っている曲が、あれば喜ぶし、50代は、すでに、脳も固まり、前頭葉の退化も激しいので、好みじゃない曲は関心がない。

60代は、すでに知らない曲が続けば、ついていけなくなり、70代となると、何でもいいけど、そろそろ疲れた、となる。

これを全部、満足させるってのは、一人の無名ミュージシャンでは、不可能に近いかもしれない。

有名ミュージシャンなら、ちゃんとした、その人のファンが相手なので、好きなことができる。
何をやっても受けるだろう。だからファンになっているのだ。

生涯を掛けて、そうしたファンを作るまでに持って行くのがミュージシャン活動ではあるが、タイムリミットはある。

40歳くらいまでだろう。

40歳以降に花が咲く、という人は、稀なケースではある。

何人かの女性シンガーのケースもあることにはある。

しかし、稀であり、男性の場合は、ほとんどありえない。

だから、私の場合もすべてが手遅れだ。

それでも、一応、こうした運命に抵抗する。

ホテル側は、30分でいいですよ、というが、まがりなりにも自分の名前を出してのライブで、30分って事はできない。

(多くのバンドマンが、30年も40年も特定のホテルと関わり、やがて定年が来て消えて行った。しかし、ホテルは、また新たな人材が入って来る。実際は、関わって来た担当の社員が、左遷で消えると、その関係も消滅するわけだ。)

本格的ライブ・ハウスでの演奏なら、1ステージ、1時間が基本だ。それが2ステージ。

自分の名前なんか出したってどうせファンもいない、とにかくちゃんとしたギャラだけ出ればいいんだ!ってバンドマン根性では、その場では、チヤホヤされても、一生、本物のファンも生まれないし、仕事は減って行く一方だ。

誰しも、その場では、料理を絶賛しても、別のホテルへ行ったそのシェフを追っかけて、料理を食べるファンもなかなかいないはずだ。

この辺、ニワトリが先か、卵が先か、、でもある。

そんな、お金だけが目当ての、名前のない、その場限りの仕事ばっかりしているから、本物のファンも生まれないし、実際は、ファンでもなんでもなく、単なる常連客としてのつきあいでしかなくなる。

はたまた、時間だけを気にする、お金だけのために生きる、お仕事人間だから、人を惹きつける演奏ができない、同じことばかりをする人間になってしまうわけか。

いずれにせよ、どちらでも仕事は減る一方でしかない。

こうした悪循環の中、第3回でようやく、ギターを弾いての自分がリーダーとなってのライブとを行なった。

全員、ギターを弾いての共演は、初めてのメンバーで、当日は、どうなるか、と曲だけをさらうリハーサルを1時間。

(普段は、ベーシストだから、ベースとしての共演はある。だから、本当に知らないのは、ベーシストだけではある。)

楽器が多いので、時間の都合上、それぞれの楽器を選んでフィーチャーする選曲のつもりが、結局、ほぼ全員が、1曲毎にアドリブを分配する事になった。

潜在意識の中で、何となく、いつもあれこれ聴いているCDの感覚があって、サックスの次は、ピアノの音色が必要だろう、その次は、その次は、と内部要求が生まれて来るせいで、全員がアドリブを回すことになった。

おかげで、40分の予定が、毎ステージ、1時間余り、となってしまった。それでも、毎ステージ、用意した2曲くらいはカットした。

基本的には、ギターとサックスだけを聴かせるライブではあったが、なぜかそうなってしまった。
ホテルでの演奏と言うこともあり、やはり、バランスが必要かなあ、と思ったのだろう。

次のアドリブは誰かは、演奏中、指示していたから私自身は、演奏中もあれこれと忙しかった。
時間を見たり、次の曲を確認したり。

通常のライブハウスでの演奏なら、ギターだけで5分くらいアドリブするところを、1分くらいにして振り分けたため、曲数が増えた。

1ステージ(1セット)、7曲くらいだろう。

というわけで、5千円とは言え、飲み放題もあってか、客は満席。
前日での予約は、キャンセル待ちとなった。

それでもキャセル待ちで、生徒が二人が入場できた、と報告があった。(生徒が余裕しゃくしゃくで、前日にしか予約しないってねぇ、、、。)

普段は、ステージもなく、あれこれの音響の不備もあるバーでの実験的な演奏で、それがここ3、4年ばかし続いているわけだ。

第1回の2DAYS(二日間)も、一応、満席ではあった。

今回は、ギター演奏もあるので、初めて、簡易的なPA設備をバーに持ち込み演奏。

全体のバランスと各位置での場所の悪さも含め、小さなコンサートホール会場と同じ状態にはなった。

大きな会場でも、二階席や奥の席、スピーカーの前の席、とかなりの音響バランスの悪さが出る。

最初から四方にスピーカーを常設している場所でもないし、それに、呑み放題なので、BGM程度のライブ演奏を予想していたら、意外に、みんな熱心に演奏を聴いていて、ラストはアンコールまで受け、ライブハウスに近い状態になった。

改めて、10代から90歳くらいまでは行けるなあ、とその芸域の広さに自分自身でびっくりする事にもなった。

イソップ寓話の教え、You can’t please everyone.”すべての人を喜ばせることはできない”というのも身に染みて感じるわけではあるが、サイドマンの時の、私だけが目立てばいい、という傲慢な考えもなくはないが、今回は、場所柄か、リーダーとして、ジェントルマンに徹した感じではある。

たぶんリーダーに向いているのかもしれない。
演奏前は、あれこれ厳しい要求をするが、演奏中は、基本的にジャズの場合、個人の責任である。

とやかく言う必要はない。

客だって、そう思っている。

悪いのはバンド全体ではなく、個人である。

だから、演奏前にあれこれ要求しておくわけだ。

すべてが、自分の責任になるからだ。

これがロックバンドとなると、そうは行かない。

バンド全体が悪く言われる。

この辺、個人主義が通せるジャズは、楽ではある。

このところ、ユーチューブアップしてもクレームを言わないメンバーとの演奏映像がいくつかできたので、今は、今回の”ホテル・ジャズ”というスタイルの演奏も含め、例によって、ひっそりとユーチューブ・アップを計画中ではある。

できれば、2時間のライブを丸ごと公開したいが、そうなると誰も見ない、という話も出て、思案中ではある。
欲しいのは、臨場感であるから、1曲1曲が独立していたら、”流れ”が出ない。

映画で言えば、いきなりの脈略のない各シーンの宣伝という事になる。

あれは、けっこう感動もないわけだし。

いずれ、自分のやったライブが、丸ごと閲覧できるようにできれば、地域性というハンディを克服し、人類みな平等の時代となる。

”広く大衆に呼び掛ける”、というのは、故・ロック・ギタリスト、成毛滋氏が、日本に初めて、1960年代後期か、1970年代初期か、、P・A(PUBLIC ADDRESS)設備を導入した時、考え出した訳だと氏の雑誌インタビューで読んだ事がある。

今の時代、これが、海を飛び越えて、音を届けるわけだから、その規模も宇宙的ではある。

世界中で、いつでも色んな人のライブが、映画を見るように”観戦”できたら、いいなあ、とは思うが、もうちょっと時代が進めばいいのか。

それまで、多少なりとも、腕を磨いておかないと、いかんなあ、という気持ちはある。

出川哲郎や、ココリコの田中がいくら毎日、テレビに出ても、ファン続出ってわけでもないだろう。

最近は、人生のすべてをアドリブに掛けた、気心知れたメンバーで、演奏がしたいってのはある。

なかなか、そんな人間も、それなりの場所に行かないと、今時はいない。

そうしたメンバーで演奏したものを”広く大衆に呼びかけて”欲しいとは思う。

自分が、猫の方なのか、杓子の方なのかは、わからないけれど。

アントニオ猪木は、”元気があれば、なんでもできる!”というのが、キャッチ・フレーズだが、”お客さんがいれば、いつでも演奏できる!”とつくづく思う。

メンバーにもギャラが払えて、PA屋も雇えて、ギター運びの手伝いのローディなんかも雇えて、、、。

今回、ギター二本(エレキ、アコギ)、アンプ2台、ギタースタンド3本、などなど)とフル装備で向かったので、とても手伝いがいなくては、一人ではやれないが、一人でセット。

荷物のないピアニストの気楽さが羨ましい。

この辺からして、違うわけだ。

ピアニストからすると、どんなピアノを弾かされるか、それが一番の心配だ、というけれど。

ピアニストの気質ばかりを並べたので、ついでに、他の楽器も上げれば、楽器的に一番、支配的で我が強いのは、ベーシストだと言う。

音楽の最低音を受け持っている縁の下の力持ち、という事からして、実際、このバンドを支配しているのは、自分だ、という密かな気持ちにもなる、という。

ドラマーは、まさしく太鼓持ちの性格、というが、仕事を取ることに一番、熱心なビジネスマンという感じである。

一つのビート叩き出すだけで、1億曲くらい対応できるわけだから、残りの時間は、あれこれと使える。
他の楽器では、1億曲なら、1億曲分覚えないといけない。

だから、事業を起こし、社長業も兼ねようと思ったらドラマーがいいだろう。

管楽器奏者は、リーダーになる事が多いので、リーダー気質ではある。

基本的に、管楽器は、ビッグバンドでの活動も常識なので、年功序列型になる。

そうでないと、リーダー気質が集まるわけであるから、統率が取れなくなる。

ギターは、これは、最初からオタクで、毎日、裏で何をしているかはわからない。

あとは、愛人と各楽器の関係に関しては、一応、秘密にしておこう。

あっそうだ!

今回のサックス奏者の岩崎氏は、”一応”、私と同い年ではある。

同じ年に生まれ、同じように10代でジャズに興味を抱き、同じようにジャズのアドリブ修行を始め、同じように紆余曲折を経て、お互いが40年くらいして、ある程度の技術を取得して、いまだ、サバイバル中のプロとして出会うわけであるから、確かに、同じ、地球に生まれ育った、同じ地球人同士なんだなあ、と思う。

確か、17年くらい前にも、来沖した、そういうジャズ・ピアニストのライブにゲストとして、出た事がある。
名前は、忘れてしまったけど、あの時も不思議な同胞意識はあった。

楽器が違うので、ライバル、というわけでもない。

言うなれば、駐屯地の違った、戦友と言う感じかなあ。


  
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00修行&音楽

2012年04月26日

パターン化された怒りと熟考した怒り。沖縄文化論本の考察

さて、沖縄のホテル暮らしも4日目。

夜の繁華街を徘徊しようか、と思っていたのだが、あいにくの連日の雨。

しかたないので、歩いて5分くらいになったいつもの店へ傘を差して連日通う。

ホテルは、カーテンを引く事を知らず、午前中、やたら眩しいなあ、早起きしろって事か、と我慢していたのだが、ようやく昨日、カーテンがあるじゃないか!と気づく。

終日、暗めで、電気をつけっぱなしにしている部屋だから、気づかなかった。

習慣からアイマスクをしないと眠れないので、ホテルでも着用しているのだが、朝の日光のせいか、やたらと眠い。

たぶん、あれだ。

午前10時くらいまでの日光を目や皮膚に当てると体内時計が正常に戻り、だんだん眠るのも早くなって、夜型生活から朝方に変わる、という不眠治療のやつだ。

特に、脇の下とかに日光を浴びるとよかったのか。
5~10分程度で十分だったか。

バリ島では、早起きできたのは、朝起きる価値があったからだ。
鳥が鳴いていたり、山間部の村の空気がすがすがしかったり。


あれ?

う~む、まずい。。

お金になりそうな話をするところだった!

この話は、急きょ中止だ。

あんまり面白い話を書いてはいかん、というルールがある。

「昨日は、てぃ~だブログのランキング66位!」とS氏からメールが来たが、73位からこんなに上がってしまっては、選挙に出ないか、という勧誘も起こりかねない。

それに、上位になると何かいいことあるのぉ~?とまで、返信したりしている。

ブログの文章をもっと短くして、写真も付けないと、というアドバイスもまったく聞いていない。

この間は、兄弟関係者からも、「そんなにブログばかりを書いてないで、もっと本を書け!」と言われたりまでして、まあ、どちらからもクレームは付いてはいる。

しかし、まあ、これで10年やって来ている理由は、何度も言っているが、短い文章は、脳を鍛えない。

もちろん、ツィッターとかもあるだろうけど、あれは、一応、垂れ流し情報でも、情報として面白ければ、価値があるものだろう。

「1階のフロントの人、死んでる。」

とか

「2階が火事だ。」

とか、

「3階に泥棒が入ろうとしている。」


とか、

「5階から中年男が飛び降りた」

とか、、


こんなのは、けっこうワールド・クラスのツィッターじゃないかと思う。


しかし、なかなか、そんな状況は起きないから、


「冷蔵庫で冷やしっぱなしの三日前に貰ったチャーハンをようやく今、食べた」


とか、、、


「冷えご飯ダイエットで、カツ丼弁当を冷蔵庫で冷やして食べたから、カロリーは半分で済んだ!」


とか、、、、

最近は、何でも冷やして食べる。

そこまで冷やさなくても良く、普通に置いておけばいいようだが、念には念を入れているわけだ。

東洋医学の漢方的には、冷たいものは、「寒のもの」だから、身体が冷えていると万病の元という事になり、常に「温のもの」を食べて、身体を冷やさないように、というが、ちょっと南国生まれには、これは厳しい。

外が暑いから、身体が常に冷たいものを欲しがっているが、今日は、また、急に寒くなっている。

とりあえず、今日だけ、半ズボン、半袖中止。

それと、普段から、常に心は燃えている!

そういう事を考えると、何もブログまで短くすることもない。

ブログどころか、私は、メールも長い。

メールを長くするのは、携帯メールには、神経衰弱ゲームのような流行の脳トレのアハ体験がありそうなので、文字を探している状態がすでに、脳に刺激を与えているんじゃないか、と思う。

パソコンのブラインド・タッチでは、脳は刺激を受けない。
やはり、パソコンでも1本指でやらないと刺激にはならないだろう。

しかし、それでは、ちょっと時間が掛かりすぎて、他の事ができないので、その意味では、ブラインド・タッチでのパソコンのキーボードを打つ事は文明の利器ではある。

私のブログは、特に、毎回、全体に脈略がないので、このスタイルは、ちょっとでも気を許すと、自分でも何を書こうとしたのかがわからなくなる。(非常に緻密で、危険度の高い、繊細な文章である!今もわからなくなっている。)

それくらい緊張した指先とのやりとりがあるが、基本的にストレス解消ではある。

指先と思考の関係なんて、まさに、ジャズの即興演奏に近い。

(地元では、即興演奏ができないでもジャズ・ミュージシャンと自称する、”オレ・ジャズ詐欺”、が横行している、らしい。この現象は、復帰「1972年」前後の世代から起こっている、と思う。今で言えば40歳前後、という事になる。アメ~リカ並に、肩書きが若者の間で、簡単に横行するようになったからだろう。さすがに、自称”医師”はいないだけじゃないか。肩書きに反して、何をして食べているかは不明だ。普通は、食べている職業が肩書きになるわけだが、そう考えるのは旧人類、という事になり、それとは違うようだ。)

通常の携帯メールの文章は、誰しも短いが、こうした短文は、脳に何の刺激も与えない、という。だからギャル(死語か!、、なんていえばいいのか。。)が、一日に何億というメールを打っても、その脳には、何の変化も起きていない。

むしろ、文面もパターン化しているから、脳は退化していると言える。

何でも速い、という事は、それだけパターン化しているって事だ。
パターン化しているって事は、結局は、何も考えていないって事になる。
”流れ作業”、というわけだ。

これを証明するのが、将棋の世界で、切羽詰まると、一手を考えるのに昔の時代は、一日掛かかる、という事もざらにあった。

それだけ、新しい打開策を見出す一手と言うのを考え出す、というのは、大変だったわけだ。

いかに、何でも速い、短い、というのが、現代的であるか、という事と、現代的というのが、いかにパターン化されたものか、という事になる。

つまり、先が見えすぎるわけだ。

ギター好きな中学生の速弾きみたいなフレーズである。

何も考えずにパクったパターン化されたフレーズを弾くから速くなる。

だからと言って、中年が、考えすぎた上に、死ぬほどつまらないフレーズを弾かれてもどうか。

パターン化されると、100年遅れた高校生の未来も見えるし、一人一人の人生もすでに見える。生まれたばかりの赤ん坊の人生も大概は、見える。

パターン化したことばかりしているわけだから、当然、人生自体もパターン化して行くしかない。

確かに、一日の行動は、誰しもパターン化しているように見える。
しかし、唯一、そんな生活に逆らえるのが、思考だ。

思考の中では、どんな結論となるかは、未定であり、毎日が未知の世界だ。

もちろん、指を差しただけで、すかさず「人に指を差す人は最低!」と言うパターン化した思考しかできないとしたら、何の進化もない人になる。

ありとあらゆる倫理的行動とは真逆に生きているにも関わらず、唯一、指の動きだけに”倫理観”が反応するとしたら、動物と変わらないんじゃないか。(猫でも指を出したら、すぐに反応して、前足を出そうとするわけだから。)

礼儀作法も何も学ぶ必要がない。

もしも、そこまで指摘する失礼な指の動きがあるとしたら、それは宣戦布告であるわけで、「その指の動きは失礼じゃないか!」と言う必要もないくらいの宣戦布告である。

男同士なら、「なんだ!その指は!」と、いきなり殴り掛かる奴も出て来るかもしれない。

だから、いちいち注意するに当らない。

すでに、お互い、「貴様なあ!」と、指を差しあいの戦闘モードであるという事になるからだ。

というわけで、パターン化された速断では、なんでもかんでも、同一のものと判断される。

「今のドは、レじゃないの?」という調子だ。

ということは、すぐに怒る、という行為は、プロ棋士のように、常に、熟考が必要、という事になる。

果たして、この行為は、例のパターン化された失礼な行為と同一な行為なんだろうか、、、である。

その検証で、「ああ、これは、同一のものだから、オレは、今、怒るべきだな!」である。

私も一応、30分は、飲み屋で、中年男の言いがかりを耳元で受けていたことがあり、「ああ、これは間違いなく、嫌がらせだ!」と判断し、慰謝料騒動にまで発展しそうになった男である。

去年の12月4日のことか。

http://sunpowermusic.ti-da.net/d2011-12-04.html

あの時の私の行動は、それはそれで正しい対処法ではあるが、ミスがあるとしたら、普段からタイガーマスクの覆面をポケットに入れておかなかった、という事だけではないか。

ただの覆面では、ただの暴漢になるが、タイガーマスクの覆面を被った男に何かされた、、となると、世間一般の人は、一応、この覆面男の方が「正義」ではなかったのか、と考えてくれるのではないか、と思う。

パターン化した思考で、「殴った方が悪いに決まっているだろう」では、ないはずだ。

(註:殴ったわけではない。そんな下品な事はできない。ただ腕をねじ上げて、へし折ろうとしただけだが、常連客に諭されて、途中で辞めただけである。諭されて止める、という事が、理性の人の証明でもある。偉い!)

というようなことを考えながら、近所の大手の某本屋へ行ったら、沖縄ブームを作った、という二人の男性作家のトーク・ショーが行なわれていた。

一人は、本土の旅行作家で、もう一人は、沖縄姓だが、大阪生まれ、大阪育ちというから両親は沖縄という事で、沖縄人二世、となるようだ。

気になったので、何冊も積み上げられた著書の中から、比較的新刊風の新書版を一冊購入。

私は、沖縄ブームを作って来たこうした「外来種、本土移住軍団」が、常に、常連の飲み屋で夜な夜な集合し、沖縄を語り、沖縄を売り物にしている事に20年前から不信感を抱いている人間である。

だから、こうした人間にあまり好印象がない。

わざわざ沖縄に来て、フォーク・ソングに目覚め、人の土地の歌を歌う、というメンタリティーにも人間愛を見ない。

沖縄の素朴な心情、風景、心を歌う、と言うなら、じゃあ、自分の生まれ故郷には何も感じなかったのか!という、その故郷への愛情のなさに呆れるばかりである。

それでいて、東北震災がどうのこうの、と土地に愛着を抱く者たちの仲間を気取る、という、この偽善性。

本当の芸術家、詩人なら、たとえ、売るものがない土地であっても、そんな自分の生まれた土地を取り上げ、語るべきじゃないか。

タケコプターのように敏感なセンサーを頭に取り付け、「美味しそう」な土地を飛び歩き、その土地への愛情を示す事で、営利を得ているわけではないか、と言う長年の印象がある。

もちろん、私の世代より下は、闘う世代どころか、沖縄ブームの中、揉み手揉み手、笑顔の迎合世代とも言えるので、こうした事に対しても何の違和感も抱かないだろうとは思う。

私なんか、所ジョージ氏が、4000坪だったかの広大な土地を沖縄本島、中部で手に入れ、豪邸の別荘を建てて、毎年、快適に過ごしている、という何年前だったかの番組を見てから、所ジョージ氏の番組は、何となく不快感があり見ない。

(それまでは好感がもてた。彼の20代の頃のラジオ深夜放送、オールナイト・ニッポンから聴いて来た世代でもある。漢字も読めない、人見知りでもある、としていた時代である。「駐車場での”月極(つきぎめ)”を月極(げっきょく)」と読んでいた、とかの類の話である。)

まあ、無用な土地を私有地にして、自然破壊を防止している、という大義名分が、もしあれば、私の方が悪いわけではあるが、そうアピールしているわけではないから真意のほどはわからない。隣に隣接して広大なゴルフ場もある、という。

ただ、広大な土地と豪華な別荘が見せ付けられた番組を見ただけである。

もちろん、所氏に手厚い接待をされたら、すぐにその印象も変わるとは思うけど、今のところ、そうした招待もない。

一応、所ジョージ氏のことは、置いといて、話を二人の作家のトークショーに戻す。

私自身もバリ島が好きで、二回ほど行っているが、私がバリ島の話を出しても、私は、別に問題はないとは思う。

私は、すでに50歳を過ぎてなお、この生まれ故郷に住んでいるからで、若い内に故郷を捨てて、バリ島で暮らし、「バリ島良いとこ、一度は追いで、、酒は旨いし、ネ~ちゃんは綺麗だ!」、、とバリ島を売り物にして暮らしているわけではない。

まあ、公平を来たすためにも、一度は本を読んで見ようと、2011年2月20日出の新書版「沖縄読本」(講談社現代新書)を購入して、トイレ限定で読みすすめている。

現在、半分まで来たが、最初から印象は悪い。

現状の沖縄がいかにあれから変化し劣化したかの分析から始まるのだ。

それがいかにも、沖縄ブームを作った自分たちの責任もあるから、という大義名分である。

一般読者には、いかにもこれが大義名分に見えるだろうけど、私には見えない。
なぜなら、これは、20年以上も昔から、原住民の私でも知っていた沖縄の現状だからだ。

ただ、私は、この土地が、故郷という事もあり、沖縄の実体や恥部をあまり堂々と書かないだけである。
いかに、若い世代が、沖縄ブーム以降、真の実力を磨かず、必死にただただ世の中に出る事だけを考えるようになったか、という事もある。

そこに生じた、本当に実力のあった一部の若者と、そうでない圧倒的多数の若者との間との格差。

これが復帰世代の特徴でもあるが、上の世代は、総じて、力がなかったので、みんな努力をそれなりにした世代であり、そのほとんどが本土へ渡り、自己を磨いて来た世代でもある。

もちろん、その中でも格差はあり、さほど努力を必要としない才能の人間もあった。

たとえば、ボクシングの具志堅用高、といったところだろう。

具志堅氏がどんなに努力した、と言っても、プロのボクサーは、総じて、全国、誰もが、努力しているわけで、やはりそれは才能の裏づけもある中での努力ではあるだろう。

ところが、次第に沖縄ブームが始まり、「沖縄は素晴らしい!」を連呼する、まるでホメ殺し作戦のようなプロパガンダにも近いブームが起こり、地元の若者が錯覚したわけである。

努力しなくても、我々は、凄い土地に生まれ、育っている、、というわけだ。
私よりも上の世代とは真逆である。

私たち世代は、”努力して成り上がらなければどうしょうもない、差別され捨てられた最低で糞みたいな島!”と言われて育って来たわけであり、みんなそういう評価に闘志を燃やし続けた。

これを最初に肯定したのが、画家の岡本太郎氏である。

”忘れられた日本 沖縄文化論”(中央公論社 1961年)

この本によって沖縄は、自分たちの文化に目覚めた。
岡本太郎は、縄文を発掘するかのように、沖縄を発掘して見せたわけだ。






沖縄ブームに育った若者の結論は、沖縄の人間は、もっと沖縄のことを知って、沖縄だけで生きるべきだ、、である。

こうした世代の動きから、沖縄の若者が、外へ出て行かなくなった。

昔の世代は、大学生活を含めての数年の滞在が普通でもある。

もちろん、本島脱出が不可能であっても、当時の学生は、日本全体の安保騒動の流れから、様々な事に関心を持った世代でもある。日本全体の学生に一体感があった世代でもある。

こうした現状は、本土からの帰化人にとっては、赤子の手をひねる!(私の酔っ払いの手をひねる!とは違う!)ほどの格差で、外来種に取っては、たやすく占領できる土地となった。

琉球は、闘える戦士を無くしたわけだ。(古、琉球では、琉球のために戦える人材を「ブシ(武士)」と言うようだ。)

東北震災の事もあり、今は、本土からの移住者も多く、音楽業界も同様である。

以前、ブログで触れた、「外来種vs原住民」という構造でもある。

http://sunpowermusic.ti-da.net/d2012-02-19.html


その発端が、90年頃からの外来種文化を作り上げた沖縄ブームではなかったか。

あれから20年、今度は、それは間違いだった、という主張が、また、同じ種族からなされたわけだ。

本当に、今の時代は、あれから20年後の世界の事か。

今度の本は、自らの責任もある大義名分としての沖縄原住民への「警鐘」か、と言う事か、という事になるらしい。

私のような原住民は、そんな事は、20年以上も前から知っていたし、そうしたマイナス面をおおやけに語って営利を得るわけには行かない地元民、というだけである。

どんな土地にでも触れられたくない恥部はある。

本では、明かさなくても良い地元の売春街とその生態まで暴露する。

しかも、自分は、関係ない、ただの第三者に過ぎない、という気取った立場を気取る。

吉行淳之介文学にも反する、得体の知れない自身の高潔なポジションではないか。

しかし、当初からそれをひた隠しし、必要以上に礼賛した張本人たちが、今度は、これを指摘して、「ブームの責任を取る」というわけである。

まさに、何これ百景?、、である。

私の知らない内に、そんな茶番劇が20年以上にもわたって行なわれていたのか、とびっくりする事ばかりである。


勝手に持ち上げ、勝手に落とす、、というのが、マスコミの商売システムだと言う。

まさにそのセオリー通りのビジネスじゃないか。

マスコミは、これを特定の個人を対象に行なうわけだが、これを「沖縄」という土地を対象に行なったわけである。

こうした本に加担し、関わった執筆者をチェックしている。

なぜ彼らは、人の土地に来て、こうもでかい態度で、県民を啓蒙する立場に立てるのか、そのメンタリティーが知りたいと思う。

(以前、スーパーマーケットで、店員を大声でののしっていた観光男の後を付けて、ホテル名をチェックした事があったが、、、。)


まあ、何でもいい、と思うのが、県民の特徴でもあるが、外来種で、「沖縄」を売りにして営利を得て、印税を受けた者は、まず、全額とは言わないが、少なくとも、その9・9割は、沖縄に還元することで、その罪も清められる、と言う教えを、頼めば、どこかのユタ(=巫女風+イタコ風+占い師風)が言ってくれるだろう。

その方が、すべては、沖縄のため、という大義名分らしい還元のし方だとは思う。

まあ、外国の著者による「日本人論」がいかにネガティブなものであっても、日本人は、好んで、こうした話が好物である、というのは、昔からの出版界の常識である。

もっと悪口言ってぇ~、というマゾ的感覚だろう。

古くは、ルース・ベネディクトの『菊と刀』(The Chrysanthemum and the Sword:1946年)がある。

(註:日本文化を説明した文化人類学の著作。『菊と刀』は、ベネディクトの戦時中の調査研究をもとに1946年に出版された。)




もちろん、まだまだ、隠さねばいけない事は、たくさんある。

それを公表して、自国が変わるのなら、公表する価値もあるだろうが、言ってもしょうがなく、今後50年も、変わらない、としたら、指摘してもしょうがないだろう。

空き缶を拾って暮らしている人がいるというのに、空き缶を拾うな、とは言えない。

本当に勇気がある人は、内部の者として、内部の人間を批判することであり、外国人、外来種として、無責任に言うものではない。

これは、人の前に指を出す、出さないと言った、抽象度の低すぎる怒りの次元の話ではない。

こんな話は、いつでもできるが、基本的に原住民は迎合して黙殺しているだけである。

だから、一部の「ブシ」だけが、その技を磨いて、闘いに備えているわけである。

外国人からの日本人論に対しては、新渡戸稲造氏の「武士道(1900)」という反論本もあった。




ホテルで一人暮らしていると、昔の気持ちがよみがえるもんではある。

ホテル暮らしは、今日が最後だ。

明日の午前10時のチェックアウトに備え、呑まないといけない。

小旅行の最終日に思ふこと。

あっ、そうだ。

4月28日、土曜日は、ロワジール・ホテル、12F「バー・プラネート」での五千円呑み放題ライブ。
予約制。

http://www.solarehotels.com/loisir/hotel-naha/

順調に50人ばかしの満席の予定。

リハーサルは当日の1時間だけ。
メンバーの一人は、会った事がないベースの女性。

ここは、故・立川談志師匠の真似をして、当日の客層を見て、曲は決めようと思う。

通常のライブ・ハウスとは違って、ホテル向けのジャズ、ではある。

通常は、1曲15分くらい、、というアドリブ時間が目安。

ホテル・ジャズの場合は、1ステージ40分内で、まあ、数曲は弾くスタイル。

それが2ステージある。

この辺、パターン化していると言えば、パターン化しているわけであるが、まずもって、客の好みもパターン化しているので、これは、仕方ない。

誰も知らない曲を延々とやるわけにも行かない。

その客層を見よう、というわけである。




  
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00

2012年04月23日

酒とカラオケと小旅行の日々


ああ、ブログを更新するのに、大分、時間が経ってしまったか。

6月15日の第2弾本の発売に向けて、ひたすら原稿チェックの日々で、どういうわけか今は、近所のホテルに滞在している。

何しろ、600ページ以上もあった原稿が、その半分に縮小されたため、全体の流れを頭から読んで行かないといけない。

しかし、読むたびに、いやあ~、今回の本も面白いなあ、とつくづく思う。
これは、個人的には、一冊2万円くらいじゃないか、と思う。本が15,000円で、付属の教材CDが、5,OOO円と言ったところではある。

この100年で、これほど面白い音楽の理論書があったかなあ、と我ながら思うわけだが、昨日、ある本屋で、一冊だけ残っている自分の本を見ていたら、知り合いの男子高校生から声を掛けられた。

家に一応、ギターはある、という事で、この本を買ったらどうだ!と言ったが、「そんな難しそうな本なんか読まないですよぉぉぉぉ、」「それより、プレゼントして下さいよぉぉぉぉ」と、乱暴に本をめくってポンと本棚に戻した。

一応、著者である事を知り、びっくりしたようで、すかさずスマートフォンで、私の名前を検索して、プロフィールを読み上げた。

「友寄さん、伊江島にも住んでたんスかぁぁぁぁ。。」と、読み上げる。

「おい、本人の前で、検索してプロフィールなんか読むなよ!」と言うが、すぐに飽きて、連れの友達と話し始めている。

まあ、高校生から見ると得体の知れないおじさん、という事になってはいる。

まあ、地元の若者の反応は、こんなもんだろう、と本屋を後にした。

100年進んだ私と100年遅れた高校生との差は、200年もある。
それくらいあれば、一時代どころか、二つも三つも時代が終わっている場合もある。

明治なんか45年間だし、続く大正だって15年だし、昭和で、ようやく64年。
平成に入って24年だったか。

合計しても、148年だ!足りない52年分は、江戸時代(1603~1867年)から始めるとすると、1815年くらいの江戸時代の人と、今の人くらいの違いがある。

せめて、もっと貪欲で、素直であればなあ、とは思うが、90年代に生まれた世代や、20代を送った世代は、沖縄ブームの走りだ。

室町時代(1336年~?1392年~1573年)に生まれるか、戦国時代(1467年~77~)に生まれるかでは、だいぶ人の気質も実力も変わって来る。

最近、あまりの忙しさに夜中、抜け出し、ミキサー担当のS氏と探検隊を組んで、フォーク系の酒場巡りをしている。

単純にギターを弾いてフォーク・ソングを歌いたい、というだけなのだが、私は、20代の頃から、カラオケ・スナックが嫌いで、ほとんど出入りした事がない。

バンドマン業と言う職業柄、高級クラブでの演奏、という経験はあるが、実際に自分が客になってのカラオケ中心のスナックは、苦手で避けて来た。

もちろん、何度かは、経験はあるが、ミュージシャンの行くところではない、と思っていたわけだ。

そういう事情から、今回、あちこちと入って行くと、これは、フォーク酒場と言うよりも、単なるスナックの世界でもある。

つい、この間、行った店では、入るといきなり、カウンターに20代風の3人の若者。(その前は、長渕派の30代風3人組だったはずだ。)

どうも、カウンターは、うるさそうなので、誰もいないシート席へ二人。

一応、フォーク系らしくステージがあり、キーボードやらフォークギターやらが並んでいる。

シート席からは、3人組みの後ろ姿しか見えない。

一人は、ジミー大西を凶暴な犯罪者にしたような感じで、その連れの若い女性は、おバカタレント系風で、さらに連れの男子は、昭和の時代の浪人風。

凶暴化したジミー大西とおバカ風がやたらとカラオケで歌っているのだが、二人とも物凄い音痴だ。
女子は、カラオケのたびに、椅子席から降りて、立って身体をクネクネさせて歌っている。

私からは、後ろ姿しか見えない。

この二人が、立て続けにカラオケを歌い続け、休むことがない。
AKBとかも歌っている。(ア「A」ッカ「K」ンベ「B」ーの略じゃない。)

もう一人の昭和の浪人風も5曲に1曲のペースで歌うのだが、これまた音痴。

まあ、とても、ミュージシャンには耐え切れる状況じゃない。

あと2曲聴いたらミュージシャン生命も終わるなあ、と考えているところへ、中年二人組が入って来る。

スナックは忍耐だけの世界じゃないか、と思いつつ、帰るタイミングを見計らう。
しかし、オーナーが、新参者の客という事で、何やらサービスの「つまみ」のかまぼこを持って来る。

しかたないので、もうしばらく辛抱しようと、呑んでいると、中年男が、ギターを持ち出し、ステージで歌い出す。

これは、ようやく、まともな歌だ。しかも、佐渡山豊氏の「どぅちゅいむにぃ(ひとりごと)」と、1970年初期の沖縄でのヒット曲だ。中学生の頃、ギターを弾きつつ良く歌ったもんだ。

(佐渡山氏は、1970年初期の初代沖縄フォーク村の村長。吉田拓郎氏は、広島フォーク村の村長だったか。実際に、そんな「村」があるわけじゃない。日本各地で、そういう団体、組織を組んだ若者フォーク集団がブームだったんだろう。)

すると、2曲目に入る頃には、私と同行のS氏が、置いてあったギターを取り、曲の合間にアドリブを入れる。

中年男は、その上手さにびっくりし、大喜び。

この勢いで、ジミー大西までステージに来て、「今度は自分が!自分にも合の手のギターを!」とギターを持つ。期待通り、コードを三つくらい弾いたが、何も弾けず、ステージを降りる。

ジミー大西がステージを降りたことで、S氏が私にももう一本のフォーク・ギターを渡したので、S氏の伴奏に合わせてギターを弾く。

オーナー始め、中年軍団が、またさらに興奮するが、私は、トイレに行きたかった。
トイレには、先にバカタレ娘が行っていて、これがなかなか出て来ない。

10分経っても出て来ない。
するとジミー大西もトイレに経つ。

ようやくトイレから出された娘は、結局、酔いつぶれていて、床の上に大往生。

それを見ながら、私たちは演奏中。

中年男もオーナーも結局、ジミー大西が、娘を背負うのを手伝って、3バカ若者トリオが帰って行く。

どうやら、地元の若者ではなかった。観光で来たのだろうか。不明だ。

それにしても、若者が、よくもまあ、スナックなんかに来てカラオケ三昧するよなあ、とその感性に呆れた。

ようやく、静かになったか、と思うと、中年男とオーナーが「カウンターへどうぞ」と。

カウンターでは、中年男が、やたら馴れ馴れしく、いやあ、頑丈そうな身体だねぇ、といきなり上から目線で、背中や肩を叩いたりする。

何?この頑丈な身体?とお腹まで叩いて来る。

まあ、オーナーの年齢が53歳、中年男が55歳、という。

よくわからんが、いきなり「社長と呑んでいる社員の私」という即興劇が始まった感じだ。

二人とも地元の人間ではあるが、社長は、やたらうるさい。

オーナーが、わけ知り顔で、「あの弾き方は、クラシック・ギタリストだね」と社長に私の事を解説している。

企業秘密なのだが、私は、ピックを使わなかったりする。(ユーチューブでの演奏もそうだ。エレキ・ギターを5本の指で弾いている。)

そこへ、上の階にスナックをしているという46歳くらいのハーフ系のママ風がやって来る。

「この人たちのギターを聴いてみろよ!」と言って、「アルハンブラ宮殿の思い出」を弾いてくれ!と乞われる。

S氏も、「その曲は、この人はいつも弾いてるぞ!」とあっち側に付いている。

見ると、フォーク・ギターしか置いてないので、「いやだ、鉄の弦で、そんな曲を弾いたら爪が割れる。もうすぐライブだから、弾けないな。」と言うと、「じゃあ、”禁じられた遊び”ならどうか!」と言われたので、しかたなく弾く。

すると、「わぁ!こんな上手い”禁じられた遊び”は聴いた事がない!」と演奏中もうるさい。

通常は、これだけで、呑み代は只にならないといけない。

しかし、まあ、こうした探検シリーズは、一応、本の宣伝も含めての活動ではある。

すると、社長が、「ギターは上手いのはわかったからカラオケでも歌ってみろよ!」と言う。

なんで、こうもこの社長は、すでにオレより優位に立っているのか不明だったが、”笑わないセールスマン”として指示に従う。

歌いだすと、社長は、急に自分もマイクと取り、合の手のハーモニーまで入れて来た。
みんなが、「やめろ、やめろ!ちゃんと歌を聴きたいから!」と言うのを聴かず、社長は、参加して来る。

本人も歌いたかった歌だったのだろう。

そんなこんなで、普段は、あそこの焼肉屋で呑んでるんだけど、と私が言うと、すかさずママが、「え~あの肉のまずい店でぇ~!」と。

私は、そこで焼肉をほとんど食べた事がないが、いきなり、そんな失礼な発言をするので、「肉にくわしいの?」と尋ねると、そうでもない。

ただ、あの店は、酔っ払って行く人がいるから肉の味がわかないだけだ、という。

どうも怪しい。

大手安売り肉店よりは、良い肉を仕入れているはずだ。
「じゃあ、どこがいいんだ?」と聞くと、良く行くステーキ屋の事を言う。

「何?あそここそ、安肉店じゃないか、」と思うが、ステーキに「A1ソース」を掛けるのは邪道だ、ステーキは醤油が一番!と言って来る。

あとニンニクも邪道だ、と言って来る。

もう、うるさいので、この女もどうなってもいいな、と思う。

初対面の人間が良く行く店をいきなり「ああ、あの肉のまずい店ね!」と言う品性がまず卑しい。

たとえ、そうであっても、一応、黙っておかないといけない。

自己主張もほどほどにせんといかん。

こうした女たちは、大体、総じて、「人を指差してはいけない!」と男性を怒るが、自分たちは、それ以上に失礼であり、否倫理的行動満載である。

私は、常に、アメ~リカ人の感覚で、指を動かしているにすぎないのだが、その区別も付かないで、なんでも一緒くたにしているわけだ。

唯一、「人に指を差すな!」、というだけを頼りとする正義感、倫理感の証明である。

人に指を差さなければ、あとは、自分のどんな行いも許されるのだろう。

この店は、一応、一つ星、とした。

こうした常連客がいなかったら、二つ星。

そうだ、思い出した。

この間、第2弾本の教材CDの打ち上げの後、まだ呑み足りなかったので、S氏とまた探検に出た。

零時を過ぎていたので、あれこれ電話を掛け行くと、昔、一緒に仕事をした事がある女性の店に行く。
17年ぶりくらいだ。

客は、私たち2人。

安酒場街のはずれの小さな店。

まあ、朝方、さあ、帰ろう、という事になり、お勘定が1万円!

いやあ、見事にボるなあ。つまみもないってぇのに。

通常、二人で5千円ってとこじゃないかなあ。

まあ、いい。

また、次は、17年後に会おう、と思う。

普通、同業者からは、そこまで取らない。

友達止めますか、歌辞めますか、だな。

たぶん、17年前に私に恨みでもあったのだろう。

それがわかっただけでも収穫ではある。

1万円は、その情報料である。

こうして時折、抜き打ち調査を敢行しないと、誰が、味方で、誰が敵かわからないものだ。

そんなわけで、一昨日は、二日も部屋から一歩も出ていないので、またまたS氏を誘い、探検に。

大体、インターネットで検索して、面白そうな店へと探りに行くのだが、この日は、どうも見つからず。

それで、この近くは、あの店がある、と、知り合いのパーカッショニストの店に。

半年ぶりくらいかなあ。

私より2歳年長だ。

洋楽昔話に花が咲く。

やっぱり同世代は、みんなロック系の洋楽派で、いろんなミュージシャンやバンドを良く知っている。スティーリーダンのメイキングDVDまで出して来て、初めて映像を見る。

S氏が眠い、というので、午前3時半、帰る。

お会計は、当然、「二千円でいいよ!」という事で、つまみには、刺身とかも出たりした。泡盛も残し、私にしては、早々と帰路に着く。

まあ、元々、呑み出したのが、午前零時だし。

ああ、そうだ。

先々週になるか。

これまた知り合いの店に行こうとS氏と落ち合うが、いつものビルに店らしき看板が見当たらない。「昭和歌謡」の店になっている。おかしいなあ、とS氏が思い切って突入すると、その店だった。

洋楽の店から、「洋楽、洋酒禁止、演歌、昭和歌謡」の店になっていた。
去年、初めて子供ができた47歳男だったか。

以前もブログに登場したはずだ。(去年の「西川氏と行く業界ツアー」だったか。。)

それにしても、この変身ぶりは凄い。

さらに、カラオケは、点数制になっていて、95点出ると泡盛ボトルを無料進呈、という。

カウンターには、中年男女の一組。

まずは、ビールを飲みつつ、さっそく歌え、歌えというので、「キーが違っていたらどうするんだ」とぶつぶつ言いながら歌ったら、85点。

歌いながら、ちょっとでも間違えたら減点かなあ?、とか、キーがちょっと高くないかあ?、とか、間奏中、お喋り声を入れたら減点か?、とあれこれ質問する。

点数を気にして呑むと、ちっとも酔えない。

案の定、歌手連合は、酷い点数だと言う。

みんな酔って来ると、どんどん点数が低下して行く、という。

本人が、マイクを取り、フランク永井を歌う。

「き~み~、恋しぃい~。。」と言うあれだ。

何か、自分の時は、必要以上にリバーブも掛かっている。

すると、本人は、91点。

いつもは、93点くらいは出るらしい。

少しでもリズムが遅れたら減点される、という。

アドバイスを聞いて、再度チャレンジ。

しかし、今度は、87点。

全く、酔えない。

このやりとりを聴いて、カウンター客もS氏もカラオケには手を出さない。

まあ、87点のオレが宣伝するのもなんだけど、とカウンターの男性客にも本の宣伝記事のコピーを渡す。

カップルの女の人にも渡そうとすると、「ああ、一枚でいいです。うちは夫婦ですから」と。
本土系のようで、常連客のようだ。

この店の以前の雰囲気も知っているようだ。

それに、オーナーのコミック系昭和歌謡バンドのライブにも行っているようだ。
私は、一度も聴いた事がないが。
まあ、あっちだって、私がギターを演奏しているのを聴いた事はないし。

点数を気にすると、お酒が全く酔えないので、2曲くらいにして、あとは、呑みとトークに専念する。

それにしてもまあ、思い切った店のイメージ・チェンジだ。
オーナーの顔も一応、ハーフ系であるけど、洋酒、洋楽禁止だ。

子供も生まれて、サバイバルするのも大変ではあるのだろう。

しかし、この場合は、”背に腹はかえられぬ”というのではない。
普段、営業でやっているバンド自体が、そんなバンドでもあるわけだし。

趣味と実益を兼ねた、という事になるか。

それにしても、以前は、洋楽だけだったんだけど。。

このところのスナック・カラオケ調査は、私の人生でもかなりの未知の体験ではある。

こうしたところに棲息する生き物の調査、という感じがぴったりだ。

私の常連の店は、たんなる焼き鳥、焼肉屋だが、まあ、確かに、常連には、しつこい年輩客もいる。
しかし、カラオケ攻撃もないし、あまり私のように一人で来るところでもない。

基本は、閉店後のホステスやママを連れて来るおじさん客が主流だ。

私は、お酒を呑みながら本をちらちら読んでいるから成立するが、あまり、男性が、一人、何もすることなく、ボ~とカウンターに座り、テレビを見つつ、お酒を呑んでいる光景は、良いものではない。

幸の薄さ丸出しであるし、実際、こうした男性陣は、20年くらい彼女がいない連合でもある。

寂しかったら、ちゃんとしたママのいるスナックに行くべきだろう。
そこで、強気ママのウンチクでも聞くといいんじゃないか。

私の昔からの理想のイメージは、昔の水曜劇場「時間ですよ」のわけあり未亡人風、篠ひろ子ママと、無口な常連客の藤竜也(ふじ たつや、1941年8月27日 - )のイメージである。

藤竜也、篠ひろ子(しの ひろこ、1948年3月8日 - のコンビは、1973年頃、というから私は、当時、中学2年生か。

こうした常連客になるために、わざわざ大人になったようなものだ。

そもそも、篠ひろ子のようなママがいないのが、いけないのであるが、私自身は、藤竜也ではなく、勝新太郎になってしまっている。

勝新太郎を見るたび、私を思い出す、と良く言われるようになった。

あと、簡単に「達磨を見たら思い出した」とも言われる。

人間、イメージ通りには、なかなかならないもんである。

念のため、言っておくと、私のパンツの中には、一応、何も入っていない。

久々のブログ登場であるが、昨日、”てぃ~だブログのランキング”で、73位だったよ!とS氏から賞賛メール。

ちっとも更新しないのに73位は凄い、という事らしいが、ちっとも嬉しくないピ~。

まあ、3万部売っても、地元の評価は、こんなもんだろうとは、思うが、実際、このブログは、あまり読まれても困るなあ、という気持ちもある。

人知れず、好きなように書けて、読んだ人だけが、私のようにパアーアップしてくれたら、それでいい。

どうせ、一円も入らないんだから。

ああ、そうだ。

このブログの存続のために、アマゾンで本を買う時は、私のバナーから入ってくれたら、超嬉ピ~!

それであれば、更新する意味もある。

一応、まあ、昨日、原稿を送ったので、こうして、堂々と更新しているわけである。

原稿も遅れているのに、毎日、ブログを更新していたら、ちょっと信用を失いかねないからではある。

ああ、そうだ。

意外に出演したラジオ番組を偶然、生で聴いた、という者が、何人かいて、びっくりである。

私なんか、普段、ラジオを全く聴かないって言うのに。。

みんな健全に生きているなあ、とつくづく反省。

そういうわけで、今日は、近所のビジネス・ホテルの一室から書いている。

ちょっとした、旅人の気分だ。

歩いて1分のところに、いつもの飲み屋がある。

これこそが、理想の世界だ!


  
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00

2012年04月10日

自著の初版本に対しての読者メールへの返信


【件名】新刊発売の件でのお願い。

【メッセージ】
大人のための音感トレーニング本。
りっトーミュージックは、その訂正箇所の多さを、書店にも隠し、気づいた人にだけ訂正箇所の案内を、HP上で案内しておりました。

大阪の大手書店の担当者さえ、訂正箇所の多さを知らされていなかったのはご存知でしょうか?
次の作品はこのような事の無いように、がんばっていただきたいと思います。

新刊で増したときは購入いたします。
楽しみにしていますので宜しくお願いいたします。

(****、男性、4月10日、実名メールより)



『ありがとうございます。

この出版不況の時代の本作りは、大変で、初版本では、多くの方に迷惑をかけてしまいました。

当時、東北震災と重なり、紙不足が発生し、発売が1ヶ月遅れ、ようやく上がった原稿を十分、チェックする時間がなかった、という事が大きな原因でした。

こうした理論書へのミスに対しては、リットー社もこの事で、自社のホームページ上で告知し、私のサイトでも告知し、できる限りの対応をしています。

こうしたミスも1ヶ月後に増刷された第2刷より回を重ね、訂正されています。

また、初版本(5000部)では、実際は、読者自身がじっくり勉強すれば、自力で、ミスに気づくようにもできています。理屈をちゃんと解説した後、このページでは、こうあるのに、他のページでは違う、と言った事が主なミスになっているからです。

ちゃんと最初から読み通せば、間違ったままの理論知識で終えることはありません。
理論を理解すればするほど、ミスに対しても気づくようになっています。

しかし、発生したミスは、私の責任でもあります。

私自身も初版本の読者に対しては、できるだけの誠意を持って対応しているつもりです。

今後は、こういう事のないように最善を尽くしたいと思います。

応援、支援、今後ともよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。


追伸:尚、本メールは、初版本のミスにつき、けっして、隠しているわけではない事の証しとして、また、二者間での密室でのメールのやりとりを避けるため、匿名の初版本購入の代表の方のメールへの回答という形で、私のブログ上に公開する事にしましたので、ご了承下さい。


SUN POWER事務局経由:

友寄隆哉

SUN POWER』


関連サイト:4月7日ブログ:ラジオ出演番組:お宝USTREAM映像

http://sunpowermusic.ti-da.net/d2012-04-07.html





  
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00

2012年04月07日

ラジオ出演番組:お宝USTREAM映像


今日、4月7日のラジオ番組、毎週土曜「チムどんぱあく」への生出演が映像でも見る事ができる!。

番組は、午後12時から3時までのようだが、午後2時3分からの出演。


昨日、携帯メールで深夜にあちこち告知した中の、音楽とは全然関係ない後輩の友人の電話で起こされる。
ああ、目覚ましを止めて、また寝ていたから、危なかった。

昨日、深夜に、「友寄隆哉、参考資料」をディレクターとパーソナリティの2人の合計3人用にまとめて小冊子にして用意した。

CDや本もそれぞれ3部ずつ。

向かい合ったパーソナリティ同士では、同じ資料を見るのに1部では不便だろう、という配慮だ。
もう1部は、ディレクター用だ。

こんな準備の良いゲストはいないだろう。

与えられた15分で、効率良く用件を伝えないといけない。

すでに私の眼は、敏腕ディレクターの目線ではある。

それで、夜更かししてしまった。

お酒は、適度?にした。

起きるとすぐに、冷蔵庫にあったスーパーの弁当を食べて、スクーターで、放送局へ。

午後1時20分、10分で到着!

土曜日なので、ビル自体は休みで、裏口から入れ、とある。

裏口へ回ると警備員が、腰掛けていた窓口から覗き込む。

半分、立ち上がり掛けている。

すかさず、「ゲストです。」と名前を伝えると、「ああ、聞いています。」と。

凄い。

ちゃんとしているなあ。

無事、通過。

番組は、始まっていて、腰掛けて待つ。

スタジオの外には誰もいないので、あちこち写メを撮り、取材する。

私は、写メ魔であるが、これらを公開しないところが、ワビ、サビの趣味の世界ではある。

公開しろ、と言う声もあるが、普段は、知人間だけでやりとりして喜んでいる。

公開したいのだが、ブログは、私の作曲修行の場でもあるので、文章だけにしている。

文章だけで、すべてを表現する荒行をもう12年も続けている。

ディレクターの女性が、ちょっとスタジオから抜け出して、挨拶して来て、しばらく待ってて下さい、と再び、番組中のスタジオへ。

私の目の前のテーブルには、誰か先客があったのか、ロール・ケーキが2切れ皿に乗っておかれている。

のどが渇いたので、自販機を探すが、この階にはない。

するとしばらくしたら、アシスタントのような青年が、小さな茶碗にお茶を運んで来る。

どうやら、このケーキは、私のために用意されたようだ。

お茶とケーキの比率から言って、ちょっとお茶が足りないではある。

だから、ちょっとずつ、すすりながら呑む。

ケーキは、今、誰もいないから全部、食べた方がいいな、と全部、食べる。


実は、昨日、ディレクターから電話を貰った際、性別の区別が付かなかった!
女性のような声をしている男性かなあ、と思ったくらいで、実際は、女性だった!

あれこれの説明を受けながら、このことは、墓場まで持って行こう、と黙っていた。


という事で、今日、4月7日ラジオ放送生番組USTREAM映像。


映像カウントでは、「O2:01:15」で、私が、スタジオの外のテーブルに腰掛けている。


(休憩:BGM中、音声なし映像)


「02:01:15」で、スクッと立ち上がり、スタジオへ進入。

「02:01:40」で、スタジオでテーブルに腰掛ける。

(BGM止まり、番組再開)

「02:03:17」に、パーソナリティの男性(かでかる・さとし)が、突然、おばあさんに変身し、歌いだす。

設定は、沖縄の食堂に私が、沖縄そばを食べに来た客、という事になっていて、そこで、おばあちゃんと孫の女性(前田リナ)に質問される、という設定。

これは、毎週、深夜に見ている吉本新喜劇の設定だから、心得ている、と答える。

渡されたメニューもちゃんと、「ソーキ・そば」とあれこれの沖縄メニューが書かれていたが、注文したのは、メニューにない「三枚肉そば」。

これが、私の食堂でのいつもの定番だからだ。

本当は、ご飯も付けるのだが、ジョークの連発を避け、まずは、軽く、つかみOK。

盲点を突かれて、二人が、反応している。

「三枚肉そば」は、次回からメニューに加わっているかもしれない。

ラジオでは一切わからない、いっこく堂のような私の話芸の細かさが見えるはずだ。

しかし、本当に「三枚肉入りの沖縄そば」が、スタジオに運ばれて来るのかな、と思った。

来る前にスーパーの弁当を食べて来たからだ。

ご飯は冷たい方がダイエットになる、という話なので、そのまま冷蔵庫から取り出し、ご飯は、冷たいままで食べた。

意外に馴れると冷たいご飯も美味しいが、この事も関係なさそうなので言わなかった。

ずいぶんと沖縄顔の男性パーソナリティだなあ、と思っていたら、いきなり、男性パーソナリティから、どこからどう見ても「沖縄風の顔」を指摘され、メキシコ人に間違えられた話ができなかった。

時折、コマーシャルが流れるのか音声が無くなるのは、スタジオでのオフレコの会話をしている休憩の最中。

だから、私の曲も聴けないではあるが、ちょっとしか流れていないから、地元で聴きたい人は、高良楽器店(098-863-8942)に問い合わせるといい。地元は、そこでしか販売していない。

後はサイトでインターネット通販。

放送終了後、偶然にも、番組録音のエンジニアが、別のイベント関係での音響の知り合いで、どうも聞き覚えのある声と名前を聞いて、顔を出して来た。


番組映像:

http://www.ustream.tv/channel/チムどんぱあく


来週からか、よくわからないが、映像は、「過去映像」になるから、念のため番組フロントのサイト。

番組フロントホームページ

http://www.rbc.co.jp/riradioprog.php?catid=45&blogid=19



という事で、1988年、26年ぶりのRBCラジオ出演が終了。


帰る際、エンジニアがエレベーターまで送ってくれる。

西部劇の「シェーン」のようにスクーターに乗り、RBCを去る。

番組、終了後、携帯メールに反響が3件ばかり入る。


ああ、そうだ。

私の声を聞くのは、通信生でも初めての人も多いだろう。

ホームページ12年の歴史で、初公開だ!

念のため言っておくと、私は、普段から怒っているか、酔っ払ったように喋るそうだが、酔ってもいないし、怒ってもいない。

私は、ご承知のように、あまり怒った事がない男で、酔っても酔わなくても話の内容も変わらない。

歌を歌ったり、朗読する時は、また、別の声で、シビレル声である。

7つの声、7つの顔を持つ男、と昔は、自分で名乗っていたくらいだ。

しかし、改めて自分の声を聞くと、何の違和感もなく普段から、この声だと思う。

間違いない。

たまに、家族からも、聞き取れない!と言われたりはするので、見かけどおりの声かもしれないが、人は、見かけではない。

うわべが大事だ。

ちなみに、私とそっくりのトーンで喋るのが、私の作品集にも友寄トリオで収録されているベーシストの西川勲氏でだ。

15年前、二人で、焼き鳥屋で会話していると、お互いが口論しているように聞えるらしく、常連のお爺さんから「まあまあ、喧嘩はいけない!」と注意された事がある。

お互い、楽しく、穏やかに話していただけだというのに。

西川氏は、私より8歳も年長なので、私としては、声が似ている、と言われたら、なんとも言えない。

しかし、似て非なるもので、たぶん、私の声の方が、子音がマイルドであるので、音楽的だろう。
催眠術師に向いているかもしれない。

とりあえず、この声は、様々な人生の過酷な闘いから、生き残って来た声、と思っている。

基本的に、いつでも、すぐに怒れる声ではある。


  
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00

2012年04月06日

ラジオ出演告知!

明日、4月7日、土曜日、RBC iラジオ、i情報(アイ・ラジオ、アイ・ラジオ:周波数:AM 738khz )、毎週土曜日午後12時~3時の「チムどんぱあく」の番組で、午後2時頃、生放送で15分くらい、第1弾本「大人のための音感トレーニング本」の宣伝で出演予定!

今回は、今日決まったので、緊急告知だけ。

ローカルな話ではあるので、全国的には、関係ない話ですが、、、、。

全国でベストセラーなのに、あまりにも地元で52年くらい無視されていないか!という憤りから、動いてくれたのが、次回出版予定(6月15日)の本の教材CDの録音を担当したミキサー氏。

これも未知の体験なので、ボケ対策になる、と渋々快諾!

基本的には、なんやかんやと、拒否反応から文句を言って、ジタバタはするけど、最終的には、未知の体験は、脳改革になるので、受けてはいるつもり。

ラジオ出演は、26歳くらいの頃に、京都のアマチャー・パンクバンド「チュルドレン・クーデター」の地元でのライブの宣伝の付き添いで、地元NHKラジオの番組に出演した記憶がある。

当時は、「プロ意識は、創造力の天敵」として、積極的にアマチャーのバンドとジョイント・ライブをした。

ラジオ放送と言えば、私の作品集第3集「作・編曲編」に収録の「キャバレー」は、当時、NHKスタジオ・ライブにて、「沖縄の若手ジャズ・バンド」として、出演した際の演奏をそのまま、エアーチェックしてカセットに納めていたものを収録したもの。

http://www.tomoyosejazz.com/sakuhinsyu.html#4

1983年頃だから、23、4歳の頃。

あれからすると、29年ぶりくらいか。

いや!

まだ、あった!

ああ、あれもRBC(琉球放送)だったか。

1987年かなあ。

私の年表を見てみるか。。


http://www.tomoyosejazz.com/profile.html


武田和命氏(テナー・サックス:故人)との最後の共演となる、とある。

このカルテットでは、地元の主催者となるライブハウスのジャズ・ボックスが初日の公演で、次の日、宮古へ行き、その次に八重山の石垣市に行き、そして最終日が、RBCホールでのコンサート(司会:徳田陽子)。

この演奏は、当時、二週にわたって、RBCからラジオ放送された。(パーソナリティ:徳田陽子)

ちょっと、カセット・テープを探っていたら、あった!

「1988年 3月2日 JAZZ BOX 武田和命カルテット」

これからすると、3日後の3月5日が、RBCホールでのコンサートだ。

う~む。

RBCは、それ以来だから24年ぶりか。。。

あのコンサートは、3時間ばかりだったけど、明日は、15分、という事だ。

とりあえず、入ったとたんに、警備員に通報されない事を祈るだけだ。

という事で、今回は、緊急告知のみ。


  
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2012年04月02日

古い人、新しい人のイソップ話とフォーク、カラオケ調査

ああ、ついに4月突入。

あまりの忙しさに、4月1日にウソをつくのも忘れてしまった。

今、町内で、3番目に忙しい男として暮らしているが、告知されたわけではない。

そもそも、近代社会は、”町内”なんてコミュニティ意識で生きている人間は皆無だ。

地方と言えども、みんな、お互い知らんぷりが基本だ。

この10年で、実家の前の通りに二件も新しい家が建ったが、全く挨拶に来ないから、どんな人間が住んでいるかも、さっぱりわからないまま、10年が過ぎた。

私の住むマンションでも3年ほど前か、隣に誰か引っ越して来たが、誰かわからない。

外来種っぽいではある。

しかし、その事で、マンションの管理を30年近くもしているという、地元の管理会社のオーナーの原住民の中年男に尋ねたが、「守秘義務」と言う事で一切、教えてくれない。

何じゃあ、それ~?

毎年、1回か、管理報告会として集会をして来たと言うのに、隣に引っ越して来た人間さえ、誰か教えないって管
理人は、人生でつきあう価値なし!ではないか。

古くからの友人への信義より、新しい人間へ忠誠を誓うって事だ。

そんな話も確か、イソップ寓話にある。

嵐の日だったか、洞穴に避難した迷った羊だったか、そこにすでに避難している羊のグループに出会うのだが、そこで羊のリーダーが、迷い羊に良くしてくれて、仲間の羊だったかをないがしろにする話だったか。

そこで、リーダーが、「あなたも私たちの仲間になりませんか?」と誘うのだが、嵐が止み、迷った羊は、リーダーに親切にしてもらったに関わらず、「いやいや、ごめんこうむります」と辞退する話だ。

迷い羊は続けて言う。

「今までの古い仲間をないがしろにして、私のような新しい者に親切にするって事は、やがて自分も同じように、彼らのように扱われるって事ですからねぇ、仲間になんかなったら大変ですよね。」と答え、去って行く。

子供の頃は、なるほど、そんなもんかなあ、と読んだもんだが、今、改めて思い出すと、リーダーは、新しい手下を増やそうと、わざと親切にしていたんだなあ、とさらにその話の奥の深さがわかる。


以後、そんな、なんの”得”もない管理人とは、一切の関係をもたないようにと、集会にも参加せず、ただ、ひたすら、マンションの管理人が、変わるのを待ち続けているが、昨日、突然、エレベーターに、これまで働いていたマンションの掃除人のおばちゃんが、3月いっぱいで辞めました。これからは、メンテナンス会社から別の人が来て、マンションの掃除をします、と張り紙があった。

私は、入居当初から、何年も経ったが、このおばちゃんとは、よく会話をして仲がよかった。
午前中に、マンションの廊下とか階段などを掃除しているので、午前中には、外へ出ない私は、近年はなかなか出会わなかったのだが、それでも、たまに風邪を引いて、病院に午前中に行こうとすると出合ったりした。


というわけで、あっと言う間に、私の人生劇場の中の「登場人物A:掃除おばちゃん役」が消えた。

もうちょっと事前に知らせてくれないか、と思うが、あの管理体制では、すべてが、薄っぺらな人間関係だから、バンドマンと変わりない。

これで、掃除のおばちゃんが、何時まで生きて、何時亡くなって行ったのか、という事も知らないまま、終わったわけだ。

テレビ番組の「ガイアの夜明け」なんかに、この「マンション管理」の特集があった。

今は、マンションの住人が結集して、無駄の多い、高額な旧管理会社を変える時代だと言う。

現代は、もっともっと安くで、迅速丁寧に管理してくれる会社がある時代だという。

旧体制の、ふんぞり返って、対応の遅い管理会社は、切るべきだ、という。

実際、私が、引越し当初、部屋の修繕の問題を提起し、修理を要求しても実現したのは、4年後だったりした。

雨が降る度に、私の部屋の前の廊下だけが、”洪水”になる重要な問題だった!

この事に掃除のおばちゃんも困っていて、何度も管理会社の男に訴えているのだが、返事だけはいいが、まったく聞いてもらえないまま何年も経っている、という愚痴を聞いたりした。

ところが、30年も君臨していると、住人自体も30年いるって事で、高齢化しているもんだから、何かを「新しく」する、という考え方自体がない。

とにかく、何から何まで、「新しい」のは、いけないわけだ。

一応、ここを地デジ対応のマンションにしたのも、対応のテレビをすぐに入れた私で、2、3年くらい前じゃなかったか。

私の場合は、自分より年下の人間が、生意気な事を言っても、あまり気にならないのだが、自分より年長者が、偉そうに命令したりして来たら、もうダメだ。

もちろん、物事を習う側として、師匠と弟子の関係なら、それはそれで、当然、奴隷のように従うのだが、何でもない、ただ年長と言うだけで、偉そうに振舞う人間が苦手だ。

まあ、若者に真似されたら困るので、これは、苦手だ、とだけ言っておこう。

特に、管理人なんて、大家とは違うわけだ。

住人のみんなが”管理費”を出し合って、管理人を「雇って」いるわけだから、偉いのは、住人の方なのに、長年、君臨しているから、とか、自分が年長者だ、とか言う理由で、”雇用者”である年下の住人を舐めているわけだ。

こうした管理人に対しての唯一の対処法は、できるだけ会わないようにする事だ。

以前は、何かと呼び出してあれこれの故障を修理させていたのだが、ある時、駐車場の車の置き方が悪く、私のバイクが、車と入り口の50センチの隙間からは、出られなくなった。

ちょっと車に傷でも付けたら、犯人にされて危ないから、車のオーナーに、こうした車の止め方を注意して欲しい管理人に電話した。

すると、この管理男は、何と、私のバイクにまたがり、この50センチの隙間から、私の103ccのスクーターを通してしまった。


何?このパフォーマンス?

シルクド・ソレイユ?


私だって、やれない事はないが、もしかして、車に傷でも付けたら、今度は、自分が悪く言われてしまう、と言う危機意識から管理人を呼び出したわけだ。

それを、この男は、平気で、私のスクーターにまたがり、通ってしまったわけだ。

さらに、何か、得意満面顔の「ドヤ顔」である。

車の止め方の問題、という根本的な解決は何もできていない。


前述の通り、雨が降ると、角部屋の私の所は、いつも水が溜まっていたので、これを引越し当初から何度も集会で訴えるのだが、そのたび、「わかりました」とだけ答えて、ようやく4年目に廊下に水抜き用の穴を開けて解決。

何か要求して、4年後にしか要求に応じない管理人なんて、この時代、要らないんじゃないか。

その願いも実現せず、3年後に自分が亡くなったとしたら、どうか。

化けて出るしかない。

そんなこんなで、世の中は、何かと自分の思うとおりになかなか行かないなら、我慢するしかない。


教材CDの仕上げの期限が、3月いっぱいだ、というので、3月は、あれこれと忙しく、そんな最中にも、あれこれといろんな事もこなさないといけない。

だから、本来、こうして、ブログなんか、書いている場合ではないが、やっとCDの編集を終え出版社へ発送。

5月に出る新刊の本の話は、改めて、どこかでするとして、先週から、フォーク居酒屋なんかを探して、カラオケの調査に出たりしている。

某大手出版社から「音痴克服」の本が書けないか、とメールがあり、そのことで、以前から思っている事があり、ああ、自分なら書けるだろう、と返信はしたのだが、どうなるかはわからない。

東京に来た際は、寄って下さい、と言うのだが、上京する予定がない。

旅費も出ないので、わざわざ、その事で、自腹を切って行かなくてはいけないとなると大変なので、進展がなければ、このまま終わりではある。

しかし、確かに画期的な音痴克服本は、私なら書けるが、こっちまで来てくれる出版社にはなるかもしれない。

という事で、調査がてら、フォーク居酒屋を探して出歩いたりしている。

この間行った店では、”長渕剛”をカラオケで歌い続けている30代風の3人組がいた。

入った瞬間、タバコの匂いが充満していて、ああ、こんなところは、そうだよなあ、と思った。

せっかくタバコを辞めたのに。

こういうスナック風は、あまり好きではないが、これも調査である。

同行の者が、フォーク居酒屋と言う事で、置いてあったギターで、カラオケに合わせてギターを弾き続けていた。

しばらくすると、3人組みの二人が帰り、一人がまだ歌いまくっていたが、気が付くと、この男が、チラチラとこちらを見ては、睨みつけたりしている。

何、これ~?

もういい加減にしてくれないと困る。

飲み屋で、警察沙汰になるのは、もう、こりごりだ。

何がこりごりって、「治療費がどうのこうの、、」という話になるのだけが嫌なのだ。

まあ、私がイメージしていた「フォーク居酒屋」は、もっと昔のフォークソングをみんなでギターを弾きながら歌う、というイメージで、カラオケで、「オレの生き様を見よ~」という感じで”長渕剛”を歌いまくるイメージじゃなかった。

おまけに、新参者へメンチを切るなんて、全く、私のイメージの「フォーク」じゃない。
まあ、吉田拓郎も飲み屋では喧嘩っぱやくて有名だったけど。

今の時代は、”長渕剛”を歌いまくりながら、他の客へメンチを切る、というシステムのようだ。

ひょっとしたら”長渕剛”を歌うから、気が大きくなってメンチを切るのかもしれない。

昔なら、高倉健風に”唐獅子牡丹”でも歌う感じになるのかもしれない。

ホームグランドでのお酒の席とは言え、新参者にメンチを切るなんてねぇ~。

これがホームグランドじゃないと、生きていない場合だってあるのに、常連になるとみんな気が大きくなるんだろう。

同行の者は、一切、気づかず、カラオケに合わせてギターで、合いの手を入れている。

なんやかんやとメンチを無視して、午前3時頃までいて帰る。

帰りに沖縄そばでも食べて帰ろう、という事で、近くにあった老舗の屋台風の24時間の店へ。

そこは、食券を自販機で買って注文するのだが、そこでも軽いイザコザが発生。

60代風の労務者風の二人が、自販機にお金を入れたが、食券が出て来ない!と苦情を言い出した。

そうしたら、70代風のそば屋のオヤジが、怒って、「おまえらウソ付くのもいい加減にしろ!二度と来るな!」と怒鳴り出した。

なにやら、詐欺まがいの二人のようだ。
いつもこの手口で、食べたりしているのかもしれない。

まあ、24時間営業だから、オバサン相手にインネンを付けて、食べたりしているのだろう。

しかし、今は、オヤジがいて、怒りまくっている。

あっ!またイザコザだ!、と思いつつ、結局、沖縄版「チャンポン」を食べていた。

を食べていたら、労務者風二人組が、オヤジの怒りに負けて、捨て台詞をなにやら吐いて、帰って行った。


『註:チャンポン(沖縄版):ご飯の上にオカズが乗っている!麺は関係ない!沖縄では、「チャンポン」は、「なんでも混ぜる」の意味』

とりあえず、午前4時に調査が終了し解散。

ちなみに、カラオケでは、歌え、歌えというので、私も歌を歌うのだが、あまりの上手さに!、つっこみが入れられず、すぐにBGM扱いとなり、回りは、すぐお喋りが始まり、しまいには 誰も聴いていない状態になるのが常だ。

その辺のマナーもないのがカラオケの世界ではあるが、イソップの迷い羊は、リーダーが仲間に引き込むために親切にするわけだが、フォーク居酒屋の常連の世界は、その逆で、仲間に入れないために不親切にする、という事かもしれない。

どこへ行ってもアウェイだねぇ~。

ワイルドだねぇ~。。

碌なもんじゃねぇ。


カラオケ調査は、また続く。


という事で、自著の本の記事を扱ったサイトを作成したので、告知しておこう。

http://www.tomoyosejazz.com/kiji.html



  
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00人生論

2012年03月17日

教材CDの制作状況とハングリー精神/追記:インタビュー記事

5月に出る本の付録のCD教材の制作で、かなり時間を取っている。

そもそも、本の付録の教材CDで、毎回、ここまで、念入りなモノ作りをする著者はいない!と断言していい。(暇なんだろ!「オードリー春日風ヤジ」で、、。)

それくらい、盛り沢山で、これまた教材界?の中では、前人未到な世界ではある。

そのために被害者となるのが、歌手やミキサーではある。

何度もダメ出しを出す。

いかに私が、商人(あきんど)としての作品(商品)となると、自分に優しく、他人に厳しいかがわかるはずだ。

しかし、今回は、スタジオにネット・オークションで安価で手に入れた、という高級ギター時価50万円があったので、ちょっと借りて、1曲だけ、ギターで歌の伴奏までしている。

音程の教材で、ギターを弾くのは、ちょっとどうかな、と思うのだが、まあ、1曲くらいは、そっち系のマニア向けで、いいんじゃないか、とギターで伴奏を入れてみた。

元々、コツコツと何かを作るのが好きなんじゃないか、と思うので、こうした作業が向いているのかもしれないが、だからと言って、向いていることが、一番楽しい、というわけでもない。

人は、基本的に、「奴隷」にしか向いていない。

世界は、虐げられた民衆だらけだ。

しかし、世の中は、複雑で、人の良さそうなふりをしてニコニコしてはいるが、本当は、そんな人間なんかじゃないって人間も多い。

内面は、野心、野望に満ちていて、下克上も辞さないが、一応、奴隷の仮面を被っておれば、何かと甘い汁をすすれるんじゃないか、と言う本心を隠して奴隷を装っている風の腰の低い者もいたりする。

しかし、奴隷を装っているつもりではあるが、基本的にこうした人も奴隷体質ではある。

恩人に恩返しする事もなく、常に、何かを与えられる立場を居心地の良さとしているので、どちらかと言うと、そんな人ばかりを集めて、王様気取りで与えている側の人がバカなんじゃないか、とは思ったりする。

私の長年の人間ワッチングでも、そういう奴隷体質の人間は、生涯、恩返しする事はない。(PS:葬式くらいは来るだろうけど、香典もはした金だ!直接の知り合いだと言うのに2千円、多くて3千円ってところだろう。)

20代ならいざ知らず、体力も十分な30代で、恩返しできないとしたら、一体、いつ恩返しするのか。

これからますます、様々な家庭事情で、そんな余裕はなくなるはずだ。

恩返しできる人間は、最初からすでに恩返ししている。

十代であってもお中元、お歳暮は欠かさないし、それくらいなら、とちゃんと礼を尽くしている。

これ、つまらないものですけど、お土産に買って来ました、というくらいの事は、いつでもできる。

それなのに、その人の回りは、何十年も”たかり族”みたいな若者から中年までが集まって来る。

何十年経っても、だ~れも、お土産なんか持って来な~い。

口では、みんな、「お世話になってますぅ~」だとか、「師匠ですぅ~」とか「恩人ですぅ~」、とか言うのだが、だ~れも出世なんかしないから、結局、死ぬまで、な~んもない。

そんな現場をいつもドアの隙間から覗くのが私の毎日の仕事なので、それもこれも含めて、これが、奴隷体質の人間の世界の一生だな、とわかっている。

昔の昭和の初期の時代の京都の大学生は、なんでも「出世払い!」と言って、銭湯なんかに入って行った、という蛮カラな時代があったというが、そんな時期だって、大学生の内だから、22、3歳くらいまでだろう。

それからは、恩返しの時代だったというから、今から考えると、かなり早熟な時代でもある。

現代なんか、30代どころか、40代、50代に入っても、な~んの恩返しもできないままである。

貧乏を売りにしているから、一円たりとも、他人のためには使わない、というわけなんだろう。

そんな体質のわりには、「野心」に満ちているわけだから、要注意である。

貧乏だからって、一方的に施されてばかりいる人間なんか映画に出て来る村人にもいないんじゃないか。

「センセ~、コレ、ケサ トレタバカリノ ダイコンダカラ、タベテクレヤ~」とか言って大根やら、魚やら持って来るじゃないか。

本当に感謝している人間は、いつでも、そういう心に満ちているわけだ。

それなのに、何十年経ってもな~んもしないんだから、ちょっと変じゃないか、と思わないってのが不思議だ。

奴隷体質の人間って散々奢っても、ブログにも当然書かないしぃ~、その日、会った事さえ書いていない。

それでいて、何年経ってもず~とたかっていたりする側と、たかられて王様気取りの側の人がいるわけで、まあ、これは、これで、お互いが、依存しあった関係として正解でもあるかもしれない。

これを日本では、”持ちつ持たれつ、”というが、けっして、西洋社会で言う、GIVE&TAKEの関係ではない。

GIVE 族とTAKE族が、出会ったにすぎないわけだ。

他人に与えたいGIVE族がいる一方で、常に、たかりたい、という TAKE族がいるんじゃないか、と思う。

そんな人たちでも、相手によっては、GIVE族になったり、 TAKE族になるんじゃないの~?と言う人もいるが、そんな事は、ぜんぜんない!

GIVE族は、いつだってGIVE族で、 TAKE族は、一生、TAKE族だ。

一生、大根や魚なんか持って来ない。

だからと言って、いくら奴隷に向いているからとは言え、奴隷生活が楽しい、というわけでもいらしい。

こういう創作作業でも、大事な事は、ハングリー精神だ。

これを世に出したい、という強烈な願望だ。

自分をアピールしたい!というのが奴隷根性からの裏返しで、そんな自己アピールより、内容をより多くの人に伝えたい、というのは、自由な表現者の感情だ。

だからこそ、ハングリー精神が必要なのだ。

しかし、ハングリー精神は、普段から自分の地位に満足していては生まれない。

また、そのストレスをインターネットでの匿名発言で解消してしまうと、これまたそれだけで満足してしまう。

私の場合は、対策として、思う存分、力が発揮できるように、と、普段は、私の言う事を一切、聞かない人たちを相手に暮らす事になる。

私の本なんか一切、買う気もないが、有名にはなりてぇ~という若手バンドマンなんてのは、最適であるが、なかなか、そういう場所へも行かないので会う機会もない。(もちろん、お互い、会えば、ニコニコは、しているよぉ~。)

普段から、周りが、自分の言う事ばかり聞いている環境にいると、どうもハングリー精神が育たない。

だから、普段は、「ヨノナカノ ニンゲンハ、ミンナ、オレノイウコトヲ ムシシテイルナ!」と思って過ごしておくと、その鬱憤をどこかで晴らそう、という気持ちが潜在意識の中にエネルギーとして湧いて来る。

10代の人間のハングリーさ、というのも、こんな感じで、世の中の人は、自分の事を認めていない、と言う感情が中心だ。

だから、今でも、何か、不満があると、「しめた!」と思う。

これも人生を開拓するには、良いエネルギー源だ。

どこでも偉い人となると、碌なことにならない。

現状を変えよう、という気も起こらなくなるんじゃないか。

私の場合で言えば、生徒がいるからって、生徒がちゃんと言う事を聞くか、と言えば、そうでもない。

まったく露骨に聞かない者もいれば、やたらに愛想と返事だけは良い、というタイプもいたりする。

逆に、叱ったら、すぐにひねくれて無愛想になる者もいたりするので、叱る事もできないから、商売上、自分の思うようにはできない。

まあ、なんであれ、そうそう人は、簡単に言う事なんか聞かないし、ただ彼等に従って、黙っていると、尊敬するなんて概念自体、持ち合わせていない人間ばかりだから、ますます、優位に立つのでちょうど良い。

だからと言って、自分自身がへりくだってばかりいると、逆に自分の進化が止まる。

そうならないためには、自分自身がさらにパワーアップして行けばいいのだ。
そうすれば、ちょっとした態度でも、ああ、完全に認められていないな、という感想もすぐに起こる。
(PS:本当にリスペクトされている場合の相手からの態度は、常に普遍だ。落語の師匠と弟子の関係に近いだろう。)

パワーアップしていなければ、相手がもっともっと威張ってくれないと困るわけで、自分がパワーアップしていると、そこまで求めなくても良くなって来る。

変わるのは自分だけでいいのだ。

ただ、相手の言う事を聞いて言う通りにするだけで、相手は、自動的に優位に振舞うので、ほっておけばいい。

ホントは、そんな事、オレに聞けばいいのに、と思う事があったとしても、そういう人たちは、プライドがあるので、絶対に他人に聞いたりはしない。

私の本なんか絶対に買わないぞ!というバンドマン系になる。

(不思議と1流ミュージシャンは買う!私の師匠だって持っているぞ!)

しかし、まあ、これが実力格差、というものだ。

下手な人は、下手な人にふさわしい考え方で、活躍する事だけを考えているから、勉強熱心な上手い人との格差は、どんどん開いて行く。

そういう人は、何も聞かないから、活躍しているように見えて、実際は、何の進化もない。
事務所の営業力で、良い役を得ている役者のようなものだ。

あるいは、その地域、組織だけでしか通用しない地位にある。

実際の世の中は、実力社会だ、という事がわからないから、チャンスだけを求めた人生を歩む事になる。

しかし、いくらチャンスはあっても、それを活かす実力がなくては、生き残れない。

毎日をただ舞台を消化しているだけの人生になる。

立地条件だけが良い場所にある、不味い食堂、、みたいなものだ。

無くなっても別に誰も困らない。

ああ、こういうのが、今流行のスペース・クリアリング(空間浄化)かなあ、と思う。

部屋の片付けで、要らない物を捨てたら、その場所に新たに重宝な物がやって来る、という。

だから、その場所から、不味い食堂が撤退したら、その場所に新たに美味しい食堂がやって来る可能性も高くなる。

この考えを発展させると、離婚してバツイチになったら、新たな女性との出会いにも積極的になる。

確かに、バツ5なんて人もバンドマン系や***系にはいたりするが、みんな必ず、次、次と新たにゲットしている。

まあ、世の中は、相当にアピールしない限り、相手の事を素直に認める人間なんて、そうそういないわけだから、そういう人間といちいち主導権を巡って闘うよりは、連中には、逆らわず、そのままにしておくといい、という話だ。

その鬱憤は、別のところで晴らせばいいわけだ。
別のところと言うのは、自分が本当にアピールしたい分野の事だ。

自分が、自己アピールしたい分野であれば、それは、それでそこが闘うべき土俵そのものであるわけで、そこで黙っているのは、それこそ本当の気の良い、善良そうに振舞う奴隷人間である。

だからと言って、黙って無愛想なんてのは、ますます奴隷人間体質そのものであるから、これも表裏一体だ。

やはり、会話が大切であるが、奴隷体質がある限りは、自分の現状を肯定しているわけで、そういう人は、私なんかにも、やたらニコニコしているか、無愛想にしているかのどちらかではある。

もっと聞きたい事もあるだろうになあ、とは思うが、どうしても私からは聞きたくない、というプライドが高いせいか、こちらが真面目に話しても、ブログには、当然載っていない。

せめて、ご飯やお酒を奢ってくれた人たちの名前くらいは無名であっても書いてあげればいいのに、とは思うが、野望に満ちている内は、損得勘定のソロバンしか弾いていない。そんな無名な人たちを紹介しても何の得にもならない、奢られるのは、当然の事だ、というメンタリティである。

こういう人たちは、他人に対して、恩になった、恩にならない、、の問題ではない。

自分を有名にしてくれるか、くれないか、の判断が、無意識に働いているわけである。

こうした、私の予想が当たるかどうか、最後まで見届けてみようとは思う。

とりあえずは、そう言っている自分自身が、先にくたばらないかを見届けないといけない。

よく、何かが上手く行ったのは、回りの応援のおかげで、、というが、私は、そんなことはなかったので、常に自分自身で自分を応援して来ただけである。

それもこれも、ハングリー精神を保つには、いかに不当に扱われる事が大切か、という事の証明になっているのではないか。

3万部本が売れた!と全国で騒がれていても、まだまだ、県内では、ベテラン・バンドマン関係者が、3人くらいしか本を買っていないというし、若手バンドマンは、相変わらず、お金のないふりをしていると言うし、地元新聞には、相変わらず、本の宣伝をするのは難しいし。買いに行こうにも、本は、人通りのない3Fの奥の奥の冷たい廊下の横にあるし。。

まあ、これこれ、こうした状況が、ますますハングリーになるんだよにぃ~(関根勤の輪島功一風で。。)

ありがたい。

もちろん、何かあっても助ける気はないけれど、、。

それは、それでお互い様、という事にはなるから、取り立てて言う事でもないかあ。

以上、ハングリー精神養成の参考になったか?。


PS:今日、18日からの掲載!と全国に暗躍する本ブログの隠密読者からの緊急タレコミ情報!

リットー・ミュージック社サイトによる私のインタビュー記事(ミュージック・トレード社版)2分の1短縮改良版、掲載,


http://port.rittor-music.co.jp/column/23961.php


  
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00

2012年03月10日

祝、3万部突破、第5刷増刷決定!お仕事ライブ告知

忙しさのあまり、かなり報告が遅れたが、先月、2月10日に、わざわざ東京から来てインタビュー取材を受けた「ミュージック・トレード」社の3月号に私のインタビュー記事がついに掲載された!

理論書が異例の3万部突破!、一般のサラリーマンの間で売れている、という、これを書いた著者は、一体全体、どんな人間だろう、というインタビュー記事だ。

http://www.musictrades.co.jp/


掲載されたのだが、これは、楽器関係の業界誌と言う事で、一般人で、愛読している人はいないから、一応、出たぞ!というだけに留めておくしかない。

生徒関係は、教室で見せたりしているので、私と無関係者は、「ミュージック・トレード」社の月刊誌「ミュージック・トレード」3月号を注文して、このレアーなインタビュー記事を手に入れてもらいたい、とは思う。

写真入りなので、上品で気品のある私の顔もばっちり写っている。

私の子供の頃から、いかにしてこんな大人になってしまったかが、が語られている。

さっそく記事をコピーし、近所の書店への営業回り。

高良楽器店、ジュンク堂、球陽堂。

サンダルにアロハに半ズボン姿で、営業回りもどうかなあ、と思うが、普段から客として気軽に出入りしているので、その辺の気楽さがあるのだろう。

ジュンク堂は、1年前にも5分くらい会った、担当の青年を見つけたので、「ちょっと、ちょっと」と記事を渡す。

こんなセールスの仕方があるわけないではある。

しかし、意外に向こうも覚えていたのか、「今度また、本を出すそうですね!」と言って来たので、「ああ、5月に出るかなあ」と。

この調子で、今度は、球陽堂へ。

店内で、本棚に1冊だけ、自分の本が残っている事を確認。

通り掛りの女性店員に「すみませ~ん、、」と、記事を見せて、渡そうとする、「ちょっとお待ち下さい」と言われる。

何やら、さっき自分の本を確認した本棚の方面へ行って何かしている。

待つこと5分。

もう、帰ろうかな、と思ったが、一応、忘れずにこちらへ再び戻って来る。

「すいません、本は今、ありません」と言われる。

何これ?と、そんな用事で来たわけじゃないのに、それに、一冊ちゃんとあるはずだ!。

少しイラっとして、「いや、そうじゃなく、じゃあ、この記事を責任者に渡しておいて下さい!」と言ってコピーを2枚強引に渡して去る。

しかし、よく考えたら、やっぱり、サンダル履いて、アロハを着て、半ズボンの中年が、まさか、本の著者だとは、わかるわけはないなあ、と思う。

この調子で、ちゃんと私の本があった、という新宿紀伊国屋にでも行ったら、警備員につまみ出されるかもしれないではある。

東京の丸善では、何と一般書のように積まれている、という写メをリットー社の宣伝マンから取材時に見せられたので、ジュンク堂も3階奥の人通りの全くない、何となく肌寒く感じる「音楽理論書コーナー」に置くのではなく、思い切って1階の目立つ新刊コーナーにでも山積みしたら、もっと売れるはずだ。

とはいえ、まだまだ、私自身のセールス努力が足りないなあ、とは思う。
もっと、ツィッターとかフェイス・ブックとかやった方がいいかなあ、とは思うが、実際に一緒に呑む事もない友人をいくら作ってもどうかなあ、という気持ちもあるので保留中だ。

、、、という事で、喜んでいると、さらに、朗報。

自著、「大人のための音感トレーニング本」のまたまた増刷が決定!

第5刷、6千部増刷が決定!(これも2月5日に参拝した、東京、亀戸天神社のご利益かもしれない!)

「理論書」だと言うのに、そ、そんなに売れる事があるのか!という。

とりあえず、これで3万2千部だ!

異例中の異例、またしても”前人未踏”の世界だ。

こ、こんな人が、い、今まで、な、なんで、無名でいたんだろう!、なぜ、もっと早く、本を出していなかったのか!、という取材後の感想も聞いた。

まあ、嬉しいコメントではあるが、そうは言っても、すでに、石原裕次郎、美空ひばりの年齢も今年で超えるわけで、スターならもう亡くなってもおかしくない年齢、という事になる。

今さら、キャ~キャ~言われるわけもないし、となると、「大黒屋、お主も悪よのぉ~」の悪代官っぽく、地位、名声よりも、「それ相当のもの」にしか興味が無くなって来ている。(タララ~タララララララ~、お笑いの「インポッシブル」風で、、)

まあ、10代であってもルックスからして、キャ~キャ~言われる事はなかった!と断言していいだろう。(ルックス?古~!)

そうした下地に、さらに磨きもかからず、50歳を過ぎたらこんなになってしまった。

ワイルドだろ~?(お笑いの「スギちゃん」風で、、)

そういえば、報告はまだあった。

4月28日、土曜日に入場料4~5千円くらいの「お酒呑み放題+オードブル」のホテル・ライブを行なう事が決まった。

バンド名は、10年ぶりくらいで、「友寄隆哉グループ」とした。
いつもは、別の名前を付けて裏方に徹している仕事だ。

今回は、珍しくギターを弾いての「お仕事ライブ」にした。
ホテルの都合上、ドラムは、音が大きい、という事でドラムレスで、私のギターにピアノ、アルト・サックス、ベースを加えて、4人での演奏。

今回は、1ステージ1時間くらいで、2ステージくらいする予定だ。
お客は、ホテルの人が集めてくれるので、営業の苦労もない。

去年は、ボーカルの女性の名前をメインに、バンマスの私はエレキ・ベースを弾いてのバンドだったが、60人くらい来ていたんじゃないか。

とういう事で、久々にホテル用ではあるが、ホテルの希望通り、大人のジャズ風のバンドで、真面目にギターを弾いてみようと思う。

今回は、サックスもアドリブ専門のプレーヤーなので、ギターとのアドリブ合戦がメインとなるだろう。
私のオリジナル曲もサックスに吹かせてみたい、という前々からの願望も実現するだろう。

ただ、ホテルでの「お仕事ライブ」なので、ライブ・ハウスで、ガンガンやるように1曲10分、15分のアドリブ合戦とは行かない。

適当なサイズで、曲を終えるしかないではある。
しかし、その分、曲数が増えるわけだが、あれこれの実験も行なえるだろう。

録音や映像の手配もちゃんとしておかないといけない。
楽しみは、それだけしかないからでもある。

自分からライブをする気は10年以上もないが、頼まれたりしたら、ほとんど断らずに出てはいる。
沖縄という島国で、地元の限られたジャズ・ファンという人間だけを相手にライブをするのは、1年に1度がやっとだろうとは思う。

リーダーとなってライブをするとお客の入りも心配しなきゃいけないので、めんどくさくなって辞めてしまったわけでもある。

これも犯罪者が有利ではある。

実際は、集めたメンバーへ支払うギャラの心配もあるので、その責任もある。

大したギャラも払えないのに、あれもこれも弾いてくれ、と頼み、あげくの果てに「なんでもっと弾けないんだ!」と罵声を浴びせるわけにもいかない。

もっともっと若い時は、ギャラなんかいらないから、勉強になる意味あるライブをしたい、と演奏していたもんだが、プロになると、そんなライブばかりでは、食べていけないから、そういうわけにもいかない。

そこが、ジャズ系のバンドリーダーになる難しさではある。

まあ、結局は、人気商売でもあるから、人気がなければ、本来、ライブはできない。

ホテルでのライブは、基本的に人気とは関係なく、それなりの演奏をしてくれればいい、という仕事の依頼であるから、その点は楽である。

しかし、1回のヘマで、二度と仕事は来ない。

こうした機会をどう利用して、本来の音楽活動につなげるかを思案中ではある。

個人的には、もっと演奏の機会を増やして旅がしたい、と思ってはいる。(CDが本のように売れたら、言う事ないのだが、、、。)

この時代、とりあえず、サバイバルする事だけが、第一ではある。

今日は、通常のブログらしく、とりあえず、あれこれの報告まで。

明日、日曜日は、3・11という事で、めでたい事は、今日中にした。

黙とうするつもりではあるが、昔から、夜が死んでいる日曜日は、嫌いではある。

たぶん、神社仏閣に、あれこれのお礼の参拝に行くだろう。


  
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00

2012年03月02日

喪中の話、孤独死の話

今年は、知人関係での葬儀事が連続し、直接に関係あるわけではないが、知人、友人の母親が亡くなった、という。

中には、この何年、実際には会っていない、というのもいて、つながりは、年に1、2度メールでやりとりする程度、という者もいたりする。

実際には、去年、一昨年と会っていないかなあ。

そうなると今年に入ると3年ばかし会っていないのか。

まあ、年賀状は、今年も何とか来た。

それでもまあ、あちらは「後出し」の返信年賀状ではある。

年賀状への返信は、正式には、「寒中見舞い」とすべきというが、一応、「あけましておめでとう」ではある。

何となく、懸念すべきは、これで、これから、あの「喪中」という慣習が始まるわけだから、ひょっとしたら、これでますます縁遠くなるんじゃないか、と。

3年ばかり、会っていなくて、メールも年に1、2度あるかないかなわけで、その上に先方が「喪中」となると、こちらからは、何か楽しい事があっても知らせる事もできないわけで、年賀状だって、これで来年は、「喪中」で自粛しなければいけないわけで、、、。

実際に頻繁に会っている関係なら「喪中」もわからないでもない。どうせ、良く会うわけだから、あからさまな祝い事を避ける、という事になる。

まあ、予感としては、まずは、再来年の年賀状を送るか、送らないかで、ますます縁遠くになり、最後は、10年に1回会うか会わないか、という事になるのではないか。

人と人というのは、何かきっかけをお互いが作り、「縁」を発生させ、関係を作り、お互いを「発展」させて行くわけだが、一方が、不幸で、他方に祝い事があれば、そういうわけにもいかない。

すると、当然、お互い、縁遠くなって行く。

不幸な人は不幸なままで過ごし、祝い事がある人は、そのままおめでたい日々を送る事になる。

これでは、不幸な人は、幸せな人から「あやかる:肖る」という事もなく、ますます、その”格差”が開いて行くだけの人生となる。

確か、テレビで、「仕事のないバンドマンでもわかる経済学」みたいな講義を10年くらい前にしていて、そこで学んだ事に似ていなくもない。

ある人が、参加費5千円くらいのパーティーに行ったとして、そのパーティーが始まってからすぐに、「ああ、つまらないパーティーだ!」と判明したとする。

それなのに、その人は、我慢して、そのつまらないパーティーが終わるまで2、3時間、居座ったとしたらどうか、という話が出ていた。

この場合の損失は、実際には、参加費の5千円どころではなく、そこで無駄に費やした2、3時間も加わるのが、経済学の考え方だと言う。

実際の損失は、その時間を何かの仕事にあてた場合の時給とかを加える、というのだ。

まあ、2,3時間の間にひょっとしたら5千円くらいの仕事で稼ぐ事ができたとしたら、その人の損失は、”つまらない”パーティーの参加費の5千円だけではない。

本来、仕事をしていたら、5千円を仕事で稼いでいた時間かもしれない、というのに、無生産な時間を過ごした、という事になる。

つまり、この人の実際の損失は、合計1万円、という事になる、という。

これは、色んな行為にも言えて、2千円払って、つまらない映画を見る、という事は、その間の2時間と言う時間でできた何らかの経済的活動までをも「損失」している、というわけだ。

(人生は、いかに「つまらない情報」を組み合わせて、「面白く」して行くか、が勝負どころではあるが、この理論の場合は、一応、考慮に入れないでおく。)

2時間で、時給千円の仕事をしていれば、稼ぎは2千円だから、この場合は、つまらない映画の損失は、実際に払った入場料の2千円と、仮想した仕事の報酬を合わせて、合計4千円、という事になるらしい。

この損失を少しでも減らすには、つまらない映画やパーティーだとわかったら、すぐに退席し、その時間を何か、有意義なことに費やすことだと言う。

たとえば、読書するなり、楽器の練習をするなり、あるいは、本当に何か仕事をするわけである。
そうすれば、損失は、入場料の2千円で抑えておけるか、仕事や読書の有意義度によっては、2千円の損失も「相殺」される。

そんな話を「アホのギタリストでもわかる経済学」みたいな番組で学んでから、不幸が不幸を呼ぶ喪中も同じではないか、と考えるようになった。

肉親や、知人、友人の死は、確かに悲しい。

ついでに言えば、バンドマン同士に代表される、仕事仲間、同僚の死は、意外に悲しくない。
毎日、どんちゃん騒ぎで、暮らしている仲間同士の死が全く悲しくない、というわけだから、いかに仕事上の上下関係に左右される人間関係は希薄か、という事になる。

人づきあいは、いかに利害関係のない体験の共有が大事か、という事ではないか、と思う。
その理想の関係が、家族と言うことになるから、その死は、悲しい、という事になるのではないか。

共に学んだ同級生への親近感というのも昭和の時代にはあったとは思うが、これだけ競争社会になれば、クラスメートであってもそれは、ライバルであるから、そうした競争的文脈では、人は、心情的に親近感は持てない。

だから、人間関係なんて単純に、頻繁に会えばいい、というものでもない。

頻繁に会えばいい、というものでもないけど、どうでも良い人間関係では、頻繁に会えなければ、さらにどうでも良い人間関係にしかならないので、結局、会う、会わないは、悲しみの基準にならない。

人は、会った事もない芸能人やミュージシャンといった”スター”に恋をして感情を高ぶらせて行くものでもあるから、結局、人なんて、いちいち会わなくてもいいんじゃないか、という所までは行く。

ああ、こんな話をあまりすると、まずいか。

引き篭もりを奨励しているような感じになるが、引き篭もりは、社会に対して、何らかの”芸”として自己アピールがないから残念ながら、相手の心に何も残さない。

その存在自体、知らないわけだから、それはしょうがない。

戦国時代の武士の世界で、「無駄死に」「犬死に」という言葉があるが、そうならないために人は闘っているのではないか、という事になるが、人の世には、人知れない死も多い。

しかし、それもまた、その人が、それを望んだ末の死であるから、都会のアパートの一室での孤独死も現代では、自分で希望した一種の”安楽死”ではないか。

自分から他人とのコミュニケーションを何年、何十年も断っての死であるから、昔で言う象の死ではないか。
昔は、象は、死期間近になると、群れから離れ、どこかで死ぬらしい、と私の子供頃は教えられた(今は、わからないけど、、。)

猫も似たようなことを言われていたので、そんなテーマを扱ったマンガも子供頃はよくあった。
一体、どこで死ぬんだろう、というのが謎だったわけだ。

故郷の暮らしに疲れ、都会に出て、孤独死を選ぶわけだから、それはそれで、望んだ死の形ではないか。

そこで、室生犀星の詞だ。

室生犀星「小景異情」


”ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

うらぶれて異土の乞食となるとても

帰るところにあるまじや 

ひとり都のゆふぐれに

ふるさとおもひ涙ぐむ

そのこころもて

遠きみやこにかへらばや

遠きみやこにかへらばや”


(抒情小曲集 第2詩集 感情詩社、1918)

『註:室生 犀星(むろう さいせい、本名: 室生 照道(てるみち)、1889年(明治22年)8月1日 - 1962年(昭和37年)3月26日)は、石川県金沢市生まれの詩人・小説家。』


かなり脱線したが、話は「喪中」である。

これが、経済学で言う、損失と同じではないか、と常々思っているわけである。

喪中は、基本的に1年も続いていたりするわけで、その間は、「めでたい情報禁止」というガードが敷かれる。

これが、経済学で言う「損失」に似ていないか。

不幸に遭った上に、さらに1年中、不幸を維持して行かないといけないわけだ。
周りも気を使う。

周りが何に気を使うか、といえば、不幸に遭った人に、私的なめでたい話を耳に入れないように、というわけであるから、不幸の二重苦である。

そもそも「喪中」というのは、世間体を気にして、一応、おとなしく暮らしています、という生活態度を示しているにすぎないわけだ。

夫を亡くし未亡人となった、というのに、すぐに再婚なんかしたりしたら、ちょっと不謹慎じゃないか、という事になるし、さらに、妊娠までしていたら、一体全体、どっちの子供なのか、という事すら、昔は、わからなかったから、その智恵として、1年くらいおけば、亡き夫の子供ではない、と証明できるんじゃないか、というような感じじゃないか。

夫を亡くし、すぐに再婚し、身ごもったりたりした場合は、子供の認知問題も生じて来る。

こういう場合は、「喪中」のシステムが智恵となる。

再婚するにしても1年待ちなさい、である。

まあ、冒頭に戻るが、結局、普段でさえ2、3年に1回会うか会わないかでしかなく、年賀状のやりとり程度って事でしかないのに、来年は喪中で、年賀状は、再来年という事になるから、これは、向こうから何らかのアプローチがないと縁遠くなるなあ、という予感がかなりある。

こちらから何か祝い事があっても知らせる事はできない。
喪中であるからだ。

これが商売人なら、大きな痛手ではないか。

それに、故人が一番望む事は、生きている人間が、その後も元気良く社会生活を維持して行ける事ではないか。

自分自身のために、いつまでも悲しみを持続し、日常生活の機能を止める行為は望んでいないのではないか、とは思う。

我々自身も、結局は、有限である命を持ち、日々を生きているにすぎない。

人間が、もしも基本的には不死の生き物であれば、その中からたまたま”死ぬ”という人間が現われたら、その死は、いくら泣いても悔やみきれるものではない。

しかし、いずれ自分自身も着実に「死」へ向かって歩んでいるわけであるから、その歩みを止める事自体、残り少ない日々を有効には使っていないのではないか。

あるいは、着実に、、どころか突然、今日、明日にもやって来るかもしれない。
世の中は、そうした死の方が、常識でもある。

着実に老衰で死ぬなんてのは、逆におめでたい事である。

しかし、不思議なもので、生きている時は、遠い土地に住む、親兄弟姉妹となかなか会えなかった人も、そうした家族の死と共に、自分自身の心の中に親兄弟が住み始めるものだ。

いわば、先に亡くなった人たちが、心の中に一人一人と住み始めるわけだから、彼等は、自分自身と共に日常を歩む”家族”となる。

だからこそ、みんな以前にも増して、日々をより精力的に生きる事ができるのではないか。

これこそが、本当の「喪中」ではないか。

喪は、心の中にある。

この「喪中」は、1年どころではなく、自分自身も終わりが来るまで終わる事のない喪中ではある。

私自身の心の中にも何人か、そうした人たちが住み続けていて、挫けそうになると励まされたり、何か嬉しい事があるとみんなも喜んでいる気がして来る。

彼等の志し半ばで人生を終えた想いと共に日々を生きているわけだから、まるで家族のようなものである。

その後の人生には、色んな事が起こったんだよ、という日々の出来事を彼等に見せてあげたい、という気持ちが常にある。

だから、どんなに辛くても、いつものように歩き出さないといけないなあ、と思ってはいる。

できるか、できないかは、一応、置いといて。

  
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00人生論

2012年02月24日

ボサノバの夜と1969の夜明けのスキャット

先日は、イギリス人牧師の家に行って、お酒を呑みつつ、料理もご馳走になった。

牧師の愛用のポルトガル・ギターをギターを弾いてみたり、自前のギタレレで、ポルトガル・ギターとセッションしたりした。

セッションとは言っても、牧師の即興演奏、アドリブに合わせて伴奏担当だ。

恐らく、招待された意味もこれである。

そこに、40代前半のボーカルの地元の女性がいて、これまでジャズも歌って来た、といい、現在は、ボサノバのバンドをやっている、と言う。

なんでも、本土から一流のボサノバ愛好家のプロ・ミュージシャンが地元に流れて来たので、これがバンマス&師匠、という話だ。

そこで、ボサノバのリズムのウンチクが始まった。

ボサノバは、日本人には、できないもので複雑だ、と思っていたが、今の特訓で、自分にもそれができる、という自信が生まれた、という。

どうやら、日本人にありがちな、徹底したメトロノーム特訓による「カシオペア・フュージョン教」、「ボサノバ教」、「サンバ教」の信者となったようだ。

本来、現代ジャズは、ラテン音楽やボサノバを含んでいる音楽であるが、ボサノバは、ジャズを含んでいない。

ジャズは、ラテン音楽やボサノバを包括したが、その時、そうした音楽での即興性のないワンパターンな部分を排除し、より即興性の高いリズムへと勝手に変化させ自分のものとして来たアメーバーのような音楽ではある。

そのボサノバ・バンドは、徹底していて、曲の出だしのカウントもポルトガル語でやる、という。

まるで、15年くら前、京都風たこ焼き屋というお店が近所に開店した時のようだ。

たこ焼きを買いに行くと、地元出身の原住民の従業員にも関わらず、「お~きに~!」と従業員全員で、言ったりするので、恥ずかしくなって行くのを辞めた。

観光客相手の沖縄そば屋でも、こうした土地の言葉合戦はあって、食事を終えて帰る時、「ニヘ~デ~ビル!(ありがとうございました)」と言う店がある。沖縄方言である。

「ニヘ~デ~ビル」なんて、もう100歳くらいのお年寄りでも使ってないんじゃないか。

(近年では、ジョークとしてその日本語訳が、「二瓶(にへい)でございます!」となっているけど、、。)

昔は、店に入ると沖縄の古い方言での「チュ~ウナガビラ!(今日は、ごきげんいかがですか?→こんにちは)という店まであった。

「チュ~ウナガビラ!」なんてねぇ、これが本土なら、「今日は、ごきげんいかがでごじゃるか?」とか言っているようなもんじゃないだろうか。

地元同士で、こんな挨拶を交わす事の恥ずかしさから、そこも行かなくなった。

各国でカウントの出し方が違うのは当然で、ジャズやロックなら、英語だから、単純に、1:ONE 2:TWO 3:THREE 4:FOURになる。

これが、ポルトガル語だと、1:ウンノ(UM) 2:ドイス(DOIS)、3:トレイス(TRES)、4:クワトロ(QUATRO)という事になるのだろうか。

ボサノバ教の信者は、こんなんで、カウント出しているのか。

そういえば、バレエだって、フランス語での1:アン(un)、2:ドゥ(deux)、3:トロワー(trois)で稽古している。

もちろん、そのジャンル特有の細かな「しきたり」は、あるが、左脳でしか音楽を判別できないタイプの人には、元来、的外れな分析が多い。

「これはこうだ!」と言う厳しい掟をいくら知っていても、結果は、石田純一の利きワインみたいな事になってしまう。

実際、目の前に本物があったとしても、それがその本物そのものだ、と判別できないわけだ。

そうだ!

ボーカルと言えば、以前、なかなか結婚しないというか、結局は50歳になった現在も独身のままでいる女性ボーカルがいて、7年ほど前に、たまたま、イベントで一緒になった時、「どうして結婚しないの?」と自分の事は置いといて、聞いた事がある。

すると、「私は、私より頭が良い男じゃないと好きになれないのよ~」と言われた。

その時点で、私なんかは、20年くらいその女性ボーカルを知っていたのだが、果たして本当に、その人より頭が良い人にこれまで出会って来なかったのだろうか、と不思議に思った。

世の中には、けっこうその程度の頭くらいなら、もっと上がいるんじゃないかなあ、と思ったからだが、本人は、これまでなかなかそうした男性に会わなかった、という。

その時は、それで終わったが、家へ帰って来て、あれ?オレは、20年くらい会ってたんじゃないか!と気が付いた。

という事は、私も彼女から見ると、頭が悪い男の一人、という事になっていたのか!と気づいて、あのやろう、と後で怒りの感情が出て来たのだが、よく考えると、どうも、そういう事ではなく、彼女自身に眼力、知性が足りず、自分より頭が良い男を見抜けなかったんじゃないか、と考えた。

あんだけ長く生きていて、自分より頭が良い男性になかなか出会わないなんて、それは、ただ本人が気が付かなかっただけじゃないか、と思う。

社長は、他の社長を、こいつは社長だな、と見抜くが、事務員は、他社の社長は見抜けない。

本当に優秀な人は、自分がいかに「無知」であるかを知っている人だというが、この場合もまったくそうじゃないか。

また、自分が頭が良いと思っている人の前では、頭の良い人は、なかなかその正体を現さないものだ。

自分が強い、と思っている人も同じで、もっと強い人は、いらぬ競争をしないように黙って見過ごしている。

来年は、ひょっとしたら革命的な「リズムの本」を書くかもしれない、という私に、とうとうとボサノバのリズム論を説くボーカルの女性も凄いなあ、とは思うが、これが、一般的なリズムの認識なんだな、という事がわかり大変勉強になった。

たぶん、何の役にも立たない稽古だとは思う。

その証拠に、帰ってから1月25日に録画していた由紀さおり in ニュヨークのNHKの「SONGS」を見た。

すると、そこで、ニューヨーク公演での由紀さおりが、日本語バージョンのボサノバ曲も歌っていて、それが、アメ~リカの観衆に深い感動を与えていた。

アメ~リカで、堂々と日本語で歌っていた!

日本人が、意味もわからない英語曲を愛して聴いている世界とも共通している。

日本もアメ~リカで、ようやく、それが実現できたわけだ。

歌っていたボサノバ曲は、以下の2曲。すべて日本語の歌詞だ。

1:「マシュ・ケ・ナダ」(日本語詞:永田文夫)

『註:マシュ・ケ・ナダ(Mas que nada)は、ブラジルのシンガーソングライター、ジョルジ・ベン作曲のボサノヴァの楽曲。』

2:「真夜中のボサノバ」(作詞:橋本淳、曲:筒美京平)


由紀さおり、といえば「夜明けのスキャット(1969年)」だ。


作詞が、山上路夫、作曲:いずみたく、とある。

いずみ たく氏(1930年1月20日 - 1992年5月11日)は、びっくりするくらい日本の有名な歌謡曲を作曲している巨匠だ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/いずみたく



ざっと私が知っている作曲のいずみたく氏の作品を歌っている歌手と共に見てみよう。


青い三角定規 :

太陽がくれた季節(日本テレビ、『飛び出せ!青春』主題歌)


大竹宏 :
ニャロメのうた(NET、『もーれつア太郎』挿入歌)

桂京子 :

もーれつア太郎(NET、『もーれつア太郎』主題歌)

岸洋子 :

夜明けのうた
希望


熊倉一雄/吉幾三/憂歌団/泉谷しげる/ザ50回転ズ :

ゲゲゲの鬼太郎(フジテレビ、『ゲゲゲの鬼太郎』主題歌)

坂本九 :

見上げてごらん夜の星を
幸せなら手をたたこう(編曲のみ・有田怜名義)


佐良直美 :

世界は二人のために
いいじゃないの幸せならば


沢たまき :

ベッドで煙草を吸わないで

ザ・ドリフターズ/デューク・エイセス :

いい湯だな

中村雅俊 :

ふれあい(日本テレビ、『われら青春!』挿入歌)

ピンキーとキラーズ :

恋の季節
涙の季節

由紀さおり :

夜明けのスキャット

このほか、『それいけ!アンパンマン』ではエンディング(スポット放映)を複数作曲。劇中音楽(BGM)も担当。

童謡 :

手のひらを太陽に(作詞:やなせたかし)
ケロヨン関連
ケロヨンのうた
ケロヨン音頭

CMソング :

チョコレートは明治(明治製菓(現・明治))
伊東温泉ハトヤホテル・伊東に行くならハトヤ(ハトヤ)
バーモントカレーの歌(ハウス食品)



作詞の山上路夫を見てみよう。

実は、今回は、「夜明けのスキャット」の作詞家の山上氏を紹介したかった。


山上路夫(やまがみ みちお、1936年8月2日 - )は、日本の作詞家である。


http://ja.wikipedia.org/wiki/山上路夫


赤い鳥 :

「翼をください」

アグネス・チャン :

「ひなげしの花」

天地真理:

「虹をわたって」
「ふたりの日曜日」
「若葉のささやき」
「恋する夏の日」


井上順 :

「お世話になりました」

GARO :


「学生街の喫茶店」
「君の誕生日」
「ロマンス」
「一枚の楽譜」

ゴダイゴ :

「ガンダーラ」(作詞:奈良橋陽子と共同、作曲:タケカワユキヒデ)

佐良直美 :

「世界は二人のために」

里見浩太郎・横内正 :

「ああ人生に涙あり」(「水戸黄門」主題歌)

沢田研二 :

「許されない愛」

CMソング :

「バーモントカレーの歌」(ハウス食品「バーモントカレー」)

朱里エイコ :

「北国行きで」

鈴木宏子 :

「薔薇は美しく散る」「愛の光と影」作・編曲:馬飼野康二(「ベルサイユのばら」主題歌)

デューク・エイセス :

「忍者部隊月光」

99Harmony :


「君は何かができる」(「キャプテン」主題歌)


野口五郎 :

「愛ふたたび」
「甘い生活」
「私鉄沿線」

森山良子 :

「禁じられた恋」

山本コウタローとウィークエンド :

「岬めぐり」


という事で、由紀さおり、ニューヨーク公演での成功は、日本の「心」を結集した、起こるべくして起こった、という現象ではないか、とは思う。


武田鉄矢氏の分析では、アメ~リカ人は、もう絶唱する歌に疲れたのだ、という。

そう言えば、期せずして、絶唱型のホイットニー・ヒューストンの訃報もある。

由紀さおりのアルバム「1969」年の歌謡曲が、世界に通用した瞬間なのだろうか。

日本語の歌での公演ではあるが、由紀さおりもジャズを歌って自分を鍛えた、という。

セルジオ・メンデス(Sérgio Santos Mendes:1941年2月11日 - は、ブラジルのミュージシャン)にはまった、というから、芸というのは、できるけどやらない!、というのが深みを作るものだなあ、とは思う。

なるほど、普通の人は、ようやくできる事をさらに精一杯、やっている、という印象がある。

長年、向上心だけを持ち、荒行だけを繰り返し、現役にこだわり続けた歌手でもあり、やっぱり、チャンスを得るべくして得た人なんだなあ、と思う。

「夜明けのスキャット」は、1969年というから10歳の時に聴いたはずだ。

今でも、歌を聴くたびに、せつな~い気持ちになる。


成人してからか、20代だったのか、歌番組を見ていたら、由紀さおりの「夜明けのスキャット」が何かの賞を取り、その受賞式での演奏で、なんと、あのミュートしたイントロのギターの音が、私の17歳の頃のギターの先生、澤田駿吾氏だった事に驚かされた事がある。

『註:澤田 駿吾(さわだ・しゅんご、本名:澤田駿五、1930年2月10日 - 2006年8月28日)は、日本のジャズ・ミュージシャン、ギタリスト。』


ニューヨーク公演でも、外人ギタリストが、あのイントロをミュートして弾いていた。

あれ以来だから、30年ぶりくらいで、ギタリストの生演奏を見たと思う。

1969年は、10歳の子供にも、切ない年だった、と記憶している。









  
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00修行&音楽

2012年02月19日

医者と弁護士とクレイマー。原住民気質VS外来種気質

ブログを書いていない時は、本の執筆か、テキストを書いているかだ。

だから、朝から晩まで、息抜きの携帯メールまで含めると、とにかく文字ばかりを書いている。

文字を書いていない時は、本を読んでいるか、テレビを見ているか、夜間の野外活動に出たりする。

だから、相変わらず、涙目で、意味もなく涙が流れる。

眼科に行くと、「涙目も意外にドライアイなんです!」と去年、6月に言われた。

「これ、自分が書いた記事です」と眼科医が言うので、新聞に掲載されたコピー記事を見せられた。

「ドライアイでも涙目になる」とか言う記事だ。

そんな事よりも、私の関心は、治療法なので、「私は、よく目を酷使しているんですが、これは、涙目と関係ありますか?」と質問すると、「まあ、そういう事もありますけど、老化とかも主な原因です」という。

「何を言っているんだ!」とすぐに思ったが、一応、目薬を4本貰う。

老化が原因なら、治るわけがない。

案の定、4本の目薬を2ヶ月ばかり目に差したが、この様である。

いっそ「目の酷使です!」とでも言ってくれれば納得は行く。

通常の人よりは、目を酷使しているのは確かだからだ。

それなのに、そうではなく、老化、、って。

じゃあ、老人は、自分以上に涙目か、となるとそうじゃない。

これくらいの論理性では、一生、治療法は見つからないだろう、と思ったので、以来、行っていない。

基本的に医者も弁護士も論理的におかしい。

たぶん、何か絶対的なルールの暗記だけで済ましているから、物事は、それに合致するかしないか、なんじゃないか。

弁護士なら「法律」であるから六法全書がすべての「前提」になるが、実体は、「前例にあるか、ないか」だと言う。

だから、弁護士が通常の一般の問題に対していう意見と言うのは、六法全書に結びつかないためか、珍回答が多い。

教育論にしても、人生論にしても同様だ。

より変人度が増していたりもする。

ああ、そうだ。

大阪の橋下市長も弁護士ではある。

だから、自分自身の意見のバックボーン、大元の論拠となる六法全書に代わるとなる「戒律」を作ろうとしているんじゃないか。

これは医者も同じで、その症状も「前例があるかないか」となる、らしい。

だから、新型ウィルスには対抗手段がない。

風邪も完治確率が打率3割程度と言うが、7割は、薬の適合が外れているから飲んでも治らない。

この薬効かないなあ、と1週間ばかり試している内に、自然治癒力で良くなっていたりする。

薬なんかのおかげじゃない。

眼科に行かないのには、他にも理由があった。

最初、受付に「待ち時間はどれくらいですか?」と聞いたら「30分くらいです。」という。

ああ、それなら診察しようか、と受付したのだが、何と、それから待つこと、2時間!

さすがに、「ちょっと~、やがて2時間になるよ~、いくらなんでも30分はウソじゃないかあ~。2時間掛かるなら、最初でなんで言わないの!」とクレームを付ける。

若い女性二人の受付の個人病院。

見渡しても、待っている患者は、4、5人程度ではある。

クレームを付けると、「はい、ちょっとお待ち下さい!」と、受付嬢も慌てて、診察室に行き、しばらくして、「もうすぐ、だそうです!」と。

しかし、それからも15分後の診察となった。

クレームを付けたら、事が進むわけであるが、結局、2時間15分待ち。

帰り際も、受付嬢に、「最初から2時間15分掛かると言えば、こっちだって来ないんだから、ウソばっかり言ったらダメだよ!」と言って出る。

受付嬢は、「すみません」を連発するだけ。

地元、沖縄の原住民では、私以外にクレームを付ける人は、他に1人くらいいるくらいで、地元民は、基本的に奴隷待遇に馴れてしまい、理不尽な事に従順である。

その他には、昔、分裂騒ぎを起こした某弁当屋チェーン店が近所にあり、これも10年くらい前から利用していたのだが、去年11月頃、電話で弁当を注文すると「はい、10分ほどでできます!お名前は、」というので、15分くらいして行くと、まだできていない。

しばらく、待っていると、30分くらいしてようやく出て来た。

パートのおばさん軍団が4人ほどでやっている。

まあ、こんな事もあるだろう、とその日はそのまま引き下がる。

そして、また、別の日、電話で注文すると、同じ返答。

10分くらいでできます、と。

今度は、用事で、1時間くらいして遅れてしまい、店に駆け込む。

するとどうだ!

まだ、できていなかった!。

さすがに、「こっちは1時間も遅れてしまったのに、まだできてない!ってなあ~、じゃあ、最初から10分でできます!って言うんじゃないよ!」と怒る。

リーダー格のおばさんが出て来て、「すみません、すみません」と謝る。

私は、それでも、「何がすみません!だ。こっちが悪いみたいじゃないか!なんで1時間も掛かるのに10分でできるって言うんだあ~!、こっちだって、最初から1時間掛かりますって言うなら、そのつもりで来るんだぞ!」と。

とりあえず、その日は、これくらいで帰る。

そしてまた別の日、また電話で注文。

するとまたまた「10分でできます。お名前は。」と。

名前もちゃんと名乗る。

あれ以来であるから、少しは改善されたか。

しかし、それでも自己防衛で、30分くらいして行くと、またまた、まだできていない。

結局、これも30分待たされた。

待たされている間に、直接注文しに来た客が、私より早く弁当を手に入れて帰って行った。

そういえば、さっきから私の隣におばあさんがずっと座って、同じように待っていた。

この人は、私よりも先に来て待っていたはずだ。

もうこれはいけません!

「ちょっと、あんたらねぇ~、10分でできますって言うから来たら、毎回、1時間も掛かってるじゃないか!どうなってんだ!え~かげんにせ~よ~!」と怒る。

すると、またまたリーダー格のおばさんが、「すみません、すみません」と言う。

しかし、いかにも今から作り出すかのようにみんなが動く。

こいつら、いくら忙しいからって、まるで、「すみません、すみません」を「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ!」とでも思っているかのような使い方だ。

言葉の使い方が間違っている。

電話の注文で毎回、名前を聞いた時点で、「また、あの人だ!」という危機意識もない。

つまり、な~んも気にしていないパート軍団だ。

私が、怒って文句を言っているにも関わらず、同じように待っているおばあさんは、何事もないかのように黙って座っている。

私を見る事もなく平然としているが、ははあ、と、私は、おばあさんの気持ちが何となくわかった。

私にすべての期待を掛け、「やったあ~!もっと怒れ!こいつら許すな!」という要望が、全身から滲み出ている感じだ。

私には、それがわかった。

普通、誰かが怒ってクレームを付けていれば、その人の方に関心を示し、目線を向けるわけだが、一切、知らんぷりをして、平然としているわけだ。

これはありえない。

このおばあさんは、私より先に待っていたから1時間どころじゃないはずだ。

だから内心は、「もっと怒れ、怒れ!」と思っていたはずだ。

電話注文して1時間待たされるってねぇ~。

帰宅してからも、あのおばさん連合が信用できないので、私は、そのチェーン店の地元本部に電話を掛け、責任者を呼び、名前を聞き、今回の件を伝える。

「おたくでは、必ず、10分でできます!って言うように指示しているの?」と聞くと、30代後半風の声の男性が、「いや、そういうわけじゃないです」という。

「じゃあ、なぜ、たまには15分とか20分とか、言わないんだ?必ず、10分って言ってるじゃないか!」と。

「いえ、そういう指示は別にないんですけど、今後、指導して行きますので、すみません」と。

「わかった。次からは、ちゃんと1時間くらいしてできます!と言わせてくれよ。ちゃんと正しい時間を言ってくれたら、何の問題もない。こっちは忙しいから、電話で注文して、さっと取りに行ってんだから」と伝える。

こうした事は、今後の事もあるので、改善させなくてはいけない。

これでは、弁当を注文して、さっと取りにいけない。

ぼ~と弁当屋の店内で、1時間も待つなんて時間の無駄だ。

この間に時給がいくらになるか、と考えるとその損害は大きい。

仕事を中断する事での損害と、待ち時間で1時間の損害。

私の時給は、10万円?くらいだから損害は30万円くらいになるか!。

商売的にも、実に詐欺的な対応ではある。

ちゃんと正しい報告をすれば、何の問題もない、というのに、地元民が奴隷体質だからって、この辺、実にいい加減である。

私は、基本的にの~んびり生きていない原住民である。

起きた瞬間から寝る寸前まで、常に時間ぎりぎりまで何かをしている。

起きたら、すぐに今日一日のテレビ番組の録画セットだけで、15分くらい掛かる。

何十チャンネルとあるからだ。

寝る寸前までもお酒を呑んでいたり、と忙しい。

この頃は、テレビだってお正月番組から録画が溜まっていて、何か新しい番組を録音しようにも「容量不足で、録音できないかもしれません」という文字が表示されたりするから、一つ一つ、チェックしえ消去して行かないといけない。

こうした日々の繰り返しだから、あまりの忙しさに、たまに、じっと立ったまま5分くらい固まって動かない事があるくらいだ。

こうしたストレス解消が、メールやらブログ、お酒である。

何もしないでいる時間が耐えられないのだ。

私にとって、何もしない時間は、マンガを読む時くらいなもんだ。

あれを、何もない時間と言っている。

テレビをじっと見る事もあまりない。

何かメールを書いていたり、こうしてブログを書いていたりする。

テレビだって、録画してしか見ない。
コマーシャルが時間の無駄だからだ。

だから、意外に、流行のコマーシャルがわからない。

しかし、さすがに面白そうなテレビ映画は、じっと見る事はある。

それでも眠気が起きないように立って見ていたり、本を読んだりする。

ああ、そういえば、最近、自分以外に怒っている人を二人ばかり見た。

二人とも地元の人間ではない。

「外来種」というか、平和な地元民には苦手なタイプではあった。

最初は、毎日、行っている大手のスーパー・マーケットで、零時近く、いつものように酒のつまみを買うために買い物をしていると、突然、レジで怒鳴り声を聞いた。

50代後半か、はたまた60代か、とりあえず、白髪頭で、浴衣を着ている。

浴衣を着て、スーパーなんか来る客なんて、温泉街にしかいない「観光客」ではないか、とわかる。

旅の恥は掻き捨て、という人種だ。

何が悪いのかは、よくわからないが、叱られているのは、いつもの30代後半の、「お化けのQ太郎」にもよく出ていたラーメン好きな「小池さん」にそっくりなパーマ頭の店員である。

あまりにも大きな声で「おまえ、この店辞めろ!」とまで、ののしるので、しばらく眺めていた。

ようやく、叱るのがおさまったようで、この男は、店を出て行った。

私は、なぜか、すかさず、その男は、どんなところから発生するのか、という事に興味を抱き、買い物を辞め、黙って店の外に同様に出て、男を尾行する事にした。

深夜の零時過ぎだ。

男は、フラフラと歩きつつ、予想通りの方向へ向かっている。

もうちょっと左を歩けば、川に落ちて、発見が翌日くらいになるのに、ああ、残念と、さらに着けて行く。

5分くらいして、あるホテルの中へ入って行った。観光客だ。

近所で一番近い、昔からあるホテルだ。


なるほど、ここの客は、深夜に浴衣を来て、地元のスーパー・マーケットで、あれほどまでに、小池さんを罵倒するのか、と私のフィールド・ワークが終わった。

スーパーに戻って買い物を済ませ、小池さんのレジを選び、普段、絶対に店員と喋ったりしない私が、「だいぶ叱られていたねぇ~、何かしたの?」と言うと、「ええ、いや、、、」とだけ答え、ちょっと涙目になっていた。

「あいつ、あそこのホテルに泊まっている客だよ!」とだけ伝えレジを終え帰る。

何気に「復讐」のための情報を伝えておく。

私も、あのスーパーで、あんなにも怒鳴る客は、初めての遭遇であるが、何となくスーパーの従業員も大変だなあ、と思った。

小池さんは、どう見ても正社員だから、きっと家族もいるだろう。

こんな思いをして、家族を支えているのか、と同情した。

小池さんと言うくらいだから、頭は、パーマが掛かっているが、当然、天然パーマではあるだろう。

今時、男性で、「パーマを掛けてくれ!」という者もいないだろう。

これは去年の12月の事なのだが、昨日、同じように光景をまたまた見た。

近所の大手の本屋で、私の本の売れ行きをチェックしにために行くのだ。

去年の8月に50冊ほど仕入れていた私の本は、すでに残すところ、あと3冊である。

こんな調査をしている著者は、私くらいなもんだろう。

そこで、あれこれ、気になる本を購入し1階のレジに行くと、ちょっと混んでいた。

どこに並んでいいかよくわからないが、ようやく、5つばかしあるレジの一つが空いた。

私が並んでいた横のレジが、空いたので、すぐに、私がそこへ行こうとすると、突然、男性店員が、「すみません、このお客様を先にお願いします!」という。

その時は、よく意味がわらかなった。

なんで、並んでもいない初老風の男の客ためにレジを譲らないといけないのか。

よりによって私の番に言うなんて。

一応、無言で店員を見て、場を空けた。

ようやく自分の番が来たので、あれこれと領収書を書かせていると、隣で、またまた怒鳴り声。

「もっとちゃんとしろよ!」とさっきの白髪の初老の男。

これは観光客風ではないが、あきらかに本土からの帰化人風。

外来種系だ。

(うちの家にも外来種系の家族がいるが、、。)

叱られているのは、わりと美形の20代前半風の女性。
名前を見ると、これも地元ではない。

外来種系が外来種系を叱っていたのだ。

(私は、地元の原住民にクレームを付けるだけである。相手が、外来種系だと、そこまでは怒らない。不思議だ。おそらく、地元原住民は、観光客、外来種系に文句を言わないようにインプットされているんじゃないか。子供の頃、予防注射をしたが、あの時なんじゃないか。あの注射がそれなんじゃないか、と疑っている。)

本屋で叱られていた女性店員は、たぶん、女子大生ではないか。
いや、正社員となった女性か。

ちょっと哀れである。

あれ?、不思議だ。

私は、地元の原住民の眼科の受付嬢や弁当屋のおばさん連合には同情心はない。

やっぱり、あの予防注射のせいだろう。

観光業の土地は、みんなそうじゃないか。

バリ島で、観光客に原住民が手を出したら観光は終わりでもある。

あそこでも、子供の頃、予防注射が打たれているのかもしれない。

ああ、だから「予防」と言っているわけだ。

あれは、観光のための「予防」なわけだ。

しかし、それにしても沖縄では、昔から、観光客の中年が怒鳴りちらして、クレームを付ける光景は、よく見かける。

私の十代の頃からの光景だ。

特に関西弁が多い。(私も家で、よく関西弁で叱られる。。)

地元の原住民は、何事においても、まったくクレームを付けない。

それが県民性、という事にはなっている。

県民性という事で言えば、私が46秒ほど出ているDVDも参考になるだろう!
確か、2002、3年頃だ。

沖縄の県民性を知るいは、ベストなDVDだと思う。
クレームを付ける人はいないが、クレームを付けるよりは行動に出る。




実録沖縄893抗争には、「1」と「2」がある。
私が出ているのは「1」であるから間違えない事である。

何だ、宣伝か!

まあまあ、DVDを購入しても別に私が得するわけでもない。

不思議とこのDVDは、レンタルCD屋でも常に「貸出し中」の札が、掛かったまま10年が経っている、という。
それほど、「関係者以外お断り」、、のDVDと言うことかもしれない。

まあ、私の日記を探せば、これを撮影した日の事がどこかに書いてあるはずだ。
当日、いかに恐ろしいことが起こったか、という事が記録されている。

あっそうだ。

一応、軽く、告知だけをしておかないといけない。

ベストセラー中の自著、「大人のための音感トレーニング本」に続く本の発売が大幅に遅れて、5月末になるかもしれない、と編集員から報告を受けた。

何と前回の2倍の量の原稿を書いたためである。
前回が、大体300ページである。

当初、これは、あちこちカットして出すべきか、となったらしいが、何とか、カットを極力避け、出そう、という事になった。

短期間で、よくもこれだけの量が書けるなんて、何かトランス状態に入っていたんじゃないですか!と言われたが、いつもの事なので、記憶にない。

夢中になると、夢の中にまで、原稿が出て来て、執筆している。
ちゃんと内容も合っているから凄い。

起きたら、それをそのまま書く、という事もあった。

昨日なんか、凄い。

ぐっすり眠る事ができる、という新しい枕を注文して手に入れたので、これを試しにと寝たら、何と、夢の中で、「オレ、実は、凄い枕を買ったんだよ~」と回りに自慢している夢を見た。

買ったその日で、そんな夢を見るなんて実にアンビリーバボーだ。

さらに、教材CDの制作も同様に、相変わらず、この手の教材にはありえない凝った内容のため、今度は、ミキサー自身も大変な目に遭っている。

今回は、音程に集中させるために全編、無伴奏でのメロディや歌の録音。

これが実は難しい。

ある程度の伴奏があれば、賑やかで、多少の事は、気にならないのだが、ア・カペラとなると大変で、ミキサー自身もセンスと技術が要求される。

そのために、わざわざ新たにキャリアのあるベテランのミキサーを頼んだわけである。

期せずして、本の編集員と教材CDの編集中のミキサーの二人が、今、現在、地獄を味わっている、という事になる。

いかに、次回作の本が力作、大作か、という事がわかるはずだ。

これが、何事もなく無事、完成すれば、音楽教育界は、ますます大騒ぎになる。

抵抗勢力は、ますます、「こんな本、出たら許さないざ~ます!」と発売妨害ゲリラ戦に出て、モンスター・レビュー作戦で来るだろうとは思うが、騙されないで欲しい。

1冊の本ができるまでに、みんな孤独に大変な努力をしているわけである。

まあ、一番、大変なのは、私自身ではあるけど。

何ヶ月も徹夜して孤独に書いているわけだ。

私の執筆「期間」が終わると、今度は、録音ミキサーと編集員の闘いが始まる。

それでも私の執筆時の時給1円ではない。
執筆は、4ヶ月くらい、一日15時間くらい掛けて書くわけだし。

何であれ、「根気」がなければ、何事も完成しない。

この仕事の合間に、ボーカルで起用している女性シンガーが自分のCDを制作する事になり(6月頃発売予定らしい。)、2月の始めに東京にて録音終了。

そのための1曲、1曲の音程や発音をチェックし、今日は、完成した試作品のCDの曲順のアドバイスまで。

この世界では、超有名な敏腕プロデューサーがバックにいるらしく(ロン・カーターもプロデュースした、という)、その指示の下に東京で活躍中の一流、若手ミュージシャンが伴奏に起用されている。

私なんか完全な裏方で、名前も出ないし、何のメリットもないのだが、一応、会った事もないプロデューサーからあれこれ私に聞いておいてくれ、という事で、昨日は、一応、4時間掛けて、CDの曲順を考える。

よく考えると、私もけっこうプロデューサー向きではないか、と思ったりはするのだが、今のところ、売れないミュージシャンのままではある。

売れているミュージシャンが、そもそも裏方には回らないはずだから、これもまた、ニワトリが先か卵が先か、の話ではないか、と思う。

そもそも、自分自身が売れてたら、裏方には回らないだろう、とは思う。

矢沢永吉氏もそれどころではないんじゃないか。

もちろん、アメ~リカには、裏方の方が、有名だ、というアーティストたちもたくさんいる事はいるが、自分自身が「スター」というほどでは、当然ない。

世の中には、向き、不向きがあるので、自分が、何に向いているか、いないかは、実際にやってみないとわからないものではある。

たぶん、向いている事をやっていれば、何でも成功するんじゃないか、とは思うが、人は、なかなか、それがわからないわけである。

たぶん、何事も「限界」までやれることは、それが向いているからである、とは思う。

スポーツ選手なんか、倒れるまで稽古していたりするし、寝ずに、お金の計算ばかりしている人もいる。

そんな人は、みんな、その事に向いているとは思う。

とりあえず、善悪は問わないでおくが、最終的には、世のため人のため、でないと生きている意味はないかもしれない。

もちろん、世のため人のため、という事で、自分とその家族のためだけに生きている政治家や人もたくさんいるわけだから、世の中は、複雑である。


  
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00雑談集

2012年02月12日

インタビュー後記とホテル・ライブの戦略と心得、親死に子死に。

2月10日、金曜日は、告知通り、雑誌の取材記者が来た。

私の本の出版社でもあるリットー・ミュージック社の宣伝マンと、楽器業界専門誌の「ミュージック・トレード」の記者だ。

ミュージック・トレード社:

http://musicfair.jp/exhibitor/information.html?id=MF11053


目的は、この手の理論書では異例のベストセラーとなっている著者の実体を調査したい、という事で、事前に、質問事項も送られて来た。

音楽との出会いや、理論との出会い、これからどういう事をして行きたいか、など1時間で済むインタビューではあったが、私の話が脱線してばっかりなので、結局、3時間過ぎてしまった。

(いやいや、4時間近く、という話です!、と後から知る。)

「まだ、話足りない事はないですか?」と聞かれるたびに、え~と~とあれこれと話したためである。

その後にある教材CDに関わったピアノとボーカルの女性のホテルでのライブへ招待していたので、ようやくインタビューが終えたわけである。

私は、別の飲み会の用事があって同行する事はしなかった。

ホテルでの2DAYSの初日のこの日のライブは、全く客がいなかったようで、招待された二人もびっくりした事だろう。

まあ、こうした現状も取材にはなっただろう。

お客さんがゼロでも芸は一流、と言うことであれば、宣伝次第で、いずれどうにかなるもんだ。

私の情報では、ジャズ・ギタリストの巨匠、ジョン・アバークロンビーがニューヨークの某ホテルのバーでライブがあると言うので、たまたまニューヨークに出張していた生徒が行ったら、客が、自分と他の二人程度だったという話がある。

演奏は、ギターとベースのデュオだったそうだ。

だから、本当に最悪なのは、お客もゼロで、芸も三流の場合だ。

これは救いようがない。

お客さんがいないのは、企画したホテル側の責任もある。

ちゃんと営業を掛けなきゃいけないし、接客も一流でないといけない。

どこかしら、お役所的な体質だから、必死さがないのだろう。

これが自営業なら大変だ。死活問題である。

しかし、である。

本来、同じ人間が定期的に同じ場所で、演奏をすると、次第にお客は減って行く。

どうせ、次があるだろう、という安心感から来なくなるもんだ。

ジャズ・ピアノの巨匠、セロニアス・モンクが、晩年、クラブで2ヶ月、毎日、演奏で入ったら、最後は、客は、ゼロに等しいほどであった、というが、実は、その時の演奏が素晴らしい録音で残っている、という。

モンクでさえそうなんだから、普通のバンドマンが同じ場所で定期的にやる場合は、別の戦略で対応しないといけない。

これが「毎週」となると、さらにハードルは上がる。

まず、演奏している側が「固定」されているわけだから、お客さんは、「流動客」を掴まないといけない。

ホテルだと宿泊客になるわけだが、私自身がバリ島のホテルに泊まった時も、そのホテルのバーのライブで過ごす気持ちはなかった。

何か、損した気分ではある。よっぽど天気でも悪くない限り、外出する事になる。

その点から言えば、本屋は、同じ通りに本屋街があっても繁盛するわけだし、同じ業種が密集すると飲食街もそうだが、栄える、という理論がある。

山の上に一軒だけあるレストランより、そこにいくつものレストランがあった方が、賑やかで全体が発展できる、という。

そうした事からすると、もっとホテル同士が、他のホテルのイベントを宣伝しあえばいいんじゃないか、と思う。

お互いが、お互いに宿泊している客に対してではなく、別のホテルの客を自分のホテルのバーのイベント・ライブに呼ぶわけだ。

宿泊している客しかあてにならないわけだから、何かイベントを考えたら、別のホテルの宿泊客に宣伝をお願いしたりするわけだ。

これなんか、多湖輝「頭の体操」シリーズにもあった。

「アラブの王子である二人が、馬のレースで、最も遅い馬が優勝と言うレースをした。しかし、実際やって見ると、これでは時間がいくらあっても足りない。そこへ、ある賢者が、競争している二人にアドバイスしたら、二人は、突然、猛烈に馬を走らせて去って行ってしまった。賢者は何を言ったのでしょう?」

10代の頃なのか、20代の頃なのか、今も覚えている。

答えは、ブログの最後にでも書いておこう。


閑話休題


という事で、宿泊している流動客が掴めないなら、ホテルでのイベントは、地元客を引き込まないといけないわけで、そうなると、前述したように、定期的な場所では、お客は、減る一方である。

それでも地元客を集客したい、というなら、「接待」をもっと考えて行かないといけないだろう。

「接遇」だ。

寂れた店は、接客も悪いのが常識だ。

この場合、地元客が「常連」になった場合の特権も必要か。

まあ、ポイントカードみたいなものだ。

そういった事もなく、ただ、客がいなくてもいても給料が貰える、という態度では、客なんか全く来ないのも当たり前ではないだろうか。

某ホテルでは、イベントのたびに常連客の一人一人にいちいち電話で告知するセールス戦略というから凄い。

ホステス営業戦略だ。

だから、イベントでは、いつも満員状態ではある。

こうなると、ホテルのバーも民営化、独立化が必要かもしれない。
独立して宣伝するホームページも重要ではないだろうか。

まあ、それでも持っているのがホテルではあるけど、あまり、こうした現状にミュージシャン側が馴れてしまうと「芸」に「華」が無くなる。

ああ、この人はお客さんのいない所でやって来たな、という「匂い」が着く。

そのため芸もどこかしら「お役所芸」的になる。

「お役所芸」というのは、私が今作った造語で、とりあえず「定時」まで働けば、給料だけは貰える、という「芸」である。

やっぱり、芸人にとって、お客さんは、いないよりは、当然いた方がいい。

しかし、これがミュージシャンなら、これをまたチャンスに切り替える。

お金を貰ってメンバーを集め「練習」「実験」ができるわけだ。

当然、その日のこうした「実験」や演奏は、録音される。
今の時代は、DVD映像として残す。

そのためのスタッフを一人雇う。

一日、5千円~1万円でもみんなで出せば撮ってくれるだろう。

その映像の中からユーチューブにアップできる映像、録音も生まれるかもしれない。

友人なら只でもやってくれるかもしれない。

こうした万全の準備がないとライブを企画しても意味がない。

すべてが徒労に終わる。

歴史は証言者がいて初めて、歴史となるわけなのに、証言者がいないために、何の意味もない時間になってしまう。

この事がわからないために、これまで、恐らく20億人くらいの優秀なミュージシャンが無駄な死に方をしているはずだ。

逆に、このことを知っている50億人くらいのどうでもよい演奏が、記録として残っていたりする。

録音や画像があれば、後で、メンバーみんなで見ても勉強になる。

しょ~もない演奏は、消去すればいい。

これからの時代、観客は、”人”じゃない。

これまでの歴史的に記録された演奏に一体、どれくらいの観客がいたかは、実際は、定かではない。

私のCDで言えば、

第1集「アコースティック・ジャズトリオ・ライブ95」(http://www.tomoyosejazz.com/sakuhinsyu.html#2)がある。

これは、二箇所のライブハウスでの演奏が記録されている。

1曲目の” Blue in green ”、2曲目の” Willow weep for me”は、観客が、60人くらいいた。

しかし、別の場所での3曲目の” When you wish upon a star”は、確か、観客は、8人程度だ。

それでも”名演”!に変わりない、、、。

もしも、この時の演奏が、カセットに残っていなかったら、この演奏を聴く人はいないまま、私は、一生を終えたはずだ。

何年も何十年も掛けて磨いた芸が、誰にも知られずに、ごく少数の人間に披露され、その証拠さえもどこにもないまま老いて行くわけだ。 

その一方で、一度聴けば、もう十分な芸が、記録として残っていたりする”人生の矛盾”に憤りを感じないか。 

こうした”装備”もせず、闘いに挑むとしたら、一体全体、何のために、わざわざ”討ち死に”のようなライブに向かわなくてはいけないのか。

100人いる観客が、全員、「無口」な客であれば、そのコンサート自体、誰にも語り継がれないまま、歴史の中に埋没して行く。

どんな素晴らしい演奏をしても、「フンガ~、フンガ~」「ムキキ、ムキキ」としか言わない観客ばかりだとどうするのか。 

たとえ、他の観客がいないとしても、私一人がそこにいれば、こうしてブログでも語れる。

ブログにさえも何の評価も載せない観客相手にライブをして何の意味があるか。

随筆家、故・山本夏彦氏は、「広告なきものは、この世に存在しない事に等しい!」というような事を昭和30年代にエッセイに書き、この事を見抜いている。(私の10代、20代の頃の心の師匠である。)  

という事で、客のいないライブに落ち込んではいけない。

反省すべきは、無防備にも他人(ホテル側)を信じ(観客が来るだろう、という)、長年、磨いた芸を披露しようとした、その無知から来る危機意識のなさである。

残せない「芸」なら、わざわざ他人を呼んで披露する事もない。

もし、そう自覚しているなら、「客がいなくてラッキ~!」となるべきではないか。

客がいなくて落ち込んでいる、という事は、多少なりとも自信がある、という事だ。

そうで、あれば、自分の芸をもっとこうした「世間」から守らなくていけない。

私自身も、近年は、テキト~に弾いても、けっこう良い演奏をするなあ、と思うので、記録に残して披露する事ができない”有名人”との共演を避ける。

相手が有名人だと、これを公にするな、だとか、高額なギャラを寄越せ!という事になる。

公にしたって、売れるとは限らないから、高額なギャラなんか払えない。

そんなトラブルが発生するなら有名人はいらないな!という事になる。

じゃあ、何のために共演するのか、という事になる。

昔は、みんなもっと「地道」だった。

この土地で、3人相手にして、あの土地で、6人相手にして、、と飛び回って人生を終えるのが習わしであったが、現在は、インターネットを通じて、何百、何千、何万、何億と言う人も相手にできる。

もちろん、インターネットとは言え、それなりの「宣伝」も必要ではあるだろうけど。

今、沖縄に有名日本人ベーシストが住み着いた!と島民バンドマン業界は大騒ぎである。

まるで、70年代かに、ジャズ・ドラマーの巨匠、エルビン・ジョーンズが京都に住んだ!、というような勢いではある。

世界的なドラマーのエルビンと日本国内だけの有名人ベーシストが、一緒じゃないだろ。

ここに来るミュージシャンは、どうせ仕事もないし、ついでに放射能も嫌に違いにないなオレは、という事でみんな来ているわけで、売れっ子なのに、すべての仕事をキャンセルして、自分だけ生き残りたいからってわけでもないだろう。

誰しも仕事が充実していれば、どこに住もうと、これと共に死のう、と決意するもんだ。

それくらい、人間の目的は、長生きでもない。

長生きするのは、家族のために過ぎない。

一休禅師が、祝いの席で、何か祝いの一言をと言われ書いたと言う”親死に、子死に、孫が死に”がある。

何て縁起でもない!とその時、回りの人がなじったが、一休禅師は、「これは大変めでたい言葉だ。もしも、この言葉を逆にしたら、人間に取ってこれ以上の不幸はないのだ」と言ったという。

孫が死に、子が死に、親が死ぬ、という順番で、人生を終えるわけだ。

したがい、なぜ長生きしたいのか?と言う問いには、この言葉の順番が一番の幸福で、一番の親孝行であるから、この順番に死ぬために、、と答えるしかない。

(たまには、このブログも良い事を言うだろう!)。

この長文のブログが読めない人は、飢えた動物と変わりない。

ただ、生きるか死ぬかを悩み、あれが欲しい、これが欲しい、有名になりたい、という欲望だけの不幸な人生を送るだけである。

今回は、もうちょっと取材の事を書こうとは思ったが、それよりも重要な心得が必要な者たちのために、こうして、ライブの心得を書いて見た。

ああ、そうだ!

多湖輝氏のクイズの答えだった!

これは、有名なクイズなので、知っている人はかなりいるはずだ。

どれだけ遅く着くかの馬のレースの話だ。

賢者が言ったアドバイスは、「両方の馬を取り替えよ!」という事だった。

互いの馬を交換したわけだ。

すると、お互いが、我先に、お前の馬の方が遅い!という事を証明するために、とにかく相手の馬を早く走らせれば良い、というわけだ。

相手の馬を早く走らせてゴールさせれば、相手が乗っている自分の馬は、相手の馬より遅い!という事になる!。


ホテルでのライブパフォーマンスの問題への結論は、ホテル側は、ライバルのホテルに「夜はうちのライブに来て下さい」!とお互いが広告を出して宣伝すればいい。

ミュージシャン側は、観客がゼロに備えて、映像と録音をしっかり撮るスタッフを雇い、ライブに挑む、というわけだ。

これが、現時点で、もっと良い”三方一両得”の法則ではないか、と思うがどうか。

主催のホテル側、演奏者、観客の三方である。

全員が、一両分、得をする、というわけだ。

もちろん、不幸になる人は、常に、何事も実践しないから、何を聴いても見ても感激だけは人一倍だ。

私へのインタビュー記事は、雑誌「ミュージック・トレード」の3月号、白黒2ページ、という事らしい。

楽器の業界誌ではあるが、マニアなら手に入れる事ができるだろう。

私のインタビューでは、放送禁止用語満載で、これは、掲載できない、という事ばかりではあった。

しかし、楽しい体験となった。

ああ、その日も深夜、居酒屋から呑んでの帰りで、最近では、地元のコンビニのローソンに、カップ酒として「泡盛水割り」が、2、3百円で常備してあり、これを買って、40分ばかし呑みながら、人生を歩いて帰った。

午前2時半。
いつもよりは、かなり早い。

人生なんて、インタビューくらいで、そうそう変わるもんではない。

変わらなくてはいけないのは”世間”ではなく、そもそも自分自身であるからだ。

自分自身が、世間に合うか、合わないか、という事だろう。

音楽も同様で、良し悪しを決めるのは、世間でしかない。

私自身ができる事は、呑みながら、ひたすら”ホームへ”向かって歩く事だけである。

ああ、そうだ!

インタビューで、今後の夢はありますか?と聞かれたから、”ホイットニー・ヒューストン”に23歳の頃に初めて作曲した、自作の”キャバレー”という曲に英語の歌詞を付けて歌わせて、全世界で発売したい!と言った。


『註:自作曲、「キャバレー」は、「作品集第3集 作編曲編」(http://www.tomoyosejazz.com/sakuhinsyu.html#4)に、24歳(1983年)の頃のライブ演奏で収録。

2001年「THE OLD SONGS](http://www.tomoyosejazz.com/sakuhinsyu.html#1)で、ギターソロで収録』


それなのに、その二日後の今日のニュースで、ホイットニーが亡くなった、と。

ついこの間、テレビで録画した、ケビン・コスナー(昔、ケビン・コスナーを「土瓶こするな~」と言って受けた事がある)との共演映画、「ボディガード」を久しぶりに見たばかりでもある。

また、一つ、夢が消えたか。


合掌。


  
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2012年02月08日

上京、独立の人、青春プレイバック、スカイツリーと餃子の王将

突然、葬儀に出る事を決め、2月4日の午前8時の第一便の飛行機に乗り上京し、午後1時~3時の青山葬儀場での葬儀に出席した。

東京は、1999年頃に一泊二日で、行った事がある。

その時は、確か、レコード店へCDの行商のためだったはずだ。
当然、どこの馬の骨ともわからないミュージシャンは門前払いではある。

昔は、ハード(ウェア)モノ、箱モノの商売系が、殿様だった。

インターネットの時代は、実にありがたい。

中間の障害物が除去されて、「ソフト」が、自由に飛び交う事ができる時代が来たか。

とは言え、売れないモノを店先に置かれてもスペースを取るだけで、じゃまではある。

そこで、売るための努力、、、犯罪を犯して、有名になる、と言ったスキャンダル型もセールス努力の一環となる。

これが芸能人となると、話題作りには、様々なテクニックがあるようだ。

という話は置いといて、とにかく、13年ぶりとなる上京だが、その時も1日しかなく、実際は、どこへも行っていないはずだ。

それでも、その頃の東京も、色んな雑誌や資料、譜面なんかもあって、情報を得るためには、貴重な土地だった。

まだ、インターネットも普及していなくて、その存在もよく知らない頃だ。

東京の本屋では、「全国レコード店ガイド」なんて雑誌も手に入れたりして、これを元に電話を掛けまくったりしたが、一般のセールスとしか受け止められず、これも相手にされなかった。

92年に本格的に帰郷してから、となると20年ぶりとなる上京だ。

青山葬儀場となると、さすがに、色々な有名人も出入りするようで、何人か、雑誌でしか見た事のない有名人を見掛けた。

しかし、あまりにマニアックなので、ここで名前を挙げてもよくわからない、と言われそうで、また、いちいち、人物紹介をするのも大変なので、控えておく事にしよう。


葬儀を終え、一人で暇なので、葬儀場で偶然、俳優で活躍している佐賀県出身の「一ノ瀬ワタル」に会う。
26歳だが、彼が19歳の頃から知っている。

4年ぶりかの再会だ。

映画「クローズ」など、あれこの映画にも出たそうで、最近は、スマップの草彅主演の「任侠ヘルパー」の映画版にも端役のヤクザ役で出る、という。

いやあ、人間、こんなにも活躍するかなあ、と思われるくらい頑張っている。

バラエティー番組にも出ているらしく、話題は、もっぱら、いかにすべらない話をするか、と言った話しになり、私が、一方的に喋りまくって、ネタを伝授したら、一応、死ぬほど笑っていた。

さらに、調子に乗って、全く、門外漢なのに、役者の心得まで、伝授したが、これは、何の役にも立たないだろう。

私は、ビール、焼酎お湯割り、、、と飲んで、話しているのだが、ワタルは、明日、早いという事で、コーラを呑んではいたが、あれこれと注文し食べまくってはいる。

もちろん、私の驕りだ。

彼が、19歳の頃、まだ、ステーキというものを食べた事がない、というので、「何だって!オレに着いて来い!」とステーキを奢ってやった事があるほどの太っ腹な男だ。私は。

ちょうど、3時間ばかり経ったら呼び出しの合図が、私の携帯へ電話が掛かる。

葬儀関係者、6人程度の小さな飲み会があった。

歩いて15分ほどの所に場所が変わる。

ワタルは、着いては来たが、知らない人ばかりなので、挨拶だけして、明日のために、と帰って行った。

そこでは、寿司が30貫くらいと、ピザの大、小の差し入れがあった。

私自身も3人は、誰が誰か、さっぱりわからず、とにかく、「ああ、そうですか」とあいづちを打ちつつ酒を呑む。

今までの社長気分から、平社員の接待となる。

人を社長に扱うか、平社員に扱うか、はその人の器のでかさ、見識の高さ、洞察力に掛かっているが、今回は、平社員、としての扱いではある。

一般に、サラリーマン社会だから、仕方ない。

まあ、「年齢」至上主義の公務員から「芸歴」至上主義の吉本芸人のように、世の中は「年功」、「芸功(?)」の序列社会でもある。

これが、「自由業」や「商人」なら、すべてが、「顧客」だから、敬語しかない。

「組織」という看板が、親方、日の丸、という意識でいるから、「自動的」に序列が決まってしまうわけだ。

そうした、敷かれたシステムの制度の中での「序列」を重んじる意識自体が、そもそもの「依存型の権力志向」でもあり、権力闘争体質の証しではある。

簡単に言えば、社会では、誰からも尊敬されず、認められず、いばれないから、組織の中だけの序列にこだわりいばるわけである。

これもまた、「人望」のなさの証明でもある。

「人望の強制」である。

尊敬すべき要素は、どこにもないが、一応、その組織では、「先輩」であるから、尊敬せざる得ないと言うタイプだ。

当然、「定年」となって、組織を「卒業」となれば、持ち前の「人望のなさ」のおかげで、翌日から、誰も寄り付かない。


力がある者は、その組織を飛び出しても生きて行く自信があるわけだから、そうした「組織内限定」の序列にはこだわらない。

人間本来の、「尊敬に値いするから尊敬する」という「基準」に則って生きている。

しかし、「自由業者」にも錯覚はあって、「仕事をくれるから尊敬する」という「後輩」「先輩」がいるだけのに、それを自分自身の「人望」と勘違いする。

これは、太宰治の解釈ではなく、本来の意味での「金の切れ目が縁の切れ目」である。

「仕事の切れ目が縁の切れ目」というわけだ。


一般に、40歳を過ぎれば、逆転劇はない。

あるとしたら、よほどの運気の良さか、本人の荒行、修行の結果である。

普通に生きているだけの人生では、40歳から何かを変える、というのは、そうそうない事ではある。

組織と長となって、独立を決心する人は、大体、40歳くらいが分かれ目だ。


急に思い出したついでなので、楽天の三木谷 浩史「(みきたに ひろし、1965年3月11日 - )は、日本の実業家。楽天株式会社の創業者で代表取締役会長兼社長。」氏のプロフィールを見てみよう。


『三木谷 浩史:

1965年 兵庫県神戸市生まれ。6歳まで神戸市垂水区にあった神戸商科大学職員住宅に居住。

1973年 小学校2年時に父がイェール大学研究員に就任したため家族で渡米、アメリカで2年間過ごしたのち、帰国し明石市立松が丘小学校入学。

1988年(22~23歳) 一橋大学を卒業し、当時の日本興業銀行(現:みずほコーポレート銀行)に入行。名古屋を経て、本店外国為替部配属。

1991年 結婚(25~26歳)、同期で初めてハーバード大学に留学。滞米生活で企業家への夢が芽生える。

1993年 MBA取得(27~28歳)。

MBA取得後は、企業金融開発部で国際的なM&Aの斡旋を担当し、孫正義(ソフトバンク)、増田宗昭(TSUTAYA)などが顧客であった。

1995年 1月17日(29歳) 阪神・淡路大震災で故郷が瓦礫の山と化し、敬愛していた叔父叔母を失ったことが人生観に大きな影響を与えた。間もなく起業を決意。


*11月 日本興業銀行を退職、コンサルティング会社のクリムゾングループを設立(30歳)。


慶大院卒の新卒者と2人だけの起業であった。

1996年 2月 株式会社クリムゾングループ社長(30歳)

1997年 2月7日 クリムゾングループで稼いだ6000万円を元手に、株式会社エム・ディー・エム(現・楽天)を設立(31歳)。


2002年 (36歳~37歳)

アメリカの経済誌『フォーチュン誌』の若手富豪ランキング6位に選ばれる。この当時から3000億円近い資産を有していた。

5月 株式会社ネクスト取締役(37歳)

6月26日 カルチュア・コンビニエンス・クラブ取締役

8月 楽天トラベル代表取締役 


2004年 (38歳~39歳)

1月 クリムゾンフットボールクラブ代表取締役(38歳)

ライブドアに続いて、プロ野球への新規参入を意思表明する。

株式会社楽天野球団(球団名は東北楽天ゴールデンイーグルス)を設立し、本拠地を仙台市に置くことを決める。


11月2日 プロ野球オーナー会議の最終審査で、ライブドアとの競争に勝ち、楽天野球団の参入が正式承認され、プロ野球球団のオーナーとなる(39歳)。

プロ野球とJリーグのオーナーを務めたのは三木谷が初である。

2005年 6月 国内信販株式会社(現楽天KC)会長(40歳)


2010年 (44歳~45歳)

フォーブス誌の日本人富豪ランキング6位にランクイン、47億ドル(約4277億円)保有していると報じられる。
1月21日 ビットワレット株式会社代表取締役社長就任(45歳)


2011年 (45歳~46歳)

東日本大震災発生時、自身が阪神・淡路大震災の影響を受けた経緯から、推定10億円もの義援金を寄付したと報じられた。なお、東日本大震災の日(3月11日)は奇しくも三木谷の誕生日でもある(46歳)。』(Wikipediaより抜粋)


三木谷氏が、正式に独立したのは、30歳の頃のようだ。


しばらくして、ワタルから、「今日は、ためになるお話ありがとうございました!」とメールが来る。

「まだ、宴会中」と返信。

また、次は、何年後に会う事か。。

その時には、さらに有名になっている事だろう。

(しかし、そんな上から目線で言っている場合ではない。彼は、すでに、26歳で、Wikipedeaがあった!)


飲み会は、零時過ぎになると、「じゃあ、締めで、ラーメンを食べに行こう」となったので、近所のラーメン屋に。

今、このブログを書きつつ、、録画したテレビ番組、「日本歌謡界30年間1番ソングスペシャル」(1月19日放送)で、秋川雅史の「千の風になって」が、2007年売り上げ1位、という事で、生出演し、歌っているのを聴いたら、涙が、溢れて来た。

ブームが去った後も、精進を続け、さらにパワーアップし続けた世界の芸の前に、ただただ涙。

この人は、この歌だけで、人々を救おうという使命感を持って生きているんだなあ、と言う気迫が伝わる。

立ち振る舞いに浮ついた所なし。

う~、お見事!

もう、5年も前のヒット曲になるのか。


という事で、翌日、2月5日は、午前10時に起きて、17歳から23歳(1983年)まで過ごした、練馬区練馬へ20年ぶりで向かう。

1990年当時にに再上京した際、この練馬へ10年ぶりで訪れた事がある。

最初は、30歳から32歳まで住んだ西荻を覗いてみようと思ったが、六本木駅からは、練馬へ直通の地下鉄があった。

厳密には、ホテルは、「アパホテル西麻布」なので、西麻布駅の隣が、六本木駅だ。

練馬へ到着すると、自然とある方向へ足が向かう。

どうやら、身体が覚えているようだ。

角に何となく、見覚えのある電話だけ置かれている公衆電話。

見覚えがある。

寒空で、何度か電話を掛けた事がある。

しかし、この近くにあったはずの、昔、住んでいた8階建ての「藤岡マンション」が、消えている。
この6階に小説家志望の従兄弟と住んでいた。

ギターの練習の騒音の問題で、アパートよりは、マンションに住むのが部屋の造りからしてよかったので、当時、練馬に住んで新聞配達奨学生をしていた4歳上の従兄弟と同居する事にしたのだ。

部屋は、6畳のキッチンをはさんで、完全に6畳の二間でお互い独立した部屋だった。

歩いていると、あるはずの踏み切りも無くなり、線路は、頭上の方で走っている。

さらに、しばらく、歩いていると、なつかしい看板があった。

「大沢一仁ギター教室」「大沢ギター音楽研究所」

何もかも昔のままだ。

、、ってことは、「藤岡マンション」もこの近くだ、と引き返して探す。

マンションから教室までは、「徒歩1分」だったからだ。

あったあった!

しかし、マンションは、3倍くらい大きくなっていて、名前も「グランコンフォート練馬」となっていた。

残念。

面影は、どこにもない。

さらに、探検を続ける。

大沢ギター教室を通り過ぎて、豊島園方面へと向かうと1分くらいして、たまに行っていた老夫婦の定食屋がある。

名前は覚えていないが、現在は「味の店:和洋定食 ラーメン、ミニガーデン中野屋」という看板が掛かっていた。

さすがに30年前の老夫婦だから、もう全く違う人か、息子の店か。

駅前に引き返し、毎日のように通って居た、5種類の定食のある喫茶店を探しに行く。


「から揚げ定食」と「焼肉定食」「ハンバーガー定食」「クリームコロッケ定食」までは、思い出す。

独特な味のするアフターのコーヒー付きだ。

そこの「おばさん」もなつかしい。

この店は、練馬自体が、地下鉄が敷かれていたりと、街全体が、変わっていたので、どうしても探せなかった。

1990年からすると、22年ぶりか。

あのオバサンは、どこにいるのか。

1980年頃の二十歳の私は、無口なので、あまり、音楽と関係ない人と口を利いたことはない。

大沢ギター教室の大沢先生へは、去年、自著を贈呈したら、折り返し手紙を貰った。

1992年頃も10年ぶりで、ハガキを出したら返事を貰った事もある。

今年出した年賀状への返信が来た。

確か大正14年生まれなので、現在は、87歳くらいか。

私の父親が、昭和2年生。1927年で、85歳。

大正は、15年までで、昭和元年も一週間くらいしかない。

だから、私の元気な父親よりは、2歳くらい大沢先生が年長であるが、実際は、1歳くらいの差かもしれない。


突然、訪問しても困るだろう、と素通りした。

私が、在籍したのは、19歳頃から2年ほどだったか。

発表会まで出た。

そのために激安の3万円のリクルート用の紺の背広上下を購入し、初めての発表会にも出た。

家の中を探せば、その時の発表会の舞台で、私がギターを弾いている写真がどこかにあるだろう。

発表会が終わってからの打ち上げにも出席した。

当時は、お酒はそれほど好きではなかったから自分から進んでは呑まなかった。

強くもなかったし。。

進んで呑むようになったのは、24歳頃からじゃないか。

そんなわけで、わざわざ尋ねて行くほどの弟子でもない上に、ジャンル違いの人間の突然の訪問も困るだろう、という事で、大沢先生宅訪問は控えた。

荷物になるから、と、沖縄からのお土産もない。

22年ぶりで、家の前を通った、という事だけで満足である。

こうして、練馬への「青春プレイバック」を終えたので、待機している編集員、H君にメールしJR総武本線の「亀戸駅」で待ち合わせ。

仕事のアイディアを得るご利益がある、という「亀戸天神社」(東京都江東区亀戸)を参拝に行くためだ。

今回の上京の目的として、ランダムに、まず「餃子の王将」で”餃子とから揚げを食べる”、というのがあった。

しかし、調べても、西麻布近辺にも練馬近辺にもなかった。

初めて体験した西荻の「餃子の王将」は、なくなっていて、隣の荻窪駅にある、という。

そこで、諦め掛けていたところ、「亀戸天神社」参拝を決めたら、「餃子の王将、亀戸店」が、亀戸駅にあった!

けっして、餃子の王将から決めたわけではない。神社を決めたら、近くにあったのだ。

あれこれあって、二人して亀戸店へ。

思った通りの美味しさに満足。

本当に沖縄にないのが残念だ。(5年くらい前か、、「大阪王将」は1件上陸したのだが、、。)

あれこれと餃子を食べつつ、話していて、いよいよ「リズムの本」を書く事になるか、という話題にもなった。
企画会議で、ちょっと話したら、手ごたえが少しあった、というのだが、このテーマは、「音感」以上に大変なテーマでもある。

そもそも、一般の音楽好きと話していて、「音感」と同様に「リズム」の話は、毎回、わずらわしいので、ちゃんとした本でもあれば、と思っていた事ではあるが、いざ、書け、となると、ちょっと考えも付かないほど、話は、広範囲ではある。

店を出て、神社に着いて驚いた。

神社の後ろに「東京スカイツリー」(東京都墨田区押上)がそびえ立っていたのだ。

実は、「餃子の王将」で餃子を食べる、という目的の他に、「東京スカイツリーを見たい」というのと、「六本木ヒルズを見たい」と、「お台場を見たい」と言うのがあった。

「六本木ヒルズ」は、初日、西麻布の駅に降り立って、青山葬儀場へ向かう際、駅の目の前にあった。

今度は、東京スカイツリーが、目の前にあったのだ。

これが、神社パワーか!と思われるくらいラッキーではある。

神社を選んだら、「餃子の王将」と「東京スカイツリー」も偶然に体験できたわけである。

なんと言う、偶然か!

それにしても、東京スカイツリーを真下から見上げたら、目がクラクラして来て、まっすぐに立っていられなかった。
後ろにひっくり返りそうになる。

高さは、「ムサシ」と言うので知られ、「634メートル」という事だ。

身体の重心が、634メートルのてっぺんへ吸い上げられて行く感じだ。

これは、一種の「視覚による幽体離脱現象」といえるだろう。

女優、シャーリー・マクレーンが体験した、というあの幽体離脱か!


『註:シャーリー・マクレーン(Shirley MacLaine、本名:Shirley MacLean Beaty、1934年4月24日-)はアメリカ合衆国出身の俳優である。バージニア州リッチモンド出身。俳優のウォーレン・ベイティは弟、サチ・パーカーは娘。

1983年に刊行され世界的なベストセラーとなった『アウト・オン・ア・リム』をはじめ、多くの精神世界に関する著作がある。』


シャーリーは、1983年頃、あれこれ凝って見ていたのだ。

宇宙飛行士が、宇宙から帰還した後は、なぜかみなスピリチュアルな世界、神への信仰心を強める、というのだが、共通して言えるのが、”地球を宇宙から見る”、という現象だ。

瞑想も極地は、身体意識(幽体)が、地球を越え、上昇して行く。

その結果、宇宙飛行士が経験したことと同じように、”地球を宇宙から見る”という現象を経験する、というわけだ。

これをシャーリーのビデオでは、瞑想の結果、生涯に1度というくらいの幽体離脱体験をすることになる、というわけだ。

まあ、今まで生きて、真下から地球上の建造物を眺めた経験の中、これは、トップの高さなので、脳も未体験だったのだろう。十分、トリップ(朦朧と旅をする)する事ができた。

これは、シャーリーのビデオにもあった、「映像による瞑想(トリップ)」とも同じだ。

渡 哲也(わたり てつや、1941年(昭和16年)12月28日 - )は、休日は、洗濯機の中で回る洗濯物を眺めているのがストレス解消、と言う、どうでも良いエピソードを10代の頃に読んだ事がある。

こうした事から、スカイツリーを見上げていると、目がクラクラして、やがては、幽体も離脱して行く事が予想できる。

そもそも、何かを「見上げる」とういうのは「畏怖」の行為でもあり、それとともに「憧れ」の心理も含むはずだ。

まあ、スカイツリーは、まだ営業していなかったが、現在は、問題も発生していて、あまりの高さに、てっぺんが凍りついたてしまい、そうした氷りが落ちて来たりするので、危険だ、というタクシーの運転手の話を聞いて来た、という者の話をさらに聞いたが、ホントかどうかのウラは取っていない。

そんなわけで、スカイツリーの真下は、なかなかの幽体離脱のための瞑想スポットではある。

スカイツリーを一回りして、午後5時頃、「Cine Mad Cafe」という、映画のポスターだらけの小さな喫茶店に入り、H君とアイス・コーヒーを飲む。

厚着をしていて、歩き回ったので、けっこう暑かったのだ。

午後8時発の羽田ー沖縄の便に間に合わせて、H君と駅で別れ、羽田へ向かう。

翌日は、また、教材のCDのレコーディングなので、お土産にと、桜の匂いのするロール・ケーキ、空港限定販売、というのを自分用とメンバー3人用にと1500円で買う。

(翌日、不評なのか、みんな半分残して帰る!やっぱり、お土産は、100円くらいの飴くらいのものでよかったなあ、と思う。)


東京は、死ぬほど寒いかな、と思ったが、4日、5日は、天気予報も「晴れ」で、そうでもなかった。

暖房の効いた電車の中は、逆に暑く、汗がじわ~とにじんだ。

こうして、13年ぶりのまたしてもたった一日の東京への旅が終わる。

このペースで生きていては、次の上京は、66歳くらいなのだが、これではいかんなあ、という気持ちはある。

誰か、東京での仕事を作って貰いたいものだが、午前零時くらいにお開きとなる飲み会は、大体、午後6時頃からスタートすべきではある。

しかし、重いアンプやギターを抱えて、オーナーも不機嫌の客もいないライブをやり、終わって2時間くらい呑んで終わり、という一日は、地獄界の一日ではあるので、そんな人生には何の未練もない。

そうだ!

2月10日には、ベストセラーを出した、という私にインタビューしたい、という事で、東京から雑誌の取材が入っている。

わざわざ、沖縄にやって来てのインタビューらしい。

インタビューを受けるのは、1995年7月3日の沖縄タイムス(夕刊)に出た、教室を再開する時以来であるから、これも17年ぶりくらいだ。

また、リットーミュージックの宣伝員も同行して、楽器店や書店を回っての宣伝も行なうそうだ。

(2月10、11日あたりの本屋、楽器店関係者は、よろしくお願い致します!。)

私自身も地元の大手の本屋は、3、4件ばかしは、けっこう頭を下げてセールスしたつもりではある。

地元民も、もう少し、関心を持ってくれたら、とは思うが、地元民を相手にしていたら、私自身は、食うに困って、とっくの昔に消えていただろう、とは思うので、これは、これでいいのだろう。


  
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00旅行

2012年01月29日

毎日の雑念と「友引」。本土VS地元

最近、回りに妊娠する女性が3人くらいいて、辰年と何か関係があるかな、と思ったら、妊娠の「娠」は、「女の辰」と書くではないか。

女の辰年だ。

「辰」は、「振るえる」、「震える」という意味を持つそうで、これらの文字にもすべて「辰」の字が付いている。

はい、座布団8枚!

40年間、愛して愛し抜いた愛人が亡くなった、と思ったら、後を追うように男の方も亡くなってしまった、というので、「まさか、友引の日じゃないだろ?」と冗談で言ったのだが、調べて見ると、その日は、「友引」だった。

「友引(ともびき)」には、あまり葬式はしないようだが、それは、亡くなった「友」達が、あの世の道連れに、最も親しい友を「引」っ張って行くからだ、という。

友達を引っ張るで、「友引」だ。

これは、座布団はいらない。

そもそも「先勝(せんしょう)、友引(ともびき)、先負(せんぶ)、仏滅(ぶつめつ)、大安(たいあん)、赤口(しゃっこう)」は、中国の古い占い、陰陽道の「六曜」の一つだそうだ。

この6つを1ヶ月繰り返す事で、「七曜」(一般に使用されている、月火水、、、の曜日)と同じようなものに使えるわけだ。

この「六曜」は、日に依っての、「吉凶」があるので、注目され、第二次世界大戦後から流行したようだ。

実は、「友引」は、そもそも「何をしても勝負がつかない」の意味で、「ともに引き分け」というのが正しく、本来は、「共引」と書くほうが正しいとの事。

それが、「友を引き込む」と解釈され、葬式では縁起の悪い日と誤訳されて行き、現在では、葬儀屋ですら「友引き」の日を休業にしている店が多いらしい。

ついでだから、全部、意味を書いておこう

先勝:朝から晩までは良いが午後は凶

友引:朝と晩は吉、正午だけ凶

先負:朝から昼まで凶。昼から夕方は吉

大安:一日中、吉

赤口:正午だけ吉


「仏滅」には結婚式場も半額にもなっていたりするらしいので、こうした「迷信」に振り回されていては損をする。

第一、「仏滅」ってのは、「仏が滅した」と言うことで、不幸と言うわけでもない。

解脱して、その教えは、永遠不滅の「教え」となるわけだから、めでたいともいえる。

それにしても、誤訳である「友引」と言うことであれ、その日が、友を誘う日と勘違いしたまま亡くなった人なら、親しい人を呼ぶかもしれないし。

近所のお婆さんの話で、親友のお婆さんが亡くなった、と言うので、その通夜にお焼香に行ったのだが、これまで、80年余りのつきあいの幼馴染の友人の亡骸を見てショックを受け、2、3日して、本人も亡くなってしまった。

歳を取って、あまり親友の通夜には行くべきじゃないかもしれない。
一人、取り残された感が強いのかもしれない。

双子で一世を風靡した金さん銀さんも一人が亡くなったらすぐに他方も亡くなった。

というわけで、さらに、どっかで読んだ話だが、こうした「吉凶」の占いの要素もある「六曜」は、暦やカレンダーを売るために導入されたものらしい。

確か、日めくりの「暦(こよみ)」を買う人が減り、みんな西洋式のカレンダーに関心が行ったので、そこで、普通のカレンダーに差をつけようと、「六曜」を入れて、サービスしたわけだ。

これをどこで読んだか探し回ると朝まで大変な事になるのでとりあえずこの話は置いといて。

今年も残すところ、あと11ヶ月。

しかし、1月23日の月曜日が、旧正月。

やっと本格的な今年が始まったが、今ひとつピンと来ないのはなぜか。

占い事とか、基本的に旧暦で占っているはずだから、運勢もこれからが、新たな年だ。

そもそも、まだ、本格的に演奏の仕事をしていない、という事もあるだろうけど、ほとんど去年から延長の仕事って事もあり、新たに何かをやる、という感じがない。

巷の話では、沖縄は、去年、東北震災の3月以降、多くのクラシック系ミュージシャンに次ぎ、ジャズ系ミュージシャンも避難して来ているらしく、ちょっとした仕事の激戦区になっているそうだ。

しかし、私が去年からちょこちょことあちこち覗いた限りでは、「不況」の影響もあり、すでに地元のミュージシャンは、どこかに消えている。

自然淘汰されたかな、という感じではある。

まあ、高齢化して行き、わずかな生き残りがいる、という感じで、兼業農家、というのを昔、教科書で習ったが、それからすると地元系は、「兼業バンドマン」という事になる。

さらには、第一種兼業農家が、農業主体で、第二種が農業が従としている、というから、第一種バンドマンと第二種バンドマンに分類可能でもある。

バンドマンが中心で、他の仕事をしているのが、第一種バンドマン、他の仕事が中心で、アルバイト感覚で音楽の仕事をしているのが、第2種バンドマンだ。

今の所、「第2種バンドマン」が主流じゃないか。

「第一種バンドマン」は、わずかにいる。

「専業バンドマン」は、段々、「絶滅危惧種」にあるわけだ。

「仕事」となると、ボーカルが中心だ。

ボーカルと言っても基本は、女性ボーカルだ。

音楽を聴く側の一般の人は、あまり器楽曲は、求めていない。

「女性ボーカル」を求めているわけだ。

だから、何をするにも「歌」でないとイベントの仕事も成立しない。

これは、どんな時でも女性は、不況に強い、という事なんだろうか。

それとも、男は、不況には弱い、という事が改めて、強調される時代か。

いずれにしろ、私の場合は、どちらからも声が掛からないので、関係ない。

今のところ、「第一種兼業音楽私塾講師」である。

「教師」としないのは、辞書で教師を引くと、第一義では「学術、技芸を教授する人」とあるが、第二義では、「公認された資格をもって児童、生徒、学生を教育する人。教員」と辞書にあるからだ。

「公認」されたわけではない。
勝手にそう名乗っているわけだ。

ちなみに第三義では「宗教上の教化をつかさどる人」というのもある。

まあ、第三義は、あたっていなくもない。
たまに、宗教話もしたりするが、これは、このブログだけでやっているだけだ。

実際の生徒でも色んな宗教がいるだろうから、密室で宗教を語るよりは、こうやって公に語る事にしている。

密室で語って、「私は、死にましぇん!輸血をしなくても死にましぇん!」と逆切れされたり、「キ~!教祖様の悪口を言うなんて許せないざ~ます!」と言われても商売に影響する。

誰しも信仰の自由だから、元気で、他人に迷惑をかけなければ、何でもいいだろう。

最近では、大統領立候補者のロムニー氏のモルモン教が有名だ。

『 米国で少数派の末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)が注目を集めている。
大統領選の共和党候補指名を争う3日のアイオワ州党員集会では、信者のロムニー前マサチューセッツ州知事が接戦を制し、好スタートを切った。 モルモン教を題材にしたミュージカルが大ヒットし、有力誌も相次いで特集記事を組む中、 教会側はこれを機に存在感を高めたい考えだ。』

モルモン教は、昔から歩いて2分27秒のところの近所に今もあり、子供の頃は、教会の中にも入った事がある。当時としたら、広い敷地にバスケットのリングもあるから、子供にとっては、魅力的な私有地ではある。

沖縄だとは言え、一般の居住区に、アメ~リカ然とした大きな教会があるのは、ちょっと珍しいではある。
「あな~たは、神を信じま~すか?英会話教室もありま~す」と呼び止められるのが、日常の世界だ。
(この逆で、20代の頃は、「あなたは仏陀を信じますか?日本語教室もあります。」と言って、みんなで笑っていたもんだ。)

彼等はいつも自転車に乗って移動している。今から20年、30年前に、初めて、あのエイリアンのような自転車用ヘルメットを被って自転車を走らせているアメ~リカ人宣教師たちを見て、宇宙人に見えたものだ。最近もある。

現在も、この調子で、たま~に、白人外人青年二人組が、夜もドアをノックして勧誘のために訪ねて来たりした。基本、二人組だ。たいていは、ドア越しに、覗き穴からちょっと覗き、「今、いませんよ~!」と居留守を使う。

1970年代は、「エホバの証人」も子供連れで、コンコンとドアをノックしてよく来た。という事で言えば、当時は、ここも、キリスト教系新興宗教の「激戦区」でもあった。

もちろん、現在も時折り、午後8時頃、コンコンコン、とドアがノックされる。

そんなわけで、バンド業界も本土VS地元と激戦区ではある。

(私の家は、家庭内でも、本土VS地元の抗争はあるのだけど、、。。厳密に言えば、地元VS関西地区であるけど。。)

私は、「エイリアンVSプレデター」の映画が一番、好きで、これを見だしたら、ストップが利かない。

夕べも、1月にテレビでやっていたので、これを録画しておいたのだが、テレビの容量の関係で、消さなきゃいけなくなってしまい、最後にもう一回と見ていたら、またしても朝方まで見てしまった。

こんな映画をそばに置いていては、何もできないと、見終わって、「え~い、くそ!」と削除ボタンを押す。

麻薬のような、悪魔の映画だ。

ミュージシャンが、あれこれとこちらへ乗り込んで来ても、特に、近年は、有名人と演奏するという事は嬉しいわけでもない。

有名人との演奏は、その演奏を録音しての公表ができない。
地元のミーハー軍団は大喜びだが、私自身は、もういい。
やっても何の生産的な意味もない。

有名人と言う前に、バリ島のミュージシャンが、いかにワールド・クラスの技量を持っているか、という事も知らないままの大名行列ではある。

さらにまた、有名人とは言え、この有名人も、もっと有名な有名人に依存した結果の有名人であれば、その有名人との「縁」がなくなれば、当然、糸の切れた凧のように、さまようことになるから、時間が経てば、これも次第に「無名人」へと変貌して行く。

同じ有名人でも、有名人の元の元、その源となるハービーハンコック、というのなら別だけど。

依存対象があっての有名人であれば、その依存対象がなくなれば、仕事もなくなるのは当然ではないか。

また、相手が有名人というだけで、簡単に公表できない演奏を、ごく少数の人間を対象に密室でやる、というのが、日本ジャズの伝統文化でもあるのだろうけど、そうした「伝統」にこだわった結果が、不況を招いたんではないか、と「経営コンサルタント」なら指摘するところではないだろうか。

ライブってのは、そういった意味では、「公開実験」的な要素がないと全く意味がないし、こうした要素を排したライブで、自分自身をアピールしようとしても効率の悪い結果となる。

実験の結果、この経験を活かして、より良いものを作り上げる事が正しい手順だ。
しかし、いかに多くのバンドマンが、膨大な時間をお客様サービスの密室芸に費やし、そして消えて行ったか。

流れて来るのは、そうした音楽業界の人材だけでもなく、財界やビジネスと言った企業の世界でも近年は沖縄進出を成し遂げていて、地元民、地元企業だけでがんばっている、という部門は、もう、なかなかない。

まあ、こうした流れは、20年前からの予想通りで、現在は、ライブハウスなんか行くと、地元の人間に会う方が稀であったりする。

私自身は、沖縄の人は、そもそも外貨を得なければいけない、という考えで、本土復帰1972年爾来これまで、不況で貧乏な島をアピールするわりには、本土からやって来たアーティストたちに莫大なお金を「献上」し、持って行って貰っている。

そのお金が、「還元」された事はない。

本土側のアーティストが橋渡しとなって沖縄側のミュージシャンに「外貨」を稼がした、という例もわずかにしかない。基本的には、やって来て、お金を集めて、帰るだけだ。

しかし、数少ない、外貨の稼ぎ手、としては、ゴルフの宮里藍がいるか。

『宮里 藍(みやざと あい、1985年6月19日 - )は、日本の女子プロゴルファーである。沖縄県国頭郡東村生まれ。』

宮里は、本籍を移していない、という事で、多くの賞金から発生する税金が、すべて村の発展へと還元されている、とひと頃は、噂されていた。同業の二人の兄は、どうなっているかは、ちょっとわからないが。

この点で言えば、安室 奈美恵『あむろ なみえ、1977年9月20日 - )は、日本の女性歌手』が、いくら活躍しても県が潤うわけでもない。

昔、10年以上前、安室奈美恵がデビューした頃、この話題が地元紙に載った。安室奈美恵の売り上げが、県の予算並のレベルではあるが、地元には一円も入らない、という記事だったか。育てるのは沖縄で、稼ぐのは本土で、という事で、人材育成のメリットが全く感じられない、というわけだ。

著名人の作家の中には、東京に住んでいて、莫大な税金を東京に納税するよりは、福島県の方がいいだろう、と「ふるさと納税」を利用している者もいるそうだ。

「ふるさと納税」は、自分で、どこの県でもいいから、助けたい土地に納税できるしくみだという。

参照:ふるさと納税:「http://ja.wikipedia.org/wiki/ふるさと納税

当然、全国平均とは言いがたい所得の沖縄県で活躍しながら、他府県に納税するってのは、これは一大事ではないか。しかし、無意識にそうして生きている若者たちも大量にいる。

南下して、沖縄に住み出して、フリーターとしてバイト生活で住み出すのだが、住民票を写しているわけではなかったりする。あるいは、税金踏み倒しってのもざらではある。

一番いいのは、アラブの富豪連合を沖縄観光に「誘導」して、一日、1億円ばかり使ってもらえたらいい。

実際、そういう観光地があったりする。高級車を何台も所有する富豪たちの伝説は、車の灰皿が一杯になったら車を買い換える時、というものだから、一日、1億円でも大した消費でもない。一人の富豪に何十人というスタッフがお供に付き、豪遊するわけだ。

レストランは、どこでも貸切。とにかく、お金は、使うためにある。
しかし、貯蓄志向の公務員ばかりを大量に増やしては、「景気」と言うものが無くなるのだが、沖縄も公務員率を上げるだけであるから、これでは国民が全員、国の職員である共産圏と変わりない。

みんな「ケチ」で、貯金ばかりしていて、CDも買わないので、「ミュージシャン景気」も起こらない。

日本では、有名な浪費家として、小銭、中銭、大銭に使い、という順に並べると、、

美川 憲一『本名:百瀬 由一(ももせ よしかず)、1946年5月15日 - )は、長野県諏訪市出身の演歌歌手、タレント 』

デヴィ・スカルノ『1940年2月6日 - )は、日本生まれでインドネシア国籍の文化人、タレント、コメンテーター。インドネシアのスカルノ元大統領第3夫人。NPO法人アースエイドソサエティ総裁。株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役。』

細木 数子『1938年(昭和13年)4月4日 - )は、日本の作家・タレント・占術家。テレビ出演の際の肩書きは心照学研究家・人間学研究家などと称する場合もある。かつては実業家でもあった。』


、、、といった事になるか。

、、と、まあ、一般人の中には、こうした芸能人よりも、もっと凄い大銭使いはいるだろう。(細木の使い方も普通ではないだろうけど。。。)

もちろん、アラブの富豪からすると比較にもならない幼児と大人くらいの差はあるだろう。
しかし、世の中には、さらにその上を行く支配者も存在している。

これは、国有地か?と思ったら、実は、代々、某名家の一族の所有だったりする。新宿や銀座と言え、誰かが所有している土地なはずだ。永田町でさえ怪しい。そんなのを世界に置き換えれば、当然、世界的な「地主」である富豪もどこかに潜んでいたりするはずだ。

寝ているだけで、一日に何百億円と入って来るわけだ。

というわけで、今、テレビで録画した、1月28日、土曜日の「朝までテレビ」が、「大阪経済復活の鍵は?!」と言うテーマで、橋下市長VS反対派という議論が展開している。

その1時間前は、沖縄の復帰問題を扱ったドラマの日曜劇場「運命の人」(1月29日、第3話)を見た。

「運命の人」は、あの「白い巨塔」を書いた山崎豊子の原作だ。

『山崎 豊子(やまさき とよこ、1924年〈大正12年〉11月3日 - )は、日本の作家、小説家である。本名、杉本 豊子(すぎもと とよこ)。大阪府堺市在住。』


「運命の人」は、毎回、楽しみに見ている。


「密約」に関しては、このブログでも、去年の3月10日に触れた。

http://sunpowermusic.ti-da.net/d2011-03-10.html

この翌日の3月11日に東北にあの震災が起きたので、その前日にはなる。

明日は、教材CDの何度目かのレコーディングである。

そんなわけで、毎日、頭の中は、このブログのように混沌としていて、今回は、思いつくままに、そのまま列挙して見た。

何が、一番、大事か、という事も言えないのだが、ついでに鼻水も出ている。

橋下市長VS反対学者軍団という事で、議論は、ヒート中。

よくわからないが、具体論反対、総論不問、という議論ではないか、と思う。

橋下市長は、目的のために手段を選ばず、何でも言っていいのか!、という話のようだ。

政治の世界は、「嘘も方便」が、許されない、という事のようだ。

こうした事ばかりまかり通るなら、「総論も反対」という事だろう。

大阪は、改革したいが、そんなワンマンなやり方では、変えなくていい、という事で、反対しているようだ。

橋下市長は、「公務員なら、国旗、国歌を敬うべきだ、まず、ルールを守るべきだ」という主張らしい。
これは、愛国心の問題でなく、公務員は、国家の下僕だからルールを守るべきだ、というわけだ。

それが、嫌なら「私立」の学校、「民間」の組織へ行け、という事らしい。

「個人の意見と政治的発言は、別です!」とは、橋下氏。


、というわけで、毎日、次から次へと問題が山積みされて行く。

この場合は、解決できそうな問題から、関わるしかない。

とりあえず、明日のレコーディングのために寝なきゃいけない。




  
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00雑談集

2012年01月23日

理想の老後、臆病の人、死の恐怖、武士の政治

今日もあれこれ、CD教材の録音作業をしていて、「よし、これで葬式に流す曲ができた!」と、やたら口癖のように言うと、みんな、何か縁起でもない、という反応をする。

まあ、このブログを読んでいる人間は、今の所、知り合いでも、2人くらいではある。

生徒と言っても、こいつら、何年も読んでいないな、と思われるのが、約2名。

まあ、それぞれ男女ではあるが、読書が苦手、という感じで、それじゃあ、読むわけがない。

ただでさえ、興味ある話題でもないわけだし。

それに、10年くらい読んでる、と言っても相変わらず、ホゲ~とか、ホ~、ホ~という、あいづちの生徒もいるから、大して、役にも立っていないのがわかる。

これも今年の思考テーマではある。

いくら本を読んでもなぜ、ホゲ~、ホゲ~、フンガ~、フンガ~しか言わないのか。

それと、自分だけは、なぜ、暴走族集団のように、赤信号を突っ走っても絶対、死なないと思っているのか。

自分は、死なない人間だ、と思って日々、暮らしているわけだ。

まあ、これが、一般の世界ではある。

謎は、多い。

「死」を語る事は、「縁起が悪い」わけではなく、「縁起」があるから、死も訪れるわけだけど、一般には、考えるだけで、ネガティブに見えるようだ。

それでいて、何かあると、「死ぬ気になってやれば何でもできる!」なんて励まし方をするわけだから、意味不明でもある。

「苦しい時の神頼み」「困った時の神頼み」と言うのに似てなくもない。

テレビで録画していた、仏教講義を見ていたら、人間の「過去」は、やがて証明するものがなくなって行くのが一般的な人生だという。

親も亡くなって行くと、自分が生まれた頃の思い出や証拠は、役所にでも行かない限りなくなる。

ああ、確かに自分は、この年のこの日に生まれたんだなあ、と戸籍で確認するだけだ。

しかし、どんな人にも「未来」は、残されている、という。

それは、単純なことで、「まだ、死んでいないから、、」だ、という。

まだ死んでいないって事は、未来があるって事だという。

人間は、生まれてから、「未来」が始まり、「死んで」、未来が終わるわけだ。

その宿命を越えるために修行が必要なわけである。

永遠の魂とは何か、という事になる。

誰もが、「悟れる」ものではないが、悟れる「要素」はある、という説法だ。

しかし、要素はあっても、修行しなければ、何の悟りもない、というわけだ。

人は、ある日、突然、死ぬ。

そういう風になっている。

年齢は関係ない。

それが、嫌だからと言って、部屋から一歩も出ない、と言うわけにも行かない。

一歩も出なかったとしても、ある日、突然、ガン宣告が来るかもしれない。

そうなると、生きている事自体が不思議で、長生きしている事は、奇跡に近い。

それほど、当たり前、という事でもない。

当然、天変地異の災害もある。

交通事故もある。

なるほど、人は、死ぬまで、未知の未来があるわけだ。

この間、読んだ本に、老後の生き方を説いた本があった。

普通、親は、子供のために、と人生を費やして終わるわけだが、そんな生き方をすべきではない、という教えだ。

財産も、すべて、親自身が、自分たちの代で、きっちりと使い切る事が良いという。

自分たちの人生をあくまでも充実させる事を優先した人生を送ろう、というわけだ。

まあ、その他にも、子供は親と同居した方がいいか、という問題には、同居すべきじゃない、という失敗例を多く上げていて、全体的に見ても成功例はわずかだと言う。

同居しない間は、たまに訪れて、親切にできた息子夫婦も、同居したために、老人の行動ペースの遅さにイライラしたり、食べ物が合わなかったり、同居しているのに、丸一日、顔を合わさなかったりすることで、余計に、淋しさが倍増したりする、という統計結果だ。

また、豪華な老人ホーム暮らしと言って、移住して来る老人もいるが、最初は、感激するが、何と1ヶ月も経つと、すぐにホームシックにかかる。

しかし、すでに帰る家はない。

それで、ボケの進行も早いのだと言う。

誰しも、旅行先で、ホテルに泊まるのは楽しいが、そこで、一生を暮らせ、となるとストレスになるようなものだと言う。

老人になってからの引越しボケも頻繁に起こっているという。

しかし、「思い出は空間に残っている」という。

だから、テレビ番組での歳を取ってのリフォームも実際には、豪華な老人ホームのような現象が起きているんじゃないか、という。

いくら、思い出の品を何かに再利用したとしても、「思い出は空間に残っている」というわけだから、すぐに飽きる。

老人ホームでも、本当に良いのは、それぞれが、今まで住んでいた部屋を全く同様に再現するような作りだと、まだ、いくらかましじゃないか、というわけだが、そんな老人ホームはなかなか実現できない。

また、建築業者が、お勧めの大きなリビングのある家なんてのもまやかしで、実際には、家族なんて、そうそうそんなリビングに集まるもんでもない、という。

実際に機能する家は、狭いながらもキッチンにあるテーブルがある家だと言う。

そこで、家族みんなが食事をしたり、集まったりする程度のスペースのある家の方が、喧嘩をした時の仲直りも早いのだと言う。

大きなリビングのある家では、喧嘩した時にそれぞれが部屋に閉じこもり、仲直りもなかなかできない、という。

子供が巣立てば、年に1、2度しか使わない部屋になるので、無用だという。

う~む、そんなものか、とヘェ~、ヘェ~の連続である。

とにかく、できるだけ何も持たない人生を送る事が、老後は、気楽だと言う。

子供になんかお金を残すより、晩年は、世界旅行にでも出るべきだ、と言う勧めである。

まあ、これでも、まだまだほんの一部なので、もっとあるのだが、なるほど、そうだったのか!と気づいた事がある。

親自身が、子供のために、と思って、自分の買いたいものも我慢して、質素な暮らしをしていたら、子供は、どう感じるか、だ。

おそらく、子供は、親の願望とは正反対に、「自分は、こんな親のような人生を送りたくない!」とホリエモンのように思うのではないか。

きっとそんな親は、誰でも嫌なんじゃないか。

ゆくゆく自分もああなると思うと嫌なんじゃないか。

それとは逆に、老後になってからも、子供のためになんかお金を使わないで、自分たちだけのためにお金を使う親はどうだ。

あちこちに行って旅行したり、趣味な事をしたり、究極は、世界旅行だ。

もしも、そんな人生を自分の親が、80代でも続けていたらどうか。

「その金、オレに寄越せ!」なんて息子、娘たちが、思っていたとしても、段々、自分たちも歳を取るたびに、「ああ、自分の親は、この歳では、こんな事をしてたなあ」という記憶が思い起こされるんじゃないか。

それが、子供たちにとっての「良い人生の手本」となるんじゃないか。

ああ、自分の親は、この歳では、こんな趣味を始めたのか、負けていられないなあ、と思うわけだ。

90歳からマラソンでも始めた親の子供がいたとしたら、これなんかも、80歳になったからと言っても、まだまだ、安心していられない。

ああ、自分の親は、この10年後にマラソンを始めたのか!と思うはずだ。

まあ、マラソンは、大変でも、色々な趣味事もある。

結局、本では、「芸術家を見習え!」というわけで、何か、芸術事を始めるべきだという。

しかし、昔、老人ホームで、ボランティア活動の人間たちの芸事を見せられた入居者たちが、ただでさえ、ボケている老人たちなのに、その上に、大した事もない素人芸を見せられて、すぐに飽きて、みんな部屋に戻って行った、という。

人を感動させる事ができる芸術家は、特殊だと言う。

だから、本当のボランティアは、自分もその道で、プロとしてやって来た事を何とか利用して、人のために役立てればいいんじゃないか、という。

それが本当に人に喜ばれるボランティアになるんじゃないか、と言うわけだ。

パソコンができる人はパソコンを無料で教えたり、掃除ができる人は掃除したり、でいいわけだ。

なぜ、老後は、芸術家を手本とするか、と言う話で、芸術家と言うのは、幼い頃から、「変わる」事を楽しんで、どんどん変化して行く特殊な人種である、という。

人が真似できない事をどんどんやって変わって行く事を楽しみに若い頃から生きている人種なので、そんな生き方を老後は、真似るべきだ、という。

多くの著書を持つ医者の本ではあるが、本の後半の「こんな人を目指せ!」というようなアドバイスの半分以上が自分に当てはまっていて、「何!、オレは、すでに理想的な老後の生き方をしていたのか!」と思ったほどだ。

しかし、そんな風に指摘されても、ずっとこうした生き方で生きて来た自分に取っては、そんなもんかなあ、としか思えない。

とはいえ、これは、偶然そうなったわけでもなく、やはり、20代くらいから、人生は、何をどうして生きたらいいか、という思索や本をあれこれ読んだりして来た結果の事なので、これは、全く意図した生き方ではある。

半径50キロくらいの近所の人間には、支持されなくても、遠くへ遠くへと支持されて行く人生がいい。

いつでも旅人の目線で、夢見心地で暮らしていたいわけだ。

10代、20代の頃に夢見た世界からすると、まだまだ何も実現していないのではあるが、中々、まっすぐにトロッコを走らせるのも技術がいる。

まあ、この歳で、少しわかった事といえば、人の日常の大半の時間は、無意味な努力に費やされているんだなあ、ということ。

たとえ、大勢に囲まれ、一見、成功しているように見えたとしても、それが、実は、人生、最大のピークであった、なんて事は当然起こる。

「有名幻想」に取り憑かれて、ただ、無意味に忙しいだけの人生ってのもある。

本人の中では、これが、やがて、「成功」につながるんだ、と思っているのだが、実際は、全くの見当違いであるわけだ。

ギャンブル性が高い人生に思えるが、実際は、そうじゃない。

ちゃんと原因があって、結果がある。

その時間を意味のある事に変えるだけで、何もかもが変わって来るんじゃないか、ということ。

歳を取ると「変化」する事を嫌がる、というが、芸術家は、常に変化を好む、というわけで、この辺も見習うべき点ではある。

人は誰しも臆病だ。

何をするにも「未知」のものは恐怖だ。

知らないから恐れるわけだ。

これを簡単に克服できるわけもない。

もちろん、大義名分があれば、勇気も湧いて来るだろう。

これは、自分だけの問題ではない、正義のためだ、家族のためだ、という大義名分だ。

もしも、自分が、臆病だと思ったら、その事自体を楽しむ他ない。

ああ、自分は、臆病なんだな、一体、どれくらい臆病なのかを色んな事をして試してみよう、という科学者の好奇心で、「自分研究」をするしかない。

まあ、一般的に、あれこれと批評する人は、臆病な人が多い。

何かを批評する事は、自分をその対象より「上位」に置くわけだから、それを「経験」していない人間が、この思考回路に入ると反比例するかのように、臆病な体質になって行く。

だから、批評は、現役の人間か、引退した人間が、やるべき事で、経験した事がない人間が、批評してしまうと、臆病になるのは当然の結果ではある。

あいつは、ダメだ、こいつは、ダメだ、と言っている奴がいたら、もの凄い臆病な奴なんじゃないか、と疑ってみたらいい。

大概、当たっている。

私自身も、大変、臆病なので、何か未知のものをやる時は、「反省禁止の術」を使って、できるだけ、何も考えずに、行動だけをするようにしている。

しかし、バリ島のアニマル王国では、どうしても、横たわっているトラに抱きつく事はできなかった。

歳を取ると飛行機に乗ったりする旅行が嫌いになると言う人もいるが、よくよく問い詰めて見ると、どうやら、年寄りは、「どうせ、もうすぐ死ぬのに、何も自分から、飛行機なんか乗って、事故死なんかして、死を早める事もない!」という心理のような気がする。

そのために、男性は「病院嫌い」も多い。

病院で、いきなり「ガン宣告」される事を恐れているわけだ。

これも、わざわざ病院へ行って、自分から「死期」を早めてしまう行為なわけだ。

飛行機に乗ることと同じなわけだ。

なるほど。

確かに、そんな事もあるんじゃないか、と思う。

人間に取っては、やはり、最大の恐怖は、「死」であるわけだ。

死をもって未来も無くなるからだ。

そんな最大の恐怖である「死」を考えないから、どうでも良い恐怖におびえるのではないか。

という事は裏返せば、今日、生きていた事への感謝の気持ちもない、と言えるか。

いやいや、自分は、感謝して生きている、というのなら、臆病な人生はありえない。

世の中には、何もせず、無念の気持ちで死んで行った人が多くいるわけで、そんな人たちの思いを感じれば、少しは、外に出て、人生を見てみよう、と気持ちにならないか。

それでまあ、こうして、たまに、「死」を見つめるわけであるが、そういう事を考えないと生きていけない、と言うことは、私自身は、人の何倍も臆病だからなんじゃないか、とは思う。

「あなた、あと1ヶ月で死ぬよ」と言われて、「ああ、そうですか」とは簡単に言えない。

じゃあ、「死」をも考える必要のない「度胸」のある人たちは、どれほどの人生の醍醐味を味わっているんだろう。

民主党には、絶対負けない!

今一度、政権を奪還せねば!と、自民党の谷垣貞一総裁の演説をテレビでチラッと見た。

『谷垣 禎一(たにがき さだかず、1945年(昭和20年)3月7日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(10期)。自由民主党総裁(第24代)。』

こんな時代にあんなにも必死になって政権がどうのこうのって。。

野党になると国からの給与でも極端に減るのだろうか。

そもそも、原発開発の頃の自民党の議員たちが、自民党やら民主党に分かれて、騎馬戦ごっこしてるだけじゃないのか。

こんな「有事」の時に、政権奪回だけを考えている人間たちがいるなんて、相変わらず政治の世界は凄すぎる。

「死をも恐れぬ」って言葉もあるが、それじゃあ、もう怖いものがないって事だから、何しても平気なんだろう。

ああ、そうか。

あれが、ひたすら党への忠誠心だけで戦う、武士たちってわけか。

ひょっとして、こうやって、昔の日本は、一致団結して、間違った方向へ向かって行ったんじゃないか、と思われる、目の血走り方だった。

ああ、谷垣総裁の追加のプロフィールがあった。

『文部大臣(第100代)を務めた谷垣専一の長男。影佐禎昭元陸軍中将は祖父。』

なるほど。

二世か。

国家の事よりも、党の事が大事なのが、二世議員たちの特徴だ。

つい何年か前は、政権もちゃんと自民党だったわけだし、自民党が大した事もないから、政権が変わったわけだし、そんな短期間に、政権奪回が、あんなに目も血走った悲願となるのかねぇ。

よっぽど野党の待遇って我慢ならないんだろうか。

だから、何としても政権奪回なわけだ。

ああ、今日も脱線してしまったか。



  
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2012年01月19日

食物連鎖と組織の後継者選び

3、4日前から、いよいよラストスパートを掛けよう、と第2弾本の「あとがき」の執筆に取り掛かる。
最後の脱稿を終え、まだ、何か足りないな、と「参考文献」を整理し、まとめる。

こうした参考文献なんか、私なんか10万円払っても惜しくない「情報」が一気に判明するのだが、まあ、いいか、と書き終え、「送信」したら、何と、午前8時半。

当然、お酒も呑みながらなので、この時点で、けっこういい気分になっている。書き終えたという事で、もう一杯いくか、となり、気が付くと午前9時過ぎ。

あとは、CD教材の録音を仕上げ、膨大な原稿チェックをするだけとなった。

このまま、ずっと呑みたい気分ではある。

一応、4ヶ月ほどで、すべてのCD教材の原稿から、本の原稿を書き終えたわけであるから、祝杯気分ではある。

朝まで、夜通し書いていると、戦上にいる気分になる。

昔もよく徹夜で仕事をした。

まあ、幕張メッセや晴海埠頭、流通センター、と言った場所だけど。

30歳から31歳頃が、一番、働いたかなあ。

朝7時から幕張メッセで働いて、午後の5時頃に終わって、それからまた午後7時から浜松の流通センターに行って働いて、午後11時まで。

それから、継続の徹夜組を希望して、午前8時に終わる。

それぞれ1時間くらいは、食事休憩があるから、19時間労働で、手にした金は、3~4万円といったところか。

タイミングが悪い時は、それから、午前10時くらいから、佐藤先生のアレンジの授業があった。

そんな生活を2年くらい送っていたかなあ。

酒も良く飲んだ。

そんなこんなで、当時は、午後11時頃に家に帰ると、その日の「同僚」と帰り道が一緒になったりして、そのまま飲みに行ったり。

まず、第一に身体が丈夫だったんだろう。

まあ、昔のように振り返っているが、実は、今も大して変わりない。

あの頃と体力もテンションも酒の量も変わっていない。

そんなわけで、昨日も一眠りして、昼には起きる。

起きたら、某イベントの名前を募集しているというメールで、このままでは、沖縄だけでしか通用しない名前ばかりだ、という内容。

ちょっとしたアクシデントで、大量メール送信された来たわけだ。

なるほど、他の名前を見ると、”GROUND ZERO”まである。

「爆心地」と言う意味で使っているらしいが、これは、アメ~リカ人に反感を買うのではないか。

あの9.11テロの現場の事じゃないか。

今で言えば、「福島原発事故」みたいな言葉と同じだからだ。

”GRAND SLUM”というもあって、「制覇」としているが、これは、普通に野球中継で言う「ホームラン!」の事じゃなかったか。

これを聞いたら、「ホームラン!」と言われているようなもんだろう。

イベントの名前を募集していて、昨日で締め切りってのは知っていたのだが、ちょうど暇だったので、さてと、、と一応、5分くらい考えて、返信。


”THE SPIRIT”


我ながら、これは、ワールドに通用する言葉だと思う。

ざっと辞書には、「精神」「心」「元気」「気力」「気迫」「勇気」「熱情」「忠誠心」「霊魂」「蒸留酒」、、など、様々な文脈での「訳」がある。

「あなたと SPIRIT(こころ)は、一緒です」

「私は、 SPIRIT(気持ち)は若い」

「勇敢な SPIRIT(人)」

「彼女を( SPIRIT:元気)づける」

「愛国 SPIRIT(心)」


とある。


「スピリッツ」と言うとウィスキーの名前にもあるらしい。

しかし、元々、この言葉は、外部から体内に入って来て、人を元気にさせる、という意味らしい。

そこから、「霊魂」であったり、「お酒」であったりするわけだ。

元々、人間の生命エネルギーは、「外からやって体内に入るもの」というインドの原始宗教にも通じる思想があるのだろう。

神が、人間に「息吹」を与えて、生命が誕生する、というわけだ。

それが、スピリッツだ。

さらには、単数形で使えば、日本語の「スピリッツ」の使い方と一線を引けるだろう。

そもそも、ちゃんとした発音で、この”THE SPIRIT”をアメ~リカ人にでも発音させてみればいい。

どえらくカッコイイはずだ。

さらに、”FREE SPIRIT”と言う言葉となると、「慣習にとらわれない自由に生きる人」という意味らしい。

おお、これは、私だな!といいたいが、画家の岡本太郎みたいな人か。

という事で、イベントへのネーミングは、投票形式で決まるらしいが、果たして、採用されるかどうかは、その組織の運気にも関わっているだろう。

私まで、秘密に参加してしまったわけだから。
没になるようでは、組織自体に大した未来もない!

あまりにも良いネーミングがない、と真剣に嘆いている組織の若者がいたので、応募しただけではある。

今日こそは、呑みに出よう、と思ったのだが、こうしてブログを書く「仕事」が残っていた。

だから、また、こうして、録画した正月番組を見ながら、部屋で飲みつつ、書いている。

私にとっては、ブログを書くのは、「仕事」の一環であるから、ちゃんと更新しないと商売にならない。

まあ、今は、大して、誰も読んでいないが、いずれCDでも売れれば、読者も増えるだろう。

という事で、組織論。


会社の社長や、その組織のリーダーが、急に亡くなった場合、その組織はどうしたらいいか、という事になる。

そもそも、その会社の一番の優秀な社員と言うのは、一番、社長に従順な”奴隷”というのが、一般的だ。

”真面目”と言う事自体、その会社の方針にちゃんと従っているわけだ。

一般に、古い会社となると、公務員関係と同じで、当然、年功序列方式にもなっていて、どんなに優秀な若手社員であっても、先輩を押しのけて、でしゃばるわけにはいかない。

吉本興業だって、入社した日が、早い順に年齢に関係なく”先輩”となるから、基本的にこれも年功序列の世界と変わらない。

同じ会社なら、「後輩」が「先輩」を差し置いて、しゃしゃり出ては行けないわけだ。

スリムクラブの真栄田 賢(まえだ けん、1976年3月1日 - )が、「先輩」芸人コンビ”レギュラー”の西川晃啓(にしかわ あきひろ、1979年8月11日 - )や松本康太(まつもと こうた、1979年5月16日 - )に「おまえらも、ちゃんとがんばれよ!」なんて激励されている。

前田も「ありがとうございます。先輩!」なんて言っている。

これなんか、暴走族用語で言えば、スリムクラブから見ると「4コ下ッス!」という事になるか。

こんなことは吉本ではよくある話で、ブラック・マヨネーズの小杉 竜一(こすぎ りゅういち、1973年7月5日 - )は、サバンナの高橋茂雄(たかはし しげお、1976年1月28日 -)が、先輩で、「おい小杉!」「はい!高橋さん!」の関係で、高橋は、小杉を可愛がっている。

これは小杉から見れば「2コ下ッス!」となる。

まあ、芸人の世界は、売れた者勝ちで、悔しければ、人気芸人になればいい、というシステムだ。

古くは、オール巨人阪神のオール巨人(オールきょじん、1951年11月16日-)と明石家 さんま(あかしや さんま、1955年〈昭和30年〉7月1日 - )、島田 紳助(しまだ しんすけ、1956年〈昭和31年〉3月24日 - )の同期関係もある。

さんま、紳助は、お互い同学年であってもオール巨人からすると「4コ下ッス」となる。

ダウンタウンにもある。

トミーズ雅(トミーズまさ、1959年12月24日 - )と浜田 雅功(はまだ まさとし)1963年(昭和38年)5月11日)や松本 人志(まつもと ひとし)1963年(昭和38年)9月8日)の同期関係だ。

これも「4コ下ッス!」となる。

トミーズ雅は、元々、プロ・ボクサー仲間で同級生の赤井 英和(あかい ひでかず、本名同じ、1959年8月17日 - )と同級で、赤井が相手だと、「おい、赤井!」だが、ダウンタウンからは、吉本芸人でもない赤井は、「赤井さん」になる。

こうした関係は、どんな世界も基本的に同じだ。

いかに、日本人が、「先輩」「後輩」の世界で秩序を保っているか、がわかる。

だから、「真面目」な人ほど、これを遵守する。

そもそもが、みんな「武士」を気取りたがるのではないか、と思う。

武士は、主君に従順に仕える「奴隷」のようなものだ。

(あんまり酷い主君は、闇打ちには遭うだろうけど、、。)

じゃあ、その主君、会社で言えば、社長が、突然、亡くなったら、その後継者は、誰が一番いいか。

その組織、会社が安定している内は、基本的に誰でもいいだろうけど、会社が、存続の危機にあったらどうか。

その会社で一番、優秀な社員は、社長に一番、順々な奴隷と言ってもいい。

これでは、社長亡きあと、降りかかって来る、波風に耐えていける知力ある後継者とはならない。

そもそも、社長の器がある人間なら、とっくの昔に独立して、それなりの独自の組織を作り上げているもんだ。

だから、突然、社長が亡くなった会社が、自社から、一番、優秀な、、、つまり、従順な奴隷社員を選んでも会社は維持できない。

取るべき方法は、ライバル会社の社長に合併してもらうか、あるいは、早い段階で、会社を飛び出して活躍している独立心旺盛で優秀な元社員を呼び戻し、「社長」になってもらう、と言った方法がベストではないか。

結局、これは、組織の宿命でもある。

人望のある社長に、惹かれるのは、人望のない部下って事になる。

自分に人望がないから、その社長の人望に惹かれるわけだ。

もしも、部下にも人望があれば、社長にあこがれる事もなく、すでに独立しているはずだ。

したがい、そんな社員が、社長になってみても、元々ない人望だから、亡くなった社長のようにはなれない。

会社は、倒産するのを待つだけである。

これは、ジャイアント馬場やアントニオ猪木の時代のプロレス団体の話にも通じる話ではある。

対策としては、やはり、ライバル社から、優秀な社員をスカウトして、社長になってもらうしかない。

他社の優秀で、従順な奴隷社員は、別の会社では、従順でなくてもいいからだ。

よその会社だと、先輩も押しのけ、ただただ、会社に必要な事だけを選択する有能な社長となれるのだろう。

よく知らない”先輩”たちにも遠慮して謙虚になる必要は、どこにもない。


う~む。

さすがに眠いので、この辺で、、、。


  
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2012年01月13日

環境と人間判別法。誕生日に死


最近は、呑んだ帰りに、店の人に頼んで、「何か、紙コップとかないかな?呑みながら、歩いて帰りたいんだけど?」

というと、店の人も、わりあい、協力的に、紙コップみたいなのを探してくれる。

貰った紙コップにお酒を入れ、家まで、歩いて帰ることになる。

1月10日は、新年会で、これからの一年どうしよう、という事になったが、私も含め、みんな、ふざけた話ばかりしたので、、まあ、いいか、という事になり、お開きとなって、冒頭の紙コップに戻る。

お酒を呑みながら、歩いていると、色んな事を考える。

しかし、考えていると、「考えるな!感じろ!」とブルー・スリーの言葉が聞えて来る。

この日は、そんなに寒くない。

コートの下には、半袖のTシャツだ。

それで、考える事を辞め、ひたすら、歩き、コップ酒を呑む。

こういう時間もたまには、必要だ。

そうだ。

磯野 貴理子(いその きりこ、1964年2月1日 - )が、笑福亭 鶴瓶(しょうふくてい つるべ、1951年12月23日 - )の還暦祝いの番組で、鶴瓶師匠に言われた一言、という言葉が、ちょっと忘れられない。

1980年代後半、『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)のいいとも青年隊メンバー(最初の女性メンバーの一人)として活躍していた頃の話だ。

番組での青年隊としての仕事が終わり、次の仕事もなく落ち込んでいた頃、ある店で、「笑っていいとも」で一緒に仕事をしていた鶴瓶師匠に再会した時の話だ。

鶴瓶師匠は、貴理子を見るなり「あっ、おまえ、今まで何してたんだ。早く、こっちまで登って来いよ!」と開口一番に言ったそうだ。

この一言で、貴理子は、がむしゃらにもっとがんばろう、と決意したという。

鶴瓶師匠は、当時のことを、「この子は、”笑っていいとも”でも、トークの才能もあるから、絶対に出て来る!」と思っていたので、久しぶりに再会した時、そんな発言をしたんだと思うとコメント。

ええ話や。。。

私も、マイルス・デイビスにそんな事を20代の内に言われたら、今頃は、、、ニューヨークでホームレスくらいにはなっていたかもしれない。

こうしたエピソードで、思い出すのは、ギタリストのパット・マルティーノ(Pat Martino:1944~:)とジョージ・ベンソン(George Benson, 1943年3月22日)は、幼馴染だ、という話だ。

二人は、よく先輩のウエス・モンゴメ リー(Wes Montgomery, 1923年3月6日-1968年6月15日)の楽屋に遊びに行ったりしてて、そこへ、巨匠のレスポールも現われて、よく4人で、ランチを食べた、という。

『レス・ポール(Les Paul、本名はLester William Polfuss、1915年6月9日 - 2009年8月13日:アメリカのギタリストでかつ発明家。ソリッドボディーのエレクトリック・ギター、「ギブソン・レスポール」の生みの親である。)』

こんな環境で育った若者、パット・マルティーノとジョージ・ベンソンが上手くならないわけがない。

私の20代の頃は、それどころか、「しょせん、オレたちは、一流とは違うからな!」というのが、口癖の先輩しかいなかった。

そんなアドバイス(?)を24歳頃から毎日のように聞かされ続けていた。

今では、その先輩も、1流にはならず、無事、この間、還暦を迎えていた。

本人も望んだ通りの3流人生だから、これで本望だろう。

めでたし、めでたし。

彼に不満が、あるとしたら、自分だけ「3流でいたい!」という願いをかなえればよいのに、後輩となる若手もみんな彼の「道連れ」にしようとしたって事だろうか。

今でも彼の生徒たちにも同じようにアドバイスしているのは、私の水晶玉にもしっかり写っている。

世代を超えて、彼の同じ発言を近年も聞いた、という若手がいたので、今でもそのアドバイスは健在のようだ。

ただ、3流でいい、という立場でも、有名にはなりたいらしく、彼なりにあれこれ頑張って若者にくっついて活動したりしていたのだが、ついにその夢はかなわなかった。

そんな若者バンドに紛れ込む活動までして、なんで、そんなに有名になりたいのだろう、と思っていたりはした。

昔の漫画だと、「有名になれば、幼い頃に生き別れたおっかさんに会えるかもしれないからじゃ!」と言う動機があったりしたが、そんな生い立ちでもない。

こうした環境からすれば、貴理子が、鶴瓶師匠に「おまえ、早く、ここまで来い!」と言われた環境は、恵まれていると言うか、特殊ではある。

一般の人には、そんな出会いもないし、周りは、基本的に、世界旅行をしても、ベストセラー本を出しても、人類史上、稀に見る大発見しても、世界コンサート・ツアーで成功させても、何の関心も抱かない「友人」ばかりではある。

そもそも、それを「友人だ」「先輩だ」としている事からして、その人自身が哀れではある。

孤独に耐えられず、依存する相手を間違えてしまっているわけだ。

猫の側で、卵からかえった、ひよこだったか、何かの鳥の雛だったか、、、、その子は、猫自身を「親」だと思う心理に似ている。

親だと思って、猫に依存し、しばらく猫に着いて回るが、やがては、猫に食べられてしまう、という。

「淋しい心」も同じで、誰かに依存したい、という気持ちが先行している。

そうした精神状態が、そもそもの間違いで、自分にとって一番、遠い人間を「友人」としてしまう事になる。

「幼馴染:おさななじみ」ってのも基本的には、同じ環境に幼い頃からいたって言うだけで、これなんか、考えようによっては、犯罪者が、「こいつは、昔、同じ刑務所の同じ部屋にいたんだよ!」という境遇と変わりない。

そもその、脳科学的には、同じ環境にいるとお互いが「同調」して、好みも考え方も似て来る、という話ではある。
偶然、考え方が合うわけではない。

しかし、この統計も「自己」がない人間の場合ではないか、とは思う。自分では、何も考えないで、他人に合わせるだけの人というのが、一般的な態度ではある。

子供の頃は、同じ環境にいたとしても、大人になれば、人は、それぞれの人生を歩む。

人生と言うステージに立ち、何らかのパフォーマンスをする人と、それを批評するだけの人、と言う区切りは、最近のテーマではある。

最近、思うのだが、結婚式なんかを扱った映画で、日本では、「友人代表のスピーチ」というのがある。

「釣りバカ日誌」でも浜ちゃんが、このスピーチで苦労する話がある。(竹内力が出る章だ。)

あれが、できない友人は、みんなインチキじゃないか、と思うのだが、どうだろう。

本当の「友人」なら、浜ちゃんのように頭を抱えながらも、「友人のために」チャレンジしてくれるんじゃないか。

人によっては、恥ずかしさもあり、ノイローゼ寸前になるものだが、それくらいの「友人」でないと、お互いが切磋琢磨できないのではないか。

インチキな友人ほど、言下に「それはお断りだ!」と逃げまくるのではないか、と思っている。
まあ、昔の人ならいざ知らず、これからの人が、こういう事もできないでは、いけないのではないか、と思ったりする。

こうした基準を持てば、過去に「友人だ!」と言っていた関係も、「ああ、あいつは、自分のためには、そんなスピーチなんかしてくれないなあ」とわかる。

なんだ、偽者の友人を友人だと思っていたのか、とわかる。

この他にも、本当の友人は、他の友人にも紹介できる。

ああ、あいつは、ちょっと他人には、紹介できないなあ、と言うのは、そもそも「友人」ではないのに、自分自身の「淋しさ」から、むりやり、「友人」だと思い込もうとしているにすぎないのではないか、と思う。

これからの人は、こうした「基準」も持って、「友人」を検証してみたらどうかと思う。

「先輩」の検証は、まあ、少なくとも、「1流さんは、オレたちとは違うから!」と若者にまで言わない先輩がいんじゃないか。

そもそも、そんなのは、「先輩」ではない。

「ドリームキラー先輩!」でいい。

あるいは、「嫉妬深いお爺ちゃん先輩!」でいい。

「後輩」の基準は、せめて、ブログにその日、会ったという事をちゃんと書くような後輩がいいんじゃないか。

一切、その形跡すら残さない後輩は、策士だから、気をつけないといけない。

役に立たない、と思ったら、挨拶もしなくなるんじゃないか。

まあ、「友人」という人間が、そもそもお互いのブログを読んでないわけはない。

友人がブログをしている、というのに何年も関心がないってのは、葬式に来るかどうかも怪しい。

その場だけの利害関係だけで、つきあっているだけなんだろう、と思う。

そんな事ばかり言ってネガティブじゃないか、と言う人がいるかもしれないので、それは、思考と危機意識が足りないだけである。

この間見たNHKの宗教番組「こころの時代(2012年、1月7日)」のテーマが「人生は死を背負って生きている」だ。

話し手は、金城学院大学学長の柏木 哲夫氏(かしわぎ てつお、1939年5月29日 - )

医師でクリスチャン。

40年近く、日本のホスピス医療のさきがけとなった人。

末期ガンの患者など、これまで、2500人を看取ったという。

この人の提唱するのが、「誕生日に死について考えよう!」である。

人間の死と生は、紙1枚の表と裏の関係だと言う。

生と死は、表裏一体で、一陣の気まぐれな「風」が吹いて、その紙は、「生」から「死」へと裏返る、という。

その事を理解するためにも、せめて誕生日に、自分の死を考える、という事が大事ではないか、という。

人は、突然、「あなたはガンです!」と宣告され、生と死の紙は裏返る。

生を考えるなら同時に死も考えるべきである、というわけだ。

このブログは、10年も前から、時折り、「死」を考えていたりするが、一般にも誕生日が来るたびに、「死」を考えるべきだ、という。

一陣の風で、表裏一体の生と死の紙が、突然に裏返り変わる、という表現は、人生を良く表している。

そういえば、20代の頃、自分の葬式の事を考えたりした。

その時から、「生きている内に会いたいと思わない人間の葬式には出ない!」としていたのだが、歳を重ねると、そうも行かない「しがらみ」も出て来る。

酷い目に遭ったなあ、と思う「先輩」は、自分の葬式に来て欲しくないし、自分でも、絶対に行かない、と20代の頃から思っている。

生きている間、ずっと自分に対して嫉妬心丸出しで、攻撃していた人間が、自分が死んだ、と言うのに、嘘っぱちな神妙な顔を見せ自宅に来られたんじゃあ、たまらない、と思っていたわけだ。

それで、これまでのすべての罪が、赦される、という事にはならないのに、平然と出席しているのが、許せなかったわけだ。

いじめた張本人が、しゃあしゃあと、いじめを苦に自殺した「友人」の葬儀に出席、というのもよくある話だ。

10代の頃読んだ、作家の筒井康隆氏(つつい やすたか、1934年(昭和9年)9月24日 - )のエッセイでは、一人一人が持って来る香典の額が死んだ後に気になる、とあった。

「こいつ、これだけしか持って来ないのか!」というわけだ。

30年くらい前だから、筒井氏もまだ、40代後半か50代前半と言った頃じゃないか。

「死」を考えるってどういう事だろう、とは思う。

話し手の学長、柏木氏は、誕生日のたびに遺言書を書き換えるらしい。

なるほど、それもいいかもしれない。

私自身は、1998年だったか、今から、14年くらい前になるのか、突然、ひょっとしたら、自分の人生は、これで終わりかもしれない、という気持ちになった。

39歳くらいだったのか。

それで、こりゃあ、死ぬ準備を早くせねば!と思い、自分の過去の演奏を集めた「作品集」のCDを作ったり、これまで、言えなかった事を書いて終わろう、と言う気持ちで、ホームページを始めた。

これは、これで「遺言書」となっているのだろう、とは思う。

いまだに、まだまだ生きているので、こうやってたびたび遺言書を「更新」しているわけだ。

何をやるにも、いつもこれが最後だ、と思って何かをしている。

たまたま、明日も生きていれば、まだまだ、納得が行かないので、「更新」したり、次のCDの事を考えたりしているわけだ。

できるなら、何時死んでもいい生き方ができればいいなあ、とは思う。

そのためにも、もう、「偽者」たちと関係している時間はないとは思う。

誕生日に死について考えるってのは、けっして、ネガティブな発想ではない。

人生は、たまたま、今、「生」のページが、表になっているにすぎないわけだ。

人は、色々な出会いと関係で、その人の人生は、決まるんだなあ、と今になってつくづく思う。

よ~く考えたら、「偽者」たちは、自分たちの利害の都合でしか、「友人」「知人」を利用しようとしか考えず、私のためには、な~んもしてくれてなかったなあ~、とわかってからでは、後の祭りとなる。

いつか、「早く、ここまで来い!」という台詞を言ってみたいものである。

  
Posted by TOMOYOSE TAKAYA at 00:00永久保存版